小説「僕が、警察官ですか? 2」

四十一

 午後一時になった。取調室に芦田が刑事に付き添われて入ってきた。腰縄と手錠が外されて、机を挟んで僕の前に座った。

 僕はマイクに向かって「二〇**年**月**日、午後一時二分。芦田勇に対する取調を再開します」と言った。

 そして、僕は「最初の犯行について、こちらが分かっていることを話しましょう」と言った。

「あなたは四年前の二〇**年五月十日午前十一時三十五分に、隣町の****という百円ショップに行き、犯行時に使った鈴蘭テープと紺色のハンカチを買いましたね」

「否認します」

「いいでしょう。****という百円ショップは青色申告をしているでしょう。帳簿や領収書の保存期間は七年間ですから、これは、****という百円ショップの二〇**年五月十日午前十一時三十五分のレシートを確認すれば分かることです。そこには、あなたが購入した鈴蘭テープと紺色のハンカチが売上として記録されているはずです」

「否認します」

「結構です。次に、犯行時に使った皮手袋です。これも二〇**年五月十日午後〇時十三分に、やはり隣町の****という雑貨店で購入しています。これもその雑貨店の売上伝票を確認すれば分かることでしょう。しかし、時間までは書かれていないでしょう。だが、あなたは気付かなかったかも知れませんが、雑貨店の店の人なら覚えているかも知れないことが起こっていたのです。近所の飲食店で殴り合いの喧嘩騒ぎがあり、近くの交番の巡査が呼ばれています。これは、交番の記録から確認できることでしょう。この交番の記録を見れば、この喧嘩騒ぎがあったのが二〇**年五月十日午後〇時十分頃だという事がわかるでしょう」

 ここで時を止めた。ズボンのひょうたんを叩き、あやめに「この時の記憶を芦田に映像として送れ。そして、その時の芦田の反応について、私に送ってこい」と言った。あやめは「はーい」と言った。

 そして、時を動かした。

 芦田は「否認します」と言おうとした。しかし、その時の記憶が突然頭に蘇ってきたのだ。確かに、****という雑貨店で皮手袋を購入しようとしていた時に、すぐ後ろの飲食店で喧嘩騒ぎが起こっていて、すぐに交番巡査が来たのを見た。芦田は、皮手袋を買うと、お釣りを店主からもらい、騒ぎを避けて別の道から自転車で帰ったのだった。だが、何故、こんな細かいことまで、この取調官は知っているのだと思った。しかし、ここは否認するしかなかった。

「否認します」と芦田は言った。

「あなたが、最初に犯行を起こそうとしたのは、四年前の五月十一日月曜日でしたね。中島明子さんは午後七時四十五分に南秋田駅を出ました。あなたは、ポロシャツにスラックスという格好に、以前から購入していた、運動靴を履いていた。あなたは南秋田駅を出た、中島明子さんを自転車で追いました。彼女は携帯でゲームをしていた。中島さんがコンビニを通った所で、あなたは自転車を走らせて、先回りをしました。そして、公園の脇に自転車を止めて、公園に入って林の側で中島さんを待ちましたね。そのうちに中島さんがやってきました。彼女は携帯ゲームに夢中になっていました。絞殺するチャンスが来ました。しかし、その時、逆方向から、カップルがやってきたんでしょう。それで絞殺することをあきらめた。そして、次の日も中島明子さんを狙った。だが、午後七時四十五分に中島さんはいなかった。それは、一台前の電車で中島さんが帰ったからです。あなたは怒りに震えた。次の日こそ、絞め殺そうと思ったんじゃありませんか」と僕は言った。

「否認します」と芦田は言った。しかし、あやめが伝えてきたのは、芦田がかなり動揺しているということだった。特に、月曜日にカップルがやってきたので、絞殺できなかったことを、何故、取調官が知っているのか、不審に思っていた。

「どうして、月曜日に絞殺できなかったことを私が知っているか、不思議でしょう。それはあなたの考えていることが分かるからですよ」と僕は言った。

「そんな馬鹿な」と芦田は言った。

「それでは、その時、そのカップルからあなたが聞いた言葉を教えましょうか。『なにぃ』と訛りの混じった女の声でしょう」と言うと、僕は時を止めて、あやめに「この時の映像を芦田に送れ。そして、その時の奴の反応を伝えてくれ」と言った。

 あやめは「わかっています。これからは主様が心の中で思うだけで、わたしには伝わりますからそうしてください」と言った。

「そうか。分かった。では、やってくれ」と言って、時を動かした。

 芦田の頭には、まず、携帯ゲームに夢中になっている中島が見えた。芦田は中島が早く、こっちに来るように思っていた。そうしたら、首を絞めるつもりだった。チャンスだった。しかし、その時、逆方向から、カップルが来た。そして、「なにぃ」と訛りの混じった女の声を聞いた。それに対して男が何か言った。女は男を突っついていた。丁度、その脇を中島明子は通り過ぎていった。行き違うようにカップルは去って行ったが、中島明子ももう向こうを歩いていた。その時の悔しさが込み上げてきたが、同時に恐怖した。この取調官はどうしてこんなことまで知っているんだろうかと、思った。このことは自分しか知らないはずだった。あり得なかった。

「否認します」と言うしかなかった。

「では、犯行日のことを話しましょう。あなたは、午後七時に退社すると、自宅に向かいました。その途中で、午後七時七分に****というコンビニでパンと牛乳を買って帰りましたね。これもレシートを確認すれば、時刻と買ったものは分かるはずです。あなたは家に帰り、それらを食べると、皮手袋をはめて、ポロシャツに、前のポケットに鈴蘭テープとハンカチを入れたスラックスを穿き、お尻のポケットには目出し帽を入れましたね。その支度が整ったのが、午後七時二十分でした。あなたは自転車に乗って、駅に向かいました。駅には七時半に着き、午後七時四十五分まで待ちました。そして駅から出てくる中島明子さんを見付けました。彼女は携帯を見ていたので、あなたが跡をつけて来るのに気付きませんでした。公園までにある最後のコンビニを中島さんが通り過ぎるのを確認したあなたは別の通りを自転車で先回りしました。そして、公園に来ると、中島さんが通る道の林が側にある所で、目出し帽を被り待ち伏せをしました。中島明子さんがやってくるのを見ると、左手にハンカチを持ち、中島さんの口を塞ぎました。そして、右手に握っていた鈴蘭テープを中島さんの首に巻き付けましたね。ここで、最初の犯行の特徴が出るんですが、首に巻いたテープが滑って、首になかなか巻き付かなかったのではないのですか。あなたは、焦りましたね。中島さんを通路から林の近くまで引きずり込み、鈴蘭テープを完全に巻きつけようとしましたが、気は焦るばかりで上手くいきませんでした。仕方なく、首をぐっと押さえて、口を押さえていた左手を外し、鈴蘭テープを左手でも掴もうとしましたが、口から手がどけられた中島さんは、渾身の力を込めて、悲鳴を上げました。この悲鳴は、離れた所にいた寺島徹さんにも聞こえたそうです。寺島徹さんは、付近を探しましたが、中島さんを見付けることができずに、公園を出て、自分の家に向かい、その途中にある交番に行き、話をしています。交番巡査が公園に自転車で向かいましたが、夜間の公園のことでしたから、中島さんを見付けることができませんでした。これは交番の日誌に書かれているので、調べれば日時と状況は確認できるはずです」と僕は言った。

 芦田は悲鳴を聞かれていたこと、そして、交番巡査が来たことを初めて知って震えた。

 危なかったのだ。

「あなたは、素早く鈴蘭テープを引き絞り、悲鳴を止めました。しかし、鈴蘭テープを使ったことで、鈴蘭テープが首に巻き付けるのに相応しくないと思い知ったのです。そして、鈴蘭テープとハンカチはゴミ出しの日にゴミとして出しました。そして、運動靴は洗って干しました」と続けた。

