小説『友よ! ――相澤謙吉物語――』15

   十五

 

 執務室で書類に目を通していると、豊太郎が来たことを事務官が知らせてきた。午前八時前である。夜が明けてから落ち着かなかったのだろう。それとも、徹夜したのだろうか。昨日、別れたのが午後四時過ぎだったから、徹夜したのかもしれない。

 天方伯はいつも午前八時には、部屋で朝食をとるので、すでに起きているはずではあるが、伯が事務に取りかかるのは、下の者のことも考えて、午前九時過ぎからと決めているので、伯に直接渡す前に翻訳した文書に目を通しておくのもいいだろうと、相澤は思った。

 前室に入り、豊太郎に会った。

”Guten Morgen(おはようございます)”と、豊太郎はドイツ語で挨拶した。相澤は「おはよう」と日本語で返した。

 豊太郎は元気そうに見えた。翻訳は一晩で仕上げたのだ。その自信が顔に表れていた。テーブルに封筒に入った書類が目に入ったが、見るまでもないようだった。だから、相澤は敢えて手にしなかった。確認しようとしていたのだが、豊太郎のすることにその必要はない。その顔を見て、そう思った。

 ボーイがコーヒーを運んできた。相澤は、トーストを注文した。豊太郎のためだった。朝食もろくに食べずに来たのに違いないと思ったからだった。

 豊太郎はテーブルの封筒にちらっと視線を送って、「見ないのか」と言うと、相澤は「その必要があるのか」とすぐに答えた。豊太郎は「相変わらずだな」と笑った。

「昨日は、視察について話す機会を失ったが……」と相澤は切り出した。

「詳しいことは追い追いわかることだが、こちらに来たのは、欧州諸国のこと、とりわけドイツの最近の様子を知りたいためだ。お前が新聞紙に書いていたように、こちらの皇帝が次々と代わられたので、政治の動きなどがどうなっているのか、直に見聞した方がいいと、伯はお考えになったようだ」

 豊太郎は黙って頷いた。

「ここだけの話と言っても、もう国内では周知のことだが、来年の早いうちに、念願だった憲法も公布される*(三十四)。大日本帝国憲法だ。国の基本法がようやくできるのだ」

 相澤は、大学時代に豊太郎と何度も議論した国作りの一環としての憲法の在り方を思い出していた。

「これは秘密だが、今、枢密院*(三十五)というところで審議されている」

「枢密院?」

「ああ、憲法草案を審議する天皇直属の諮問機関だ*(三十六)」

「天方伯はそのメンバー*(三十七)ではないのか」

「メンバーか。確かに枢密院での大日本帝国憲法の審議が終わるまでは参加されていたが、今はここに来ているからな」

「どういうことだ」

「伯にとっては、もうそれは過去の事なのだ。次の事を考えておられる」

 相澤がニヤリと顔を向けると、豊太郎もつられて笑った。

「それにしても、どんな憲法なんだろう」

「そうだな」と言いつつ、相澤は考えた。豊太郎が学生の頃にさかんに論じていた事柄のいくつかは盛り込まれているようだったが、理想と現実は異なるから、実際に公布されてみなければわからない。

「今の時流に通用する憲法にはなると思うが、内容までは俺にもわからん」

「それもそうだな」

 大学時代に、いくつかの私擬憲法*(三十八)を並べては長所・短所を比べていたが、卒業の頃には検討しきれないくらいの試案が出回っていた。しかし、市井に出回ったこれらのものが、政府内で検討された様子はなく、見ずにうち捨てられたと言って良かった。今からすれば、どれもこれも欠点のあるものものが多かったが、五日市憲法草案*(三十九)のように民権に配慮した堂々たるものもあった。しかし、政府はそれらを直接検討することはなかったのである。

 時は恐ろしいほどに速く流れている。しかし、日本が列国に追いつくには、まだ足りない。

 トーストされたパンが運ばれてきた。

「これはこっちに置こう」

 相澤はテーブルにあった封筒を机の上に移した。豊太郎は「相澤」と微笑みかけた。

「なんだ」

「君は、そうやって、いつも気が利く。誰よりも先に……」

「そうか」

「そうだよ」

 豊太郎は、東京に居た相澤が自分が免官になった事を知って、すぐに某新聞社のベルリン通信員になるように編集長を説いたことを思い出していたのだった。

 バターナイフを手にした豊太郎は、小瓶の中の乳脂をパンに塗った。

「九時になったら天方伯のところに行こう」

「うん」

 ちぎったパンの屑は、やはり皿の外に散っていた。

「また今日も、ドイツ語の書類を預かることになる」

「…………」

「こんなにあるからな」

 相澤は、大げさに両手を広げて見せた。

「今は、重要なものとそうではないものとをより分けているだけでも、手一杯だよ。そして重要なものの中に急ぎのものがあれば、お手上げさ」

 今度は万歳をしてみせた。豊太郎はパンを頰張っているのに、吹き出しそうになった。

 相澤は豊太郎の笑顔を見て、少しは安堵した。昨日の帰り際の豊太郎の表情があまりにも暗かったからだった。それは夕暮れのせいではなかっただろう。しかし、今はとにかく、豊太郎はこの道を進み始めている。相澤にはそう思えた、そう信じた。

 



