2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧

小説「真理の微笑」

十五-2 真理子がいつもより早い時間に来た。午後三時を少し過ぎた頃だった。「どうしたの」と言ったつもりだった。他の人なら、喉がゴロゴロ鳴っているようにしか聞こえないだろうが、真理子にはこれで通じた。「修正プログラムは今週中には出来るそうなの…

小説「真理の微笑」

十五-1 次の日、体温と脈拍を測りに来た看護師に起こされた。午前七時を少し過ぎた頃だった。 昨夜は何時に眠ったのだろうか。窓の外が明るくなり出した頃だった記憶がある。 夢の中で、私は夏美や祐一と食卓で歓談していた。たわいもない話だった。たわい…

小説「真理の微笑」

十四-3 真理子が帰っていくと急に寂しくなる。どうしてだろう。分かっていながらそう思った。 夕方に来ると言っていた。数時間の辛抱だった。 今日、ファイルを見ていて改めて思った事だが、トミーソフト株式会社用にカスタマイズされてはいるが、あれは紛…

小説「真理の微笑」

十四-2 次の日、朝食を終えた頃に、主治医の回診があった。何人かの医者を従えていた。いつも説明に来る医者もその中に交じっていた。「気分はどうです」 看護師にカルテを渡されながら訊いた。 私は「いいです」と言おうとした。ガラガラな声でも「いい」…

小説「真理の微笑」

十四ー1 真理子が帰っていった後は、不思議な気持ちでいっぱいだった。 自分は真理子を好きになっている。いくら否定してもこれはもう確実な事だった。あのキスがそれを決定的にした。しかし、相手は自分が殺した男の〈妻〉だった。 一方、(株)TKシステ…

小説「真理の微笑」

十三 自分の顔を見るのが嫌だった。三十数年培ってきた感覚からしても、元の方がましだったと思えるのに、殺した人間の顔になるなんて最低だった。これから先は、いつも鏡という、そこら中にある恐怖に脅かされながら、暮らさなければならないのだ。窓ガラス…

小説「真理の微笑」

十二 後で特別個室であると知ったが、看護師が入ってきて、「お名前を言ってください」と言った。私は富岡と言おうとしたが、うまく声が出せなかったので、真理子が代わって「富岡修です」と言った。「では、検温しましょう」と、年輩の看護師は体温計を振り…

小説「真理の微笑」

十一 私は富岡を殺した後、その死体を彼の車のトランクに入れて別荘から離れた場所に埋めるつもりだった。リュックには折りたたみのスコップを入れていた。都内の自宅とはおよそ離れた所にある量販店で買い入れたものだった。今度の計画に必要なものはすべて…

小説「真理の微笑」

十 山頂近くは霧深かった。車は麓の人気ない駐車場に止めておいて、バスで途中まで来てから、あとは徒歩で彼の別荘に向かった。初めから殺害計画を持っていたので、車で直接彼の別荘に向かうのは避けた。 人造湖を見おろす位置に建つ別荘はすっかり霧に包ま…

小説「真理の微笑」

九 病院に現れた北村の奥さんはまだオムツの取れない赤ん坊を抱いていた。おんぶひもに支えられて指をしゃぶりながら眠る男の赤ちゃんを見ていて、祐一の赤ん坊時代を思い出していた。八年前の私は、大手の子会社のソフトウェアの会社で働いていた。同世代の…

小説「真理の微笑」

八 我が社のプロジェクトは極秘に進められていた。画期的な技術とアイデアだったと思う。この頃のパソコンは、スタンドアローン(個々に独立して他のPCとつながっていないPC)的に使われる事が多かった。イントラネット(企業内におけるプライベートネッ…

小説「真理の微笑」

七 あの猛暑の続く夏の日、私は蓼科にある富岡の別荘に向かっていた。数キロ歩き、汗だくだった。山の端に日が微かに残り、西の空の雲を紅く染めていた。 ………… その二ヶ月前の事だった。街で偶然に北村を見かけた。道路を挟んだ向かい側だった。北村が角のビ…

小説「真理の微笑」

六 私の記憶の中で消し去る事のできないもの。 人を殺す! そう、最初に鏡の中の〈自分〉を見た時、それが〈自分〉である事さえも分からなかった。次に見た時、殺した相手だ……と思った。思った、というのは曖昧な表現ではあるが、厳然たる現実でもあった。拭…

小説「真理の微笑」

五「手を離さないでよ」 祐一だった。六歳の時だった。 小学生になったら自転車の乗り方を教えてやると言っていた。でも、友達の多くはもう自転車に乗っていた。三輪車をとっくに卒業した彼には、補助輪のついた自転車は、いたく自尊心を傷つけていた事だろ…

小説「真理の微笑」

四 直接陽光が差し込まない時間帯は、カーテンが開かれていて、私は病室の窓から外を眺めていた。右にも左にも向かいにも、さらにその向こうにも建物が見える。ただ、向かいとの間に距離があるので、公園のようなものが下にはあるのだろう。八階のベッド(誰…

