十七
御前試合の日が来た。
僕は着慣れぬ袴を穿き、城に向かった。
外の城郭を回り込んで、内庭に出た。広かった。
その中央にお殿様が背もたれのない椅子のようなものに座っていた。両側に重臣たちも同じように座っていた。
周りには、家臣がずらりと取り囲んでいた。
審判役は、番頭の中島伊右衛門がやることになっていた。
内庭には、僕と、堤竜之介、山奉行の佐伯主水之介、そして側用人斉藤頼母が推挙した竹田信繁の四人がいた。堤や竹田とは目を合わせたが、それぞれ真剣な視線を送ってきた。しかし、佐伯と僕は目を合わせなかった。
組み合わせは公平なように、番頭の中島伊右衛門が握っている四本のこよりで決められることになった。四本内、二本の先は赤く染められていた。
四人で一斉にこよりを掴んだ。
そして、引いた。
僕のこよりの先は赤く染まっていた。同じく赤いこよりを引いたのは、竹田信繁だった。
白いこよりを引いた者から戦うことになった。
僕は後ろに下がった。
内庭の真ん中に、袴を穿き、着物の袖をたすきで縛った堤竜之介、佐伯主水之介が、白い木刀を脇に持って蹲踞していた。
そして立ち上がり、藩主に向かって一礼し、そして互いに一礼し合った。
中島伊右衛門の「始めぃ」の声がかかると、二人は、木刀を相手に向かって、突き出した。二人の距離はまだ遠かった。
お互い、そのまま少しずつ進んでいった。
間合いに入る手前で止まり、構えに入った。
堤は少し腰を落として、正眼に構えた。佐伯も同じく正眼に構えた。
しばらくにらみ合いが続いた後、堤が木刀を繰り出した。それを叩くように佐伯は弾き返していた。
そして二人は離れた。
今度は佐伯が打って出た。激しく木刀が打ち下ろされた。それを堤は巧みにはね返していった。
そして、二人は離れた。
また、佐伯が打って出た。剣道なら、小手、小手、面の連続技である。それを堤はかわして、胴を狙いに行った。それを受け止められて、二人は離れた。
次に、佐伯は上段に構えた。そして、素早く打ち下ろしながら、堤に切り込んでいった。堤はそれを返すのが精一杯だった。
その時だった。
佐伯は木刀を右手に持ち背中に引いた。佐伯流八方剣の構えだった。その時、周りからは響めきが起こった。
堤は前に出なかった。じっと佐伯が攻めてくるのを待っていた。佐伯は半身の構えだったから、そこを狙いたくなるものだ。だが、堤はじっと正眼に構えたままだった。
しばらくその状態が続いた。先に動いたのは、佐伯だった。佐伯流八方剣の構えのまま、堤に向かっていった。その時、堤も動いた。正眼の構えを崩さず、前に進んだ。
そして、両者の幅が狭まったところで、佐伯は半円を描くように木刀を繰り出した。堤は構わず前に進み、その木刀を受け、すぐに向き直った。そして、木刀で佐伯の肩を軽く叩いた。
堤が勝った。
「止めぃ。堤殿の勝ち」と中島伊右衛門が叫ぶと、歓声が上がった。両者が一礼をし、また藩主に向かって一礼をして試合場を去る時、拍手が起こった。両者の健闘を称える拍手だった。拍手の中を二人は試合場から出て行った。
僕は堤が勝ったことは嬉しかったが、ピンとくるものがなかった。佐伯の八方剣は鋭かった。都合、四度見ているが、その鋭さは変わってはいなかった。しかし、迫力がなかった。練習試合でのノックをキャッチするのと似ていた。本番の甲子園で自分に向かってくるボールを受け止めるのとでは、大きな違いがある。その差を見ているようだった。
堤の佐伯流八方剣の破り方は、見事だった。だが、あの佐伯流八方剣を見ていなくて、あのようなやり方で佐伯流八方剣を破ることが果たして堤にできたのだろうか、と僕は思った。
しかし、決着は付いた。
試合場が掃かれ、少し休憩時間のような時が流れた。
次はいよいよ僕と竹田との戦いだった。
僕も今日は袴を穿き、着物の袖をたすき掛けにしていた。
小姓より木刀を受け取り、それを左脇に抱えて、前に進み、蹲踞の姿勢を取った。相手も同じ姿勢を取ると、立ち上がり、藩主に向かって一礼をすると、次に互いに一礼し合った。
中島伊右衛門の「始めぃ」の声がかかった。
僕は脇から木刀を右手に持ち、前に突き出し、そして左手で柄を掴んだ。
相手も同じように木刀を突き出してきた。
僕も竹田も同じ姿勢で、前に進んだ。