*三十四 大日本帝国憲法の公布は明治二十二(一八八九)年二月十一日で、施行は翌年十一月二十九日である。

*三十五 枢密院は、明治二十一年四月三十日勅令第二十二号によって設置された最高諮問機関である。明治憲法の草案の立役者となったのは、伊藤博文であり、彼は明治十五年に天皇から、憲法草案の命が下された。伊藤博文は欧州諸国を巡察し、憲法草案の下調べをした。明治二十一年の四月には、伊藤博文はついに憲法の草案を整えることができた。ただ、問題だったのは、その憲法草案をどこで議定発表するかということであった。いくつかの意見が出されたが、結局、新たに枢密院を設け、そこで審議することが望ましいということに落ち着いた。枢密院の設置にあたり、伊藤博文は内閣総理大臣との兼務を避けるために、総理大臣を辞任し、枢密院議長に任命されている。伊藤博文の後任の内閣総理大臣になったのは、黒田清隆(天保十一年十月十六日〈一八四〇年十一月九日〉- 明治三十三〈一九〇〇〉年八月二十三日)である。彼は、憲法の制定には深く関与していなかったとされている。思うに、伊藤博文が内閣総理大臣の後任として黒田を推挙したのは、そのあたりの機微もあったのかもしれない。

*三十六 この相澤の枢密院に対する説明は、その設立の経緯に基づくものであり、認識としては足りていない。確かに、枢密院設置の経緯は、明治憲法の審議に関わることがその要諦を成していたが、枢密院は憲法公布に向けた暫定的な機関ではなく、国務の重要案件について広範囲にわたって諮詢するところである。枢密院の設置にあたり官報に公布されたものにもそのように記載されている。従って常設的な機関だった。

*三十七 枢密院官制第十一条には、各大臣(内閣総理大臣・国務大臣)はその職権上より枢密院において顧問官たる地位を有し、議席に列し、表決の権利を有するとある。従って、メンバーという言葉が適切であるかはともかくも、枢密院の会議に参加し、評決に加わる権利を有してはいる。ただし、枢密院官制第十一条を解釈するに、会議に参加する義務を負っているわけではないと解せられる。

 ところで、明治二十一年五月八日、宮中旧主殿寮跡の議場にて、明治天皇の臨席の下、開会式が行われた。枢密院の第一回の本会議は、五月二十五日に開かれた。開場は午前十時だったが、その日は、内閣の閣議が午前中にあり、黒田清隆内閣総理大臣以下の各大臣を交えての憲法会議は、午後一時から明治天皇の臨席の下に開催された。会議は午後三時まで続けられ、午後三時半に散会したと伝えられている(『枢密院問題- 朝日政治経済叢書5- 』朝日新聞政治経済部編、朝日新聞社、昭和五年九月五日発行)。このとき、天方伯は内務大臣であったから、当然この会議には出席していたことになる。

 この会議で第一に議題に課せられたのは、皇室典範である。国家の三要素とは、領域(領土、その国の範囲)、国民(国家の領域に恒久的に属する者)、主権であるが、大日本帝国憲法(以下「明治憲法」と呼ぶ)では、この主権は天皇にあると規定されていたから、その主権を存続させる法典としての、皇室典範が、明治憲法に先だって討議された。明治憲法下においては、皇室典範は憲法的規律を有するために、これに対して議会の関与を与えないようにするために皇室自律主義が採用された。枢密院での皇室典範に関する会議は、五月二十五日から六月十五日までの間七日が費やされている。続いて、明治憲法の審議に入った。これは、六月十八日から七月十三日までの間十日が費やされた。憲法に対する審議期間が短いようではあるが、すでに長い時間をかけて草案は作成されていたから、枢密院での審議は、憲法の条文とその意味するところ、或いは解釈について、枢密院に参加していたメンバーに周知させるとともに了解させることが目的だったと思われる。第三番目に審議されたのは、議院法だった。これは九月十七日から十月三十一日までの間十三日が費やされた。『舞姫』においては、「明治廿一年の冬は來にけり」と書かれた後に、天方伯がベルリンに到着したことになっているので、『舞姫』内世界では、天方伯は、この議員法以下の審議に参加していないことになる。

 第四番目は衆議院議員選挙法で十一月五日から十二日までの内五日がかけられている。『舞姫』において天方伯のモデルとされる山縣有朋は、この衆議院議員選挙法の審議までは、枢密院の会議に参加していたと思われる。この後、山縣は明治二十一(一八八八)年十二月二日より欧州各国への視察に出ている。しかし、枢密院の会議は、その後も行われ、第五番目に審議されたのは、貴族院令であった。これは十二月十三日から十七日までの内三日審議されているが、この会議に山縣は出ることは不可能である。推測の域を出ないが、明治憲法の審議が終わったところで、山縣有朋にとっては、枢密院で審議すべき実質的な案件は終わったと思っていたと思われる。欧州視察に対してもその許可のお伺いは前もって出していたはずだが、そのタイミングは憲法の審議の終了時点と思われる。山縣にとって、明治憲法が公布されることが確定したのであれば、その後のことが念頭にあったものと思われる。それが明治憲法の公布を待たずの欧州視察になったと推量する。

*三十八 私擬憲法とは、大日本帝国憲法公布前に、市井に出回った憲法私案。ウィキペディアでは六十以上知られていると書かれているが、その数は定かではない(もっと多いと思われる)。

*三十九 五日市憲法草案は、基本的人権条項に触れた一五〇もの条項を含む、全二〇四条からなる先見性に富んだ私擬憲法の一つである。

小説『友よ! ――相澤謙吉物語――』14‐6

 相澤は、また椅子に座り直し、コーヒーを一口すすった。

「そして、その少女とのことは……」

 相澤は、少女とは呼んでも「エリス」とは言わなかった。固有の名を「少女」という一般名詞の向こうに押しやったのだった。

「たとえ、彼女に誠があったとしても、たとえ、彼女との情交が深くなっていたとしても、それはお前の優れた資質を知った上での恋ではない。お前にしてもそうだ。それは、ただ慣習という一種の惰性によって生じた交わりに過ぎない」

