小説「僕が、剣道ですか? 3」

 この週末から冬休みに入る。

 授業も身には入らなかった。

 ほとんどの奴らが、スキー旅行に行くようだった。当然、富樫も行く。

 僕だけが取り残されたような気分になった。

 食堂でひとりまったりしていると、「今度の日曜日、空いてる」と絵理が訊いてきた。

 僕は起き上がると、「空いてる。当然、空いてる」と言った。

「現代美術展って興味ある」

「ある。もちろん、ある」

「そう。じゃあ、行く」

「行くよ、当然だろ」

「わかったわ、沙由理にそう言っておく」

「えっ。君が行くんじゃないの」

「そんなこと、わたし言った。一言も言ってないわよ」

 絵理はそう言うと、「新宿西口改札、午前十時だからね。遅れないようにね」とチケットを僕に渡した。

 離れていく絵理を見ると、柱の陰にいる沙由理に向かって指でOKサインを出した。

 僕はしてやられた。

 絵理と沙由理を比べると、人によっては沙由理の方が美人だと思う人もいるだろう。あるいはそう思う人が多いかも知れない。沙由理の方が華やかさがあった。そして、人当たりもいい。沙由理を悪く言う人を僕は知らない。

 だから、僕は幸運に思うべきなのかも知れない。しかし、人の好みはそれぞれだからしょうが無い。

 

