小説「真理の微笑 真理子編」

十六

 土曜日に、病院の三階にあるICU前のナースステーションに行くと、富岡は六階のHCUに移されたと聞いた。

 HCUとはICUと一般病棟の中間的な位置に存在する高度治療室のことで、ナースステーションに行くと、富岡の容態が安定したことと、水曜日に手術をするので移されてきたということだった。また、手術後も術後の経過を見るためと、次の手術も控えているので、当分HCUにいるということだった。

 富岡はドアなしの個室にいた。面会は一日二回、午前七時三十分から午前八時三十分と午後三時から午後八時になっていた。

 病室入口に備え付けになっている消毒用アルコールで手指を消毒してから、ドアなしの個室に入っていくと、全身包帯だらけの富岡に会った。手首のところからチューブが出ていて、点滴スタンドが側に立っていた。

 この病院に移ってから間近で富岡を見るのは、初めてだった。随分と痩せたように感じた。点滴だけでは十分な栄養が得られないのではないか、と真理子は思った。

 顔から手の先まで包帯にくるまれていたから、富岡修というネームプレートがベッドに付けられていなければ、そこに横たわっているのが富岡だとは、わからなかっただろう。

 午前八時に入室したので、朝の面会時間終了の午前八時三十分はあっという間に来た。

 

 病院を出ると会社に向かった。病院から会社までは三十分足らずで着いたので、午前九時には真理子は社長室に入っていた。

 しばらくすると、滝川がお茶を運んできた。

 今日の予定を訊くと何もないと言うので、滝川が出て行くと社長椅子にただ座っているだけだった。

 静かだった。こんな時、富岡だったら何を考えていたのだろうかと思った。

 富岡の手帳を出してみた。

 土曜日は、比較的何も書かれていなかった。ときおり、「**CC PM2:30」と書かれていたりするだけだった。土曜日の午後もゴルフ場に行くくらいゴルフが好きだということなのだろう。

 しかし、これだけゴルフをしているのに、富岡は結構太っていた。体重は八十キロを軽く超えていただろう。夜のクラブ通いのせいかもしれなかった。飲み食いは良くした。

 家でもよく飲んでいた。そして、ゴルフの番組を見るのが、好きだった。日曜日に自分がゴルフへ行くときは、ゴルフ番組を撮り溜めていて、平日、家に帰ってきたときは、それを再生しながらウィスキーをよく飲んだものだった。

 そしてよく食べた。クラブに行って酒を飲んできた後でも、お茶漬けを用意してくれと言われたことが何度もあった。

 暴飲暴食で、風呂に入った後はすぐに眠った。ここ最近は夜の生活は全く無かった。

 しかし、由香里とはセックスをしていたのだ。そして、子どもまで作った。思い返しても腹が立った。

 そうこうするうちにお昼になった。午前中で会社は終わるから、午後の面会時間までの三時間が空いた。

 真理子は家に戻ることにした。自分で選んだスーツだったが、やはりどことなく窮屈だった。いつも背筋を伸ばしていなければならないような感覚に陥った。このような感じを持ったのは、中学・高校生以来だったかも知れなかった。

 真理子は中学受験をして、お嬢様学校と言われているある女子校に合格した。合格した時は、嬉しかった。そして、その学校の制服を着ていくのが誇らしかった。しかし、高校に上がると、このままエスカレーター式で女子大に進むことが嫌になってきた。高校二年生の夏頃から受験勉強を始めて、三年の夏休みは、他の子は海外旅行などバカンスを満喫している時に、予備校の夏期講座に出席していた。夏の全国一斉テストでは、志望校の合格判定がAになっていた。そして、そのままの勢いで希望する大学に見事に合格したのだった。

 だが、大学に入ってみると、周りはそれほど勉強する雰囲気ではなかった。そして、いざ大学に入ってみると、大学に入ることが目的で、何をやりたかったのか、わからなくなっていた。真理子は目標を失ったのだ。