 豊太郎の目が游(およ)いでいた。相澤を直視することもなく、テーブルに落とすでもなく、相澤を通過した向こうの壁にでも向けられていたのか。

 相澤は再び身を乗り出して、「いいか、その少女とは別れろ。意を決して断つんだ」と叫ぶように豊太郎に言った。豊太郎にはその言葉がどのように届いているのだろうか。

 どんな理由があるにしても、免官の事由の直接的要因が彼女にあるのでは、どうにもならない。酷なようでも別れる以外に先に進む道はないのだ。ここまで言わなくても、豊太郎ならわかるはずだ、と相澤は思ったが、豊太郎の瞳が、相澤には虚ろに見えた。相澤は、自分の言っていることが果たして、正確に豊太郎に伝わっているのだろうか、といぶかった。

 少しく間があった。相澤には、その一瞬が長く感じられた。

 やがて、「わかった」という弱々しい豊太郎の声が聞こえてきた。

「本当か」

「うん」

「本当に、その少女とは別れるんだな。約束したぞ」

「わかった。約束だ」

「そうか」

 相澤は胸の内につかえていたものが落ちたような気がした。ホッとした。ゆっくりと残りのコーヒーを飲もうと手を伸ばした先に、椅子に寄りかかっている豊太郎が見えた。何かの決断を受け入れた友の顔にしては、その表情が曖昧だった。それが気に掛かったが、思い過ごしだろうと思った。

「もう、こんな時間になっていたのか」

 相澤は食堂の時計を見て驚いた。一時過ぎぐらいに入ってきて、もう四時を回っていた。三十分ほどで日没になる頃だった。久しく会えなかったので、話も長くなったが、もうこんな時間になっているとは思いもよらなかった。

「手紙を出したから住所はわかるんだが、何せ、こちらに来たばかりなので、右も左もわからない。どの辺りに住んでいるんだ」

 帰り際に発した、相澤のこの問いは豊太郎を不意打ちのように驚かせた。しかし、でたらめを言うわけにもいかず、「旧市街地でもあったクロステル街某番地の四階建てのアパートの最上階に間借りしているんだ」と答えた。

「そのあたりは不案内だが、わかるだろうか」と相澤が言うと、「クロステル巷の古い教会を目指して来ればいい。住んでいるアパートはその筋向かいに建っているから。その四階の突き当たりのドアに、エルンスト・ワイゲルト、仕立物師と漆で書かれた潜り戸がある。その家に下宿している」

 豊太郎がそうは言っても、相澤は直接訪ねていこうとは思っていなかった。新聞社の報酬で間借りしているのであれば、どんな様子かは想像がつく。訪ねていっても、くつろいで話せるはずもないことは、相澤にもわかっていた。豊太郎の困惑した顔は見たくはなかった。ただ、急用が生じた時に使いの者を走らせるのに、豊太郎が何処にいるのかわからないのでは困るから、訊いてみただけの事だった。

「そうか」

 しばらく無言の時が流れた。それを切り開くかのように「では」と相澤は、テーブルから立ち上がり、ホテルの出口まで一緒に行き、そこでドイツ語で”Bis Morgen(また、明日)”と言うと豊太郎に背を向けて、ホテルのフロントの方に向かった。

 豊太郎は、慌ててその背に向かい、”Bis Morgen”と返した。相澤は背を向けたまま片手を挙げ、いつか外務省の友人がしたように、軽く左右に振った。

 相澤は、食事の請求書をフロントに渡し、大理石の階段を上がっていった。自分とは違い、豊太郎は暖かな食堂から外に出たのだから、薄暗くなった街の寒さは殊の外堪え難いだろうと思った。

 明日はどんな顔を見せてくれるのだろう。相澤は少し気にはなったが、心配はしていなかった。豊太郎は迷っただけなのだ。道を示されれば、彼は確実に、そして思ったよりも速く、かつ優れて進む。それが豊太郎なのだ。

 

小説『友よ! ――相澤謙吉物語――』14‐5

「相澤……」

「うん!?」

「君からの電信が届いていなかったなら、僕は学問を修めることもできず、不名誉を挽回する機会も持たないままに帰国するほかはなかった」

 相澤は、官報を見た時のことを思い出していた。自分が豊太郎だったらどうだろうと、思った。そのままでは失意のうちに帰国するしかないことは明らかだった。仮に帰ってきたとしても、官界に彼の居場所はない。そして、おそらく民間で働いても豊太郎に見合う仕事はないだろう。あっても豊太郎が、それに満足するはずはない。その確信はあった。だから、ベルリンに留まれる方法を考えた。かつて、新聞紙に載せられていた豊太郎の紀行文を読んだ。文才を感じた。だから、新聞紙の編集長に話をつけて、豊太郎を新聞社のベルリン通信員とした。それしか思いつかなかった。そして、思いついたことを実行できる、唯一ではないとしても、確実な手段だった。相澤は、その時も今も天方伯の秘書官である。その地位を相澤はことさらに利用したという意識はなかったが、結果的には、そうだったかもしれない、と思った。しかし、その立場が有効なものなら、使わない手はなかった。そして、相澤は、そうした。