 週末になり、学校は冬休みに入った。

 僕の二学期の成績は、カンニングのおかげでそんなには悪くはなかった。だから、金曜日に通知表を見せる時も、胸は張れないにしても、そっと出すほどではなかった。

 土曜日は、富樫が来て一騒動があった。

「それにしても、ききょうちゃんはわかるが、きくちゃんはもう冬休みに入ったのか」と訊いた。

「そうだよ」

「早いな」

「信州は夏休みが短いんだが、その分冬休みが長いんだ」と説明した。

「えっ、きくちゃん、長野県人なの」

「そうだよ」

「そうか」

 という話をした後で、きくがいた時に、富樫が突然、「きくちゃんはどこから来たの」と訊いた。

 きくは「白鶴藩ですけれど」と答えると、富樫は「白鶴藩ってどこ」と訊いた。

「白鶴藩は白鶴藩です」と答えた。

 それで僕に「白鶴藩って長野にあったか」と訊いた。

「そうなんじゃないのか」

 富樫は携帯を出して「検索してみる」と言い始めた。

「あれ、長野に白鶴藩なんてないぞ」と言った。

「昔の藩名だからないんじゃないの」と僕は答えた。

「おかしいよな」と、まだ富樫は言っていた。

「そんなこと言ってるんだったら、帰れよ」と言うと「俺、きくちゃんにお茶を入れてもらいたいんだけれどな」と言った。

「いいですよ。リビングのテーブルにお座りになってください」ときくが言った。

 僕と富樫は、僕の部屋にいたのだ。

「わかりました」と富樫が言った。

 それにしても、きくはいつの間にリビングとかテーブルとか覚えたのだろう。母にいろいろ言われている間に覚えたのかも知れない。

 僕と富樫がリビングのテーブルに着くと、電子ポットから急須に湯を入れていた。それから湯呑みにお茶を注ぎ、富樫に先に出し、後から僕に湯呑みを出した。

「どうぞ」ときくは言った。

「頂きます」と富樫が言った。

「今日はお菓子は何ですか」と富樫は図々しく言った。

「今日はですね、おせんべいしかありません」

「あっ、それでいいです」

「じゃあ、お出ししますね」と言って、きくは漆塗りの皿にせんべいの袋詰めの物を一つ載せて、富樫と僕に一つずつ出した。

「頂きます」と富樫が言うと、きくは「どうぞ、お召し上がりませ」と言った。

「この感じいいよな。秋葉に来たみたいだ」

「秋葉って何ですか」

秋葉原のことだよ。地名」と僕は説明した。

「今度、きくちゃんをメイド喫茶に連れて行こうぜ。そうすれば、もっとそれらしくなるかも」

「お前なあ、図々しいにもほどがあるぞ」

「わかった、わかったって。冗談だから」

「ふぅ」と一息ついたところで、急に富樫が「お前、明日、あの沙由理ちゃんとデートするんだって」と言い出した。

「沙由理ちゃんって誰ですか」ときくが訊いた。

「俺たちの学年で一番、美人の人」と富樫は大袈裟に答えた。いや、富樫なら本気でそう思っているかも知れなかった。

「デートって何ですか」

「そりゃ、二人で一緒に買い物したり、食べたり、歩いたりすることです」と富樫が答えた。

「二人っきりになるんですか」ときくは訊いた。

「そう」

「きくはいやです」と言い出した。

「きくちゃんはお前の従妹だよな」と富樫が言った。

「従妹って何ですか」ときくが訊いた。

「従妹って知らないの」

「はい」

「そこまで、そこまで」と僕は話を中断させた。これ以上、きくに話をさせるとややこしくなると思ったからだ。

 しかし、沙由理と現代美術展に行くことをデートという言葉で、きくは聞いてしまった。

 それが問題だった。

「京介様は沙由理さんとデートするんですか」ときくは訊いた。

「デートじゃないんだ。現代美術展に行くだけだから」と僕が言うと、富樫が「それがデートって言うんです」と余計なことを言った。

「京介様がデートするなら、わたしも行きます」

 ほらね、こういうことになるんだよ。

「いや、きくちゃんがデートについていくのは、まずいなあ」と富樫は言った。

「どうしてですか」

「さっきも言ったようにデートは二人でするものだから」と富樫は言った。

「だったら、京介様がデートするのは、きくは反対します」と言った。

 僕は富樫を見て、余計なことを言って、と言うような顔をした。富樫は、済まんと言う顔をした。

「きくちゃんは、京介が好きなんだね」

 そこをほじくってどうする、って言いたくなった。

「はい、好きです」

「はっきり言うなぁ。でも、従妹同士じゃあ、好きでもそれだけだよなぁ。今、京介の家にいるからそう思っているんだよ。妹が兄と結婚したいと思うのと一緒だ。そのうち大きくなれば、考えも変わってくるよ。そうだよな、京介」

 富樫は何とか、この場を収めたと思ったらしい。

「まぁな」と僕ははぐらかした。富樫はてっきり、僕が「うん」と言うものと思っていたようだ。

「京介様はきくをどう思っているんですか」

「可愛いと思っているよ」

「そうじゃなく、好きですか、嫌いですか」

「好きかな」

「じゃあ、沙由理さんはどうですか」

「好きでも嫌いでもないよ」

「好きでも嫌いでもない人とデートするんですか」

「断れない事情があるんだよ」

「そんなの、おかしいです」

「まあな、京介は絵理ちゃんに頼まれたから、断れないんだよな」

 おいおい、話をややこしくするなよ、と言いたくなった。

「絵理ちゃんって誰ですか」

「京介が好きな女の子」と富樫はついに言ってしまった。

「京介様には好きな人がおられたのですね」

 突然、きくは泣き出した。

「きくは京介様が好きです。だから、ききょうを……」と言い出そうとしたところで、僕はきくの口を手で塞いだ。

「お前のせいだぞ、富樫」と僕は怒鳴った。

「済まん、つい弾みで」

「弾みで言っていいことと悪いことがあるだろう」

 富樫は帰る仕草をした。

「ああ、そうしてくれ」

「じゃあ、またな」と言って、富樫はリビングを降りていった。

 僕はきくの口から手を離した。

 玄関の戸が開き、閉まる音がした。富樫は帰ったが、台風の目を置いて行きやがった。

 きくはしばらく泣いていた。

 僕は自分の部屋に入った。

 クラウドストレージにアップロードしていたデータをパソコンにダウンロードして整理をし、ジーンズにチェーンでつけているUSBメモリにコピーした。それと同時に携帯のデータを整理して容量を増やした。

 きくが部屋に入ってきた。

「京介様はきくが好きですか」

「好きだよ」

「それなのに他にも好きな人がいるんですね」

「そういうこともあるよ」

「きくはつらいです。どうすればいいですか」

「そんなこと、僕には分からないよ」

「きくはつらいけれど、我慢します」

 僕はこういうのが、一番弱いんだ。

「明日はデートなんですね」

「現代美術展に行くだけだ」

「それをデートって言うんですね」

「もう、いい加減にしてくれないか。富樫の言ったことは、半分はでたらめだからな」

「そうなんですか」

「そうだよ」

「わかりました」