小説「僕が、警察官ですか? 4」

二十七

 パンケーキは美味しかった。

 峰岸康子も泣き止んで、パンケーキを食べ始めた。すぐに「美味しい」と言った。

 秀明もパンケーキを食べた。

「本当だ。美味しい」と言った。

 岸田信子はホッとしたように、パンケーキにナイフを入れた。

「凄くふんわりとしていますね。こんなパンケーキ食べたことがありません」と岸田信子は言った。

「そうでしょう。でも、私も食べるのは初めてなんですよ」と言った。

 パンケーキを食べることで場も和んできた。

 パンケーキを食べ終わって、皿が片付けられたところで、僕は話をし出した。

「お姉さんは君のことを心配していたんだ」と僕は秀明に言った。

「僕のことは心配してくれなくても、ちゃんとやって行けるよ」と秀明は言った。

「それでも心配するのが、姉弟というものだ」と僕は言った。

「時系列で考えてみよう。三ヶ月前に君は峰岸康子さんと会ったんだよな」と僕は秀明に訊いた。

「そうです」と言った。

「それから二ヶ月後に、峰岸康子さんのお母さんの病気が分かった。これは不運だったとしか言いようがない。峰岸康子さんは動揺したでしょう。大事なお母さんが重篤な病気に罹ったんだから」と言った。

「はい。心配で眠れませんでした」と峰岸康子は言った。

「そうでしょうね。この病気は根気よく治すしか方法がありません。先進医療に頼るのは仕方ないでしょう。でも、お金がない。だから、秀明さんに相談したんですね」と言った。

「ええ」

「で、君はいくらかかるのか、訊いたんだね」と僕は秀明に訊いた。

「そうです」と答えた。

「峰岸康子さんから、二百万円ぐらいかかると聞いたんだね」

「はい」

「それで預金を下ろそうと思ったんだね」

「ええ。通帳は姉に預けていたので、どうしてお金が必要なのか、問い質されました」と秀明は言った。

「なるほど。それで峰岸康子さんのことを話したのか」

「そうです」と秀明は言った。

「それを聞いたお姉さんは、結婚詐欺だと思った訳か。こんな話を聞けば、誰だって結婚詐欺だと思うね」と僕は言った。

「峰岸康子は決して結婚詐欺をするような人じゃない」と秀明は言った。

「それは会ってみて分かった」と僕は言った。

「どうすればいいんでしょう」と岸田信子は言った。

「病気のことは病院に任せるしかないでしょう。まず、お金のことですよね。当面、必要なのは、入院保証金の十万円だけだから、何とかなるでしょう。でも、先進医療費の方はなんとかしかなくちゃなりませんね」と僕は言った。

「そうなんです」と峰岸康子は言った。

「保険は利かないの」と訊いた。

癌保険には入っていないんです。他の保険も入院費と手術費は何とかなるんですが、先進医療費の方はどうにもなりません」と峰岸康子は言った。

「そうだとすると、入院費と手術費が保険で何とかなるんだったら、先進医療費の方だけだね。これは、峰岸康子さんの貯めていた結婚資金と秀明さんの預金で足りるかどうかは、病気次第だね。いくら必要なのかは、先生にちゃんと話を聞いた方がいい。全額一度に払えなければ、病院にもローン払いができるところもあるから確認するといい。それでも駄目なら、借りるしかないが、幸い家は借家じゃない。家を担保に低金利でお金が借りられる。これはいくら治療に費用がかかったか確定してから、お金を銀行から借りる手続きをすればいい。ある程度のまとまった額は借りられるはずだ。二人で返していけば、それほど返し終わるのに時間はかからないよ」と僕は二人に言った。

「そういうことなら、わたしもお金を出すわよ」と岸田信子が秀明に言った。

「とにかく、峰岸康子さん。水商売のバイトなんて考えちゃ駄目だ。お母さんの見舞いにも時間が取れなくなって行けなくなるぞ」と僕は言った。

「わかりました」と峰岸康子は言った。

 それから二人はそわそわし出した。

 秀明が「僕ら、先に帰っちゃいけないかな」と言った。

「鏡さんに失礼でしょう」と岸田信子は言ったが、僕は「構いませんよ。もう話は済んだことだし」と言った。

「では、先に失礼します」と言って二人は出て行った。

「しょうのない子たちですね」と岸田信子は言った。

「でも良かったじゃないですか。結婚詐欺じゃなくて」と僕は言った。

「ええ、事情がわかって、ホッとしました。鏡さんのおかげです」と岸田信子は言った。

 岸田信子が心持ち、躰を寄せて来た。並んで座っているので、僕は少し気になった。

「後は峰岸康子さんのお母さんの病状次第ですね。良くなればいいんですけれどね」と僕は言った。

「そうですね」と岸田信子は言った。

 峰岸康子の意識を読み取った限りでは、峰岸時子の肝臓癌の進行度はステージ三か四だった。ステージ四なら、基本的には抗がん剤の投与と放射線治療になる。転移しているということだから、ステージ四かも知れない。とにかく、かなり重い症状だった。

 峰岸康子は母親と二人暮らしだったから、母親の存在が大きいのだろう。だから、安易に夜のバイトも考えたのだ。峰岸康子の心は揺れ動いている。とすれば、岸田秀明が峰岸康子を支えていかなければならない。

 岸田秀明が峰岸康子を愛していることが分かったので、最悪のときには、岸田秀明が峰岸康子に付いていてやる必要があった。

 おそらく、治療費の清算をする時がその時なのかも知れなかった。

「わたしは気を回しすぎたんですね」と岸田信子は言った。

「この状況なら、気になるのも当然ですよ。それより、峰岸康子さんのお母さんのことが心配ですね」と言った。

「そうですわね」と岸田信子は言った。

「二人のことは見守ってやっていてください」と僕は言った。

 岸田信子の不安をかき立てるようなことばかりを言ってもしょうがなかったからだ。

「そうします」と岸田信子は言った。

「出ますか」と僕が言った。

 すると、岸田信子は「もう少しだけ、こうしていていいですか」と言った。

「構いませんけれど」と答えるしかなかった。

 それから三十分ほどして店から出た。

 会計は僕が払うと言ったが、「お呼び立てをしたのはわたしですから」と言って、岸田信子が払った。

「ごちそうさまでした」と言うと「こちらこそ、ありがとうございました」と岸田信子は言った。

 店を出た所で別れた。

 僕は歩いて、家まで帰った。

 途中でショートケーキを三つ買った。きくとききょうと京一郎の分だった。

 