「感謝している、相澤」

「何を言う。それはいいんだ」

「本当に助かった。ともかく贅沢をしなければ、ベルリンに留まり、生計を立てることができる。何よりも無味乾燥な条例を翻訳し、書き送るだけの日々よりも、政治や学芸のことなどを書き送れることの方が、今の僕にはどれほどましか……。相澤、君にはわかっていたんだね」

「そうでもない」

 そう言いながら、相澤はわかっていた。豊太郎が政治に関心があるのは、政治家になりたいためではなく、世の中というものを知りたいためであること、そして文学には殊の外興味をもっていたようだったから、余裕ができれば、学芸の道に進むことは明白だった。新聞が、もとより政治や学芸のことを取り上げるのは当然だったが、外国の、それも今や一番進んでいるともいわれる、この欧州のドイツ・ベルリンから発信される記事が、日本の読者に受け入れられないはずがなかった。特に今年に入ってからの、三月と六月にドイツの皇帝が立て続けに亡くなったことは、日本の読者にも関心があったところなので、それらを詳細に伝えてきた豊太郎の記事は、他紙を圧倒していた。その頃からは、前にもまして豊太郎の筆が冴え渡っていったように感じる。

「僕は、こちらのありとあらゆる新聞などを読み、次第に自分の考えの方向性も定まってきたように思う。特に民間学の流布においては、欧州諸国の中でもドイツがその先頭を走っている。その様は、実際に見えるわけではないが、壮観だよ」

「そうか」

 相澤には、豊太郎が誇るかのように語るドイツの民間学の有様は、かえって自分の身の不満を訴えているように聞こえた。また、免官になった後のエリスとのことは、敢えて尋ねなかったが、豊太郎のことだから、ずるずると引きずっているのに違いなかった。それは、一時は情けであり、一時は恋だったかもしれない。だが、それは真の恋でもなければ、愛でもない。豊太郎は、そのぬかるみの中でもがいている。泥沼から抜け出す決断をしなければ、やがて全身がぬかるみの中に没してしまうだろう。人を憐れに思うのはいいが、その思いに囚われて、豊太郎が自らの人生を台無しにしているのを、相澤は見るに忍びなかった。だからこそ、今、自分が言わなくてどうする。そのためにも、ここに来、ここにいる。相澤は強くそう思った。

 コーヒーを一口飲むと、相澤は襟を正すように座り直した。

「いいか、豊太郎。友として敢えて言わせてもらう」

  相澤は、豊太郎の生い立ちにはついては知っていた。父を早くに亡くしたことも、その後は母が父になり代わり厳しく豊太郎をしつけたことも。藩校が無くなった後は、一人で上京し、親戚の家から予備校に通う日々のことも知っていた。本来ならそこで培われる強靱さが、豊太郎には無いように感じられた。何の障害も無いかのようにすくすく育ってきた、そんなひ弱さが豊太郎に感じられた。それは生来のものと、相澤には思われた。

 相澤の顔色から穏やかさが消えていた。真剣な眼差しが、豊太郎を射るかのようだった。

「これまでのことは、もともと生まれながらの弱き心がさせたものだから、今更言ってもしょうがない。しかし、そうは言っても、学問も見識もあり、才能さえある者が、いつまでも一人の少女にかかずらっていて、目的もない生活をしていてどうする」

「…………」

「ここが肝心なところだから、よく聞いて欲しい。今、天方伯はお前のドイツ語の能力を利用しようとしているのに過ぎない。伯はお前の当時の免官の理由を知っておられるから、俺は強いて伯がお考えになっていることに踏み込んで、口を差し挟むことはしなかった。そんなことをして伯に無理にお前をかばい立てしていると思われるのは、お前に利がなく、俺にとっては損になるだけだからだ」

 相澤はぐっと豊太郎に身を近づけて、「人を薦めるには、まず本人自らがその才能を示すのが一番だ。お前が、それを見せるのだ。そして、伯の信用を得るがいい」と言った。そうすれば自ずと道は開ける。相澤には確信があった。豊太郎がためらうことなく、その才を存分にふるえば、必ずや天方伯の目に留まることに。そしてそれは、豊太郎をそれに相応しい地位にまで、伯が引き上げてくれるに違いないと思った。もちろん、今の豊太郎にそこまで斟酌することはできるはずもないだろうが、朧気にも進むべき道は見えてくるはずだと、相澤は思った。いや、願った。

小説『友よ! ――相澤謙吉物語――』14‐4

 豊太郎は、エリスについて彼女の家に行き、その部屋に入り、懐中時計を質草にして金を借り、それで葬儀を行えばいいと言って帰ってきたこと、その後、エリスが恩義を感じて豊太郎の下宿に訪れたことなどを話した。

「僕たちはまるで子どものように、話し、笑い、遊んでいたのと、何ら変わりなかったのだ。しかし、留学生仲間には、そうは見えなかったのだろう。僕が彼らと行動を共にしないことを嘲り、あるいは妬むのは仕方ないとしても、それを女優たちと怪しげな交際をしているからだと言いふらし、挙げ句の果てに官長にまで告げ口するとは思いもよらないことだった」

