小説「僕が、剣道ですか? 2」

十六

 ききょうは可愛かった。

 寝転びながら、その顔を見ていても、見飽きることがなかった。

 両手を顔の近くに持って行き、何やら動かしている。何が可笑しいのか、笑っている。

 ききょうを見ている顔を、きくはぐいと自分の方に向けた。

「ききょうばかりを見ている」

「きくだって、ききょうばかり抱いているではないか」

「今は、京介様に抱かれたい」

「おいおい、いいのか」

「いいのよ。そういう風に躰はできてるのよ」

 久しぶりにきくを抱いた。

 女中たちには、それならききょうの夜泣きの方がましだったと思われたかも知れなかった。

 

 山に入って行った。

 もちろん、佐伯主水之介に会うためだった。

 奉行所の座敷に通され、お茶が出された。

「今日は、何用で来られたのかな」

「御前試合のことはご存じですか」

「知っている。拙者も参加することを伝えられた」

 僕は自分が知っている情報を佐伯に伝えた。

「ほう、四人か」

「はい」

側用人の推挙したという竹田信繁という御仁は、拙者も知らぬ」

「そうですか」

「他には何か」

「私は自分が許せないのです。それを謝りに来ました」

「ほう。何を謝りに来たのかな」

「堤先生に佐伯流八方剣を見せてしまいました」

 佐伯は笑った。

「申し訳ありませんでした」

 佐伯は、また笑った。

「申し訳ついでに、私の秘密をお見せしましょう」

「もう見せてもらったと思っているが、違うのか」

「見せてはいますが、ほんの一部です」

「ほう」

「私の強さの秘密は、時にあります」

「時」

「はい」

「不思議な事を言うのう」

「それをお見せします」

「どう見せるのだ」

「真剣で立ち合ってください」

「真剣で、か」

「はい」

「拙者は寸止めが苦手だぞ」

「それでいいのです。真剣で寸止めなしで立ち合ってください」

「おいおい、それでは拙者が斬られてしまうではないか」

「それは大丈夫です」

「拙者がここまでコケにされるとはな」

「コケにするなどとは、とんでもありません」

「わかった」

 佐伯は道着を着ず、袴を穿き、着物は布でたすき掛けをして、袖をしまった。

 僕も道着は着なかった。

 着流しの着物姿で向かい合った。

 佐伯が剣を抜くと、僕も剣を抜いた。

 番所の縁側には、またしても顔が連なった。

 剣先が重なった。パシッと音がして、剣の中ほどで刀がぶつかり合った。

 そして、離れた。

 僕は刀を鞘に収めた。そして、居合い斬りの姿勢を取った。

 佐伯は木刀を右手に持ち背中に引いた。いよいよ佐伯流八方剣の構えを見せた。

 僕は佐伯に向かって走った。佐伯も半身の構えで向かって来た。

 佐伯の横を通り過ぎる前に、佐伯は半円を描くように剣を繰り出してきた。

 しかし、僕は構わず、その剣の中を通り過ぎた。

 佐伯はすぐに振り返った。何の手応えもないことが不思議のようだった。

 僕も振り返った。

 木刀だから破れたものの、真剣なら破れるはずはないと、佐伯は思っていただろう。真剣の方が遥かに鋭くスピードが出るからだった。その横を通り過ぎていくことなど、できるはずはなかった。しかし、僕は通り過ぎていた。

 佐伯の剣が迫ってくるのを待って、少しずつその外に逃げ、最後にその剣からは完全に逃げ切っていた。

 だが、それだけをしていたわけではなかった。

 僕も剣を抜いていた。佐伯にもっとも近付いた時、そのたすきを四つに切っていたのだった。

 佐伯は振り向いた時、まだたすきが切られていることを知らなかった。だが、その次の瞬間、たすきが落ちていった。

「そんな」

 佐伯は呟いた。真剣で破れただけではなかった。それ以上に心を折られていた。

 

 僕は山を下りながら苦い思いを噛みしめていた。

 もう、佐伯は立ち合ってはくれないだろう。僕は山という居場所を失ったのだ。

 堤に佐伯流八方剣を教えてしまったことを詫びに来るつもりだった。だが、余計に深い傷を佐伯に負わせてしまった。御前試合まで間もないという時に、その相手となるかも知れない人を傷つけてしまったのだ。僕は後悔していた。

 

「元気がありませんね」

 きくが言った。

「うん」

「どうかしたんですか」

「どうかしてたんだ」

「どういうことですか」

 きくに話しても仕方のないことだった。だが、誰かに聞いてもらいたかった。堤に話せることなら話したかったが、話せることではなかった。

 仕方なく、佐竹を探して、話した。

「なるほど」

「で、どう思う」

「済んでしまったことですから、しょうがありませんね。でも、御前試合の前ですから、控えるべきでしたね」

「そうだよね」

「ええ」

 

 佐竹に話したが、気は晴れるどころか、余計に重くなっていた。

 ききょうの顔を見れば、気が紛れるかと思って見に行った。

 ききょうは無邪気に笑っていた。いつも笑っている。何がそんなに面白いんだろう、と思う。

 ききょうの横に寝転んで、ききょうみたいに笑ってみた。

 そこにきくがやってきた。僕は慌てて起きようとしたが、それよりも早く、きくは自分と僕のおでことおでこを合わせた。

「熱はないようですね」

「あるわけないよ」

「でも、おかしな笑い方をしていましたよ。笑っていたというよりも苦しそうでした」

「そうか、そんな風に見えたんだ」

「ええ」

 僕は、やはり苦しかったのだ。