2026-01-01から1年間の記事一覧
三十五 火曜日の午前八時半頃に、真理子は病室に入っていった。富岡は朝食を済ませていて、看護師がその御膳を片付けに来ているところだった。 ショルダーバッグに入れてきた手帳とインタビュー記事が載った雑誌を、真理子は「これでいい」と渡すと、富岡は…
三十四 月曜日午前九時だった。病院に寄らずにそのまま会社に直行した。 真理子は、昨日の件がどうなったのか、気になっていたのだった。富岡もそれを知りたいだろうと、思ったのだった。 社長室に田中を呼んだ。 昨日の件を訊くと「方針が決まったので、今…
三十三 日曜日だったが、真理子は午前九時過ぎに会社に行ってみた。会社は平日のように動いていた。TS-Wordが発売されたからだった。今は、会社にとっては土日もなかったのだ。 開発部に顔を出した。 寝袋から出てきたばかりの、真理子は名前の知らない人が…
三十二 会社に寄ってから病院に行くことにした真理子は、午前九時には、会社にいた。昨日、富岡から託されたデバッグをやっている人を富岡の病室に連れていくためだった。 社長室に入ると内線で開発部長の内山を呼んだ。 「今、TS-Wordのデバッグをやってい…
三十一 帰りがけにナースステーションを通ると、看護師に呼び止められて、「富岡さんは、明日から流動食になりますので、ご承知ください」と言われた。 「点滴はなくなるんですか」と訊くと、「いいえ、点滴はそのままです」と応えが返ってきた。 「わたしが…
三十 TS-Wordの販売は依然好調が続いていた。社内は活気に満ちていた。 木曜日になると、販売宣伝部の松嶋が社長室にやってきて、「このまま行くと、販売数が足りそうにないんですが……」と言ってきた。 「一万ロットを超えるっていうこと」と真理子が訊くと…
二十九 月曜日になった。午前十時少し前に真理子は病院に向かった。病室に入ると、真理子は横たわっている富岡を見た。包帯に巻かれた顔を見るのは、これが最後だった。手術が成功して元通りの顔になっていればいいと思う自分がいることに気付くと、真理子は…
二十八 八月六日の日曜までは、特に何も変わるところがなかった。富岡の手にされていた拘束は日曜の午前中には外されていた。 月曜日の午後六時頃、病院に行くと、ナースステーションの看護師から、今週の水曜日に、今いるHCUから一般病室に移るという話…
二十七 翌朝、真理子は病院に寄った。いつものように富岡を見舞うためだった。 ナースステーションに行き名前を言うと、「ちょっとお待ちください」と言われた。 内線でどこかに連絡しているようだった。 しばらくしたら、上森医師がやってきた。その顔には…
二十六 金曜日の夕方、病院に行くと午後六時頃、主治医である中川医師の回診があった。数人の医師が後ろについてきていた。 「富岡さんの二度の手術は上手くいき、経過も順調です。腎臓が悪いのが気にかかりますが、治療を続けていけば良くなるでしょう。た…
二十五 翌日、保険会社への手紙をポストに投函すると、病院に富岡を見舞ってから、会社に行った。 社長室に入って、しばらくするとお茶を運んできた滝川が「社長の手術はどうでしたか」と訊くので、「無事終わったわ」と答えた。 「それはよろしかったですね…
二十四 日曜日らしい日曜日を過ごした真理子は、月曜日に病院に寄った。午前八時を少し過ぎた頃だった。 秋月医師と湯川医師から話があるというのは、土曜日に聞いた留守電で知っていたので、二人が現れるのを待った。 ナースステーション前のソファに座って…
二十三 高木が社長室から出ていこうとする時、真理子は明日の土曜日に会社に来られないことを思い出した。 「高木さん」と声をかけた真理子は、事情を話して「それで土曜日には会社に来られないので、お願いしますね」と言った。 「そういうことでしたら、わ…
二十二 真理子は、午後一時になると、須藤の所に電話した。 真理子の提示した二百万円という数字は、当然予想していたよりもかなり低かったのだろう。しばらく沈黙が続いた。その沈黙の中には、怒りもあっただろう。 やがて須藤が「条件があるが聞いてもらえ…
二十一 手術の翌日、午前九時に社長室に入ると、滝川がお茶を運んできて、「手術はどうでしたか」と訊いた。 「上手くいったわ」と答えた。 「それはよろしかったですね」 「心配してくださっていたのね」 「それは、もちろんです」 真理子が「ありがとう」…