 この段の話に至ると、豊太郎は少し悔しげに語った。

「全くの冤罪なのだ、エリスとのことは。僕は、ただ……」

 豊太郎はカップを包んでいた手で握りこぶしをつくった。その手が震えている。怒りをその中に閉じ込めているかのようだった。相澤は、その怒りを引き取って、口を開いた。

「そんな奴らは、お前が妬ましかったのだ。大学の法学部を、十九の歳*(三十三)で首席で卒業したのは、創設以来初めてのことだったから、そのことはことさらに広く知られていたからな。お前の優秀さには誰も勝てやしない。だから、同じく留学して来ていても、人付き合いの悪いお前のことを、快くは思っていなかっただろう。その上、コーヒー店にいて客を引く女とは違って、女優と交際しているとなると、そんな奴らには、そのことだけでも心穏やかではなかったはずだ。嫉妬心というのは厄介なものだ。自分の怠惰は棚に上げて、人の瑕疵を見つけては吹聴する。おれはそんなふうに人のことをどうのこうの言う輩は決して好きにはなれない。ろくでもない奴らだ」

 相澤は、自分が仕える天方伯が陰でいろいろな噂を立てられているのを知っていた。民衆からの評判が良くないのはともかく、皇室からもそれほど好意的には見られていないのは、何とも言えず歯痒かった。天方伯の行為は、他者からすれば強引なものと映り、己の欲や利益に適う政治を行う者と見えるのだろう。天方伯にその側面がないとは、相澤にはその心中を真に推し量ることは憚られるので、決して言えないが、そうだとしても、今天方伯がなされようとしていることは、明日の日本に必ず必要なことなのだという確信はある。口先だけで攻撃してくる者に、本当に日本を支える覚悟があるのか、彼ら一人ひとりに問い質してみたくなる。そうすれば、当人は、おそらく、いや、きっと「ある」と答えるだろう。口先だけの人間は、口先だけの答えも平気でするものだ。その信念がいかばかりのものなのか、よくも量りもせずに。

 豊太郎がどういう人間かは、大学時代を通して、相澤は十分わかっていた。同郷人の言うことは、豊太郎の外形のほんの一部を、意地悪く拡大したのに過ぎない。だが、それがひとたび公のルートにのれば、馘首(かくしゅ)する口実になる。

 相澤は、天方伯が明治の初期に日本初とも言える疑獄事件に関わり、そのため辞職したことを思い浮かべた。当時、相澤は藩校がなくなったので、東京に出て、英語を主にした外国語を教える学校に通っていた。そのころ、巷で喧伝されていたのは、天方伯の悪名の高さだった。事情をよく知るよしもない、その頃の相澤が天方伯に悪いイメージを抱いたのは当然と言えば当然だった。しかし、仕えてみれば、また違ってくる。確かに天方伯は、一見すると功利的だ。だが、合理的とも言える。功利的と合理的との差は何かと問われれば、私利私欲とそれを超えた理性のなせる技の差と言えばいいのか。いや、私利私欲も人の生き方としては合理的とも言える。ならば……。

「僕は駐独公使から免官・免職を言い渡された時には、何も考えることができなかった。すぐに帰国するならば旅費を支給するが、そうでなければ公の助けを求めてはならないと通告された時は、頭が真っ白になった。どうすればいいのか、何も思い浮かばない。だから、仕方なく一週間の猶予を請うと、駐独公使が了承されたので、そのまま下宿先に帰った」

「…………」

「ベッドに横たわれば、駐独公使が免官・免職にあたり、その事由を、女優と交わっているというではないか、と言われたその瞬間を思い出す。僕は違う、と叫びそうになった。しかし、それは誤解だと主張したとしても詮無きことだと、すぐに思った。傍(はた)から見れば、そう見えるのか……。しかし、その時、僕とエリスとはまだ清白だった。何も無かったんだ。ただ、子どもが戯れているようなものだった」

 豊太郎はコーヒーカップを掴もうとした手を止めて、握りしめた。

「お前の悔しさは、よくわかる。全くふざけた話ではないか。自分の無能や努力をしないことを棚に上げて、凡庸な輩が妬むのはよくあることだ。そうやって、自分の腹の虫を抑えるのさ。たちの悪い奴らだ」

 相澤はそう言った。そうは言ったが、豊太郎の脇の甘さも思わずにはいられなかった。

「そう思い悩んでいるうちに、日本からの手紙が届いた。一つは母からのもので、もう一通はその母の死を伝える親類からのものだった」

「そうだったのか」

 相澤は驚いた。知らなかった、豊太郎の免官・免職と彼の母の死の知らせがほぼ同時期にあったことを。その時の豊太郎の胸中は、察してあまりあった。自暴自棄になっていたところに、さらなる悲嘆の報がもたらされたのだから。

「僕は奈落の底に突き落とされたかのような思いだった。もう、どうでもいい。何もかも忘れたかった。寝転がれば、母の自筆の最期の言葉が突き刺さる。自分のことを、差し置いて、この僕のことを思いやる母の気持ち……。僕は、もう……」

 豊太郎は言葉を詰まらせた。相澤は、何も言えなかった。心の中に、母の手紙を思い浮かべているのだろう。その瞳が潤みそうになっていた。



*三十三 十九の歳というのは、満年齢を意味する。当時、文部省報告を見た者は、太田豊太郎が、法学部を首席かつ十九歳何ヶ月で卒業していることを知るのである。

小説『友よ! ――相澤謙吉物語――』14‐3

「僕は、これまでの自分が主体的に物事を考え、それを実行してきたのではない、と考えるようになった。そうすると、今までの生き方は何だったのだろう。父の遺言を守り、母の教えに従い、師や上司の導く方向に、ただただ進んでいただけなのではないのか。それでは、まるで操り人形のようではないか。そうならば、これまでの自分が本当の自分ではないように思えてきて、今日の自分が昨日までの自分を攻め立てるようになった。何の主体的な考えを持たぬ者が、今の世に雄飛する政治家になろうなど思って良いはずがないし、法典を暗記しただけで、機械的に断罪する法律家になってもろくなことはない」