 芦田は震える声で「否認します」と言った。

「二〇**年六月三日金曜日、南秋田駅で午後八時十分に反対方向の電車から降りてくる子鹿幸子さんを見たのです。彼女はそんなに継母によく似ていましたか。あなたは、継母に愛憎を持っていましたね。最初の被害者の中島さんもどことなく継母に似ていたのですね」と僕が言い、心で映像を送るようにあやめに命じた。

 映像を見た芦田は驚いた。椅子から立ち上がった。係官に「座るように」と促されて椅子に座ると、「そんなことはない」と芦田は言った。

「そうですか。その時、子鹿幸子さんを絞殺したくなったんですね。そして、二〇**年六月五日日曜日、午後一時十五分、隣町の****商店で、この写真のロープ、断面の直径が八ミリメートルのものを買ったのです。その時、裁ち鋏と小さなショルダーバッグも買っていますね。これも確認すれば分かることです。そして、同じ町の****という百円ショップで、同日午後一時三十分に紺色のハンカチも買いました。これもレシートを照合すれば分かることです。そして、同年の六月二十二日水曜日になりました。あなたは退社時刻になると、会社をすぐに出て家に帰り、ロープの束から一メートル二十センチメートル、ロープを引き出して、隣町の****商店で買った裁ち鋏で切り取りましたね。それを隣町の雑貨店で買った小さなショルダーバッグに目出し帽と一緒に入れると、ポロシャツを着て袈裟懸けに肩からかけました。皮手袋を手に嵌めて、百円ショップで買った紺色のハンカチはスラックスのポケットに入れました。午後七時四十分になったので、運動靴を履いて家を出ました。自転車で南秋田駅に行き、午後八時十分まで待ったあなたは、電車が来て、駅から出て来る人の中に、子鹿幸子さんを見付けたのですね。そして、子鹿幸子さんをつけた。それから、三つ森公園に向かっている彼女を確認すると、自転車で先回りをして、公園で待ち伏せていました。目出し帽を被り、右手に紺色のハンカチを持ち、左手に一メートル二十センチメートルのロープを握って、待っている時のあなたは非常に興奮していましたね」と言った。

 僕は心で映像を送るようにあやめに命じながら続けた。

「子鹿幸子さんは携帯を見ながら、一人で公園内に入ってきました。木の陰にあなたが隠れていると目の前を子鹿幸子さんが通り過ぎました。あなたは、通路に飛び出すと背後から右手に持ったハンカチで彼女の口を塞ぎ、左手でロープを首に巻いたのです。今度は前回とは違い、ロープを首に一回りさせると、ロープ同士がぐっと引き締まり、左手だけで締め上げることができたのですね。そこで、右手を離して、両手でロープを持って、木陰に引きずり込みました。その時に運動靴を汚したのです。日曜日に降った雨のせいだったんでしょう」

 芦田は圧倒的な映像に、ガタガタと震えた。

「嘘だ。でたらめだ」と言った。最初のような冷静に「否認します」という言葉ではなくなっていた。

 僕はそのまま続けた。

「絞殺後、自宅に戻ると、余りにも運動靴が汚れているのでビニール袋を持ってきてその中にハンカチとロープと一緒に入れましたね。それは他のゴミと一緒にゴミ出しの日に出すつもりだったのです。そして、着替えをもって風呂場に行きましたね」

 ここまで言うと、「そんなことわかるわけないだろう。誘導尋問だ」と叫んだ。そして、また椅子から立ち上がると、頭を抱えて、「あー」と叫んだ。係官に椅子に座るように促された。

 

小説「僕が、警察官ですか? 2」

四十

 腕時計を見ると、正午を過ぎたところだった。

 ズボンのひょうたんが震えた。

 あやめが帰って来て「あの後の映像を送ります」と言った。

「少し待ってくれ。これからお弁当を食べるから。食べ終わったら、教えるから、そうしたら、送ってくれ」と言った。

「そうですか。わかりました。取調もお昼休みに入りました」と言った。

「そうか。少し休んでいてくれ」と僕は言った。

 それから、鞄から愛妻弁当と水筒を取り出した。弁当の蓋を開けると、海苔でハートマークが作られていた。その真ん中に梅干しが載っていた。

 僕はハートマークのところから、食べ始めた。そして、水筒から水筒のコップにお茶を注いだ。

 その時、胸ポケットの携帯が震えた。携帯を取ると西森からの電話だった。携帯を耳に当てた。

「鏡警部ですか」と西森が言った。

「そうです」と僕は答えた。

「今、どこにいるんですか」と訊いたので、「西新宿署のラウンジにいます」と答えた。

「そんな所にいたんですか。今、取調が昼の休憩に入ったので、我々も昼食をとるところです」と言った。

「西森さん、良ければ、ラウンジに来ていただけますか。お昼を食べながら詳しいお話が聞きたいものです」

「わたしは忙しいんですよ」

「分かっています。そこをお願いします」と僕は言った。

「わかりました。そちらに行きます。どの辺りにいますか」と訊いた。

「隅の席に座っています」と答えた。

「じゃあ、少し待っていてください」と西森は言って、携帯が切れた。

 僕は西森が来る前にハートマークだけは食べなければ、と思ったが、そうして食べてみると、ハートマークにご飯が残った。それを箸で崩しているところに、カレーライスを持った西森が現れた。そして、僕の前に座った。

 西森は「いつもの愛妻弁当ですか」と言った。僕はそれには何も答えなかった。

「で、取調の方はどうなっていますか」と言った。

 西森は「芦田は黙秘を続けています。しかし、DNA鑑定が出れば、証拠は揃います」と言った。

「DNA鑑定はいつ頃出るのでしょうか」と訊くと、西森はカレーを食べながら、「さぁ、はっきりしたことはわかりませんが、早ければ、明日の午後には鑑定書が届けられるでしょう」と答えた。

「水を持ってきましょうか」と僕が言うと「いや、わたしが行きます」と言って、西森は席を立った。

 僕はひょうたんを叩いて、「あやめ。映像を送ってくれ」と言った。

「はーい」と言う声がして、あやめから映像が送られてきた。お弁当を食べている途中だったが、これから西森が言うことがどこまで信用できるものなのか、確かめたかったのだ。

 いつものように目眩がしたが、すぐに慣れた。

 映像を再生する前に、西森がコップに水を汲んで持ってきた。

「さっきは話の途中でしたが、芦田が黙秘を続けても、鑑定結果が出れば、芦田の動かぬ証拠となります。芦田が自白しなくても、公判維持はできます」と西森は言った。

 映像を再生した。

「もう、一言もしゃべらないからな。それよりも弁護士に会わせてくれ。弁護士に会う権利はあるだろう」と芦田は言った。

「当然ある。だが、今はだめだ。これから、アリバイを確認する。事件当日のアリバイがあるなら、しゃべることだ。アリバイが実証されればその事件については、犯人でないと認めることにしよう」と取調官が言った。

 そして、取調官は第一の犯行の年月日時、場所を言い、その時間どこにいたか、話してくれと言った。もちろん、芦田は答えることができなかったから、黙秘した。

 そして、第二、第三、第四、第五、第六、第七の事件の犯行の年月日時、場所を言い、その時間どこにいたか、話してくれと続けた。

 芦田は黙秘を続け、「弁護士に会わせてくれ」と言い続けた。そのまま午前中の取調は終わった。

「芦田は黙秘を続けているんですね」と僕が訊くと、西森は「そうです」と答えた。

「午後の取調を私にやらせてもらえませんか」と僕が言った。

「何ですって」と西森は言った。

「DNAの鑑定が出れば、動かぬ証拠となるでしょう。そうなれば、この事件の場合、芦田には死刑判決が出ることになるでしょう。裁判員裁判でもそれは変わらないでしょう。七人も殺人を犯しているのですから」と僕は言った。

