小説「真理の微笑」

五十一-2

 書斎から外の風景を見た。
「ねぇ、思い出す」
 そう真理子が訊いたが、初めて見る景色だったから思い出すも何もなかった。私は首を左右に振った。
「そう、駄目なのね」
「そうがっかりするなよ、俺はこうして真理子と二人だけでいられる事で幸せなんだから」
「嬉しい事を言ってくれるのね」
 真理子は私に抱きつきキスをした。
 真理子とのキスは何度しても良かった。真理子にとっては、車椅子に座っている私との抱擁は窮屈だったかも知れないが、私はしばらくその抱擁を楽しんだ。

 まもなく鍵屋がやってきた。四十歳くらいの小太りした男性だった。奥の金庫を見せて、ダイヤルの回し方が分からなくなった事を告げた。
 彼は、まず小さなメモ帳を取り出してから何か書き付けて、それから首から下げていた聴診器のようなものをダイヤルの近くに当てた。そしてダイヤルを回し始めた。
 ある程度ダイヤルを回すと、メモ帳に何やら書き付けた。ダイヤルを回してはメモ帳に書き付けるという作業が繰り返された。
 私たちは書斎から出た。まだ時間がかかりそうだったからだ。書斎を出て中央の扉を開けるとリビングだった。リビングには大きなテレビが置かれていた。
 リビングの隣の戸を開くとダイニングルームに繋がっていた。両方を合わせると相当な広さだった。十数人でパーティーを開いても十分余裕があるように見えた。実際、何度かパーティーを開いていたのかも知れなかった。
 そしてその奥がキッチンだった。対面式のキッチンはとてもよく磨かれていた。
 私は車椅子を両手で動かして、キッチンに入った。
「凄いな」
 隣にいた真理子に言った。
「テレビで見るようなキッチンでしょう」
「そうだな」
「ちょっと見ていて」
 そう言うと真理子は、食パンを取り出して耳を取り、そこに冷蔵庫から取りだしたレタスとハムとチーズを挟み、サンドイッチを作った。
 もう午後一時を回っていた。
 サンドイッチを何個か作ると、それを皿に載せて、トレーにその皿と麦茶を入れたコップを載せて、書斎の方に向かった。鍵屋に渡すためだった。
 その時、「ちょうど今、金庫が開きましたよ」と鍵屋が言った。
 私は車椅子を押して書斎に向かった。金庫は開いていた。
 鍵屋は「これがダイヤルの回し方です」と書き取ったメモを破って私に渡した。メモには「最初にゼロに合わせて、右に……、左に……、再び右に……」と、あまり綺麗な字ではない文字で書かれていた。
「試してもいいですか」と私は鍵屋に言うと「いいですよ」と言った。
 私は金庫を閉めてダイヤルを適当に回した。そして開けてみようとしたが、当然開かない。そこで、手にしていたメモを見ながらダイヤルを回した。すると簡単に金庫は開いた。
「ねっ、開くでしょう」
 そう言うと、鍵屋はサンドイッチを頬張った。
「ええ」
 私は金庫の中を見た。
 金庫の中には、様々な権利書が入っていた。下の引出しの鍵を開けると、書斎のデスクに入っていたのとは異なる通帳や印鑑が入っていた。富岡の秘密の口座なのだろう。そして奥には、札束がちらっと見えた。私はすぐに引出しを閉じて鍵をかけた。
 入院をしていなければ、あけみに渡すお金の手配を高木に頼む事もなかったわけだ。
 鍵屋はサンドイッチを食べ終えると、代金をもらって帰って行った。
 私と真理子もサンドイッチを食べると、私は書斎に入り、デスクの中のものや金庫の中に入っているものをチェックした。
 特にさっきちらっと見た札束がいくらあるのか気にかかった。それは三百万円あった。