 豊太郎がそう語るのは、相澤には意外でもあったが、わかっていたような気もした。大学時代の豊太郎は、若いのにもかかわらず、学業では常にトップを走っていた。どの教科も優れていたが、特にめざましかったのは、語学だった。相澤が辞書を引きながら逐語的に訳した英語やドイツ語、そして法学部に課せられていたフランス語の教本を、豊太郎は苦もなく読んだ。若竹がすくすくと伸びていく……、そんな感じだった。豊太郎は、眩しいほどに純粋だった。無垢だった。その豊太郎に、病に倒れた弟が重なった。あっけないものだ。抵抗力のない者には、病は魔物だった。その魔物が弟に取り憑いたように、挫折を知らない豊太郎の心を何かが浸食した。そう相澤は感じた。相澤は豊太郎に言いたいことがあったが、それがうまく言葉にならない。

 もどかしさを感じたまま、「それで」と言った後、相澤はコーヒーカップを口に運んだ。食事をするときに、ビールを勧めたのだが、豊太郎はさっきの書類の入った封筒を見せて、「これを訳さなければならないから」と断った。一人で飲むわけにもいかなかったから、豊太郎と同じようにコーヒーにしたのだった。

「ここの大学に行って法家の講筵(こうえん)を聴くのも馬鹿らしくなり、歴史や文学の本を読んでいると何となく心が落ち着き、そのうち、その面白さもわかるようになってきた」

 相澤は豊太郎が歴史、文学に心寄せていることを聞くと、何をしているんだ、と思わずにはいられなかった。相澤には豊太郎が、歴史という過去に思いをはせていることが現在からの逃亡に思えたし、文学にしても現実からの逃避に過ぎないように感じた。今のこの瞬間の我が国の状況を、豊太郎は知らないのか、それとも考えないのか、それが相澤には歯痒かった。

 今、相澤が天方伯と一緒にここに来ているのは、欧州の状況を視察するためではあるが、とりわけロシアとの関係をどうするのか見極めるのが、一つの目的でもある。大国ロシアが南下してくれば、将来、中国、朝鮮との権益で我が国とぶつかり合うことになるかもしれない。そうでなくても、東にシベリア鉄道が延びれば、樺太の領有権が争われた時のような事が繰り返されるかもしれない。今の日本にロシアと渡り合える国力がないことは明白だった。だから、譲るところとそうでないところの見極めが必要だった。国外の事についても、不平等条約改正の問題が存在しているのに、国内では憲法制定への動きと議会政治への関心の高まりで、内政的には揺れに揺れている。その合間を縫ってでも、天方伯が渡欧したのは、それなりに欧州の状況を把握しておくことと、ロシアの関係を少しでも改善しておくことが急がれたからに他ならなかった。イギリスが清に進出している今、ロシアも地政的に上から清を狙っている。イギリスとロシアが衝突することはないだろうが、お互いにその広大な清国を、自国の権益のために実質的に支配ないし利用しようとしている。だから、イギリスとロシアの権益が干渉し合い、ぶつかることはあるだろう。そこに我が国の活路がある。天方伯の前方に見えている航路は、相澤が推し量るに、そのぐらいであった。それだからこそ、大変な国際関係の中の、日本の立ち位置の確認は怠ることはできない……。

 そんなことが頭を巡っていると、そこで豊太郎の言葉が耳に入ってきた。

「そんな頃からだろうか、僕は役所の帰りに、ウンテル・デン・リンデン*(三十一)を通り過ぎ、クロステル巷*(三十二)に入り込むと、江戸から東京に変わり、建物や通りまで変わっていく風景と違って、昔のままでいる郷里を何となく思い出すのだ。もちろん、景色はまるで違うが、そこで暮らしている、いや、生活している人たちの匂いとでも言おうか、そんなものが懐かしくもあり、捨て去ってきたものの、あるいは取り残されたものの、光を当てられない、その薄暗き中に、安らぎにも似たものを感じたのだ。いや、それ以上だった」

「…………」

「そんな時だった。ある日の夕暮れ時だった。僕が、鎖に閉ざされた教会の門の前で泣いている少女に出会ったのは」

 豊太郎はそこで、コーヒーを口にした。そして、手を温めるように両手でカップを包んだ。その仕草がまるで女性を抱いているかのように、相澤には見えた。

「それがエリスだった」

 豊太郎の視線は、カップの中のコーヒーの表面の揺らめきを見ていた。

「自分でも呆れたことだと思うが、つい、声をかけてしまっていた」

「お前が……か」

「ああ。彼女は、何というか、いわゆる忍び泣くという感じだった。この辺りの人に声をかけられるのを避けているようにも見えた。いや、夏なのに、まるで冷たい雨に打たれたように泣いている少女、通りすがりの誰にも見捨てられているような……そんなふうに見えたのかもしれない。だからというわけでもないが、ここに係累のない異国人の自分であれば、かえって何か手助けができるのではないか、というようなことを言っていた」

「ふぅん」

 相澤は、自分が知っている豊太郎とは異なり、その大胆さに少しばかり驚いた。

「話を聞いてみれば、彼女の父親が亡くなり、葬儀をしなければならなかったが、家には一銭の蓄えもなく、どうすればいいのか途方にくれていたんだ」

「それで、どうしたんだ」



*三十一 ウンテル・デン・リンデン(Unter den Linden)を直訳すれば「菩提樹の下」となる。ドイツ・ベルリンを象徴する正門とも言い得るブランデンブルク門(Brandenburger Tor)から王宮に向かう大通りである。