二十 水曜日は午前七時には目覚めた。 今日が最初の難関だということはわかっていた。ただ、真理子の心の中は醒めていた。心配をするという気持ちは、欠片ほどもなかった。だが、その演技はしなくてはならなかった。七、八時間の演技は、結構疲れるだろう。…
十九 秋月と湯川とのやり取りは、一時間ほどで終わった。 今日は、これで帰ると滝川に言ってきたので、会社に戻る気にはなれなかった。時間が空いた。ナースステーションに行き、一目、富岡を見て帰れないかと話した。面会時間以外なのでと言われたが、一人…
十八 真理子が起きたのは、午前十時を過ぎていた。 午前中のアリバイ作りは失敗したが、午後には面会に行こうと思った。ただ、あの富岡の様子では、時間を潰すのが難しそうだった。何か文庫本でも持っていって読んでいようと思った。 午後の面会から帰ってき…
十七 真理子は、午後三時前に家を出て、病院に行くと六階のナースステーションに行ってから、富岡の病室を訪れた。 もちろん、手指のアルコール消毒は済ませてのことだった。 椅子に座り、包帯にくるまれた富岡を見ていた。胸のあたりまで薄い毛布が掛けられ…
十六 土曜日に、病院の三階にあるICU前のナースステーションに行くと、富岡は六階のHCUに移されたと聞いた。 HCUとはICUと一般病棟の中間的な位置に存在する高度治療室のことで、ナースステーションに行くと、富岡の容態が安定したことと、水曜…
十五 会社には午後一時に着いた。 社長室に入ると、高木を呼んだ。 午前中に出社できなかったことを詫びた。 「そんなことをお気にされなくても」と高木は言った。 「わたしがいなくても何とかやっていけるってことよね」と真理子が言うと、高木は何も言えな…
十四 金曜日に病院に行くと、整形外科医から説明があると言うので、ナースステーションから少し離れた会議室のような所に案内された。 中で待っていると、数人の医師たちが順番に入ってきて、真理子の前の席に座った。それから、何種類かの書類が真理子に手…
十三 家に戻ると、真理子はようやく解放された気分になった。 TS-Wordについては、製作数を六千ロットからいきなり一万ロットにしたが、あれは言ってみれば勢いのなせる技だった。何か考えがあるわけでもなかった。自分で決定できる位置にいた時に、何かして…
十二 会社の経営状態を見ていくと、それほど良くないことがわかった。 交際費も多かったが、その中には、富岡が毎週のようにしているゴルフや夜のクラブの経費も入っているのかもしれなかった。 しかし、何といってもヒット商品がないのが、一番の原因だろう…
十一 真理子が会社に着いたのは、午前十時を過ぎていた。医師の説明が意外と長かったのだ。 滝川がお茶を運んできたので、高木を呼んでくれるように言った。 お茶を一口啜ると、ハンドバッグの中から、メモ帳を取り出した。 まもなく高木がやってきた。机の…
十 次の日、午前七時に起きた真理子は、朝のシャワーを浴びると、昨日買ってきたパンの残りとレタスのサラダで朝食を済ませた。 午前八時になると、昨日買ったスーツを着て、病院に向かった。 病院に着くと、三階に上がりナースステーションに向かった。そこ…
九 家に戻り、ハンドバッグから指輪を取り出して、何度も見た。そして自分がしている結婚指輪とも合わせて見た。しかし、何度見ても、どこから見ても、これは富岡がしていた結婚指輪に違いなかった。 ということはICUにいる男は富岡修であると認めないわ…
八 シャワーを浴びて、ベッドに横たわった。サイドテーブルのバッグを開けて、中から富岡の手帳を取り出した。 広げてみた。七月の二週目までは、午後五時過ぎのイニシャルがついていた。由香里と会うのは、三日前だったようだが、その時は富岡はベッドの上…
七 意気盛んに会社に出向いていった割には、自分は何をしていたのだろうという反省しか思い浮かばなかった。 訳もわからないソフトの製作にGOサインを出したほかは、金庫を開けてみたり、これもよくわからず書類を読んではただ判を押してきただけのことだっ…
六 家に着くと、真理子はすぐに寝室に向かい、服を脱ぐとベッドに倒れ込んだ。 僅か二時間ばかりのことだったが、面会の失礼を詫びることと、来週の面会予約を取り消すことで疲れ切ってしまった。 話すことはテープレコーダーを回しているように、同じセリフ…