「当然そうです」

「としたら、芦田に残された道は二つしかありません。まず、証拠がねつ造されたものだと主張すること。これを否定するのは簡単でしょう。だとしたら、もう一つは犯人の責任能力を主張することです。犯行時、犯人が心神喪失心神耗弱の状態だったと主張して、仮にそれが通れば、減刑か無罪判決も出かねません。芦田は今後、それを狙ってくることになるでしょう」と僕は言った。

「そんな主張は通るはずがありません」と西森は言った。

「それは、そうでしょう。しかし、百パーセント通らないとは限りません」と僕は言った。

「…………」

「今なら、他の証拠についても自供させることができるかも知れません。仮に自供しなくても、傍証は取れます。私は芦田については、あなた方よりも遥かによく知っているんです」と言った。

「仮にそうだとしても、あなたに取調をさせる権限はわたしにはありません」と西森は言った。

「捜査一課長に直談判させてください。その機会をください」と僕はお願いした。

 西森はカレーをかきこむように食べると、「捜査一課長なら今、捜査本部の本部席にいるでしょう。午後の取調にあたり、管理官と取調官と話をしているところだと思います」と言った。

「では、連れて行ってください。私からお願いしてみます」と僕は言った。

「無駄だと思いますがね」と西森は言いながら立ち上がり、カレーの食器とコップは返却棚に置いた。

「わたしは連れて行くだけですからね。後はご自分でお願いしてみてください」と言った。

「ありがとうございます」と僕は言った。

 僕は弁当と水筒を鞄にしまうと、鞄を持って、西森の後を追った。西森は階段で八階の大会議場に設けられた捜査本部に入って行った。そうして本部席に向かった。

 本部席には、捜査一課長と管理官と取調官がいて話をしていた。そこに僕が割り込んでいって、「午後の取調は、私にさせてください」と言った。

 捜査一課長も管理官も取調官も僕を見た。

「芦田を自白させることはできませんが、今までに出て来ていない事柄を採り上げて、傍証を取ることはできます」と言った。

「あなたは本件には関わりがないんだ。出ていてもらおう」と取調官が言った。

「私が本件には関わりがないということはないでしょう。私の話で、芦田が特定されたわけだし、私には他にもっと知っている事があります」と僕は言った。

「なら、他で事情聴取するからそこで話せばいい」と取調官は言った。

「でも、直接、芦田にぶっつけた方が効果的だと思いますがね」と僕は、捜査一課長と管理官に向かって言った。

「何か他に知っている事でもあるんですか」と捜査一課長は訊いた。

「ええ、あります」と僕は答えた。

 捜査一課長と管理官は話し合った。

「では、午後一時から三時までの二時間だけ、あなたに取調権を与えましょう。そこで何でもいいから、芦田から引き出してください。それでお引き取りください」と捜査一課長が言った。

「分かりました」と僕は言った。

「捜査一課長」と取調官は言った。捜査一課長は「まぁ、まぁ」と取調官をなだめた。

 

小説「僕が、警察官ですか? 2」

三十九

 取調官が机の向こう側にいた。マイクに向かって、「二〇**年**月**日、午前十時五分。これから取調を開始します」と言った。

 芦田勇は椅子に足を組んで座っていた。

 取調官はまず被疑者の氏名、生年月日などの人定質問を行い、今、取調を行っている対象者が芦田勇と特定した。その後で逮捕容疑を読み上げた。

「これに間違いはないか」と訊いた。芦田勇は即座に「否認します」と答えた。

「全部か」と訊くと、「全部です」と答えた。

 芦田勇は逮捕される直前に、内藤弁護士と携帯で話をした。その時、「わたしと接見できるまでは、名前や生年月日等の人定質問には、答えてもいいですが、それ以外は否認するか、黙秘してください。あなたの場合、逮捕容疑がそのまま通れば死刑しかあり得ない事案ですから、心してください」と言われていた。

 それは弁護士に言われなくても分かっていた。芦田勇は事件については、否認するか、黙秘することにしていた。

「この写真を見てもらいたい」と言って、取調官は机の上に、芦田に見えるように十六枚の写真を載せた。

 それらの写真は、芦田の運動靴とその足跡、それから事件現場に残されていた足跡と、それから象った足跡の模型と、それを芦田の運動靴に重ね合わせている写真だった。

「この写真の運動靴は誰のものだ」と訊いた。

「わかりません」

「お前のものだ」と取調官は言った。

「否認します」と芦田は言った。

「否認しても、無駄だ。これはお前の自宅の家宅捜索で押収したものだ」と言った。

「否認します」

「そうか。しかし、この運動靴の足跡と事件現場に残された五件の足跡は一致したぞ」と取調官が言った。

「それはねつ造した証拠じゃありませんか。わたしは事件とは無関係です」と言った。

「これは事件発覚直後に事件現場で採取した足跡だ。ねつ造したものではない」と取調官は言った。

「仮にそうだったとしても、同じ運動靴はいくらでもありますよね。わたしの運動靴の靴跡と同じだからと言って、同一の靴とは限らないじゃあないですか」と芦田は言った。

「そう言うと思ったよ。確かに同じ運動靴は、沢山生産され、そこら中で売られている。しかし、履き慣れた運動靴の靴跡は同じじゃないんだよ」と取調官は言った。

「どういうことです」と芦田は言った。

「人によって靴底の減り方が違うんだよ」と取調官が言った。

 この時、芦田は自分が犯したミスに気がついた。運動靴の公園の土が付着していることだけを芦田は気にしていたが、足跡にも違いがあることまでは頭が回らなかった。そうであれば、ロープを一回ごとに捨てたように、運動靴も捨てれば良かったのだ。ミスだとは思ったが、決定的な証拠だとは思わなかった。

「仮にわたしの運動靴の足跡だとしても、それは警察が後から作った証拠じゃないんですか。わたしの部屋から押収した運動靴を使って、後から足跡をつけたんじゃないですか」と芦田は言った。

「写真を見るんだ」と取調官が言った。

「そこには写真を撮影した日付と時間が表示されているだろう。後から作った証拠じゃないことは、それでわかるだろう」と続けた。

 芦田は笑った。

「わたしを誰だと思っているんですか。システム・エンジニアですよ。カメラの日付や時間などいくらでも変えて撮影できますよ。今、ここにカメラを用意してくれたら、この日付、この時間で撮影して見せますよ」と芦田は言った。

「この写真に細工はされていない。それは専門家が証言してくれる」と取調官は言った。

 そして、机の上の写真を集めて、後ろで記録を取っている者に渡した。

 それから、その係官から別の写真を受け取ると、机に並べた。今度は十五枚の写真だった。

 その写真は、被害者の首に残されたロープの跡と、それを拡大したものだった。それぞれ被害者一人につき二枚の写真があり、残りの一枚は芦田の部屋から押収したロープの写真だった。

「最初の一人だけロープ痕が一致しないが、残り六人のロープ痕は、お前の部屋から押収したロープの跡と一致したんだよ」と取調官は言った。

「そんなロープはどこにでもあるでしょう」と芦田は言った。

 ロープについては、自信があった。絞殺に使ったロープはゴミ捨ての日にビニール袋に何重にも包んで捨てていたからだ。

「そうでもないんだな。結構、珍しいロープだということだぞ」と取調官は言った。

「そうですか。わたしにはよく見かけるロープに見えますが……」と芦田は言った。

「このロープはどこで購入した」と取調官が訊くと、芦田は「忘れました」と答えた。

 もちろん、はっきり覚えていた。しかし、言う必要はなかった。

「一体、何のために購入したんだ」と取調官が言った。

「物を捨てるときに縛るためにですよ」と芦田は答えた。

「首を絞めるためだったのではないのか」と取調官が言うと、「違いますよ」と即座に否定した。

「ロープで首を絞めると、ロープに被害者の髪の毛が絡まったりしないか」

「知りませんよ」

「ロープで首を絞めるときには、被害者の髪の毛やうなじの毛が絡むんだよ」と取調官が言った。

「それがどうしたんですか。わたしには関係のない話ですよ」と芦田は言った。芦田は取調官が何を訊き出そうとしているのかが、分からなかった。ロープはその都度、捨てている。仮にロープに被害者の髪の毛が絡まっていたとしても、問題はないはずだ。