 家に着くと、きくが出迎えてくれた。

 ショートケーキの箱を渡した時に、すうっと肩のところに鼻を寄せて匂いを嗅いだ。

「女の人と会って来たんですね。肩から良い匂いがしますよ」と言った。

「そんなんじゃないよ」と言った。

 すると、ショートケーキの箱を目の前に突き出して、「これが怪しいじゃないですか」と言った。

 きくには隠し事はできないな、と思った。

「確かに会ったけれど四人でだ」と言った。

「四人で会ったんですか」ときくが言った。

「そうだ」

「どんな話をして来たんですか」ときくは訊いた。

 僕はおおよそのことは話した。

「そんな相談をあなたにするなんて、その女、おかしいですよ」ときくは言った。

「そうか。心配していたけれどな」と僕は言った。

「そういう甘いところにつけ込まれるんですよ」ときくは言った。

「別につけ込まれてはいないけれど」と僕は反論した。

「そういうのが、女の手なんです」ときくは言った。

「参ったな」と僕は言った。

「どうせ、美味しい物を食べて来たんでしょう」と言った。

「確かに美味しかったから、きくも連れて行くよ。子どもが生まれたらね」と言った。

「わたしはいいですよ、そんなお店」ときくは言った。

「そんなこと言うなよ」と僕は言った。

 その時、子どもたちが出て来た。

 助かったと思った。

「ショートケーキ、買って来たぞ」と言うと「わーい」と喜んだ。

「きく、早く食べさせてやってくれ」と言った。

「もう、その女の人とは会いませんね」ときくは言った。

「会わないと思う」と言った。

「会いませんね」ときくは繰り返した。

「会わないよ」と言った。

「だったら、許してあげます」ときくは言った。

 僕はホッとした。

「さぁ、ショートケーキ食べましょうね」ときくはダイニングルームに向かった。

 

小説「僕が、警察官ですか? 4」

二十六

 お昼になった。

 安全防犯対策課のメンバーは誰も帰ってこなかった。いつもは屋上のベンチで昼食をとるのだが、今日は誰もいないので、デスクで弁当を広げた。

 鶏そぼろと炒り卵の二色弁当だった。きくは鶏そぼろでハートマークを作っていた。

 昨日の鯛の切り身を焼いた物とイカの天麩羅がおかずだった。残さず食べて、水筒のお茶を飲んだ。

 

 午後三時過ぎ頃からメンバーは帰ってきた。

 皆、疲れた顔をしていた。

「お疲れ様」と僕はそれぞれに言った。

 緑川が「全部、終わりました」と言ってきた。

「大変だったね」と言うと、「ええ、大変でした。それより、電話はかかってきませんでしたか」と訊かれた。

「いや、どこからも」と答えた。

「そうですか」と緑川は言って、自分の席に座った。

 僕は書類を見ているフリをして五時までやり過ごした。

 午後五時になったので、「お先に」と言って、安全防犯対策課を出て、家に帰った。

 

 木曜日と金曜日は何事もなく過ぎていった。

 そして、問題の土曜日が来た。

「あなた、お昼はいらないんですか」と訊くので「ああ、人と会う約束があって、外で食べる」と答えた。

 午後一時少し前に新宿三丁目の****デパートの前に行った。すると、岸田信子とその隣に若い男女が、すでに来ていて待っていた。

 僕が側に行くと、岸田信子が「お忙しい中、済みません」と言った。

「いえ、いいんです」と応えた。

「隣にいるのが弟の秀明で、その隣が峰岸康子さんです」と言った。

「初めまして、岸田秀明です」

「初めまして、峰岸康子です」

 二人は、それぞれ挨拶をした。僕も挨拶を返した。

 峰岸康子は清楚なお嬢さんといった感じだった。とても結婚詐欺をするようには見えなかった。だが、この手の相手がくせ者なのだ。見た感じで判断すると、騙されやすいからだった。

「ではパンケーキ屋に行きましょうか」と僕が先になって歩き出した。岸田信子は僕の隣について来た。

 二分ほど歩いた所のビルの地下一階にあるパンケーキ屋に三人を連れていった。

 二組が並んでいた。前の方に順番待ちの番号を発行する機械があり、そこで順番のカードを取って、二組の後ろに僕たちも並んだ。

「こんな所にパンケーキ屋があったんですね。ここに来るのは、初めてです」と岸田信子が言った。

「実は僕も入るのは初めてなんです。一人だと入りにくいでしょう」と中にいる、大勢の女性客を見て言った。

 岸田は笑って「そうなんですね」と言った。

 二組はほどなく店の中に入っていた。その後に店員が来て、「四名様ですね」と言った。

「ええ」と僕が応えると、「こちらにどうぞ」と店内に招き入れた。

 僕らは中程の席に座った。

 向かい側に岸田秀明と峰岸康子が、こちら側に僕と岸田信子が座ることになった。

 メニューが渡された。

 僕はバナナホイップパンケーキチョコソース添えを、岸田信子は紅茶ミルクパンケーキ自家製グラノーラがけを、岸田秀明はティラミスパンケーキを、峰岸康子は季節のフレッシュフルーツパンケーキを選んだ。飲み物は、僕と岸田秀明がコーヒーを、岸田信子と峰岸康子は紅茶を頼んだ。

 店員がメニューを確認して、カウンターの方に行くと、僕は時を止めた。ズボンのポケットに入れて来たひょうたんを叩いた。

「あやめ。峰岸康子の意識を読み取れ」と言った。

「わかりました」とあやめは言った。

 しばらくすると、意識が流れ込んできた。峰岸康子の母親は時子といった。二人きりで生活をしていた。家は借家ではなかった。

 峰岸時子は一ケ月ほど前までは元気だったのだが、お腹の調子が悪いと言ってかかりつけのクリニックに行ったら、大きな病院で診てもらうようにという紹介状をもらって、お茶の水にある病院で診察を受けた。その結果、肝臓癌ですでに他に転移しているという診断が出た。

 肝臓癌は放射線治療をすることになり、転移した癌は保険の利かない新薬の抗がん剤を使うことになった。病室は個室の方が治療しやすいということで個室になった。

 最初に保証金として、十万円が必要で、治療には、少なくとも二、三百万円はかかると言われていた。健康保険の高額療養費制度を利用するとしても、それは保険の利かない新薬には適用されないので、治療費だけで二、三百万円かかることになる。その他に個室入院費が一日、一万五千円かかるので、かなりの出費となる。

