小説「真理の微笑」

三十九

 次の日、真理子が来て会社に行った後、午前十時頃に西野と遠藤が来た。昨日、伝えた事を内山に言ったのだろう。

 二人を枕元に引き寄せて、まだ上手く話せない事を伝えてから「カード型データベースソフトの件なんだけれど」と切り出した。二人は私のベッドサイドに並んで座った。

 私はパソコンの画面を見せながら、「このユーザーインターフェイスをトミーワープロと同じように変えて欲しい」と言った。二人は顔を見合わせた。途惑っているようだった。

「難しいか」と訊くと、「いいえ、やってみなければわかりませんが、それほどでも……」と西野が答えた。

「でも、これ社長が作ったんですよね」と、遠藤が遠慮がちに言った。

「そうだよ」と答えると、「社長がデータベースソフト、作れるなんて思ってもみなかったものですから」と西野が言った後、「失礼しました。試作品を見た時に、あまりに見事な出来だったものですから、てっきり外注していたのかな、と思って……」と続けた。

 外注か……。そう言った方がよかったかも知れなかった。どうやら、富岡はソフトには詳しくても自分ではプログラミングすらできないのかも知れない。

 しかし、これは紛れもなく自分が作ったソフトだから、押し通すしかなかった。

 私は、昨夜書いたメモ帳を取り出して、パソコンの画面を見せながら、まだ完成していない機能やメニューの変更点などを説明していった。忽ち、二時間が過ぎた。

 昼食が運ばれてきた。それをサイドテーブルに置いてもらって、私は説明を続けた。

 午後一時近くになって説明を一応終えた。

「やれそうか」と訊くと「大体わかりました」と西野が答えた。

「それで、細かい指示はどうすればいいかな」

「このパソコン、モデムに接続されていますね」と遠藤が言った。

「ああ、パソコン通信ができるようにしたんだ」

「それなら、直接、会社のホストコンピュータに接続すればいいんですよ」

「どうすればいいんだ」

 遠藤が「私が接続できるように設定します」と言って、ラップトップパソコンを自分の方に向けた。ホストコンピュータに接続されている電話回線の番号を入力し、会社にメールを送れるように設定してくれた。もちろん、プログラムもダウンロードできるようにしてくれた。

「次のトミーワープロパソコン通信機能をつけようという話もあるんですよ」

 西野が言った。

ワープロで書いた文書を直接メールできたら便利でしょ。逆にメールをトミーワープロに読み込めたら、読みやすいし」

 今度は、遠藤が言った。

 なるほど、パソコン通信機能までも、トミーワープロに取り込もうとしているのか、いいところに目をつけている。

 

 看護師が昼食の膳を片付けに来たので待ってもらった。私が昼食を食べ始める前に、二人は帰って行った。私は慌てて、昼食を食べた。

 それにしても、パソコン通信機能を取り込むというのは、いいアイデアだと思った。パソコン通信ソフトには、メールの読み書きをするために、大抵エディタが付いている。FEPを用意しなければならないが、エディタは簡易ワープロだとも言える。それを合体させれば、パソコン通信ソフトを別に用意する必要がなくなる。鬼に金棒だ、と思った。

 

 午後二時前に高木から電話があった。

「言われていた百万円用意できましたが、どうしましょうか」

「今、会社を出られるか」

「はい」

「だったら、すぐに持ってきてくれ」

「わかりました」

「真理子には気付かれたくない」

「承知しています」

「だったら、よろしくお願いする」

「すぐに参ります」

 高木が病室に現れたのは、午後二時半を少し過ぎた頃だった。鞄から百万円の入った封筒を出した。私はそれを受け取ると、サイドテーブルの引出しの中に入れた。

 高木は百万円を私に渡すと、会社の事を少し話してから出て行った。

 午後三時少し前だった。午後三時になれば看護師が来て、リハビリルームに行く。私はサイドテーブルの引出しに入れた百万円の封筒を、その引出しの下に付いているセーフティボックスの中にしまって、鍵を左手首にかけた。

 そして、三時になった。看護師が来て、リハビリルームに向かった。

 

四十

 夕食が終わった頃、真理子が病室に来た。私はセーフティボックスの鍵を左手首から外して、パジャマのポケットに入れていた。真理子とキスをする時に首に回した手に鍵がぶら下がっていたのではまずいと思ったからだった。

 真理子が「今日はどうだった」と訊いた。午前中にきた開発部の連中とどうだったのか、知りたかったのだろう。

「上々だった」

「そう」

「会社のホストコンピュータに接続する方法を教えてもらったよ」

「それ何」

「ここから会社のコンピュータに接続できるんだ」

「わからない」

「真理子が分からなくてもいいよ。とにかく、パソコン通信できるようにしておいてよかった、って事」

「そう」

「今日は、松葉杖を使って立つ練習をしたんだ。これが結構難しくってね。松葉杖で歩けるようになれば、自分でトイレに行けるようになる。そうすればおむつもとれる」

「今はどうしているの」

「行きたくなったら看護師を呼んで、トイレまで連れて行ってもらっている。だけど、いつもすぐ来るとは限らないからね。自分でトイレに行けるようになるまでは外せないかな」

「そうなの」

「ああ」

「明日は設計士の人が来るの」

「いつ頃」

「午前九時。だから、会社にも行けないし、病院にも来られない。家を片づけておかなくちゃいけないから。夜なら別だけれど」

「いいよ、毎日来るのは大変だろう」

「それはそうなんだけれど、家にいてもする事がないから」

「じゃあ、前はどうしていたんだよ」

「ほんとね。どうしていたのかしら」

 それからほどなく、キスをして真理子は帰っていった。

 

 午後十時少し前に、あけみから電話がかかってきた。

「富岡です」と言うと「明日は、絶対に行くからね」と言ってきた。

「いいよ」

「良かった。会いたかったの」

「分かったよ」

「いつがいい」

「午前九時頃、来られる」

「夜、遅いから、朝は苦手なんだけれど、午後はだめなの」

「リハビリとか検査なんかで、ゆっくりとした時間が取れない」

「そう。それじゃあ、仕方ないわね」

「無理に来なくてもいいんだよ」

「行くわよ。意地悪ね」

「分かった。待っている」

「待っててね」

 そう言うと電話は切れた。

 私は真理子が帰った後に、ポケットから取り出して左手首にかけた鍵を見た。

 これで約束したお金を明日渡せる。