「そうかな」

「そうですよ」

「こんなロープを持ち歩いていれば、不審がられるよな」と取調官が言った。

 芦谷は、取調官の言わんとしていることが分からなかった。しかし、次の言葉を聞いてドキッとした。

「このロープは何かに入れて持ち歩いたのではないのか」

「…………」

「例えば、このくらいのショルダーバッグとか」と言って、一枚の写真を机に出した。

 それは犯行時に持ち歩いていた、小さなショルダーバッグだった。

「否認します」と芦田は言った。

「そうか、それは残念だな。だが、これはお前の部屋から押収した物だ」と取調官が言った。

「…………」

「ここからが大事なところだから、よく聞いてくれ。このショルダーバッグからは数人の髪の毛が見つかっている。今、DNA鑑定をしているところだ。もし、被害者の髪の毛が見つかったら、決定的な証拠になるからな」と取調官が言った。

「もし、被害者の髪の毛が見つかったとしても、それは警察がねつ造したものです」と芦田は言った。もう、そう答えるより仕方がなかった。

 そして「この写真を見てくれ」と取調官は、また一枚の写真を机の上に出した。それは芦田の皮手袋だった。

「この皮手袋はお前の物だな」と取調官が訊くと、芦田は「否認します」と答えた。

「この皮手袋もお前の部屋から押収した物だ。この皮手袋がお前の物かどうかは、DNA鑑定をすればわかることだ」と取調官が言った。

「…………」

「この皮手袋は少し変わっていてね。左手の皮手袋に匂いがついているんだ。何の匂いかわかるか」と取調官が訊いた。

「わかるわけないでしょう」と芦田は言った。

「本当はわかっているんだろう。被害者の体液だよ」と取調官が言った。

 取調官は尿とは言わず、体液と表現した。芦田から言質をとるためでもあったが、被害者に配慮したのだ。

「…………」

「どうせ、これも鑑定結果が出ればわかることだ」と取調官が言った。

「…………」

「どうだ。これだけ、証拠が残っているんだ。自白したらどうだ」

 それからは、芦田は何も言わなくなった。

 取調官の自白の強要と芦田の黙秘が続いた。

 そこで映像が終わった。

 

小説「僕が、警察官ですか? 2」

三十八

 午前七時に起きた。

 昨日というか、今朝の四時に寝た。睡眠時間は三時間だった。

 髭を剃り、歯を磨き、顔を洗った。

 朝食はお茶漬けにした。今朝四時まで飲んでいた時、少しつまみものを食べたので、あまりお腹が空いていなかったのだ。

 その最中だった。携帯が鳴った。時計を見た。午前七時半だった。

 携帯に出ると、西森が急き込むように話した。

「芦田勇のお札が取れました」

「逮捕状が出たんですか」

「はい。げそ痕が決め手でした」

「足跡ですね」

「ええ。これから、奴を****ホテルから引っ張ってきます」

「逮捕に行くんですね」

「そうです。ちゃんと伝えましたからね。ではこれで」と言って切れた。

 ついに芦田勇に逮捕状が出た。これからは、任意ではなく、正式な取調が行われる。弁護士の立会は、これからはできなくなる。それが日本の普通の取調だった。

 昨日の事情聴取のような黙秘権は、被疑者の権利だから逮捕されても当然使える。だが、任意のときと、逮捕後の黙秘権の行使とでは意味が変わってくる。

 任意のときであれば、気まぐれであっても答えたくない場合には、黙秘権を行使することはあるだろう。だが、逮捕後に黙秘権を行使すれば、当然、そこに犯行を裏付ける何かが隠されていることを意味する。それが何かを暴くのは、警察の役目だが、警察も当然、そこに着目する。そして、捜査陣はそこに集中的に投入されるようになる。何のために黙秘しているのか。それがあぶり出されるのは、時間の問題だった。

 僕は朝食をとり終えると、歯を磨き、口をすすいだ。それから、寝室に向かい、鞄の中にひょうたんがあるか確かめた。ひょうたんはあった。今日もあやめに活躍してもらうかも知れなかったからだ。

 きくが来て着替えを手伝ってくれた。ワイシャツを着てネクタイをして、ズボンを穿き、背広を着た。

 そして、鞄を持った。午前八時半少し前に家を出た。四谷五丁目の自宅から黒金署までは、歩いて三十分ほどかかった。いい運動になる。

 黒金署には午前九時少し前に着いた。そして、午前九時丁度に安全防犯対策課に入った。

 メンバーは全員来ていた。すでに防犯キャンペーンは終わっていて、することがなかった。

 僕はメンバーに「防犯マップの盲点を各自点検してもらいたい」と言った。

 気のない「はーい」という返事が返ってきた。

 僕は緑川に「ちょっと、署長室まで行ってくる」と言った。

「はい」と応えた。

 僕は安全防犯対策課を出ると、署長室に行き、ドアをノックした。

「どうぞ」と言う声がしたので、「おはようございます」と言って中に入り、礼をし、署長の座っているデスクの前に立った。

「何か用ですか」

「はい。西新宿署に行ってもいいでしょうか」と僕は言った。

「どういう用件で」と署長は訊いた。

「今朝、連続絞殺殺人事件の被疑者が逮捕されたということを聞きました」と僕は言った。

「誰からですか」

「西新宿署の西森刑事からです」と答えた。

「それで」

「連続絞殺殺人事件は公園で起きています。この地区にも公園があります。被疑者が本当に犯人であるのか、確認したいのと、犯人であれば、どのような手口で犯行に及んだのか、知りたいのです」と言った。

「それは、追々わかることではありませんか」と署長は言った。

「今回の連続絞殺殺人事件の犯人逮捕には、私も貢献しているつもりです。取調の様子を直に見たいのです」と言った。

 署長はしばらく考えていた。

「あなたが行っても取調には立ち会えないでしょう」と署長は言った。

「それは分かっています。でも、取調の様子を見たいのです」と僕は言った。

「取り合ってもらえないと思いますが、西新宿署に行くことは認めましょう。ただし、わたしからは何も向こうに伝えませんよ」と言った。

「それで結構です。ありがとうございます」と言って、署長室を出た。

 署長室を出ると、安全防犯対策課に戻った。部屋の中に入ると、鞄を持って、緑川に「これから西新宿署に行ってくる。後を頼む」と言って、安全防犯対策課を出た。

 署を出ると、覆面パトカーの所にいた巡査に「西新宿署まで送ってくれないか」と言った。

「失礼ですが、あなたは」と訊かれたので、警察手帳を見せた。

「失礼しました。鏡警部でしたか。お名前は聞いていました。今、同僚に西新宿署に鏡警部を送ってくことを伝えますので、少し待っていてください」と言って署内に入って行った。