 峰岸康子は結婚資金に二百万円ほど貯めていたが、それでは足りず、残りのお金をどうするのか、岸田秀明に相談していたのだ。結婚詐欺ではなかった。

 峰岸康子は岸田秀明に少なめに二百万円ほどかかると言っていたのだ。岸田秀明から借りるという話はしていなかった。おそらく、岸田秀明が貸してくれと言われたように誤解したのだろう。峰岸康子は水商売のバイトをしてでもお金を作らなければならないと思い詰めていた。そうなれば、岸田秀明とも別れるつもりだった。そこまで決心していた。そうして腹を決めて、ここにやって来たのだ。

 僕は時を動かした。

「峰岸康子さん」と僕は言った。

「はい」と彼女は返事をした。

「お母様は、御茶ノ水駅近くの病院に入院することになったんですね」と言った。

「そうですけれど、どうしてわかったんですか」と訊いた。

「失礼ですが、少し調べさせてもらったんです」と答えた。

 嘘も方便だ。

「姉貴、この人にそんなことを頼んだのか」と岸田秀明は信子に向かって言った。

「あなたのことが心配だったのよ」と岸田信子は言った。

「それは俺の勝手だろう」と秀明は言った。

「お姉さんが心配するのは当然ですよ。付き合って、三ヶ月程しか経っていない相手から、お金の相談を受けたんだから」と僕が言った。

「こんな店出よう」と秀明は立ち上がった。

「まぁまぁ、落ち着いて。誤解は解けたんだから、パンケーキが来るのを待ちましょう。そちらのお嬢さんにもまだ話はあるんですから」と僕は言った。

「話って何だよ」と秀明は言った。

 岸田信子は「鏡さんに失礼ですよ。せっかくの休日の日に来てもらったんだから」と言った。

「頼んだわけじゃないよ」と秀明は言った。

「このまま帰ったら、後悔しますよ」と僕は言った。

「そんなこと知るか」と秀明は言った。

「そうですか。峰岸康子さんは夜のバイトも考えているようですよ。放っておいていいんですか。このまま帰ったら、二人は結局別れることになりますよ」と言った。

「本当か」と秀明は峰岸康子に訊いた。

 峰岸康子は「この方の言われるとおりです。わたしは別れを言いに来ました」と言った。

「そんな」と秀明は腰を落とした。

「僕を愛していたんじゃないのか」と秀明は峰岸康子の肩を掴んで揺すった。

「これ以上、迷惑はかけられないもの」と峰岸康子は言った。

「迷惑だなんて、水くさいことを言うなよ」と秀明は言った。

「だって……」と峰岸康子は泣き出した。

 秀明は峰岸康子の肩を抱いた。

 その時、パンケーキが来た。

 ウェイトレスが、パンケーキをどう置くのか迷っていた。

「それはこっちで、これは向こう」と僕が指示をした。

 そして、コーヒーと紅茶も運ばれて来た。それも僕が指示して、それぞれの所に置かせた。

「取りあえず、温かいうちに食べませんか。話はその後にしましょう。峰岸康子さんが夜のバイトをしなくても済むようなアイデアはあるんですから」と僕は言った。

「本当ですか」と岸田信子は言った。

「ええ」と言った。

「そうですか」と岸田信子は言った。

 僕はナイフとフォークを取って、パンケーキを食べ始めた。

 

小説「僕が、警察官ですか? 4」

二十五

 午後五時になったので、安全防犯対策課を出て、家に帰った。

 きくが出迎えてくれた。

「子どもたちは」と訊くと、「プリントをしています」ときくは答えた。

「そうか。相変わらず、教育ママをやっているんだな」と僕は言った。

「教育ママって何ですか」ときくが訊いた。

「子どもの教育に熱心な母親のことだよ」と答えた。

「それのどこがいけないんですか」ときくは言った。

「いけないなんて言ってないよ」と僕は言った。

「そういうふうに聞こえましたけれど」ときくは抗議した。

「ちょっと、からかってみただけだよ。いけないなんて思っていないよ」と言った。

「からかうなんていうのも嫌です」ときくは言った。

「私の言い方が悪かった。済まん」と謝った。

「本当にそう思っていますか」

「そう思っている」

「なら、許してあげます」ときくは言った。

 

 僕は着替えると、風呂に入った。

 浴槽に浸かりながら、重森の言ったことを思い出していた。

 重森は、照準を合わせていた相手が、突然目の前に現れたと言いたかったのだ。だが、僕はそれを封じた。それをそのまま認めれば、時が止まったことがばれる。もちろん、そんなことは誰も信じないが、論理的に考えれば、それしか答えがない。

 時が止まるなどということを誰も信じないが故に、重森の勘違い、ないし、意識が飛んだことに拠るということになった。

 重森自身、時が止まったとは思っていないだろう。ただ、不思議なことが起こったので、僕に理由を訊きたくて仕方がなかったのだ。重森を満足させるような答えを言うことはできなかった。現実に起きたことと、重森の認識が違っていたことが浮き彫りになっただけだった。もちろん、現実に起きたことが全てだから、重森の認識が間違っていたことにされてしまうだろう。世の中というのはそういうものだ、と僕は思った。

 

 風呂から上がってビールを飲んだ。

 今日は塩辛をおつまみにした。

 

 そのうちに子どもたちがプリントを持って、ダイニングルームにやって来た。きくはそれを受け取ると、「後で見て、返すからね」と言って、寝室に入って化粧台に置いた。

 子どもたちは風呂に入る順番を決めるじゃんけんを始めていた。

 ききょうが勝った。京一郎は長ソファに転がって、足をバタバタさせた。悔しかったのだろう。

 

 夕食は刺身だった。鯛は一匹買ってきて、さばいたそうだ。

「それだったら、余っただろう」と言うと、「ええ、だから、お母様にお裾分けしてきました」と言った。

 鯛の潮汁も出たが、「これもお裾分けしてきたのか」と訊くと「ええ」と答えた。

「凄いな」と言った。

 

