2024-01-01から1年間の記事一覧
二十四 二人の刑事が出て行くと、「何あれ」と真理子は怒っていた。 「その誰かの失踪とあなたの事故がどう関係があると言うのよ。邪推もほどほどにして欲しいわ」 真理子の怒りは当然だった。事故の事を訊きに来るのなら、まだしも、高瀬隆一の失踪について…
二十三 次の日も午前中には真理子は姿を見せなかった。 昼食後、リハビリが始まった。 四階のリハビリルームに行くと、看護師が富岡修と書き込んで理学療法士を紹介した。 「矢島です、よろしく」 まず手指の練習から入った。手首を回すところから始めて、そ…
二十二 真理子が来るのが待ち遠しかった。 伝えたい事や、やって欲しい事はいくらでもあった。 今、来たら、まずカード型データベースの事を訊き始めるだろう。 だが、昨日の話は会社移転の事だった。今日、真理子はその事を会社の経理と営業に相談して、そ…
二十一 会社移転となれば、形式的にでも取締役会と株主総会を開かなければならないだろう。 まだ、私には株主の事も、誰が取締役になっているのかさえも分からなかった。どんな会社組織になっているのかも把握していないのだ。これらの事は真理子を通して、…
二十 昼過ぎに体温と脈拍を測りに来た看護師が「明日の午後、シャワーをしましょうね」と言った。 「そこでですか」と、病室に備わっているシャワー室を見て言った。声はまだ上手く出せていなかったが、看護師も聞き取る事ができるようになっていた。 「いい…
十九 次の日、真理子は手帳と富岡のインタビュー記事が載った雑誌を持ってきた。 「これでいい」と真理子が訊くので「うん」と頷いた。 その時、医師が入ってきた。ドアをノックしたのだろうが、気付かなかった。 昨日の採血とレントゲンの結果を伝えにきた…
十八 病室に戻って考えた。 今までは、富岡を知る事を避けてきた。というよりも逃げていた。自分が殺した奴の事など知りたくもなかったからだ。忘れる事ができるなら、そうしたかった。 しかし、今日のような事があればどうする。相手を知らずして、どう対応…
十七 真理子がいなくなると考える事しかできなかった。 松葉杖をついてある程度歩けるようになっても、ほとんどは車椅子の生活になる。そうなれば、真理子が側に付いてくるか、介護士が付き添う事になるだろう。とすれば、夏美と祐一の事が気にかかっても、…
十六 「今日は、午後二時頃だと思いますが採血があり、その後レントゲンを撮ります」 そう看護師が言って、膳を持って出ていった。 朝食が済んだ後に、車椅子が運ばれてきて、二人がかりで車椅子に座った。 病室から出るのは初めてだった。車椅子に乗り、六…
次回は、11月14日木曜日にアップの予定です。
十五 次の日、体温と脈拍を測りに来た看護師に起こされた。午前七時を少し過ぎた頃だった。 昨夜は何時に眠ったのだろうか。窓の外が明るくなり出した頃だった記憶がある。 夢の中で、私は夏美や祐一と食卓で歓談していた。たわいもない話だった。たわいもな…
十四 真理子が帰っていった後は、不思議な気持ちでいっぱいだった。 自分は真理子を好きになっている。いくら否定してもこれはもう確実な事だった。あのキスがそれを決定的にした。しかし、相手は自分が殺した男の〈妻〉だった。 一方、(株)TKシステムズ…
十三 自分の顔を見るのが嫌だった。三十数年培ってきた感覚からしても、元の方がましだったと思えるのに、殺した人間の顔になるなんて最低だった。これから先は、いつも鏡という、そこら中にある恐怖に脅かされながら、暮らさなければならないのだ。窓ガラス…
十二 後で特別個室であると知ったが、看護師が入ってきて、「お名前を言ってください」と言った。私は富岡と言おうとしたが、うまく声が出せなかったので、真理子が代わって「富岡修です」と言った。 「では、検温しましょう」と、年輩の看護師は体温計を振…
十一 私は富岡を殺した後、その死体を彼の車のトランクに入れて別荘から離れた場所に埋めるつもりだった。リュックには折りたたみのスコップを入れていた。都内の自宅とはおよそ離れた所にある量販店で買い入れたものだった。今度の計画に必要なものはすべて…