 大学の四年間は、優を多く取るためだけに過ごしていたようなものだった。他の女の子達のように遊ぶこともあまりしなかった。

 大学の図書室で見かける上級生に淡い恋心を抱いたこともあったが、その人に彼女がいることがわかると、それも泡のように消えた。

 そのうちに就職の時期がやってきた。真理子のような女性は、スチュワーデスを目指せばなれたかも知れなかったが、彼女の第一志望は銀行だった。三行、筆記試験と面接を受けて、最初に、しかも一番入りたいと思っていた銀行から内定が来た時に、もうその銀行に就職することを決めていた。

 銀行では、窓口を担当した。そこで、時折見かける富岡に見初められてプロポーズされたのだった。もっといい縁談話はあったが、その頃の富岡はスタイルもよく格好良かった。小さいながらもソフト会社の社長だった。みんなから祝福されて結婚したのだった。

 最初の三年ほどは幸せだった。銀行を寿退社して、社長夫人になったのだ。小さな会社ではあったが、健全な会社運営もあって、社長としての収入は決して悪くはなかった。富岡に長期休暇が取れた時は、必ずといっていいほど海外旅行を楽しんだ。

 真理子に不満はなかった。しかし、三年が過ぎる頃になると、富岡も真理子も子どもが欲しくなってきた。それまで妊娠しないように、避妊をしてきたのだが、今度は妊娠できるように注意を払った。しかし、子どもには恵まれなかった。それが二年、三年と続くうちに、妊娠に対して不安感を持つようになった。そして六年が過ぎる頃になると、初めは真理子が一人で不妊治療のクリニックの門を叩いた。しかし、そのうち富岡も説得して二人で不妊治療を始めたのだった。

 その頃からか、それよりも前だったかも知れないが、富岡はクラブ通いを始めた。そして、女ができた。最初は特定の女ではなく、誰とでも良かったようだったが、次第に特定の女と付き合うようになっていった。真理子は富岡が女と付き合い出してから、服やバッグ、アクセサリーをねだった。富岡は渋い顔をしながらも真理子のご機嫌を取った。

 しかし、それだけでは済まなかった。真理子は富岡が特定の女と浮気をしていることを知ると、その腹いせに高級外車をねだった。それが真っ赤なポルシェだった。富岡は仕方なく、真理子に赤いポルシェを買い与えたのだった。真っ赤なポルシェに乗ると、真理子は爽快だった。高級外車に傷をつけることを恐れてか、幅寄せなどの嫌がらせを受けることは全く無かったからだ。真理子がゆっくり走っていても、クラクションを鳴らす車もいなかった。

 その後も、渋る富岡を説得して真理子は不妊治療を続け、最後は体外受精に行き着いた。最初の一回目は胚移植はできたが着床に失敗したが、後二回は着床にも成功して、順調に赤ちゃんは成長するかに思えたが、流産してしまった。特に後の方ではかなり順調に赤ちゃんは育ち、妊娠十週目に入っていた。そのまま育っていくかに思えたが、何故か流産してしまった。悪阻の兆候も出ていて、胎児が育っているという確かな感触を持っていた。しかし、突然お腹が痛くなり、病院に行った時にはすでに流産した後だった。流産した赤ちゃんを見た。こぶし大の大きさだったが、確かに人の形をしていた。真理子は、静かに、そして深く泣いた。エコー写真をもらい、しばらくの間は、それを見ては涙を流した。まだ、十二週に入っていなかったために、役所に届けをする必要もなく、火葬することもできなかった。

 心の整理をつけるためにクリニックを変え、初めから人工授精を選択したが妊娠には至らなかった。それが二年近く続いた。

 そんな時だった、由香里が妊娠したことがわかったのは。

 富岡は由香里から妊娠を聞いた最初は、中絶することを勧めたが、由香里は一人でも子どもを育てるという意志が強く、富岡自身も真理子の不妊治療に付き合うのに疲れてきたのと、何と言っても自分の子どもが生まれてくるという魅力には、最後は勝てなかった。

 富岡は、由香里が子どもを出産することを承諾したのだった。

 その由香里を真理子が尾行していたとは、真理子にしてみれば、富岡はつゆも知らないはずのことだった。

 

十七

 真理子は、午後三時前に家を出て、病院に行くと六階のナースステーションに行ってから、富岡の病室を訪れた。

 もちろん、手指のアルコール消毒は済ませてのことだった。

 椅子に座り、包帯にくるまれた富岡を見ていた。胸のあたりまで薄い毛布が掛けられていた。室内は二十七度に保たれていた。

 富岡は意識不明の状態のままだった。包帯にくるまれた富岡は、指輪を確認したから、富岡修には違いないのだろうが、包帯の上からだとしても、やはり随分と痩せたように見える。