 しばらくして、巡査が戻ってきて、「これから西新宿署までお送りします。お乗りください」と言った。

 僕は助手席に乗ると、安全シートベルトを締めた。

 覆面パトカーはすぐに動き出した。

 西新宿署までは十分ほどで着いた。覆面パトカーを降りる時に、巡査に礼を言った。

 西新宿署に入ると、エレベーターホールに向かい、待っている者と一緒に降りてきたエレベーターに乗り、八階のボタンを押そうとしたが、もう誰かが押していた。

 八階で降りると、捜査本部に入って行った。

 本部内は慌ただしかった。本部席には、捜査一課長も管理官もいなかった。

 本部席に座っている者に「捜査一課長や管理官はどこに行きましたか」と訊くと、「今、犯人が逮捕されて護送されてきたので、そちらに行きました」と言った。

 僕は携帯を取り出して、西森刑事に電話した。

「何ですか。今、忙しいんです」と西森は言った。

「分かっています。捜査一課長か管理官が何処にいるのか、訊きたいのですが」と言うと「七階の取調室にいるんじゃないですか。今から芦田勇の取調が始まりますから」と言った。

 僕は、鞄を捜査本部の隅の席に置き、ひょうたんだけは取り出して、ズボンのポケットに入れ、階段で一階下に下りていった。取調室の前に警官が立っていた。その警官に警察手帳を見せて、「捜査一課長か管理官を呼んでもらえないか」と言った。

「ちょっとお待ちください」と言って、部屋のドアをノックした。ドアが開き、警官はその中の誰かと話をした。一度、ドアが閉まると、再び開き、中から管理官が出て来た。

「おはようございます」と言うと「何ですか」と訊かれた。

「芦田勇が逮捕されたそうですね」

「ええ、これから取調が始まるところです」と言った。

「立ち会わせていただけませんか」と言った。

 管理官は「お断りします」と言った。

「芦田勇の逮捕には、協力したつもりです。私が芦田勇の取調の様子を見ていれば、何か分かることもあると思うんです」と僕は言った。

「それとこれとは関係ありません。お引き取りください」と言うと、外にいた警官に何か言って、部屋の中に入って行った。

 僕が「待ってください」と言うと、部屋の外にいた警官が「ここからは立入禁止です。お帰りください」と言った。

 僕は仕方なく、捜査本部に行き、鞄を置いた席に座った。

 周りに誰もいなくなった席で、ズボンのポケットに入れてあったひょうたんを叩いた。

「はーい」というあやめの声がした。

「取調室の位置は分かったよな」

「はい」

「中に芦田勇がいるのは分かったか」

「わかりました」

「ここから、芦田勇の頭の中に入れるか」と訊いた。

「なんとかできると思います」と答えた。

「ではしてくれ。様子がわかり次第、戻ってきてくれ」と言った。

「はーい」とあやめは言った。

 しばらくすると、刑事が一人やってきた。

「ここは関係者以外立入禁止なんですが」と言った。

「私は関係者です。芦田勇の逮捕のきっかけを作りました。今は芦田勇の取調の結果を待っているところです」と答えた。

「あなたの所属は」と言うので、警察手帳を見せた。

「鏡警部でしたか」と刑事は言った。

「私のことを知っているのですか」と訊くと、「ええ、もちろん、お名前だけは」と答えた。

「捜査状況を教えてもらえますか」と僕は言った。

 その刑事は躊躇していた。部外者に余計なことは言えなかったからだ。

「申し訳ありません。お教えできません」と刑事は言った。

「そうですか。では、ここで待たせてもらいます」

「済みませんが、お引き取り願えませんか」と言った。

「待つぐらいいいでしょう」

「そういうわけにも……」と刑事は困った顔をした。

 僕は仕方なく、鞄を持ち、捜査本部のある大会議室を出た。あやめが戻ってくる時、迷わなければいいがと思いつつ、仕方なく、十階のラウンジに行った。

 自販機で缶コーヒーを買って、隅の席に座った。鞄は隣の椅子に置いた。

 時計を見ると、午前十時半だった。

 午前十一時にひょうたんが震えた。あやめが戻ってきたのだ。

「主様がどこに行かれたのか、最初は迷いました。でも霊気を感じ取って戻ってきました」と言った。

「そうか、済まなかった。で、取調の様子はどうだった」

「今から映像を送りますね」と言うと、頭の中に映像が流れ込んできた。

「送りましたよ」とあやめが言った。

「ああ、受け取った。もう一度、芦田勇の頭の中に入ってもらえるか」

「わかりました」と言って、あやめはひょうたんからいなくなった。

 僕は映像を再生した。

 

小説「僕が、警察官ですか? 2」

三十七

 僕は起きると、午前一時半だった。

 ベッドから出て、ダイニングルームに行った。食器棚を開けて、グラスとウィスキーを取り出した。冷蔵庫から氷をグラスに入れると、ウィスキーを注いだ。

 きくが起きてきた。

「何か作りましょうか」

「いや、いい」と言うと、「お酒だけでは、躰に毒ですよ。何か用意しますね」と言った。

 最初に、サラミとチーズを薄く切ったものを皿に盛り付けて出してくれた。それから、キュウリを塩もみして、切ったものを小鉢に入れて、しらすを振りかけて出してくれた。

 僕は「ありがとう」と言って、それらを箸でつまんだ。それからウィスキーを口にした。

「眠れないんですか」

「ああ、少し考え事をしてね」と言うと、「きくもつき合いますよ」と言った。

「きくは眠ればいい」

「きくは昼間眠るから大丈夫です」ときくは言った。

「そうか」

 

 僕はきくの髪を撫でながら、最後の事件の映像を浮かべた。

 芦田たちの最初のプロジェクトは大成功だった。それがきっかけで次々と同じような仕事が舞い込んできた。チーフディレクターの西村香織ばかりが持て囃された、ほとんどは、サブディレクターの芦田の才能があってこその成果だったが。だから、芦田勇は西村香織にはいい印象は持っていなかった。

 ボーナスは予想よりも多く出た。冬休みは海外旅行に行く者が多かった。西村は芸能人のようにハワイで豪遊するという話だった。みんな、羨ましがった。

 だが、芦田はマンションで過ごした。

 昨年の五月九日以来絞殺はしていなかった。すでに欲求不満は限界状態だった。

 新宿から電車に乗って、郊外に出て、行きずりの絞殺でもしてみようかとも思った。だが、そう簡単にはいかなかった。誰でもいいというわけではなかった。そして、獲物を確認してから、締め上げたかった。それができなかったのだ。

 新宿区の公園も回った。しかし、夜間でも人通りはあった。人目につかないで絞殺できる機会は、なかなかやってこなかった。

 そんな折だった。今年の二月十八日月曜日、午後九時に北園公園前を自転車で通ると、公園から出て来る女性がいた。新宿駅で降りて、歩いて北園公園まで来て、公園を通り抜けて、家に帰る途中なのだろう。その女が、上司の西村香織にそっくりだった。この女だと思った。

 自転車を止め、女の行き先を見た。女は携帯を見ていた。女が通りを歩いて、突き当たりの角を曲がった。その角まで行くと、それからしばらく歩いて、また角を曲がった。その角まで自転車を走らせ、角で止めた。女はその先のアパートに入って行った。自転車で行って見ると、二階の一番奥の部屋に入るところだった。北園公園から十二、三分ほどの所だった。

 それから北園公園に向かった。北園公園は、周囲が八階から十階ほどのオフィスビルに囲まれた二ブロックほどの公園だった。新宿南口から、公園まで十五、六分ほどの距離だった。

 公園内は木々が公園の周りを囲むように植えられていて、途中に林らしい所は一箇所しかなかった。入口は四隅にあって、通路らしいものはなかった。さっきの女性は公園の南西側の角の入口から入ってきて、ほぼ公園を斜めに横切って北東の出口から公園を出たのだ。

 明日は、公園の南西側の角の入口を見張ることにしようと思った。自転車は公園の入口には止めにくかった。どこか適当な所を探す必要があった。周りを自転車で走ってみると、すぐ先に自転車が沢山止められている通りを見付けた。そこに自転車を止めることにした。公園からは歩いて三分ほどの距離だったから、速歩きすればもっと時間は短縮できる。