 次の日、安全防犯対策課に行くと、部屋のあちらこちらに防犯安全キャンペーンのキャラクターの募集のポスターが貼られていた。

「これはどうしたんだね」と緑川に訊いた。

「これから、みんなでこのポスターを貼ったり、チラシを配りに行くんです」と答えた。

「私の分はどうなっているんだね」と緑川に訊いた。

「課長は留守番です」と答えた。

「そうなのか」

「ええ。誰か留守番がいないと困るでしょう」と緑川が言った。

「それもそうだね」と僕は応えた。

「では、行ってきます」と緑川を先頭にメンバー全員が、安全防犯対策課を出て行った。

 後に残ったのは、僕一人だった。

 そこに携帯に電話がかかってきた。

 岸田信子からだった。

「お仕事中に済みません。岸田です。少しお話があるんですがいいですか」と言った。

「今、暇なので構いませんよ」と答えた。

「実は弟のことでご相談したいことがあるんです」と言った。

 岸田は僕と会って話したかったようだが、「どうぞ、お話しになってください」と言った。

「今、話していても構いませんか」

「ええ、この部屋には私一人しかいませんから、大丈夫です」と言った。

「弟が結婚詐欺にあっているんじゃないかと思って、ご相談したんです」と言った。

「結婚詐欺ですか」

「はい」

「相手は誰ですか」と訊いた。

「峰岸康子さんです」と言った。

「弟さんとは最近、付き合い始めたんですか」と訊いた。

「ええ、三ヶ月前です」と岸田は言った。

「それで何か具体的な金銭の要求があったんですか」と訊いた。

「はい。最近、峰岸康子さんのお母さんが肝臓癌になられたそうで、入院や治療費に二百万円いるって言われたそうなんです。でも、彼女の家にはそんなお金がないので、弟に相談したようなのです」と言った。

「いつまでにそのお金はいるって言うんですか」と訊いた。

「来週の木曜日までだそうです」

「ほぼ一週間後ですね」と言った。

「そうなんです」と岸田は言った。

「聞いていると、典型的な結婚詐欺のような話ですね」と僕は言った。

「そうお思いになるでしょう」と岸田が言った。

「なります」と言った。

「その話が本当かどうか確かめたいんです」と岸田は言った。

「そうでしょうね」と僕は同意した。

「どうしたらいいでしょうか」と岸田は言った。

「そうですね……」と少し考える振りをしてから「その峰岸康子さん本人に会うのが一番でしょうかね」と言った。

「峰岸康子さんに会うんですか」

「ええ、それが一番良いと思いますよ」と言った。

「でも、わたしだけだと心細いんですが」と岸田は言った。

 そう来ますか。

「ご両親はいないんですか」

「ええ、早くに両親とも亡くしました。今は弟だけが身内です」と言った。

 僕は岸田信子の心情を思って可哀想になった。

「だったら、私もお会いしましょうか」と僕は言った。

「そうして頂けますか」と岸田は言った。

 どうせ、こういうことになるんだろうな、と思った。

「でも、いつどこでお会いしましょうか」と岸田が訊いてきた。

「平日は難しいので、この次の土曜日はどうですか」と言った。

「大丈夫です」と岸田は言った。

「峰岸康子さんも連れてきてください」と僕は言った。

「わかりました。どこに行けばいいんでしょう」

「そうですね。美味しいパンケーキでも食べませんか。午後一時に新宿三丁目の****デパートの前ではどうですか」と言った。

「わかりました。午後一時に新宿三丁目の****デパートの前ですね」と繰り返した。

「そうです。それまでは、お金は決して渡してはいけませんよ」と僕は言った。

「弟にはそう言います」と岸田は言った。

「私は峰岸康子さんのことを調べておきます」と言った。

「そうして頂けますか」と岸田は言った。

「任せておいてください。これでも警察官ですから」と言った。

「ああ、思い切って、お話しして良かったです」と岸田は言った。

「そうですか」

「心の荷が下りた気がします」と岸田は言った。

「それは良かった」

「長々とお電話をして、申し訳ありませんでした」と岸田は言った。

「今は暇ですから、お構いなく」と僕は言った。

「では、失礼します」と言って携帯は切れた。

 

小説「僕が、警察官ですか? 4」

二十四

 安全防犯対策課に戻ると、緑川が防犯安全キャンペーンのキャラクター募集のチラシ原稿を持ってきた。

 それを見て、僕は「ああ、これでいい」と言った。

「じゃあ、これをプリンタで印刷して配りますね」と緑川は言った。

「そうしてくれ」と言った。

 

 そこに携帯に電話がかかってきた。履歴を見ると、何度も携帯に電話をもらっていることが分かった。

「鏡です」

「岸田です。お忙しいところをお電話して済みません。でも、朝刊を読んでいたら、鏡さんのことだとわかったものですから、お電話しました」と岸田は言った。

「そうですか。確かに狙撃されそうになったのは私です」と言った。

「島村勇二が糸を引いているんでしょうか」と言った。

「そう思います」と答えた。

「島村勇二は全国手配になりましたから、この間頂いたリストの方も捜査令状が下りると思います。島村勇二が早く捕まるといいですね」と言った。

「ええ、そう願っています」と応えた。

「元気そうで良かったです」と岸田は言った。

「これくらいじゃ、へこたれませんよ」と僕は言った。

「頼もしいですね。では、これで失礼します」と言って、電話は切れた。

 岸田信子の電話は何だったんだろう、と一瞬思った。

 そこに、鈴木がやって来て、「ポスターはこれでいきますからね」と言って、A3判のポスターを見せた。

「これをプリンタで印刷して何箇所かに貼ります」と続けた。

「それはいいが、ちゃんと許可を取って貼らせてもらえ」と言った。

「もちろんです」と鈴木は言った。

 そうしているうちにお昼になったので、鞄から愛妻弁当と水筒を取り出すと屋上のベンチに行った。

 弁当の蓋を開けようとしていると、「いつもここで食べていらっしゃるんですね」と並木京子が声をかけてきた。僕は慌てて蓋を閉じた。

「あっちでみんなと食べませんか」と並木は、女子ばかりが座っているベンチを指さした。

「ありがたいけれど、一人で食べるのが好きなんだ」と言った。

「そうですか。じゃあ、ご無理は言いません」と並木は離れていった。

 弁当を開けると、どでかいハートマークの卵焼きがチキンライスの上に載っていた。しかも、ケチャップでハートマークが二重に書かれていた。

 僕は並木に見られなくて良かったと思った。

 