 来週の水曜日には大きな手術がある。真理子は、成功しようがしまいがどうでも良かった。富岡が生きている、という現実がすべてだった。

 先々週の土曜日に手を振って送り出してから、二週間が過ぎた。計画は失敗した。

 しかし、どうして失敗したのか、わからなかった。もっとわからなかったことは、別荘の様子だった。富岡が自分で運転していたのではないことを示すものは、いっぱい出てくるのに、結婚指輪がそれらをすべて否定していた。

 真理子は、目の前にいる包帯に巻かれた富岡に、「あなたは誰」と声に出して言ってみた。そして次に「富岡修さんなの」とこれも声に出した。

 真理子は何が真実なのかわからなくなっていた。ブレーキに細工したことも、今となっては事実だったようではないように思えてきた。

 富岡は運転を誤って、事故を起こした。これが残された事実であり、真実であるような気がしてきた。いや、そうではない。これが事実であり、真実なのだ。真理子はそう思った。

 これから先、この思いだけは揺るがせてはいけないと言い聞かせた。

 

 午後六時になって、看護師が入ってきて、富岡の点滴のパックを取り替えていった。

 それをきっかけとして真理子は家に戻ることにした。ここにいても、真理子にはすることがなかったのだ。

 ナースステーションに声をかけて、病院から出た。通りかかったイタリアンレストランの駐車場に車を止めて中に入った。

 上はベージュのブラウスに、白いカーディガンを羽織り、下は、紺色のスカートだった。窓側の席に座ると、ぼんやりと外を見ていた。

 自分は何で殺そうと思っていた相手の見舞いをしているのだろう、と思った。答えはすぐに出てきた。それはアリバイ証明の一つだったからだ。毎日、見舞いを続けていれば、人は真理子が富岡をどれほど愛していたか、言葉にしなくても理解してくれる。ナースステーションで書き込まれる見舞客の記録は、真理子にとってはその証拠の一つだったのだ。

 注文したあさりのスパゲティは思いのほか、美味しかった。デザートにティラミスとハーブティーを頼んだ。

 食事をして家に着いたのは、午後八時を過ぎていた。

 普段着に着替えると、まだ眠る時間には、早かったので、撮り溜めていた洋画の一つを見た。

 アラン・ドロン主演の古い洋画だった。「太陽がいっぱい」(監督ルネ・クレマン、脚本ポール・ジェゴフ:ルネ・クレマン、原作パトリシア・ハイスミス、主演アラン・ドロン、音楽ニーノ・ロータ、製作会社ロベール・エ・レイモン・アキム:パリタリア他)という邦題の映画だった。

 貧しく孤独なアラン・ドロン主役の青年は、金持ちの知人の父親の依頼を受け、その知人をアメリカに連れ戻すよう言われるが、それに失敗する。金が底をつき、リゾート地で気ままに、恋人と過ごす知人に愛想を尽かしたアラン・ドロンは、彼を殺して、彼になりすまそうとする。その知人の所有するヨット上で彼を殺害したアラン・ドロンは、その死体を帆布でくるみロープで縛って碇に結わえて海に捨てる。そして、その知人になりすまし、彼の財産をある方法を使って手に入れる。

 その後、知人の恋人とも仲良くなり、恋仲となる。

 アラン・ドロンの計画は、成功したように思われたが、知人を殺したヨットが売却され、引き上げられることになった。その際にヨットの後尾のスクリューに絡んだ一本のロープがあり、それを辿っていくと、死体が包まれた帆布の塊が見つかった。

 その時、アラン・ドロンはビーチにいて、日光浴をしていた。そして「太陽がいっぱいで最高の気分だ」と語る。その時、ビーチの売店には刑事がやってきていた……。そんな話だった。

 殺した人間に入れ替わる。真理子には、ストーリーに関係なく、その構図が頭に残った。

 

 洋画を見終わると、真理子はシャワーを浴びて、ベッドに入った。ベッドに入るとすぐに眠った。