 二月十九日火曜日、午後六時に退社した芦田は、そのまま自転車で自宅に帰った。途中で、牛丼を買った。そして、牛丼は溶き卵をかけて自宅で食べた。今日は午後八時四十五分に北園公園の南西側の角の入口に行くことにしていた。それまでは、あの西村香織にそっくりな女をどう絞め殺してやろうか、考えていた。都会の公園だった。ゆっくりと殺しているわけにはいかなかった。できるだけ素早く、そして、じっくりと殺したかった。その顔が見たかった。西村香織にその顔が重なった。やってやる。そして、苦しませてやる。

 スポーツウェアに着替えたのは、午後八時十分だった。ここから、北園公園まで自転車で二十分ぐらいだった。だから、急ぐ必要はなかった。しかし、心は急いていた。少し早かったが、自転車に乗って、北園公園に向かった。

 北園公園には、午後八時半に着いた。予定していた時間よりも十五分も前に着いてしまった。北園公園を通り越して、昨日見付けておいた通りに自転車を止めた。そして、ゆっくりと歩いて北園公園に午後八時四十五分に戻ってきた。これで女が来るだろう八時五十五分までに十分ある。公園に入って行った。南西側の角の入口が見えるベンチを探した。

 南側の隅に適当なベンチを見付けた。そこに座った。

 午後八時五十五分になった。時間通りに彼女が現れた。その時、芦田は知らなかったが、彼女の名前は、西沢奈津子、二十八歳だった。新宿の業務用スーパーマーケットでパートタイマーをしていて、それが終わるのが、午後八時二十分だった。それから着替えて、店を出ると、今の時間に公園を通ることになる。業務用スーパーで値下げした惣菜を買って帰るのも、いつものことだった。

 その後ろをついて行っても西沢は気付かなかった。携帯に夢中になっているからだった。

 明日、この女を殺してやる。芦田は心の中でそう誓った。

 そして、次の日、二月二十日水曜日、芦田は午後六時に退社し、自転車で自宅に帰った。今日はどこにも寄らなかった。部屋に入ってからの二時間は長かったが、あの女を殺すことを想像することで、時間はあっという間に過ぎていった。ペニスはもう立っていた。しごきたくて仕方なかったが、我慢した。女を殺した時の快感を高めるためだった。こうして興奮すればするほど、絞め殺した時の快感は大きかった。それは経験的に知った。以前、絞殺する前にオナニーをした時は、今ひとつ高みに行かなかった気がしたからだった。

 時間が近付いていた。今日は公園内で待ち伏せをするのだ。少し早く行く必要があった。

 今日の服装は、上は肌着に長袖シャツを着て、その上に紺の薄いセーターを着て、最後は皮の黒いジャケットにした。下は紙おむつにジーパンだった。

 ハンカチとロープと目出し帽は、小さなショルダーバッグに入れた。手には皮手袋をした。

 午後八時二十分になった。下駄箱から洗いたての運動靴を出して履いた。

 小さなショルダーバッグを袈裟懸けにすると、部屋を出て、駐輪場に降りて行った。そして、自転車に乗って北園公園に向かった。

 北園公園の手前の通りで自転車を降りると、他の自転車の間に押し込んだ。小さなショルダーバッグから、ハンカチと目出し帽とロープを取り出し、小さなショルダーバッグは前の籠に入れた。

 そこから歩いて北園公園の入口に行き、中に入って行き、午後八時四十八分に木陰に隠れた。その時に目出し帽を被った。

 秋野恵子がここを通るのは、午後九時少し前のはずだった。十分前に待ち伏せができたことに、芦田は満足感を覚えた。今日も成功するに違いなかった。

 秋野恵子が来るまでひたすら待った。やがて、時間になった。女が歩いてくる。携帯の光に映し出されたのは、あの女だった。

 ついに殺せる。胸が高まった。右手にハンカチを持ち、左手にロープを持った。目の前を、秋野が通って行った。芦田には全く気付いていなかった。芦田は飛び出し、背後から、まず右手のハンカチで口を塞いだ。女は暴れた。素早く左手でロープを首に巻いて、引き絞った。そして、女を木陰に引きずり込んだ。右手のハンカチをジーパンのポケットに入れると、両手でロープを握った。女の目には涙が溢れていた。そして、顔面は恐怖で引きつっていた。もの凄い興奮が全身を包んだ。ペニスがそそり立った。先走りが流れた。両手に力を入れた。女の顔が赤くなっていった。苦しむ顔は、上司の西村香織と重なった。躰を稲妻が走った。それと同時に射精していた。ロープを引っ張っている間中、射精は続いた。

 女はぐったりとした。それでもロープを引き絞った。女は失禁していた。左手の皮手袋でそれを確かめた。手袋が濡れた。女の尿の匂いがした。それが、ますますペニスを立たせた。そして、また射精した。

 顔をよく見た。この顔を覚えていて、部屋に戻ったら、風呂場でオナニーするつもりだった。

 女が死んだことを確認すると、ロープを解き、目出し帽を脱いで丸めて、公園から立ち去った。そして、自転車の置いてある場所に急いだ。

 

 僕はここで映像を見続けるのは止めた。後は、あの反吐が出そうな、興奮に包まれたオナニーを見せられるだけだったからだ。

 僕は一気にウィスキーを飲んだ。そして、ウィスキーの蓋を開けて、グラスに注ごうとした。そこで、きくは手を出した。

「飲んでもいいけれど、少しにしてね」と言った。

 僕はグラスに半分ほどもウィスキーを注いで、一気に飲もうとしていたのだ。それをきくが止めてくれた。

 僕はグラスに一口ほどのウィスキーを注ぐと、ウィスキーの蓋を閉めた。

 そして、その一口を飲み干すと、隣にいたきくを抱き寄せた。そして、強く抱き締めた。

 

小説「僕が、警察官ですか? 2」

三十六

 ベッドに入った僕は、芦田が***開発株式会社の北府中市の支店から、新宿二丁目にある***ビルの五階と六階にある本社に移動になった経緯を再生していた。

 それは昨年の新年会のことだった。芦田は専務に酒を注ぐ時に、耳打ちをされた。

「まだ内定段階だが、この四月にも君を本社勤務に異動させることが決まった。新しいプロジェクトのサブに起用されるから、そのつもりで」と言われた。

 芦田勇にとっては、大抜擢だった。本社勤務になるだけでなく、新しいプロジェクトのサブディレクターに起用されたのだ。これほどの幸運があるだろうか。

 この内定は二月には決定され、芦田に通知された。

 本社は新宿二丁目にあるから、そこに通いやすい場所に転居しなければならなかった。

 芦田はネットで検索して、中京町にあるエスコート四谷中京町六〇五号室に転居することになった。今までの北府中市のマンションよりも二万円近く高くなったが、中京町からなら、新宿二丁目にある本社まで自転車で通えた。それに、給料も上がった。四月から本社勤務になるので、三月二十九日に引越しをして、三十日に各方面の諸届出を済ませた。

 そして、四月二日に、エスコート四谷中京町のマンションから本社まで自転車で通った。大体、十分から十五分あれば行くことができた。午前八時五十分に、自転車を本社ビルの駐輪場に置くと、ヘルメットを外して、前の籠に入れ、エレベーターに乗った。

