小説「僕が、剣道ですか? 2」

三十六

 その日の夕餉は、妙に滝川劍持の機嫌が良かった。

「いやー、あの二十人槍を氷室隆太郎以外の者が破るとは思ってもみなかった。珍しいものを見せてもらった」

 滝川は酒を注いでもらっていた。

「こうなるとどうしても気になる」

 氷室隆太郎の方を見て、「彼とおぬしのどちらが強いか」と言った。

「氷室様の方がお強いでしょう」と僕は言った。

「それは謙遜か」

「いいえ、事実を言ったまでです」

「どういうことかな」

「あの二十人槍を氷室様は、お破りになっているんですよね」

「そうだ」

「その時は、真剣でしたか」

「そんなはずがなかろう。木刀と木の槍での立ち合いだった」

「そこです」

「なんじゃ」

「一見、真剣での二十人槍と一人の真剣での刀の対決では、一人の方が不利に見えるでしょう」

「実際に不利だろう」

「ええ、もちろん、不利ですが、木刀と木の槍での立ち合いよりは有利ですよ」

 滝川は頭を振って、「わしにはわからん。氷室、こやつの、いや鏡殿の言うことがわかるか」と訊いた。

「鏡殿の言われていることは、正しいです」と氷室は言った。

「何だと」

「棒状の槍から本物の槍に変えて欲しいと鏡殿が願い出た時、殿は私の顔を見られましたよね」

「ああ、見た。そんなことをして良いのか、尋ねたくなった」

「その時、私は首を左右に振りました」

「そうだった。危険だから、止めろという意味だと思った」

「違うんです。それでは鏡殿が有利になるからです」

「なに」

「棒状の槍を木刀で切り落とすのは不可能ですが、本物の槍の柄を切り落とすことは真剣なら可能なんです。つまり、棒状の槍は木刀ではせいぜい一、二本叩き折るのが精一杯で、そう何本も折ることはできないのです。従って、槍対刀の戦いにならざるを得ない。しかし、真剣の刀を使われては、見ての通り、槍の柄を切り落とすことで、槍を無力化することができます。そして、そこに鏡殿は活路を見いだされた。そういうことです」

「氷室殿が言われたとおりです」

「なるほど」と滝川も分かったようだった。

「だから、私は氷室殿の方がお強いと申したのです」

「それは棒状の二十人槍を木刀で破ったということでか」

「そうです。私にそれができたかどうか」

 滝川は笑い出した。

「おぬしにはできないと言うのか」

「そう思ったから、真剣に変えてもらったつもりですが」

「道理はわかった。しかし、本物の二十人槍を前にして、おぬしはまるで慌てた素振りを一度もしなかったな」

「そうでしたか」

「そうだとも。ちゃんと見ていたからな」

「なら、そうなのでしょう」

「いずれにしても二十人槍を破ったのは、事実だ。そして、棒状の槍ながら二十人槍を破ったもう一人の剣士がいる。この二人が同じ場所にいるのは、めったにあることではない。私はどうしても二人の立ち合いを見たい、どうだ、鏡殿。承知してくれぬか」

「承知するも何も、この状況では断ることはできないでしょう」

「じゃあ、明日、今日と同じ時刻に氷室隆太郎と立ち合うということでいいな」

「分かりました」

 

 布団の敷いてある部屋に入った。

 中島も近藤も複雑な顔をしていた。

「真剣勝負の二十人槍を破ったのは凄かった」と中島が言った。

「確かに凄かったですね。一生で一度見られるかどうかですね」と近藤が言った。

「しかし、面倒なことになったな」と中島が言った。

「明日、立ち合うのは、あの氷室隆太郎ですからね」と近藤が言った。

「どうせ、そういうことになっているんでしょう」と僕は言った。

「どういうことだ」と近藤が訊いた。

「二十人槍は前座でしょう。本命は氷室隆太郎との立ち合いにあったのだと思いますよ」

「なるほど。しかし、おぬしはどうするのだ。氷室隆太郎と言えば、四国随一の使い手として知られている。もしかしたら、全国一かも知れないのだぞ。その者を相手にしなければならないということがどういうことかわかっているのか」

「分かってますよ。強い奴と戦うっていうことでしょう」

「おいおい、そんなに気楽に言うな」

「戦ってみなければ、分からないじゃないですか」

「それはそうだが、おぬしは平気なのか。怖くはないのか」

「そりゃあ、怖いですよ。逃げ出せるものなら、ここから逃げ出したいくらいですよ」

「全く、剛毅な奴だな。こっちが不安に思っているというのに」と近藤が言った。

「さあさあ、早く寝ましょう。明日も大変なんだから」

 僕はそう言って布団に真っ先に潜り込んだ。

 

 翌朝もよく晴れていた。

 僕は二人より早く起きて、紅葉した山々を見ていた。

「おはよう」

「おはようございます」

「昨日は眠れたか」と中島が訊いた。

「もう、ぐっすりと」

「そうか」

「二十人槍とやり合ったせいですかね。疲れ切っていたのか、夢も見ませんでしたよ」

「お前はのんきでいいな」

「これでも緊張しているんですよ」

「そうか、そうは見えないがな」

 近藤も起きてきた。

「私が一番後か」と言った。

「私たちも、今、起きたところですよ」と僕が言った。

「今日は氷室隆太郎と立ち合うんだよな」と近藤が言った。

「もちろん、そうですよ」

「傍で見ているだけだが、心臓に悪い」と近藤はこぼした。

「全くだ」と中島も同意した。

「湯の旅気分だったのが、こうも殺伐とするとはね。考えもしなかった」と近藤が言った。

「湯の旅気分で来ているのが、間違いなんですよ」と僕は言った。