 昼食を食べると、西森から電話がかかってきた。

「今、いいですか」

「ええ」

「重森昭夫があなたに会いたいって言っているんですよ」と言った。

「まだ、病院にいるはずじゃないんですか」

「ええ、警察病院にいます」

「もう、審問しているんですか」と僕は言った。

「そういったところです」と西森は言った。

「こっちに来てもらえますか」と続けた。

「構いませんが」と言うと、「パトカーを使って来てください」と言った。

「分かりました」と言って、電話を切った。

 安全防犯対策課を出ると、パトカーで警察病院まで行った。

 受付で、重森昭夫の病室を尋ねた。三〇三号室だった。

 エレベーターで三階に上がり、三〇三号室のドアをノックした。西森がドアを開けた。

 もう一人刑事がいた。

「村瀬康雄と言います」とその刑事は言った。

 西森が「重森があなたに訊きたいことがあるって言ってしょうがないんですよ」と言った。

「分かりました」と僕は言った。

 重森のベッドサイドに丸椅子を持っていって座った。

「私に訊きたいことがあるって言うから、来たんだ。それは何だ」と言った。

「あっ、こいつだ。俺が狙っていた奴だ」と重森は言った。

 村瀬はメモを取っていた。

「そうだ。お前の標的だ」と僕は言った。

「そうなんだ。俺は確かに照準をこいつの頭に向けていた」と重森は言った。

「そうだろうな。それは感じたよ」と僕は言った。

「感じた? 三百メートルも離れているのに」と重森は言った。

「そういう勘は、私は強いんだ」と僕は言った。

「確かに照準を合わせていて、後は引き金を引くだけだったんだ」と重森は言った。

「だから、身を隠して、お前のいる建物まで走ったんだ」と僕は言った。

「そんなはずはない。そんなに時間的余裕はなかったはずだ」と重森は言った。

「そう思っているだけだ。私を見失って気が動転していたんだ」と僕は言った。

「そんなことはない。お前を見失ったりはしていなかった」と重森は言った。

「そう思い込んでいるだけなんだよ」と僕は言った。

「いや、そんなはずはない。確かに照準に捉えていたんだ」と重森は言った。

「だったら、どうしてここにいるんだ」と僕は言った。

「だから、それがわからないんだ」と重森は言った。

「三百メートルなら、一分もかからず走れる。階段を駆け上がるにしても五階だから三分もあれば上れる。つまり、四分もあればお前の所に行けたんだ」と僕は言った。

「四分は長い時間だ。そんなにお前を見失ったりはしなかった」と重森は言った。

「そう思っているだけだ」と僕は言った。

「そんなことはない」と重森は言った。

「だったら、どうして両腕、両足を折られているんだ。私が屋上に上がったからだ。その時はまだお前は、私に気付いていなかった。腕を折った時にお前は気絶した。それからのことは覚えていないのは当然だ」と言った。

「いやいや、どう考えてもおかしい。見失ってはいなかったし、仮に見失っても四分も見失うことはない。そんなことをすれば、相手にもう一度照準を合わせ直さなければならない。そんなことはしなかった」と重森は言った。

「じゃあ、どうして、両腕、両足の骨を折られたんだ。その時間があったからだろう」と僕は言った。

「そこがわからないから、訊いているんだ。俺には不思議でしょうがない」と重森は言った。

「不思議でも現実はこうなんだから、受け入れるんだな」と僕は言った。

「それが受け入れられないから訊いているんだよ」と重森は言った。

「もう、話すことはない。両腕、両足の骨を折られた時に、あまりの苦痛に意識が飛んだんだ。忘れたものを思い出そうとしても無理な話だ」と僕は言った。

「確かに気絶したが、その直前までは覚えている。突然、お前が現れたんだ」と重森は言った。

「堂々巡りだな。突然、人間は現れたりはしないよ。お前の思い違いだ。記憶が前後しているんだ」と僕は言った。

「そんな馬鹿な」と重森は言った。

「訊きたいことはそれだけか」と僕は言った。

「ああ、そうだ」と重森は言った。

「じゃあ、帰るぞ」と僕は言った。

「でも、俺は確かに照準を合わせていたんだ」と重森は最後に言った。

「養生しろよ」と言って、僕は病室を出た。

 西森も病室から出て来た。

「彼は意識が混乱している」と僕は言った。

 西森は「そのようですね」と言った。

「でも、あなたを狙ったことははっきり証言したんだから、それでわたしたちとしては、十分ですよ」と続けた。

「それまでは、あんなふうには話していなかったんですか」と西森に訊いた。

「ええ。完全黙秘していました。ただ、あなたに会わせろ、としか言いませんでした」と西森は言った。

「だったら、ちゃんと証言が取れたということになりますね」と僕は言った。

「ええ、そうです。助かりました。これで調書は進みます」と西森は言った。

「そうですか。じゃあ、私は帰ります」と言って、西森と別れた。

 そして、パトカーで黒金署まで送ってもらった。

 

小説「僕が、警察官ですか? 4」

二十三

 次の日の朝のテレビのトップニュースは、警察官射殺未遂事件だった。ニュースでは、帰宅途中で狙われたとなっていた。狙われた警察官の氏名は公表されなかった。

 犯人の重森昭夫と、彼に狙撃を指示したと見られる島村勇二については、詳しく報じられた。

 朝刊の一面も警察官射殺未遂事件がトップ記事だった。

 

 朝食が済むと、子どもたちは学校に行く準備をした。そして、友達が来ると、学校に行った。

 きくに「ききょうは元気にしているようだな」と言うと、きくは「そうでもないんですよ」と言った。

「昨日は言わなかったんですけれど、日曜日に買物に一緒に行った時に、向こう側から車が来ると、わたしの陰に隠れて、わたしの手を握ったんです。よほど、誘拐された時のことが怖かったんでしょうね」と言った。

「そうか。やはり、トラウマになっているか」と僕は言った。

「だが、見守っていくしか、しょうがないな」と僕は続けた。

「そうですね」ときくは言った。

 