*三十二 クロステル巷(Kloster Strasse)は、『舞姫』においては、近代化に取り残された建物や市井の人々で構成されている場所として描かれている。

小説『友よ! ――相澤謙吉物語――』14‐2

 相澤は食事をしながら、自分のこれまでの事を話した。

 大学を卒業して、内務省に入り、廃藩置県からの宿題であった内政をどう掌握し、中央で決定した事項を、各府県に伝達するのか、いわゆる中央集権体制に関わる下部組織の構築に携わってきた経緯を話した。そして、その中で天方伯に出会い、その信頼を得て、今、その秘書官としてこのベルリンに至っているというようなことを言った。

 相澤の履歴は順調であったから、その話は淡々としたものだった。

 豊太郎の洋行するまでの事は、相澤とあまり変わりはなく、官吏として順調に階段を上っていくのが相澤にもよくわかった。

「ねぇ、相澤。君は自分のしていることや、やっていこうとすることに、疑問を感じたことはないのか」

「全然」と相澤は、即答した。今の自分の仕事を不満に思ったことはないし、これからのことにもある程度は見通しがついていた。ただ、相澤が見通せている方向に、事態が簡単に進むか、といえば、それは別問題だった。それは考えても仕方ないことだと思っていた。すべて思惑通りに世の中が進めば、それほど楽なことはない。そんなに世の中は甘くない。

「お前はどうなんだ」

「そうだな」と豊太郎は、少し考えてから話し始めた。

「ここに来た時、公の許しを得ていたから、大学に籍をおいたが、当初予定していた政治学科がなく、法学の講義を聴くことにした」

 豊太郎は、政治に興味があったのか……。相澤には少し意外だった。大学では相澤のように文学部の哲学政治学及理財学科ではなく、豊太郎は法学部に入っていたからだった。その法学部では、常に首席にいた豊太郎は、大変な勉強家で知られていた。彼が分厚いフランス語やドイツ語の法律書を読んでいるのは、いつも目にしていた。その時の印象からすれば、日本にまともな法律がないのが、ひどく情けないことのように豊太郎は考えていた、と相澤は思っていた。だからこそ、大学にいた頃に刑法が公布された時*(二十八)には、ようやく日本にも近代国家に相応しい刑法典ができたのかと喜び合ったではないか。もちろん、どのような法律が作られようとも、それまでの経緯やその法典の不備を理由に異論はあったにしても、日本が世界にちゃんとした国家だと認められるには、それなりの法律が整備されている必要がある。そう言ったのは、豊太郎ではないか。そして、日本にはまともな民法も商法もないばかりか、憲法すらない。その未来を背負っていくのは、豊太郎、お前なのではないか、と相澤は、その頃思っていた。

「このベルリンに来て、三年ばかりは、とても充実していた。急ぎの翻訳やまとめた書類を報告書として本国に送り、読んでいて、これは重要だと判断したものは、書き留めておき、それらはどれほどの分量になったことだろう。日本から来ている留学仲間に、飲みに行かないかとか、ビリヤードなどに誘われても、それを断り続け、一心不乱に仕事と勉学に没頭した。だから、彼らは、僕を、ここに来て遊びもしないなんて……などと嘲ったり、官長のお気に入りだから必死なのさ、と妬んだりもした」

「そういう輩はどこにでもいる。凡庸で怠惰な自分たちを認めたくないだけなのだ。飲みや遊びに誘うのも、豊太郎を自分たちと同じところに貶めたいためなんだろう。気にするな。愚か者の戯言だ」

 相澤がそう言うと、豊太郎は少し嬉しそうに笑った。

「だが、ある日、いったい自分は何をしているのだろう、と思ったのだ」

  この時、豊太郎の語り口が変わった。

「こうして官長の求めに応じて、法令の細目を書き送っていることが、なにか虚しくなったのだ。単にドイツ語やフランス語で記されている条文を書き写しているだけに過ぎない。こんなことは誰だってできることではないか。そう思うと、何も僕でなくてもいいではないか、と思った。そして、ついには法令が何のために作られているのか、その精神さえわかれば、自ずとどのように細目を決めればいいのかがわかる。簡単な道理だ。そんなようなことを官長に書き送ってしまった」

「なんと……」

 相澤は言葉が出なかった。

 豊太郎の言っていることは、一般論としてはわからないことはない。大学の頃、英語の教本を辞書と首っ引きで読んでいた自分の隣に座った豊太郎が、その端に”You cannot see the wood*(二十九) for the trees.”と書き込んで、「フランス語だと……」と言って” L'arbre cache souvent la foret. ”を書いて「だね」と言った。「木を見て森を見ずか」と相澤は、自分が呟いたことを思い出す。woodとtreeの差は、辞書を引いてもよくわからない。いずれも森林ないしは木と出てくるからだ。また、英語とフランス語では、文型的に「森」の位置が異なっている。フランス語の方は、ニュアンス的に別の意味にもなり得た*(三十)。豊太郎は辞書を頼りにしすぎている自分を、少しからかったのだ。その豊太郎が、今は、森を見れば木がわかる、と言っている。普通はそうかもしれない。

 だが……、と相澤は思う。森を見ても木がわかるとは、今の自分には言い切れない。要項をまとめても細部に至ると異論が出るのを、いやというほど経験してきた。総論賛成、各論反対、というのが今の政治、社会の実状だ。



