二十三
「堤邸に行くんですね」
僕が草履を履こうとしたら、きくが後ろからききょうを抱っこしながら、そう言った。
僕はぴくんとした。その通りだったからだ。
「待っててくださいね」
きくも草履を持ってきて、足袋を履き、「わたしも一緒に行きます」と言った。
ききょうはおんぶ紐のようなものに包んで、きくが抱えていた。
「ききょうも連れて行くのか」
「はい、置いていけないですもの」
「誰かに見てもらえばいいじゃないか」
「ききょうだって、弟に会いたいですよね」ときくは、ききょうに向かって言った。
堤邸は城を北側に見た場合に、屋敷町の西側にあった。東側の家老家の屋敷から少し距離はあるが、同じ武家屋敷の通りだから、町に出るよりも近かった。
堤邸に行くと、門番が堤に僕が来たことを知らせた。桟敷に上がるように伝えられ、僕たちは座敷に通された。
すぐに堤はやってきた。
きくを見て、「ほう、奥さんがいたとは知りませんでしたな」と言った。きくは嬉しそうな顔をしたが、僕は「いや、これは妻ではなく世話係です」と慌てて言った。
きくも「お世話係のきくと申します」と言った。
「その子は」と堤が訊くので、「私の子です」と僕は言った。
「お世話係にお子を産ませたのですか」と堤は言った。
僕は「はぁ」としか言いようがなかった。
「男の子ですか、女の子ですか」
「女の子です」ときくが言った。
「名前は」
「ききょうと言います」ときくが答えた。
「すると、京太郎とは異母姉弟になるわけですな」と堤は言った。
「はい」ときくが答えた。
「鏡殿は、京太郎に会いに来たんですよね」
「まぁ」
たえは産後のひだちが悪く、躰の調子を落としていたので、布団に伏せっていた。
その横に京太郎を抱いていた。
僕たちが入っていくと、起きようとしたが「そのままでいい」と言った。
「具合が良くないのか」
「少し」
「無理しない方が良い」
「ええ。そちらは、おきくさんですね」
「はい。今日は京太郎様にお会いしに来ました」
「そうですか。見てやってください」
京太郎はまだまだ猿のような顔をしていた。それでも笑っているように僕には見えた。
「まぁ、可愛いこと」ときくは言った。
「おきくさんが抱いているのは、ききょうちゃんですか」
「ええ」
「見せてください」
きくはおんぶ紐を外して、たえにききょうが見えるようにした。
「可愛いですね」
きくは否定せずに、「はい、鏡様のお子ですもの」と言った。
たえは笑った。
きくがたえに「京太郎様を抱かせてもらって良いですか」と訊いた。
たえは、布団から京太郎を出して、「どうぞ」と言った後に、「わたしにもききょうちゃんを抱かせて」と続けた。
二人で赤ん坊を交換して抱いた。
「三ヶ月もするとこんなに大きくなるんですね」とたえが言った。
「ええ、子は日に日に大きくなっていきます」ときくが答えた。
そう言っている間に、きくは京太郎の着ている布を少しずらして、おちんちんを確認した。
「あっ、やっぱり、男の子だ。男の子はいいなぁ」と呟いた。
「なんと言っても、京介様の分身ですものね」ときくが言うと、「そうですね」とたえは言った。
「次は男の子をお産みになればいいじゃないですか」とたえが言うと、「そうでしょう。おたえさんもそうお思いになられるでしょう」ときくが言った。
「余計な事を言わないでくださいよ」と僕がたえに迷惑そうに言うと、きくはふくれっ面をし、たえは笑った。
赤ちゃんを再び取り替えた二人は、たえが「この二人は姉弟ですね。どことなく似ている」と言うと「そうですね」ときくも同意した。
「そのうち、一緒に遊ばせましょうね」とたえが言うと、「はい」ときくは答えた。
堤邸を出ると、「やっぱり、男の子が欲しいなぁ」ときくが言った。
「無茶を言うなよ」と僕は答えた。
「でも、男の子はいいなぁ」ときくは、まだ言っていた。
夕餉の席で、佐竹が「隣の藩はやられたらしいですよ」と言った。
「何の話ですか」と僕が訊くと、「山賊の話です」と答えた。
「五、六年に一度、やってくるんだ」と家老が言った。
家老の嫡男が「タチの悪い奴らでね。金を出せば、出て行くんだが、出さないと村を荒らし回っていく」と言った。
「山間部を中心に諸国を転々としているんですよ」と佐竹は言った。
「村の刈り入れ時が済んだ頃にやってくる」と家老が言った。
「討伐隊は出さないんですか」と僕が訊くと、「何度も出したが、やられるばかりだ」と家老が答えた。
「何しろ、相手は山を熟知していますからね。それに一騎当千の奴らばかりです。山に慣れない侍が討伐に出向いても、返り討ちにされるばかりです」と佐竹が言った。
「そうなんですか」
「次は我が藩だろうな」と家老が言った。
「今月下旬か、来月あたりですかね」
「そうだろうな」
「また飛田村ですか」
「多分な」
「飛田村と言えば、御側用人斉藤頼母様の御出身地だと聞いていますが」
「そんな話もあるが、斉藤頼母殿はそのことを隠されておる」と家老が言った。
「どうしてですか」
「わからん」と家老は答えた。
「これまで何とか飛田村は、山賊の脅しを撥ね付けてきましたが、今年はどうでしょうかね」と佐竹は言った。
「なんとかするだろう」と家老は言ったが、僕はぎくりとした。大目付や目付の嫡男たちとの戦いで、僕を襲った忍び衆が飛田村の者だとすれば、そのかなりの数の者を僕がやっつけてしまった(「僕が、剣道ですか? 1」参照)。また、辻斬りの時にも何人かは倒した。そして、飛田忍群七人衆も倒してしまった。村にまだ忍びの者が残っていたとしても、山賊に対抗するには少ないだろう。そして、いまだに残っているのは、間違いなく年若い者と子どもと年寄りと女たちだろう。
山賊に抵抗できるはずがなかった。
飛田村が蹂躙される。
その光景が見えるようだった。と同時に、斉藤頼母に怒りが湧いてきた。こんなことになるのが分かっていて、飛田の忍び衆を呼び寄せたのかと。
「討伐隊は出ないんですか」と僕は家老に訊いた。
「出せるはずがないじゃないか。もう、何度も痛い目にあっている」と家老は答えた。
「そうですか」
僕は期待はしていなかったが、当然の答えが返ってきて、何やら落ち着かなくなった。
「盗賊たちって何人ぐらいいるんですか」
「さぁ、噂では五十人以上いるって話ですよ」と佐竹が言った。
「五十人以上ですか」
山に慣れた者たちが五十人以上もいれば、ちょっとやそこらの討伐隊を出しても手も足も出ないだろう。
飛田の忍びの者たちを斬った感触は残っている。飛田の七人衆も倒してしまった。
僕の中でざわめくものがあった。