 会社の始業時間は午前九時からだった。五分前に五階の会社入口に着いた。

 支給されていた磁気テープの付いたカードを駅の改札口にあるようなところにかざすと、自動ドアが開いた。

 磁気テープの付いたカードはネームプレートにもなっていて、首から紐でさげた。

 途惑っていると、専務が芦田を見付け呼んでくれた。そして、立てば周りが見渡せて、座れば個別に仕切られているデクスの一つに案内してくれ、「ここを使ってくれ」と言った後、大きな声で、「みんな、聞いてくれ。ここにいるのが今日から本社勤務になった芦田勇君だ。よろしく頼む」と言った。芦田は「芦田勇です。よろしくお願いします」と言った。芦田は鞄をデスクの上に置いた。

 専務は「じゃあ、早速、プロジェクトの仲間を紹介し、プロジェクトを開始してもらうことにするよ」と言った。

 専務は大きな声で「****プロジェクトを担当する者は第二会議室に来てくれ」と言った。何人かが立ち上がり、手帳のようなものを持って集まってきた。

「君にもこれを渡すよ」と言って、A4判の手帳のようなものを渡してくれた。それには、三色ペンも付いていた。

「じゃあ、行こう」と専務は言った。芦田は専務の後をついて行った。

 会議室には、専務を入れると、七人の人間が集まった。

 専務は資料を配って、「君たちにはこれからある区のアンケートの集計プログラムを作ってもらう。アンケートの集計プログラムなら、すでにいくらでもある。君たちに作ってもらいたいのは、アンケートの任意の位置に○を付けたものを読み取り、それを集計するだけでなく、アンケートに対する意見や要望などの文字も認識してテキスト化してもらいたい。すでに文字認識ソフトは開発しているから、それと組み合わせて、指定された任意の位置に書かれた文字を認識してテキスト化してもらいたい。そして、これからが重要なところだが、テキスト化した文字から、評価点を付けけられるようにしてもらいたい。例えば、『良かった』と書かれていればAとか、『全然だめ』と書かれていたらEとか評価してもらいたい。このプログラムを八月七日までに完成させて欲しい。難しいと思うが、頑張ってもらいたい」と言った。

 その後、メンバーを一人ずつ紹介していった。

 チーフディレクターは西村香織、女性だった。芦田はその下で働くことになった。

 プロジェクトが動き出してから、芦田はイライラするようになった。プロジェクト自体は順調に進んでいたが、何故かイライラするのだった。原因は分かっていた。女を絞殺したくて堪らなくなってきたからだった。今度は、継母のような女性だけが対象ではなくなっていた。上司になった西村香織、三十八歳。本当はこの女を絞め殺したかった。しかし、自転車で通勤しているから、電車の中で女に会うこともない。欲求を発散させるために、午後六時に退社後、自宅に戻ると、スポーツウェアに着替えて、自転車で一時間から一時間半ぐらい新宿区内をサイクリングした。

 新宿区内には、ビルだけでなく、その間にいくつもの公園があった。それらの公園に着いては、少し休んだ。

 そんな時だった。五月七日月曜日、午後八時半頃に西新宿公園でベンチに座り休んでいると、目の前を西村香織に似た女性が通り過ぎていった。

 その女性は携帯を見ていた。芦田には気付いていなかった。芦田はその女性の後をつけた。女性は公園を横切って、その先の通りに出ると、しばらく歩いて、あるマンションに入って行った。外廊下だったので、通りからその女性が入って行った部屋が見えた。三階の真ん中の部屋だった。その女性が秋野恵子、三十五歳だった。

 西新宿公園に戻った。新宿区の中では、比較的広い公園だった。しかし、秋野が通った通路はそれほど長くはなく、途中一箇所だけ木陰があった。狙うとしたら、そこだけだった。奥の方には林もあった。そこのベンチには、何組かのカップルが座っていた。

 この公園には、人がいる。声を立てられたらアウトだった。それだけにスリルがあった。一瞬の勝負だった。

 明日も同じ時間にここを彼女が通るようであれば、その次の日に決行しようと芦田は思った。久しぶりに興奮してきた。

 次の日、午後六時に退社した後、軽く食事をしてから自宅に戻った。今日は、午後八時半頃に西新宿公園に行けば良かった。自宅でゆっくりとくつろいでから、スポーツウェアに着替えた。午後七時半だった。西新宿公園まで自転車で三、四十分ぐらいだろうか。少し早めだが、サイクリングがてら西新宿公園を目指した。

 西新宿公園には、午後八時二十分に着いた。目的の時間の十分前に行くのが芦田の癖になっていた。自転車から降りて、昨日と同じベンチに座った。

 午後八時半になった。果たして、目的の女が現れた。スポーツウェアの前が膨らんだ。これで秋野の運命は決まった。明日、自分の手の中で絞殺されるのだ。充血していく目が浮かんだ。今日は我慢ができなかった。芦田は西新宿公園から自転車で自宅に戻ると、スポーツウェアを脱いで、全裸になった。そしていきり立ったペニスに冷たいシャワーを当てながらしごいた。激しく射精した。明日はもっと射精するだろう。手はまた激しく動いた。そして、また射精した。

 五月九日水曜日が来た。プロジェクトは順調に進んでいた。後は秋野恵子を締め上げるだけだった。会社にいるときは、なるべく考えないようにしていたが、そう思えば思うほどペニスは立ってくる。

 トイレの個室に入って、ペニスをしごきたくなるのを我慢しながら、仕事をした。そして、退社時間が来た。

 自宅に自転車で帰った。今日は、サイクリングをするのではない。スポーツウェアを着るのは、止めた。肌着にポロシャツを着て、紙おむつを着けて、ジーパンを穿いた。そして、皮手袋とハンカチとロープを用意した。目出し帽も忘れなかった。ハンカチとロープと目出し帽は小さなショルダーバッグに入れると、袈裟懸けに肩からかけた。手には皮手袋をした。そして、下駄箱から洗ってある運動靴を出して履いた。

 午後七時四十分になったので、部屋を出て、駐輪場に降りて行った。ヘルメットは被らなかった。自転車に乗ると、西新宿公園に向けてゆっくりと走り出した。スピードは出さなかった。午後八時半まで十分に時間があった。

 西新宿公園には、午後八時二十分に着いた。午後八時半の十分前だった。

 今日はベンチには座らなかった。それでは、先回りはできない。秋野恵子が歩いてくる方向に自転車を進めた。そして、遠くに秋野を見付けた。先回りをして、公園の入口に自転車を止めて、一箇所だけ秋野を襲える場所に向かった。

 今日は危険が多かった。まず、人通りがあった。秋野一人が通路を歩いてくる保証はなかった。そのときは諦めるしかなかった。いや、諦めるわけがない。犯行が明日に延びるだけだった。

 女の姿が遠くに見えた。秋野だった。携帯を見ていた。

 秋野は開けた公園内の道を歩いていた。そのうちに芦田が隠れている林に近付いてきた。秋野の周りに人はいなかった。チャンスだった。芦田の隠れている木の前を通り過ぎた時、芦田は秋野の背後に周り、後ろから口をハンカチを持った右手で塞いだ。そして、引きずるようにして、林の中に連れ込んだ。秋野は激しく抵抗した。ハイヒールがさっきは片方だけだったが、両方とも脱げた。芦田はすぐに秋野の首にロープを巻き付けた。これで声が出せなくなった。口を塞いでいたハンカチをジーパンのポケットに入れ、両手でロープの両端を持った。この瞬間が最高だった。ペニスがいきり立った。徐々に力を入れて、引っ張った。秋野の顔が苦悶に歪んだ。その顔が見たかったのだ。秋野の手がロープを掴もうとした。しかし、虚しくもそれはできなかった。その代わり、秋野は失禁した。スカートにシミが広がった。それを見て、芦田はさらに興奮した。ペニスははちきれんほど立ち、ロープを引っ張りながら、ついに射精をした。それは、秋野の息が止まるまで続いた。

