小説「僕が、警察官ですか? 2」

二十一

 次の日、安全防犯対策課にいると、午後二時頃、携帯に電話がかかってきた。

「はい、鏡ですが」と言うと「西森です」と言う声が聞こえてきた。

「今、北府中署にいます」と言った。

「北府中市の絞殺事件を調べているんですね」

「そうです。朝一に来ました」

「それでどうですか」

「三件とも調べ終わりました。結論だけを言います。これは新宿で起きた二件の絞殺事件と同一犯ですね」と西森は言った。

「そうですか。で、どうするつもりですか」と訊いた。

「今日の捜査会議で報告するつもりです」と答えた。

「そうですか」

「場合によっては、合同捜査本部が立ち上がるかも知れません」

「なるほど」

「警部。情報源はどこですか」と西森は訊いた。

「お答えできません」と答えた。

「そうですか、わかりました」と言って切れた。

 ついに西森も北府中市の絞殺事件と新宿で起こった二件の絞殺事件が同一犯だと認めた。となれば、西森の言うように、合同捜査本部が立ち上がるだろう。その場合には、おそらく西新宿署に捜査本部が置かれることになるだろう。警察署の規模からいって、それが妥当だ。それに新宿の絞殺事件の方が日にちが浅い。

 時村と岡木をソファに呼んだ。

 身を乗り出すようにして、小声で話した。

「北府中市の絞殺事件と新宿で起こった二件の絞殺事件は同一犯だ」と言った。

 二人はやはりそうかという顔をした。

「ある筋からそういう情報が入った」

「課長からこの話を聞いた時から、そうだと思っていましたよ」と時村が言い、岡木が頷いた。

「おそらく、来週には西新宿署に合同捜査本部が立つだろう」

「そうですか」と時村と岡木が言った。

「こちらの読みが当たっていたことになる。犯人が左利きだというのは、いい読みだった。私には思いつかなかった。そこで、もう一歩踏み込んで考えてもらいたい。犯人像をだ」と僕は言った。

 時村が「でもわたしたちには捜査権がありませんよ」と言った。

「そんなことは関係がない。私たちの部署は安全防犯対策課だ。次の絞殺事件を防ぐ義務がある」と言った。

 

 今日は水曜日だった。夕方から雨になるという予報だった。ということは、今日は水曜日の絞殺魔は出ないことになる。

 そうなることを願った。もう一件、絞殺事件が起こったら、場所にもよるが、旅行どころではなくなるからだった。

 

 午後四時頃から雨が降ってきた。

 僕はホッとした。

 

 木曜日には、安全防犯対策課に行くと、真っ先に黒金公園の夜間のパトロールを、特に水曜日に増やすように提案した書類を作り、署長室に持っていった。

 署長は交通安全課に伝えておくと言った。

 これで水曜日に、犯人が黒金公園で犯行を起こすことは難しくなったわけだ。それだけでもよしとしなければならなかった。

 

 金曜日は、緑川と鈴木と並木は、日曜日の黒金保育所の防犯キャンペーンのために時間を使った。なにしろ、僕が秋田に旅行中にやるキャンペーンである。彼らにとっては、失敗はできなかった。

 僕は明日からの旅行の予定を確認していた。

 そうしているうちに一日が経った。

 

 自宅に帰ると、きくとききょうと京一郎が玄関で待っていてくれた。

 いつものようにして玄関を上がると、きくに「明日の準備はできているか」と訊いた。

「はい、大丈夫です」ときくは答えた。

 僕はリビングルームに置いてある旅行鞄を見た。リュックも二つあった。子どもたちのだった。

 今日は早めに寝た。

 翌日、午前七時に起きた。

 顔を洗い、子どもたちと朝食をとった。そして、歯を磨き、出かける服装に着替えた。肌着に半袖シャツを着て、ジーパンを穿いた。そしてジャケットを着た。新幹線の中は冷房が効いているので、寒いと思ったからだった。