十 山頂近くは霧深かった。車は麓の人気ない駐車場に駐めておいて、バスで途中まで来てから、あとは徒歩で彼の別荘に向かった。初めから殺害計画を持っていたので、車で直接彼の別荘に向かうのは避けた。 人造湖を見下ろす位置に建つ別荘はすっかり霧に包ま…
九 病院に現れた北村の奥さんはまだオムツの取れない赤ん坊を抱いていた。おんぶひもに支えられて指をしゃぶりながら眠る男の赤ちゃんを見ていて、祐一の赤ん坊時代を思い出していた。八年前の私は、大手の子会社のソフトウェアの会社で働いていた。同世代の…
八 我が社のプロジェクトは極秘に進められていた。画期的な技術とアイデアだったと思う。この頃のパソコンは、スタンドアローン(個々に独立して他のPCと繋がっていないPC)的に使われる事が多かった。イントラネット(企業内におけるプライベートネット…
七 あの猛暑の続く夏の日、私は蓼科にある富岡の別荘に向かっていた。数キロ歩き、汗だくだった。山の端に日が微かに残り、西の空の雲を紅く染めていた。 ………… その二ヶ月前の事だった。街で偶然に北村を見かけた。道路を挟んだ向かい側だった。北村が角のビ…
六 私の記憶の中で消し去る事のできないもの。 人を殺す! そう、最初に鏡の中の〈自分〉を見た時、それが〈自分〉である事さえも分からなかった。次に見た時、殺した相手だ……と思った。思った、というのは曖昧な表現ではあるが、厳然たる現実でもあった。拭…
五 「手を離さないでよ」 祐一だった。六歳の時だった。 小学生になったら自転車の乗り方を教えてやると言っていた。でも、友達の多くはもう自転車に乗っていた。三輪車をとっくに卒業した彼には、補助輪のついた自転車は、いたく自尊心を傷つけていた事だろ…
四 直接陽光が差し込まない時間帯は、カーテンが開かれていて、私は病室の窓から外を眺めていた。右にも左にも向かいにも、さらにその向こうにも建物が見える。ただ、向かいとの間に距離があるので、公園のようなものが下にはあるのだろう。八階のベッド(誰…
三 私はどれほど〈妻〉を見ていたのだろう。時間の感覚がなかった。しばらくして誰かが私の視界を塞いだ。瞼を閉じるように言われたのだろうが、私には分からなかった。だから、死体の瞼を閉じるように誰かにそうしてもらい、目を覆う包帯がそれを補った。そ…
二 混乱に陥っていた私に声が聞こえた。 「あなた、わたしよ」 不意に頬に手が触れて、女の顔が現れた。しかし私には見覚えがなかった。いや、そう言えば時々この病室に足を運び、包帯越しに私の顔に触れた女があったのを思い出した。そして、遠い記憶の底か…
次回は、11月7日木曜日にアップの予定です。
真理の微笑 麻土 翔 一 事故があった。車が崖から落ちたのだった。 ひと月、意識がなかった。二週間、意識の混濁の中にいた。 そして、今日私は医師の手に依って解放された、六週間私の顔を覆っていた包帯から。 名前を呼ばれた気はしたが、よくわからないま…
二十四 沢村からは山のように質問が来たが、僕はまともには答えられなかった。ただ、警察官の勘だと言うだけだった。 沢村を押しのけるように鞄から、愛妻弁当と水筒を取り出すと十階のラウンジに上がっていた。 翌日になった。朝、未解決事件捜査課に行くと…
二十三 留守だと嫌だなと思っていたが、本人は在宅していた。午前中だったためかも知れなかった。 ドアチェーンをして知美はドアを開けた。 僕は「警察です」と言って警察手帳を出して見せた。 それからいったんドアが閉まり、ドアが開いた。 知美はガウンを…
次回は、11月5日火曜日にアップの予定です。
二十二 次の日に、未解決事件捜査課に行くと、皆はもう来ていた。 僕がデスクに座ると、沢村孝治がファイルを持ってきた。 「これなんかどうですか。犯人らしき者の血が残っているのでDNA鑑定できますよ」 「読んでみよう。置いていってくれ」と言った。 …