お互い、そのまま少しずつ進んでいった。
半ばまで進むと、止まった。
相手は構えに入った。
僕は、立ったままだった。そして、そのまま進んだ。
竹田は腰を落として、木刀を右に引いた。僕は立ったまま、竹田に向かって歩いて行った。木刀は右手に持ち、だらりと垂らしていた。
間合いが詰まった、竹田の木刀が小手を狙ってきた。僕は右手を振り上げ、それを払い、次に竹田は頭に打ち込んで来た。それは素早かった。
僕はかわすのが精一杯だという演技をした。竹田は振り向きざまに、また頭に打ち込んで来た。木刀でそれを返して、僕は離れた。
竹田も離れていた。
竹田は突きの構えを見せた。
僕は正眼に構えて前に進んだ。竹田は突いてきた。しかし、それがフェイントだということは分かった。すぐに上段に切り替えたからだった。その瞬間、竹田の胴はがら空きだった。僕がそのつもりなら、胴に軽く木刀を当てることは容易かったが、それをしなかった。それをすれば、あーあ、勝ってしまうではないか。
竹田が振り下ろすのを待って、かわした。
その途端に、竹田は激しく突きを入れてきた。その突きを木刀で弾き返しながら、僕は少しずつ後退していった。
そして、躰を反転させて、突きをかわした。
僕が躰を反転させるのを、見越していたかのように、またも頭に鋭く打ち込んで来た。その木刀使いは、寸止めしようとするものではなかった。木刀が頭のどこかに当たれば、頭蓋骨が割れそうな勢いだった。実際に、そうしようと思っていたのだろう。その分、大振りになっていた。
かわすのは簡単だった。
竹田は強かった。しかし、佐伯ほどでも、堤ほどでもなかった。
何故、斉藤頼母が推挙してきたのか、分からなかった。何かあるのだろうか。
離れた時に、また右を引いた。さっきのはフェイントだった。今度もフェイントなのだろうか。
僕は、正眼に構えて前に出た。相手は右を引いたままだった。今度は、すぐに突きを入れてこなかった。ならばと、正眼のまま、また前に進んだ。今度は激しく突きを入れてきた。
当然、かわした。その途端に、相手の木刀は頭上にあった。
不思議だった。突きを入れてきた相手が、木刀を上段に移し替えるには、時間がかかるはずだった。しかし、その時間がまるでなく、木刀は頭上から振り下ろされた。
誰しも、僕が頭を打たれたと思ったのに違いなかった。
僕もそう思った、だけだった。もちろん、そのままなら、頭を打ち砕かれていただろう。しかし、左に避けたのだった。木刀は空を切っていった。
竹田は何が起こったのか、分からない表情をしていた。
竹田の木刀が僕の頭上にあったのは、突きを入れた時に、おそらく躰を反転させ、木刀を引くのではなく、振り上げたのだ。
躰が反転し終わった時、木刀は、振り向いた僕の頭上に来るようにしてあったのだ。
これは最初の突きが本物に見えなければ、できない芸当だった。それをかわされることを計算の上での、次の攻撃のための捨て石だったのだ。
これは、初めて見るのであれば、佐伯も堤も受けきれないだろう。
とすれば、最初からのぬるい打ち合いは演技だったのか。だが、それで負けては、元も子もなくなる。
僕も竹田も離れた。
竹田に動揺した気配はなかった。
今度は僕が打って出た。相手の力量を見ようとしたのだ。激しく木刀を打ち下ろしていった。かわせるかかわせないかのギリギリを突いていった。それを竹田は何とかはね返していった。後ろに竹田を後退させ、躰を入れ替えると、また僕は激しく打ち込んでいった。
門弟にやる稽古のようだった。これを十分も連続で続けると、門弟は根を上げた。
竹田はそうはいかなかった。ことごとく打ち返してきた。
僕はさらに速く打ち込んでいった。それを何とか竹田が返している内に、僕は、ある閃きがあった。
竹田は侮れなかった。佐伯や堤ほどではないと思っていたが、どうやらそうではなさそうだった。斉藤頼母が推挙してきただけの腕は持っていたのだ。
最初は様子見をしていたのだ。隙を作って見せたが、あれは敢えてそうしていたように思えてきた。
竹田と十分ほど立て続けに、再び切り結んで、二人は離れた。
そして、僕は後ろに下がると、木刀を投げ捨てた。
その時、直ちに、審判である番頭の中島伊右衛門が、「鏡京介殿の負け」と宣言をした。