 僕も家を出る支度をして、黒金署に向かった。

 安全防犯対策課に入ると、メンバーは待ち構えていたかのように質問をしてきた。

「課長、大変でしたね。どうして狙われたんですか」

「鏡課長。ご無事で何よりでした。狙った相手に心当たりはありますか」

「課長も災難でしたよね。相手はどういう奴だったんですか」などなど……。

 僕はデスクに着くと、みんなの視線を浴びた。

「いろいろ訊きたいことはあるだろうけれど、全部には答えられない。分かっていることだけは話す。それでいいな」と言った。

「はい」と言う返事が返ってきた。

「まず、ここを出てから、西新宿署に向かった。昨日は剣道の稽古日だったからだ。そこの道筋を狙われた。相手は、重森昭夫、三十五歳だ。外人部隊にいたという話もあるが、真偽は知らない。重森昭夫とは面識はない。ただ、雇われて、私を狙ったのだろう。雇い主は島村勇二だ。島村勇二は娘の誘拐にも関わっている。未遂だから、発砲はされていない。狙われているという胸騒ぎがしたので、狙うのに可能な建物を見つけ、そこに行ったら、私の来るのを待っていた重森がいたという訳だ。それで、少し痛めつけて、気絶させた。それから、警察を呼んだ。以上だ」と言った。

「相手は、課長が来るのに気付かなかったんですか」と鈴木が訊いた。

「相手に気付かれるように近付くヘマはしないよ」と答えた。

「島村勇二に狙われる理由は何ですか」と岡木が訊いた。

「それは分からない。奴とはいろいろあるからな。とにかく、私が邪魔だったんだろう」と答えた。

 一段落がついたかと思ったら、電話がかかってきた。

 緑川が電話に出て「署長がお呼びです」と言った。

 今度は署長かと思った。

 

 署長室に入って行くと、副署長もいた。

 署長は応接のソファを指さし「そこに座って」と言った。

「失礼します」と言って、指示されたソファに座った。

 署長はデスクの椅子から立って、僕の座っている応接ソファの向かい側に座った。

 その横のソファに副署長が座った。

 署長はテーブルの上にあった電話を取って、「お茶を三つ頼む」と言った。

 すぐに女性の警察官がお茶を運んできて、僕らの前に置いて出て行った。

「昨日は、狙撃されそうになったんだってね」と署長は言った。

「はい、そうです」と言った。

「撃たれなくて良かったね」と署長が言った。

「第六感というか、胸騒ぎがしたんです。それで、周りの建物を見回したら、遠くのマンションから狙撃銃で狙われている気がしたんです。それで相手に悟られないようにその建物に近付いて、屋上にいた犯人を捕まえたんです」と言った。

「逮捕したのは、西新宿署の西森だそうだね」と副署長が言った。

「ええ、剣道の稽古仲間なんです。私は手錠を持っていないので、携帯で彼を呼び出したんです」と、途中経過を端折って話した。

「君が逮捕して良かったんだよ。現行犯だから、逮捕できるのに」と副署長は言った。

「そういうことにはあまり興味がないので、西森に譲りました」と言った。

「欲がないんだな」と副署長は残念そうに言った。

「それにしても、この前はお嬢さんが誘拐され、今度は狙撃されそうになるなんて、尋常じゃないな」と署長が言った。

「私もそう思います」と僕は言った。

「何か心当たりでもあるのか」と署長が訊いた。

「署長も前に刑事をしていたことがあるでしょう」と言うと、「もちろんあるとも」と答えた。

「そういう時に未解決事件はありませんでしたか」と訊いた。

「そりゃ、もう長いことやっていれば、未解決事件の一つや二つはあるもんさ」と署長は答えた。

「そう言った未解決事件は気になりませんか」と訊いた。

「もちろん、気になるさ。自分で調べ直したりしたこともあった」と署長は答えた。

「私にもあるんです。交番の所長をしていた時に、一つ未解決事件があったんです」と言った。

「それはどういう事件なんだね」と署長は言った。

「二〇**年**月のことですが、その時に、NPC田端食品株式会社が販売していた「飲めば頭すっきり」というドリンクに覚醒剤が混入するという事件が起きたんです。この事件では関係者が、三十六名まで絞り込めたんですが、結局、誰が何のために混入したか分からずじまいで終わってしまいました」と言った。

「その事件なら覚えているよ。そのドリンクを飲んだ人が車の事故を起こしたんだよな」と署長は言った。

「そうです」と僕は言った。

「その事件と君が狙撃されそうになった事と関係があるのか」と署長は訊いた。

「そうだと思います。私は気になって、西新宿署の未解決事件捜査課に行ったんです。NPC田端食品株式会社の本社が新宿区にあるので、この事件は西新宿署が未解決事件として扱っていたのです。そこで、その資料を調べました」と言った。

「どうなったんだ」と副署長が訊いた。

覚醒剤をドリンクに混入したのが、凉城恵子だということが分かりました。しかし、彼女は交通事故で亡くなっていたのです。でもこれは単なる交通事故ではなく、高橋丈治という男を島村勇二が使って轢き殺させたものだということが分かりました。そこで、高橋丈治が品川署に逮捕され、島村勇二は追われることになったんです」と僕は言った。

「そんなことがあったのか」と署長が言った。

「それからです。島村勇二が私を狙うようになったのは」と言った。

「逆恨みだな」と副署長が言った。

「ええ」と僕は応えた。

「お嬢さんは、その後、元気に学校に行っているのかな」と署長は訊いた。

「ええ、一応、元気ですけれど、やはり後遺症は残っているようです」と答えた。

「どんな」と署長は訊いた。

「妻の話では、車が来ると、妻の陰に隠れるそうです」と言った。

「無理もないな」と署長は言った。

「島村勇二は全国手配になったから、そのうちに逃げ切れなくなるだろう。逮捕するのは時間の問題だ」と副署長は言った。

「そう願いたいです」と僕は言った。

 署長と副署長とは、それから少し話をして、署長室を出た。

 

小説「僕が、警察官ですか? 4」

二十二

 定時になったので、僕は剣道の道具と鞄を持って、安全防犯対策課を出て、西新宿署に向かった。

 西新宿署の近くまで来ると、建物が取り壊されて更地になっている所が多くなってくる。そこを歩いている時だった。嫌な予感がした。そして、突然、ズボンのポケットのひょうたんが激しく振動した。その瞬間に、僕は時を止めた。

「どうした、あやめ」と言った。

「主様は狙われています」とあやめは言った。

「どこだ」

「三町めほどの所にある建物の屋上からです」と言った。

 一町は約百九メートルだから、三町めということは、三百二十七メートルほどの所にあるビルの屋上から狙われていることになる。周りを見回してみて、そのくらい離れていて、ここまで見通せる建物はいくつもなかった。ひとつ、それらしき建物が見えた。この遠さだと、僕を狙うとしたら、狙撃銃しか考えられなかった。