*二十八 いわゆる旧刑法と呼ばれる明治十三年七月十七日に公布された太政官布告第三十六号によるもの。その施行は明治十五年一月一日からである。

*二十九 woodはこの語を単数形で使い、森の意味を持つ。その場合、grove (整備された木立の塊。林とでも言えばいいか。the grove of academeで学問の世界とか大学を意味する)より大きく、forest(一般的にはこちらを「森」と覚えている者は多いだろう。その場合には、普通、複数形で使う)より小さい。なお、「木を見て森を見ず」と日本語では簡単に表現し得るが、英語の場合、この文の中に「隠された主格」を補う必要がある。その隠された主格を、豊太郎は「you」としているが、これはこの「木を見て森を見ず」が使われた場面を、例えば、豊太郎と相澤のように、誰かと誰かの会話の一部としているからである。一方が相手に忠告の意味を込めて、この言葉を発しているとすれば、発話者からみた場合の相手は「you」に他ならない。この言葉が別の場面で発話されたとすれば、当然のことだが、主格の表現も変わる。例えば、主格を「誰か」とすれば”Some people cannot see the wood for the trees. ”となる。

*三十 木の葉はしばしば森の中に隠れる。別の意味とすれば、木の葉を隠すには森に限る、とでもなろうか。だが、多くは細部に囚われ全体を見ないことの暗喩として使われる。

小説『友よ! ――相澤謙吉物語――』14‐1

   十四

 

 豊太郎がホテル・カイゼルホオフを訪れたのは、十一月四日、日曜日だった。相澤が手紙を出した二日後だった。

 

 ノックの音がした。ドアノブが回り、扉が開く。

 おずおずと入ってきた豊太郎は、口髭を生やしてはいたが、大学時代とそれほど変わったようには見えなかった。ゲエロック*(二十七)を着た豊太郎は、大きめの紺絣(こんがすり)を着ていて少し前が合わずにいた昔を思い出させた。

「元気そうだな」

「はい」

 豊太郎は直立していた。

「よせよ、調子が狂う。昔のままでいい」

 相澤は、そう言って笑った。豊太郎の顔には、安堵の色が広がった。

 しかし、すぐに相澤は「旧懐の情を温めている間はない。行くぞ」と言った。豊太郎が頷くと、相澤はドアをノックした。

 中から声がした。相澤が「入ります」と言って、ドアを開けた。まず自分が入り、取っ手を持ったまま、扉と共に壁の方に寄り、豊太郎の道を開いた。

 豊太郎は、戸口から一歩中に入り、絨毯を踏みしめた。相澤がドアを閉め、豊太郎の横に並んだ。

 天方伯は椅子に座ったまま、パイプを燻らせていた。そして、豊太郎をじっと見てから、パイプを置き、「君か」とだけ言った。

 豊太郎は、ちらっと相澤に視線を向けて、すぐに「はい、太田豊太郎です」と言った。

 天方伯は頷いて、手元にあった書類を、机の前の方に置き、「それなんだが、急を要するものでな。少しばかり急いで、翻訳してもらえまいか」と言う。豊太郎は机に近づいて、その書類を手に取ると、ざっと分量を目測した。かなりの量ではあったが、一晩あれば訳し終えそうだった。

「明日には」

「そうか。頼んだ」

 そう天方伯は言うと、パイプを取り、椅子に再び深く座り直した。そして、そのパイプを口に運んだ。もう用件は伝えた、という感じだった。

 豊太郎は書類を抱えると、「失礼します」と言って、退室していった。

 相澤が去って行く豊太郎を目で追っていると、天方伯が声をかけた。

「会うのは大学以来だったと言っていたな」

「はい」

 相澤が向き直ると、天方伯は、一寸間を置き、「そうか。午後の用事はないから、お前は今日は、もうこれであがってもいいぞ」と言った。

 確かに今日は日曜日だから公用はないが、その言葉は天方伯の配慮だった。

「はい。ありがとうございます。では、そうします」

 一礼をして、相澤は退出すると、すぐさま旧友を追った。

 前室を駆け抜けた相澤は、書類を見ながらゆっくりと歩いていた豊太郎に、階段を下りてホテルを出ようとしていたところで追いつき、その背中に声をかけた。

「昼でも一緒にどうだ」

 

 相澤はホテルの食堂に豊太郎を連れて入った。

 まだ食事時であるはずだが、日曜日のためか、周りには食事をしている者は少なく、二人は中程の陶炉寄りの席を選んだ。

「ここはシチューがうまいんだ、特に寒い冬は」

 椅子を引きながら、相澤は向かいに座ろうとしていた豊太郎に、秘密でも話すかのように言った。

 豊太郎は、相変わらずだな、とでも言いたげに笑みを浮かべ、「じゃあ、同じものを」と言って椅子に座った。

 相澤はボーイを呼び、滑らかなドイツ語で注文を告げた。そして「大学以来だな」と、豊太郎を懐かしむように見た。あの頃は髭を生やしてはいなかったが、それを除けばあまり変わったようには見えなかった。じっと見ていると、恥ずかしそうに目をそらせる。それでいて、また目を合わせる。前と何ら変わらない豊太郎がそこにいた。

「卒業……」してからどうしていたんだ、と相澤が言おうとしたら、豊太郎もそう言い出したので、二人は笑った。


*二十七 ゲエロック(Gehrock)は、二列ボタンの昼間用の礼服。