小説「僕が、警察官ですか? 5」


 午前九時に、西新宿署の未解決事件捜査課に行った。
 メンバーはすでに来ていた。
 中里孝司の取調は午前十時からだった。
 その時、鑑識から電話がかかってきた。僕が取ると、「昨日の検体ですが、九十八%の確率で一致しました」と言った。
「報告書はできていますか」と僕は訊いた。
「ええ、ここにあります」と答えた。
「すぐに取りに行きます」と言った。
 そして、「沢村さん、鑑識に報告書を取りに行ってください。ペットボトルの唾液と窓ガラスに付着していた犯人の血液が九十八%の確率で一致したそうです」と僕は言った。
 沢村は喜んで「すぐに報告書を取りに行ってきます」と言って、未解決事件捜査課を出て行った。
 まもなく、沢村は報告書を持って戻ってきた。
 僕のデスクに来て、「奴が坂下一家惨殺事件の犯人です。今日の取調はわたしにやらせてください」と言った。
「もとより、そのつもりでしたよ」と僕は言った。
「でも、どうして中里孝司が犯人だと思ったんですか」と沢村は訊いた。
「警察官の勘だと言ったでしょう」と僕は答えた。
「それにしても……」と沢村は言った。
「沢村さん、取調の準備をしてください。今日は奴を落としてくださいね」と言った。
「必ず、落としますよ」と沢村は言った。

 午前十時になった。
 僕らは取調室にいた。中里孝司はデスク越しに座っていた。
「二〇**年四月**日、午前十時。これから、中里孝司の取調を開始します。取調官は沢村孝治と鏡京介警部です」と沢村がマイクに向かって言った。
 沢村は「まず、両腕のシャツをまくってくれないか」と言った。
「何でそんなことをしなきゃ、ならないんだ」と中里孝司は言った。
「いいからまくるんだ」と言った。
「断る」と中里は言った。
「鏡課長、中里の腕のシャツをまくってください」と言った。
 僕は、腕をデスクに上げてシャツをめくった。
「こんなことが許されるのか」と中里は言った。
「これは黙秘権とは違うんだ」と僕は言った。
「右腕上腕部に傷跡が残っているね」と沢村が言った。
「それがどうした」と中里は言った。
「その傷はいつできたんだ」と沢村が訊いた。
「工場で働いていた時だ」と中里が答えた。
「違うだろう」と沢村が言った。
「工場で働いていた時にできたものに間違いはない」と言った。
「その傷はガラスで切ったものだよな」と沢村は言った。
「違う」と中里は言った。
「調べればわかる」と沢村は言った。
「…………」
「その時、お前は気付いていなかったかも知れないが、窓ガラスにお前の血液が付着していたんだ」と沢村は言った。
「何故、俺の血液だとわかるんだ」と中里は言った。
「昨日、ペットボトルの水を飲んだだろう。あのペットボトルに付着していたお前の唾液とガラス窓に付いていた血痕と照合をしたんだ」と沢村が言った。
 中里孝司は震えた。
「これがその報告書だ」と沢村は言った。
「でたらめだ」と中里は言った。
「でたらめじゃない。報告書では、お前の唾液とガラスの血痕のDNAは九十八%一致しているという」と沢村が言った。
「百%じゃないんじゃないか」と中里は言った。
「今、鑑識を呼んで、綿棒を使った口腔内細胞の採取をしてもいいんだぞ。そうすれば、お前が望んだ百%に限りなく近い確率が出るよ」と言った。
「…………」
「この世には百%の確率というのは、ないんだ。九十八%でも十分に証拠能力があるんだよ」と沢村は言った。
「念のために鑑識を呼びますよ。綿棒を使った口腔内細胞の採取してもらうためにね」と僕が言った。
「そこまで必要ですか」と沢村が言った。
「中里孝司さんの希望ですから、かなえてあげましょう」と僕は言った。
 電話で鑑識を呼び出し、まもなく係官がやって来た。
「この人の口腔内細胞の採取をしてください」と僕は係官に言った。
 中里孝司はデスクで震えていた。
 しかし、観念したのか、係官の言うとおりに口を開いた。
 係官は綿棒で中里孝司の口腔内細胞の採取を行って出て行った。
「これで気が済みましたか」と僕は中里孝司に訊いた。
 中里は何も答えなかった。躰は震えていた。
「どうして殺したんだ。それも一家皆殺しなんて残忍なことをしたんだ」と沢村は言った。
 中里孝司の手の震えが大きくなった。そして、顔を上げた。
「気に食わなかったんだよ」と中里は怒鳴った。
 中里孝司が落ちた瞬間だった。
「何が気に食わなかったんだ」と沢村が訊いた。
「工場が設立されて以来、働いてきたのに、金を貸してくれと言ったら、小馬鹿にしたように『お前の作業態度が良かったら貸してもいいんだがな』と言ったんだ。『作業態度が悪ければ、改めるから貸してください』と頼んだよ。でも、駄目だった。何度も頼んだよ。それでも駄目だと言われた。俺は、高利の町金融から金を借りるしかなかった。それで、黒金町の盛り場でバーテンダーのアルバイトをしていたんだ。それを坂下社長に咎められた。俺は腹が立って、辞めたよ。こんなところで働いていられるか、って思った」と言った。
「それで」
「黒金町の盛り場でバーテンダーをして、町金融の金は何とか返したよ。でも、生活はとても苦しかった。それもこれもあの坂下社長のせいだと思うと、むしゃくしゃして来たのさ」と中里は言った。
「三年も経ってから、犯行に及んだのは、何故なんだ」と沢村が訊いた。
「三年経っても憎しみが消えなかったからだよ」と中里は答えた。
「そんなに憎んでいたのか」と沢村は言った。
「ああ。坂下社長の家にも何度も行ったよ。いつも幸せそうだった。こんな不公平があるもんか、って思った」と中里は言った。
「一年ほど経ってから転居しているよな。それはどういうことなんだ」と沢村が訊いた。
「すぐに引っ越したかったよ。でも、そうすれば疑われるじゃないか。だから、一年待ったんだよ。本当は遠くに行きたかったんだが、仕事が見つかるかどうかわからなかったので、今、仕事をしている黒金町の仕事場の近くに引っ越してきたのさ」と答えた。
「坂下社長だけを殺せば良かっただろう。何故、全員殺したんだ」と沢村は訊いた。
「幸せそうにしていたからだよ、坂下社長の全部を滅茶苦茶にしたかった」と答えた。
「それで、奥さんの都子さんと祐司君や清美さんも殺したというのか」と沢村は言った。
「そうだよ。とにかく、全員殺したかったんだ」と中里孝司は言った。
「その後、どうしたんだ」と沢村が訊いた。
「逃げ出したよ。誰にも見られないことを確認して、坂下家から出た。それからアパートの部屋に戻った」と中里は言った。
「部屋に戻ってから、どうした」
「風呂を沸かしたよ。そして、服を脱いだ。鏡で見たら、血まみれだったからだ」と中里は言った。
「服はどうしたんだ」と沢村が訊いた。
「ゴミ袋に捨てた。犯行に使った道具も全部ゴミ袋に捨てた」と言った。
「どんな服装で坂下家に行ったんだ」と沢村が訊いた。
「黒い長袖に黒のジーパンを穿いて行った。靴も黒いシューズだった。手袋もして行った。それに敷地内に入ってからは目出し帽も被った」と言った。
「凶器は」と沢村が訊いた。
「少し大きめの折たたみナイフを二本持っていった。それにスタンガンも用意していた」と言った。