 ひょうたんはジャケットのポケットに入れた。これは忘れていくわけにはいかなかった。

 午前八時前に家を出ると、四谷三丁目駅で午前八時半よりも少し前の電車に乗った。四ツ谷駅に出ると、予約していた乗車券を購入した。そして、四ツ谷駅から東京駅に出た。東京駅では、新幹線に乗るための改札を通り、午前九時八分の新幹線こまち九号秋田行きに乗った。

 後ろの指定席を回転させてボックス型にした。秋田駅までは、新幹線に乗っていくだけだった。窓側に子どもたちを座らせて、僕は通路側の席で眠った。

「着きますよ」ときくに言われて起こされた。十二時五十五分だった。

 秋田駅には、午後一時二分に着いた。秋田駅から男鹿駅には午後一時三十八分に男鹿線に乗ることになる。少し時間があった。

「お昼はどうする」ときくに訊くと、「子どもたちには、おにぎりを食べさせました」と答えた。

「そうか」

「あなたの分も残っていますよ」と言った。

 それなら、ということで駅の待合室で、きくの握ってくれたおにぎりを食べた。

 きくは水筒からお茶を注いでくれた。それを飲み干すと、男鹿線に向かった。

 電車はもう来ていた。土曜日だったが、僕らが乗り込んでもまだ空いていた。

 子どもらが席に座ると、僕ときくもその隣に座った。

 午後一時三十八分に電車は動き出した。周りは、田んぼが広がっていた。その向こうは山だった。男鹿線には一時間ほど乗る。僕はまた眠った。

 男鹿駅に着く前に起きた。午後二時三十分頃だった。

 男鹿駅に着くと、金生閣から、迎えのマイクロバスが来ていた。

 旅館の者が「鏡様ですか」と訊くので「そうです」と答えると、「このバスにどうぞ」と言った。他に二組のカップルが乗っていた。

 もう一組の老年の夫婦が乗ると、マイクロバスは発車した。

「旅館までは三十分ほどです」と運転手は言った。さっきの旅館の者だった。

 ききょうと京一郎ははしゃいでいた。初めての旅行だったからだ。

 旅館に入ると、荷物をフロントに預けて、僕らはそのまま観光に行くことにした。時間は少しも無駄にはしたくなかった。

 個人タクシーを見付けると、僕は近寄っていき、「男鹿は初めてなんです。七時ぐらいにここに帰ってくるとして、それまでいい観光場所に連れて行ってくれますか」と言って、二万円を出した。運転手はそれを受け取ると、「いいですよ」と言った。

 僕はきくとききょうと京一郎を呼んだ。きくとききょうと京一郎は後部座席に、僕は助手席に乗った。

 タクシーは発車すると、しばらく海沿いを走った。海沿いの景色が堪能できた。

「あそこに見えるのが、男鹿水族館GAOです。でも水族館は見慣れているでしょう。これから山道に入りますね」と運転手は言って、山の方に向かって行った。

「どこに行くんですか」と訊くと「なまはげ館です」と答えた。そして、「秋田と言えば、なまはげでしょう」と言った。

 午後四時過ぎになまはげ館に着いた。入館料を払って中に入った。

 ちょうど、なまはげ伝承ホールで「なまはげの一夜」という映画が始まった時だった。それを子どもたちと見た。

 なまはげとは、鬼面を被り、ケラミノ、ハバキをまとって、なまはげに扮した男たちが、大きな出刃包丁みたいなものを持って、家々を訪れ、「悪い子(ご)はいねがー」「泣ぐ子はいねがー」と奇声を発しながら練り歩き、家に入っては、怠け者や子どもなどを探して暴れ回る。それを正装をした家人が出迎えて、主人が一年間の家族のしでかした日々の悪事を釈明した後で、なまはげに酒などをふるまって送り帰す風習である。

 それを面白く映像化したものが映し出されていた。

 見終わった後、外で待っていたタクシーに乗った。

「夜の海の夜景でも見ますか」と訊かれたので、「いいですね」と答えた。

 タクシーは山を下り、海岸沿いを走った。そして、金生閣に送り届けてくれた。