小説「真理の微笑」

三 私はどれほど〈妻〉を見ていたのだろう。時間の感覚がなかった。しばらくして誰かが私の視界を塞いだ。瞼を閉じるように言われたのだろうが、私には分からなかった。だから、死体の瞼を閉じるように誰かにそうしてもらい、目を覆う包帯がそれを補った。そ…

小説「真理の微笑」

二 混乱に陥っていた私に声が聞こえた。「あなた、わたしよ」 不意に頬に手が触れて、女の顔が現れた。しかし私には見覚えがなかった。いや、そう言えば時々この病室に足を運び、包帯越しに私の顔に触れた女があったのを思い出した。そして、遠い記憶の底か…

小説「真理の微笑」

真理の微笑 麻土 翔 一 事故があった。車が崖から落ちたのだった。 ひと月、意識がなかった。二週間、意識の混濁の中にいた。 そして、今日私は医師の手に依って解放された、六週間私の顔を覆っていた包帯から。 名前を呼ばれた気はしたが、よくわからないま…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

二十四 沢村からは山のように質問が来たが、僕はまともには答えられなかった。ただ、警察官の勘だと言うだけだった。 沢村を押しのけるように鞄から、愛妻弁当と水筒を取り出すと十階のラウンジに上がっていた。 翌日になった。朝、未解決事件捜査課に行くと…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

二十三 留守だと嫌だなと思っていたが、本人は在宅していた。午前中だったためかも知れなかった。 ドアチェーンをして知美はドアを開けた。 僕は「警察です」と言って警察手帳を出して見せた。 それからいったんドアが閉まり、ドアが開いた。 知美はガウンを…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

二十二 次の日に、未解決事件捜査課に行くと、皆はもう来ていた。 僕がデスクに座ると、沢村孝治がファイルを持ってきた。「これなんかどうですか。犯人らしき者の血が残っているのでDNA鑑定できますよ」「読んでみよう。置いていってくれ」と言った。「…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

二十一 今日は、月曜日だった。仕事が終わると剣道場に行った。 西森と三十分ほど打込みの練習をして切り上げた。「今日は早いですね」と西森が言った。「ちょっと、疲れていましたね」と応えた「大変な活躍ですものね、未解決事件捜査課は」と西森が言うと…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

二十 次の日、定時に未解決事件捜査課に行くと、皆揃っていた。僕は北川を呼び、昨日与えた指示をもう一度言った。 すると北川は「もう検索し終わっています」と言った。北川のデスクに行くと新井武の免許証が映し出されていた。僕は手帳を取り出して、その…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

十九 午後一時頃、西新宿署に着いた。僕は未解決事件捜査課に戻ると北川に「運転免許証を検索してくれ」と言った。「誰をですか」と訊くので「滝沢俊一だ」と言った。「いいですよ。その前に飯を食べに行ってもいいですか」「いいよ。私もこれから弁当を食べ…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

十八 一週間が過ぎた。誰も僕のデスクにはやってこなかった。それもそのはずだった。犯人の指紋かDNAが残されているものであれば、もうとっくに逮捕されているからだった。 未解決事件は、そういった証拠が残されていないものが多かった。 そうしているう…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

十七 それから三十分後、僕は未解決事件捜査課の自分のデスクに座っていた。昼の愛妻弁当は食べ終わっていた。 あやめから送ってもらっていた映像を、さっそく再生していた。 被害者の映像はそんなに長くはなかった。何が起こっているのか分からないうちに殺…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

十六 これで、まだ未解決事件を解決していないのは、横井寺生だけになった。「横井、何かあるか」と訊くと、彼は机から立ち上がってファイルを持ってきた。「これなんかどうですか」と言って、開いて見せたのは、六年前に黒金町で起きた、一家四人の惨殺事件…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

十五 神田は結城を刺したことは認めた。ただ、殺意の有無で、取調は平行線になった。 そのまま午後五時が来たので、今日の取調は終わった。 未解決事件捜査課に戻ると、沢村と村瀬が待っていた。それぞれ捜査資料を出して、一度にしゃべろうとしたから、僕は…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

十四 神田と弁護士の接見は一時間に及んだ。その結果、取調は午前十時十分から始まった。その間に、僕は、沢村孝治には埼玉の北福岡署に、村瀬幸広には、千葉の南習志野署に行かせた。もちろん、神田の毛髪のDNA鑑定書も持たせた。それぞれの署に残されて…

小説「僕が、警察官ですか? 5」

十三 次の日、鑑識から結果が届いていた。被害者の右手の爪の間に残されていた皮膚片のDNAと神田の毛髪のDNAが一致した。これで令状が取れる。 午後になって令状が下りると、神田を逮捕するだけだった。だが、神田がどこにいるか分からなかった。 昨日…