小説「僕が、警察官ですか? 5」

「坂下さんは何をしていたんですか」と僕は沢村に訊いた。

「この近くで工場を弟さんとやっていましたよ」と言った。

「その工場はどうなりましたか」と訊いた。

「確か、弟さんが継いだと思いますがね」と答えた。

「工場の従業員の唾液も採取しましたか」と僕は訊いた。

「ええ、その時、働いている者は全員採取しました」と答えた。

「辞めていった人は」と訊くと「そこまではしていません」と答えた。

「その工場の場所は分かりますか」と訊いた。

「ええ、良く行きましたからわかりますよ」と答えた。

「では、行きましょう」と僕は言った。

 

 僕らは沢村の車で坂下の工場に向かった。

 工場は近くだった。車で十分もかからなかった。

 工場は坂下伸司の弟、坂下が経営していた。何種類かのボルトとナットを作っていた。

 僕たちが行った時は、坂下紡は従業員に指示を出していた。作業現場には、オイルの匂いが漂っていた。

 坂下紡は僕たちを見ると、「何か用ですか、刑事さん」と言った。

「わたしを覚えていてくれたんですか」と沢村が言った。

「兄の一家惨殺事件を担当していた刑事さんでしょう。覚えていますよ。まだ、捜査は続いていたんですか」と言った。

「まぁ、見直してみようということになったんです」と沢村は答えた。

「で、今日は何を調べようというんです」と坂下紡は言った。

「従業員の顔写真付きの履歴書を、退職した人の分も含めて見たいと思ってきました」と僕が言った。

「そちらの方は」と坂下紡が沢村に言った。

「わたしの上司で鏡課長です」と言った。

 僕は警察手帳を見せて、「言い遅れました。未解決事件捜査課の鏡京介です」と言った。

 坂下紡は事務所に僕らを案内して、奥の棚の下段に何冊にもファイリングされている履歴書を示した。

「ここを創立してから十年になりますが、その時からの履歴書はすべて取ってあります。見てください」と言った。

 僕らが見るべき履歴書は、十年前から五年前までだった。それらのファイルを出してもらった。机の上が一杯になった。

「手分けして見ましょうか」と沢村が言ったが、「いや、私が見なければ意味がないんです」と僕は言って、最初のファイルから開いていった。

 写真は名刺大だった。何とか右目の黒子が確認できる大きさだった。

 僕は写真を見ては、履歴書を繰っていった。写真を見るだけなので、それほど時間は取らなかった。沢村には、携帯に履歴書の写真を撮らせた。

 三冊目を開いた時に、僕の手は止まった。右目に黒子のある人物が写っていた。あやめの記憶と照らし合わせてみた。ぴったりと一致した。

 中里孝司というのが、彼の名前だった。黒金高校を卒業していた。住所は高知長崎町一丁目****アパート二〇二号室だった。

「彼はどんな理由で辞めたんですか」と僕は坂下紡に訊いた。

「さぁ、もう八年も前になるので覚えていません」と坂下紡は答えた。

「この男がどうかしたんですか」と沢村は僕に訊いた。

「こいつが、坂下一家を惨殺した犯人なんじゃないかと思うんです」と答えた。

「それはどういう理由でですか」と沢村は訊いた。

「勘ですよ」と僕は答えた。

「勘ですか」と沢村は呆れたように言った。

「強いて言えば、体格と年齢ですよ。プロファイリングと一致している」と言った。

「それだけですか」

「そうやって、一つ一つ潰していけばいいんじゃないですか」と僕は言った。

「それはそうですけれど、気の遠くなる話ですよ」と沢村は言った。

「このアパートに行ってみましょう」と僕は言った。

「いいですけれど、お昼にしませんか」と沢村は言った。

「それはいいですけれど、どこかで食べてきてください。私は車の中で弁当を食べますから」と言った。

「奥様が弁当を作られるんですか」と驚いたように訊いた。

「ええ、毎日」と僕は答えた。

 

 僕らは車に乗って、近くの牛丼屋の前で車を止めた。沢村は牛丼屋に入って行った。

 僕はその間に鞄から、愛妻弁当と水筒を取り出すと弁当の蓋を開けた。鮭のふりかけでハートマークが作られていた。沢村が戻ってくる前に、弁当を食べ終え、水筒のお茶を飲んだ。

「高知長崎町一丁目****のアパートはこの近くですね」と戻ってきた沢村は言った。

「そうですね」

「では、行きますよ」と沢村は言った。

 

 高知長崎町一丁目****のアパートには、五分とかからなかった。

「沢村君は大家さんを探してください」と僕は言った。

「鏡課長はどうされるんですか」と訊いた。

「二〇二号室に行ってみます」と答えた。

「一緒に行きますよ」と沢村は言った。

「分担した方が早いでしょう」と僕は言った。

「わかりました。大家にあたってみます」と沢村は言った。

 僕は外階段で二階に上がり、二〇二号室の前に立った。表札は遠藤晴美となっていた。

 僕はズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「ここに住んでいた中里孝司の意識を読んでくれ」と言った。

「沢山の人の意識があるので、読めるかわかりませんよ」とあやめが言った。

「一家を惨殺した男だ。霊気は強く残っているだろう。それを探せ」と言った。

「わかりました」とあやめは言った。

 しばらくして、あやめから意識が送られてきた。

 その意識は、ひどく混乱していた。というより興奮していたと言った方がいいかも知れなかった。

 部屋に入ると、風呂を焚いた。全身が血だるまだった。服を脱いだ。

 風呂が焚けると、躰を洗った。右目の横にはしっかりと黒子があった。

 洗っても洗っても血が落ちないように思うのだろう。繰り返し、躰を石鹸のついたタオルでこすっていた。

 風呂から出てくるとビールを飲んだ。そうしながら、着ていた服は、ゴミ袋に入れた。靴も入れた。ナイフとガラスを切った道具とスタンガンは紙袋に入れてゴミ袋に捨てた。目出し帽や手袋もゴミ袋に捨てた。

 一通り捨てて、ゴミ袋をまとめると、台所の隅に置いた。燃えないゴミもあったが、燃えるゴミの日に出すつもりだった。

 そして、ビールを飲んだ。