 その建物まで走って行った。近付いてみると、古いマンションだった。五階建てだった。外階段があったので、上って行った。

 屋上のドアには鍵がかかっていなかった。ドアノブを回すと簡単に開いた。

 屋上に出ると、俯せになって、狙撃銃を構えている男を見つけた。

 僕は竹刀ケースから定国を取り出すと、その男の両腕と両足を峰打ちで打った。骨が折れたことだろう。

「あやめ。こいつの頭の中を読み取れ」と言った。

「はーい」とあやめは言った。

 しばらくして映像が流れてきた。

 こいつは、重森昭夫、三十五歳だった。二十代の頃、外人部隊にいて、戦地も経験していた。狙撃銃の腕は抜群だった。

 一ヶ月も前から僕をつけ狙っていた。その中で、僕が月曜日に西新宿署に行くことを突き止めたのだ。後は、狙撃銃で狙える建物を探すだけだった。最近はセキュリティが厳しいから、新しいビルは狙撃銃を持って屋上に行くのは難しかった。そこで見つけたのが、この建物だったのだ。先週は予行演習でこの建物に来ていた。僕が時間通りにここを通り、射撃して当てられることを確認して、今日の実行に移ったのだ。

 僕は時を動かした。

 足元で重森が呻いていた。奴の懐を探って携帯を取り出した。そして、電話の履歴から島村勇二を見つけるとかけた。

 島村はすぐに出た。

「やったか」と言った。

「おあいにくだったな」と僕は言った。

「鏡か」と島村は言った。

「そうだ。狙撃銃でも駄目だったな」と言った。

 その途端に島村勇二は携帯を切った。

 今頃、歯ぎしりをしていることだろう。

 今度は自分の携帯から西森に電話をした。なかなか出なかった。剣道の稽古でもしているのかも知れなかった。西新宿署に電話をした。

「はい」とオペレーターが出た。

「剣道場にいる西森さんを呼んでください。私は鏡京介と言います」と言った。

 しばらく待った。

 西森が出た。

「どうしたんですか。今日は来ないんですか」と言った。

「狙撃されそうになったんですよ」と言った。

「無事なんですか」

「ええ。今、犯人を捕まえています。早く来てもらえませんか」と言った。

「今、稽古中だったもので……。でも、どこですか」

「ここはどこだろう。古い五階建てのマンションです。ここからは西新宿署が北西に見えますよ。だから、その反対側に見えるはずです」

「わかりました。すぐに行きます」

 三十分ほどしてパトカーが建物の下に来た。西森は外階段を駆け上がってきた。

「無事でしたか」と言った。

「もちろん、無事ですよ」と言った。

「こいつですか。狙ったのは」

「ええ。今は動くことができません。勢い余って、両腕と両足の骨を折りましたから」と言った。

「それはまた……」と西森は言った。

 その時、鑑識がやって来た。

「狙撃犯はこいつですか」と訊いた。

 西森が「彼は中村と言います」と僕に言った。僕は西森に頷いた。

「ええ、そうです」と言った。

「済みませんが、少しどいていてもらえますか」と中村が言った。

「分かりました」と言って、僕らはそこから離れた。もちろん、鞄と剣道の道具も持って。

 鑑識は写真を撮っていた。

「これでまたニュースになりますね」と西森は言った。

「もう、いい加減にして欲しいですよ」と言った。

「奴が鏡警部を狙ったとすれば、島村勇二の指図でしょうね」と西森が言った。

「携帯の履歴を見れば分かるでしょう」と僕は言った。

「そうなると、島村勇二はもう全国手配しないといけないでしょうね」と西森は言った。

「ぜひ、そうしてください」と僕は言った。

「これだけのことをやったんだから、そうなりますよ」と西森は言った。

 中村が「犯人の両腕と両足の骨を折ったのは、あなたですか」と僕に訊いた。

「そうです」と答えた。

「どうやって」

 竹刀ケースを見せて、「これを振り下ろしたんです」と言った。

「それに無反動が加われば、骨も折れるってもんですよね」と西森は言った。

「私は帰ってもいいですか」と僕は中村に訊いた。

「ええ、どうぞ」と答えた。

「私は残ります。この男を逮捕しなければなりませんから」と西森は言った。

「では、今日の剣道の稽古は休みますね」と僕は言った。

「どうぞ」と西森は言った。

「じゃあ、また」と言って、僕は屋上を出て、外階段を下りていった。

 

 家に帰ると、きくは「今日は剣道の稽古の日ですよね。早かったですね」と言った。

「ちょっとな」と言って家に上がった。まさか、狙撃されそうになったとは言えなかった。

 剣道の道具を納戸に入れて、きくに「風呂に入る」と言った。

 

 風呂から出て来て、ビールを飲みながらテレビをつけた。午後七時のニュースでは、狙撃犯が捕まったというニュースは流れていなかった。僕はホッとした。

 テレビを消した。

 

 子どもたちが風呂に入るじゃんけんを始めた。今日はききょうが勝った。

 プリントは僕が帰ってくる前に済ませていたのだろう。

 京一郎も風呂に入り、上がってきて、しばらくすると、夕食になった。

 

 夕食を終えて、休んでいる時に、テレビをつけた。午後九時のニュースが流れた。

 今度は、警察官が狙撃されそうになったというニュースが流れた。

 犯人は、重森昭夫、三十五歳で、二十代の頃、外人部隊にいて、戦地も経験しているということも伝えていた。それに併せて、島村勇二が全国に指名手配になった。警察官の狙撃未遂事件には、島村勇二も関わっている可能性が高いと伝えていた。

 島村勇二のことは、堺物産株式会社の元部長、四十二歳と報じていた。顔写真も映していた。いよいよ、島村勇二にも包囲網が敷かれた。

 

小説「僕が、警察官ですか? 4」

二十一

 定時に黒金署の安全防犯対策課に行った。

 午前十一時に、悟堂の家に実況検分に行くことになった。

 