 しばらくロープを絞って、秋野が完全に死んだのを確かめた。また、獲物を仕留めた。ペニスはまた立った。しかし、ここに長くいるわけにはいかなかった。

 芦田は立ち上がると、目出し帽を取り去って公園を突き切り、自転車に急いだ。

 いつものように余韻に浸っている時間はなかった。それは、自宅に戻ってすればいい。

 自転車の前の籠から小さなショルダーバッグを取り出すと、目出し帽とロープを入れた。ハンカチはジーパンのポケットに入れたままだった。

 小さなショルダーバッグを袈裟懸けにすると、自転車を走らせた。

 

小説「僕が、警察官ですか? 2」

三十五

 僕はきくの注いでくれたビールを飲んだ。

 だが、また事件のことに頭は傾いていく。

 

 芦田は、明日も川村が同じ電車に乗ったのなら、もはや、それが川村の運命なのだと思った。自分に絞殺されるのだ。川村はそのために生きてきたのだ、と芦田は思った。

 そして、次の日が来た。

 芦田は二年前の十二月十九日火曜日、午後八時に会社を出た。今日は定食屋に寄らず、そのまま駅に行き、新宿から来た電車を一台見送り、次に来た午後八時二十分頃の電車に乗った。昨日と同じ位置に止まった車両だった。電車に乗ると、川村を探した。見付けた。川村は、電車の乗降口近くに立っていた。これで川村の運命は決まった。スラックスの中でペニスがムクムクと勃起してくるのが分かった。明日、やってやるぞ、と芦田は思った。

 

 僕はビールを飲み干すと、フォークを取り、ミートスパゲティを食べた。デミグラスソースにケチャップを混ぜ、チーズを加えた味だった。

 子どもたちは一皿を食べ終わると、「お代わり」と言った。きくはききょうと京一郎の皿に、大皿からミートスパゲティを取り分けると二人に渡した。

 ききょうと京一郎は、「美味しいね」「うん」と言いながら、食べていた。

 

 二年前の十二月二十日水曜日、芦田は退社する時を待った。会社にいる時は、川村康子の顔を思い浮かべては、その首にロープを巻き付ける光景を見た。その度にペニスが勃起した。

 そして退社時間が来た。芦田は会社から出ると、すぐに北府中駅に向かい、新宿から来た電車に乗って、椿ヶ丘駅で降りた。

 部屋に入ると、上着とワイシャツを脱いでハンガーに掛けた。それからズボンを脱ぐとこれもハンガーに掛けた。パンツを取ると、紙おむつに穿き替えた。長袖シャツを着ると、その上に紺色のセーターを着た。さらに、黒い皮のジャケットを着た。下はジーパンを穿いた。

 箪笥の引出しから小さなショルダーバッグを取り出し、目出し帽と新しい紺色のハンカチとロープを入れた。袈裟懸けに肩からかけると、手には皮手袋をした。玄関で靴箱から、洗って乾かしておいた運動靴を取り出すと履いた。

 部屋を出て、駐輪場に行き、自転車に乗った。そして、椿ヶ丘駅に向かった。椿ヶ丘駅には、午後八時二十分に着いた。川村は午後八時三十分に着く電車に乗ってくるはずだった。もし、一本遅れた電車に乗ってきても待つつもりだった。今日は何があっても、川村康子を仕留めるつもりだった。

 午後八時三十分になった。新宿からの電車が到着して、駅からは大勢の人が出て来た。芦田は、川村を捜した。川村は携帯を見ながら駅を出て来た。何も知らず、自分の横を通り過ぎていった。目眩がするようだった。白い喉が見えた。その喉に、後もう少しでロープを巻き付けられるのだ。

 芦田は止めてあった自転車に乗って川村の後をつけた。これまでの獲物と同じように川村は携帯を見ていた。

 芦田は川村の行く先を予想して先回りをした。通りの角に自転車を止めて、向こうから川村が来るのを見ると、先を急いだ。最後の角に止まって、向こう側を、川村が通って公園に向かうのを確認すると、自転車を漕いで、先に公園に向かった。

 奥の木立がある柵の所で自転車を降りた。それから、小さなショルダーバッグから目出し帽とハンカチとロープを取り出した。小さなショルダーバッグは自転車の前籠に入れた。

 柵を跨いで越えると、公園の中に入った。そして、手にしていた、目出し帽を被った。すると、右手にハンカチが、左手にロープが残った。

 柵から、少し坂になっている所を降りて、木の陰に来ると、川村を待った。まもなく女性がやってきた。川村だった。

 芦田の近くを通り過ぎた時、芦田は飛び出し、後ろから川村の口を右手に持ったハンカチで押さえた。川村は激しく抵抗した。口にしたハンカチをさらに押さえつけて、声を出せなくすると、左手でロープを首に巻きつけた。もう手慣れてきていた。

 木陰に川村を引きずり込んだ。その時は、右手のハンカチをジーパンのポケットに入れていた。右手が空くと、両手でロープを掴んだ。この瞬間が堪らなかった。川村は最後の抵抗を試みていた。しかし、もう遅かった。芦田は首のロープを引っ張った。快感が躰を貫いていった。川村は泣いていた。その目を見ながら、さらに締め上げていった。芦田は絞めながら、いつものように射精をした。

 もう一度、首を締め上げると、立ち上がり、上から女を見下ろした。ブルッと躰が震えた。そして、射精をした。

 胸に手を当てて心臓が動いていないことを確認すると、ロープを外した。

 川村をその場に転がすと、坂を駆け上がり、柵の手前で、目出し帽を脱いで手に持った。柵の所に止めてある自転車まで来ると、前籠の小さなショルダーバッグを取り、その中に目出し帽とロープを入れた。ジーパンのポケットに入れたハンカチはそのままだった。

 それから、柵を越えて、芦田は自転車に乗った。今日もやった。また一人、女を永遠に手に入れたのだった。

 

 僕が考えながらもミートスパゲティを食べ尽くすと、きくが「あなた、お代わりは」と訊いてきた。

「ああ、もらおう」と応えた。

 きくは大皿からミートスパゲティを取り分けて、僕の前に皿を置いた。僕はフォークでスパゲティを食べた。美味しかった。きくは本当に現代の料理も覚えた。一生懸命に作っているんだろう、と思った。

 芦田に殺された女性たちにも未来はあったのだ。芦田のやったことは、決して許されることではなかった。

 

 夜、寝室のベッドではきくが抱きついてきた。僕も抱き締めたがそれだけだった。きくを深く抱く気持ちには慣れなかったのだ。

「あなた」と言うきくに「済まんな、疲れているんだ」と答えた。

 きくは僕を抱き締めると、「いいんですよ。きくはこうしているだけで幸せですから」と言った。

「きく……」

 

 夜が更けて、きくが眠った。時を止めて、ひょうたんを取り出した。

 リビングルームに行くと、ひょうたんの栓を抜いた。

「主様……」と言って、あやめは抱きついてきた。

「あやめ」

「はい」

「今日は、随分と働かせてしまったね」

「構いませんわ。主様のためですもの」

「そうか」

「ええ」

「あれだけ働いてくれたんだから、あやめを抱いてやりたいが……」と言うと、あやめは口づけをしてきた。

 舌を絡ませた。

「主様。言わないで。わたしには、主様のお気持ちがわかっていますから」と言った。

「そうか」

「ええ。今日は、大人しくひょうたんの中で眠ります」と言った。

「あやめもひょうたんの中で眠ることはあるのか」と訊くと「言葉の綾ですよ」と答えた。

「そうか」

「では、あまり考えすぎないように」と言うと、あやめはひょうたんの中に入っていた。

 ひょうたんに栓をすると、寝室に戻り、鞄の中にひょうたんを入れた。

 それから、ベッドに入ると、時を動かした。

 ベッドの中では、眠れなかった。残り二つの絞殺事件の映像をまだ再生していなかったからだ。