小説「真理の微笑 真理子編」

十五

 会社には午後一時に着いた。

 社長室に入ると、高木を呼んだ。

 午前中に出社できなかったことを詫びた。

「そんなことをお気にされなくても」と高木は言った。

「わたしがいなくても何とかやっていけるってことよね」と真理子が言うと、高木は何も言えなかった。

 真理子は午前中に会社に来られなかった理由を高木に話した。

「そうでしたか」

 それから、来週、水曜日は休むと伝えた。富岡の手術に付き添うためだった。それを説明すると、高木は「わかりました」と言った。そして「社長の手術、成功するといいですね」と付け加えた。

「どうもありがとう。わたしもそう思っているわ」と応えた。

「ですから、水曜の予定は全てキャンセルして欲しいの」と言った。

「ちょっと、お待ちください。滝川を呼びますから」

 高木は滝川を呼んだ。

「何でしょうか」

 高木が「社長の、来週の水曜日の予定は何か入っているか」と訊いた。滝川はスケジュール帳を見て、「はい、午後二時から遠藤様がお見えになる予定になっています」と言った。

 真理子が「済みませんが、キャンセルして頂けませんか」と言った。

「わかりました」

「わたしは水曜日は休みますので、よろしくお願いします」

「はい」

「それから木曜日もできれば、キャンセルして頂きたいんですけれど」と言った。

 滝川が真理子を見たので「木曜の午前中は主人の様子を見ていたいの」と言った。滝川がきょとんとしていたので、水曜日の、富岡の手術のことを滝川に話していないことに真理子は気付いた。そこで簡単に、富岡の手術のことを話した。

「そういうことですか。わかりました」

「月曜日と火曜日の予定はどうなっていますか」

「月曜日は予定がありませんが、火曜日の午前十時に須藤さんという方と会う約束をされています」

「その須藤さんという人はどういう人ですか」

「済みません、わたしにはわかりません」と滝川は言った。

「わかりました。結構です」

「失礼します」と言って滝川は出て行った。

 高木はまだ社長室にいた。

「高木専務は、須藤さんという方をご存じかしら」

「いいえ、初めて聞く名です」

「どういう方なのでしょう」

「多分、ソフトの売り込みだと思いますよ」と高木は言った。

「ソフトの売り込み?」

「ええ、自分ではソフトは作れるんですが、販売力がない人が結構いるんですよ。そういう人たちが、うちで販売してくれないかと持ち込んでくるんですよ」

「そうですか。でも、そういうことだとすると、わたしが会ってもわからないと思うんですよね」

「そうですね」

「販売宣伝部の人か開発部の人のどなたかを呼んで頂けますか」

 真理子がそう言うと、高木は「お借りします」と言って、社長のデスクにあった電話の内線でどこかに連絡をした。

 まもなく、販売宣伝部の高橋と開発部の清宮が入ってきた。

「お呼びたてして済みませんが、うちにソフトの売り込みに来る人についてはご存じですか」と真理子は聞いた。

 高橋と清宮が見合ったが、高橋が口を開いた。

「はい、ときどき見えられて、社長が応対していました」

「そのようなときは、後はどうなるんですか」

「社長がいけそうだと思ったソフトなら、大抵は買い取りますね。マージンを取って販売するということはしていないと思います」

「今までに、そういうソフトはあったの」

 今度は清宮が答えた。

「ありました。TS-Copyがそれです」

「今、バージョン4.5っていうことになっているけれど、バージョンアップには、その売り込みに来た人は関わっているの」

「はい。TS-Copyは一応、買い取り方式なんですが、バージョンアップごとにいくらか開発費を渡しているようです」

「4.5というのは、何だか中途半端な感じがするんだけれど」

「最初につく4という数字は、メジャーバージョンアップの時に付けます。その後に付く、小数点以下の数字は、マイナーバージョンアップを意味しています」

 そう開発部の清宮が説明すると、「すみません、言われている意味がわからないので、わたしにもわかるように説明してくださる」と真理子は言った。

 清宮は頭をかいて、「私に上手く説明できるかどうかわかりませんが、こう思ってください。ソフトには大きな機能変化がある場合と、小規模な機能変化がある場合があるんです」と言った。そして「大きな機能変化があった場合には、3とか4とか、整数字で表示するんです。しかし、機能の変化が比較的小さい場合には、小数点を付けて、少し改良されたよ、というようにするんです」と続けた。

「まあ、大体、わかりました。そこで本題に入りますね。来週の火曜日に、須藤という人に会うことになっているんだけれど、もしソフトの売り込みに来たのなら、どうしたらいいかしら」

「それはですね」と清宮が話し始めた。

「社長代理がその場で判断するということは難しいと思うんですね。それでですね、ソフトを売り込みに来る人であれば、サンプル版を用意してきていると思うので、それを受け取ってください。そして、後日、ご連絡申し上げます、と言って頂けると、その間に私たちでソフトを評価します。それから、その人にその評価結果を連絡すればいいんじゃないかと思います」

 隣にいた高橋が「それはいい」と言った。

「そうですか。よくわかりました」

「ソフトの企画を持ち込んでくる人もいますので、その場合も同じように対応してください」と清宮は付け加えた。

「そうします。これで少し安心しました」

 高橋は「売り込み等のことであれば、いったん預かって後から返事をするという対応でいいと思います。そうでない場合も、社長代理がその場で判断に困るようなことがあれば、返事は後日、いたします、と答えて頂ければ済むと思います。わからないことがあれば、我々に訊いて頂ければ、なんとかします」と言った。

「ありがとう。全く頼もしいわね」

 真理子は笑いながらそう言った。