 ききょうがどのように連れ去られたかは、すでに検分済みだった。

 悟堂の家で、続きの実況検分は行われた。当日の様子が再現されていた。

 僕は、門から家の中に入って、家をぐるりと回って見せた。そして、窓を見て歩いた。カーテンのある隙間があったのが、居間だった。その縁側に上って中を見る仕草をした。

「ここから、ききょうが目隠しをされ、後ろ手に縛られているのを見たんです」と言った。

「それで、この窓硝子を割り、サッシの鍵を開けて、部屋の中に入ったんです」と続けた。

「窓硝子を割ったときには、結構な音がしますよね」と僕に言った後に、「お前たち、気付かなかったのか」と、居間にいる中沢喜一、井上康夫、武下紀夫に訊いた。

 三人とも「気付きませんでした」と言った。

「不思議だなあ」と立ち会いの警察官は言った。

「スタンガンはこの辺りにあったんですよね」と検分している警察官が訊いた。

「そうだと思いますが、はっきりとは覚えていません」と僕は言った。

「これを掴むには、部屋の中に入ってこなければなりませんよね」と検分の警察官が言った。

「ええ、部屋の中に入りましたよ」と僕は言った。

「お前たちは気付かなかったのか」と検分の警察官は、中沢喜一、井上康夫、武下紀夫に言った。

 三人ともさっきと同じように「気付きませんでした」と言った。

「それからどうされましたか」と検分の警察官が訊いた。

「三人の首にスタンガンを当てて気絶させました。そしてガムテープで後ろ手に縛ったのです」と答えた。

「その間にお前たちは、何も抵抗しなかったのか」と検分の警察官が三人に訊いた。

 三人は「突然のことだったので、覚えていません」と言った。

「それから、どうしました」と僕に訊いた。

「別の部屋にいた男をスタンガンで気絶させました。そして、居間に運んでガムテープで後ろ手に縛りました」と僕は答えた。

「悟堂はそっちの部屋にいたのか」と悟堂に訊いた。

「はい」と悟堂が答えた。

「何をしていたんだ」

「友達に携帯で電話をしていました」

「友達とは誰なんだ」

「村田靖史です」

「それで、異変には気付かなかったのか」と悟堂に訊いた。

「携帯をしていたので、首にカッターナイフを突きつけられるまで気付きませんでした」と悟堂は答えた。

「首にカッターナイフを突きつけられたのか」

「はい」と悟堂は言った。

「そうなんですか」と検分の警察官は僕に訊いた。

「ええ、そうするしかなかったものですから」と答えた。

「それでどうしたんですか」

「多分、『声を出すな』と言ったと思います」と僕は言った。

「そうなのか」と悟堂に訊いた。

「ええ、そう言われました」と言った。

「それから、どうしました」と僕に訊いた。

「確か『何でもないと言え。そして、こっちに来いと呼び出せ』と言ったと思います」と答えた。

「そうなのか」と検分の警察官は悟堂に訊いた。

「ええ、そうです」と悟堂は答えた。

「それで、村田とはどんな会話をしたんだ」

「『何でもない』と言いました。すると、『何かあったと思ったぜ』と言うので、『子どもが騒いだんだ』と言いました」と言った。

「村田は何て言った」

「『大人しくさせておけよ』と言いました」

「それから」

「『早く、こっちに来いよ』と言うと『わかった。すぐ行く』と言って携帯は切れました」と悟堂は言った。

「その後、この人に相沢公夫と鷹岡伸也さんも呼び出すように言われました」と続けた。

「それで三人を呼び出したんだな」

「はい」と悟堂は言った。

「あとは、それぞれ来るのを待って、玄関でスタンガンを首に押し当てて気絶させたんです。それから、居間まで引きずっていって、ガムテープで後ろ手に縛りました」と僕は言った。

「お嬢さんの紐や目隠しを取ったのはいつですか」と検分の警察官は訊いた。

「家の中にいる四人を気絶させた後だと思いますが、はっきりとは覚えていません」と答えた。

「ああ、それから家と学校に携帯で電話をしました。どんな話をしたのかは、覚えていません」

「そうですか。それでは、実況検分はこれで終わりです。お疲れさまでした」と検分の警察官は言った。

「これで終わりですか」

「ええ、後は、警察が来ていますからわかるので必要ありません。こちらでわからないところだけを実況検分したんです。報告書に書ける内容がわかれば十分なので、もう、これで終わりです」と検分の警察官は言った。

 僕はホッとした。

 時を止めていたことを知られずに済んだからだ。辻褄が合わないことが多少あっても、この実況検分は、報告書を作るための形式的なものに過ぎないから、問題はないだろう。

 

 黒金署にはパトカーで戻った。

 安全防犯対策課に行くと、皆から「どうでした」と訊かれた。

 僕はそれには答えず、「疲れているんだ。休ませてくれ」と言った。

 時計を見ると、午後二時を過ぎていた。

 かなり遅い昼食をとることにした。

 鞄から愛妻弁当と水筒を取り出すと屋上のベンチに行った。

 そこで弁当を食べた。

 実況検分はこりごりだった。

 

 定時になったので、安全防犯対策課を出て、家に向かった。

 今日は誰もつけてこなかった。

 

 土日は、特に何もしなかった。今週はいろいろなことがあり過ぎた。僕はやはり疲れていた。

 日曜日の夜は、水炊きだった。母が主役だった。きくは母の言うように手伝っていた。

 ききょうも元気だった。

 

 月曜日は、西新宿署で剣道の稽古がある日だった。

 剣道の道具を持って、家を出た。

 黒金署の安全防犯対策課に行くと、メンバーは全員来ていた。

 防犯安全キャンペーンのキャラクター募集のポスター作りをやるらしかった。

 緑川が文案を持ってきて、「これでいいですか」と訊いた。

 僕はざっと読んでみた。

『防犯安全キャンペーンにふさわしいキャラクターを募集。これまでにない、アイデアを期待しています。ふるってご応募ください』と書いてあった。

 下の方に『すでにあるキャラクターは不可。防犯安全キャンペーンにふさわしくないキャラクターも不可。採用されたキャラクターの作者には粗品を進呈』と書かれていた。

「いいと思うけれど、これでキャラクターが応募されてくるのかな」と言った。

「それはやってみなければわからないんじゃないですか」と緑川は言った。

「それもそうだな。これで行こう」と言うと、緑川は「じゃあ、始めましょう」と言った。

 どうせ、これでやるつもりだったんじゃないか、と思った。

 

 僕はすることがなかった。

 島村勇二のことは気になったが、今のところどうすることもできない。

 ただ、漫然と時間を過ごしているうちにお昼になった。

 僕は鞄から愛妻弁当と水筒を取り出すと、屋上のベンチに向かった。