小説「僕が、警察官ですか? 3」

十六

 夕食をとった後も、僕は寝付けなかった。

 ウイスキーを飲みながら、午後十一時からのニュースを見ていた。すると、犯人から「第二信が届きました」と言うキャスターの上ずった声が聞こえてきた。

「しばらく、お待ちください」と言って、別のニュースに移っていった。そして、「今度の第二信には、犯行の詳しい状況が記されているようです。これは犯人しか知り得ないもののようですので、放送することを警察から控えるように要請があり、当番組もそれを受け入れました。したがって、内容を直接お伝えできないことは心苦しいのですが、ご理解ください」と言った。

 これで明日、捜査会議が開かれることは決まった。そして、その捜査会議が荒れることも分かった。二係は山田を本ボシと思って取調を続けてきた。しかし、ここに来て、犯人しか知り得ない、犯行の状況を説明する声明文が、警察だけでなく、マスコミにも送られているのだ。山田は、状況証拠だけで引っ張ってきている。これまでの状況でも自供がなければ、釈放するほかはなかったのだ。それに今回の声明文が加われば、山田を拘束している理由がなくなる。当然、弁護士も山田の即時釈放を求めてくるだろう。

 今日の捜査会議では、山田を本ボシとして、新たな放火事件は別の事件として捜査することに決めたばかりだった。それが、たった一日も経たずに変更を余儀なくされつつあるのだ。

 一体、明日の捜査会議はどうなるのだろうか。

 僕はウイスキーのお代わりをした。きくがグラスに指一本分のウイスキーを注いでくれた。そして、水で割った。

 

 きくがベッドに入り眠ると、時を止めた。

 鞄からひょうたんを出すと、ダイニングルームに行った。そして、ひょうたんの栓を抜いた。あやめが現れた。

「ご苦労様。明日も頼むよ」と言った。

「明日もですか」

「ああ、嫌か」

「いいえ、毎日でも、毎晩でも、構いませんわ」と言って、躰を寄せて来た。僕はあやめを抱き取り、交わった。

 その後、シャワーを浴びて、ベッドに戻り、時を動かした。

 

 次の日、署に行くと大騒ぎだった。マスコミが大挙して押し寄せていた。僕が署内に入ろうとすると、マイクを突きつけられ、「今回のことについてどう思われます」と訊かれた。僕は黙ったまま、署内に逃げ込んだ。

 安全防犯対策課に行くと、鞄を脇の棚に置き、「今日は大変だったね」と皆に向かって言った。

「本当に大変でしたよ」と緑川が言った。

「わたしなんか、お尻を触られました。セクハラで訴えたくなりましたよ」と並木京子が言った。

 滝岡順平も鈴木浩一も大変だったと言った。年配の時村才蔵と岡木治彦だけは黙っていた。

「そうか、皆、大変な思いをして来たんだな。だが、幸いなことに安全防犯対策課には関係のない話だ」と言うと、「それだけが救いですよ」と緑川が言った。

「じゃあ、安全防犯対策課は安全防犯対策課の仕事をしよう」と言うと、鈴木が「何をやればいいんですか」と訊いた。

「そうだな。次に放火されるとしたら、どこかということを検討するのもいいんじゃあないのかな」と答えた。

 僕は鞄からひょうたんをズボンのポケットに移して、「ちょっと席を外す」と緑川に言って、安全防犯対策課を出た。

 四階の待合席に行って、隅の席に座った。そして、ズボンのポケットのひょうたんを叩くと、「この一階下の捜査会議の様子を見てきてくれ」と言った。

「はーい」とあやめが言った。

 僕は携帯を取り出して、それを見ているフリをした。動きたくても動けなかった。どこかに行ってしまえば、あやめが戻ってきた時に途惑うだろう。それは避けたかった。

 お昼までの時間が長かった。

 お昼になるとあやめが戻ってきた。

「捜査会議は終わったようです」

「そうか」

「今、映像を送りますね」と言った。

「分かった」

 そう言うと、頭の中に溢れるように映像が流れ込んできた。映像が終わるまで、じっとしていた。立ち上がればフラつきそうだった。

 あやめは映像を送り終わった。

 僕は立ち上がると、安全防犯対策課に降りて行った。

 

 屋上のいつものベンチに座ると、愛妻弁当を開けた。卵焼きをハートマークに形取って載せてあった。

 弁当を食べながら、映像を再生していた。

 再生された映像は、すでに捜査会議が始まっているところからだった。

 あちこちから怒声が上がっていた。

「静かにしろ」と言う署長の声で静まった。

 捜査一課長がマイクを持って立ち上がった。

「いろいろ、言いたいことがあるのはわかる。それをこれから順番に聞く。まず、二係から始めてくれ」と言った。

「はい」と手を挙げたのは、二係の岡山だった。

「岡山です。今回の声明文に書かれていることは、犯人にしか知り得ないことです。山田も自供していないことです。そこから考えられることは、今度の犯人が真犯人ではないか、ということです」と言った。すると、同僚から、「だったら、俺たちのやってきたことはどうなるんだ。無駄なことをやってきたとでも言いたいのか」と言う声が上がった。

 そんな中で、「はい」と手を挙げたのは、二係の秋口だった。

「二係の秋口です。わたしは、今度の犯人が真犯人であると決めつけるのは、早計だと思っています。捜査情報が漏れた可能性も考えるべきです」と言った。すると、「誰が漏らしたと言うんだよ」と言う声がした。二係の脇坂だった。脇坂は、一番長く、山田を取り調べてきた者だった。今でも山田が連続放火事件の犯人だと思っていた。

「そんな奴はいないぞ」と言う声が続いた。

 秋口は「わたしは可能性を言ったまでです。そうでなければ、今度の声明を出した者が真犯人となってしまうからです」と言って座った。

 二係は二派に割れて言い争いになった。

 捜査一課長がマイクで「静かにするように」と注意した。言い争いは一応静まった。

 捜査一課長は「では三係の意見を聞こう」と言った。

 澤北が「はい」と言って手を挙げて立った。

「三係の澤北です」と言った後、「わたしは、昨日の犯人の声明文が出るまでは、今回の放火は単独犯行だと思っていました。言うまでもなく、今回の放火方法がこれまでと違っていたからです。しかし、犯人自らが、前回と何故違う方法を取ったのかということと、前回までの放火方法の詳細な仕方を声明文に書いています。こうなると、前の三件と今回の放火は、方法が違っても、同一犯であると考えざるを得なくなります。もちろん、情報が漏洩した可能性は否定できませんが、通常はマスコミに対してです。しかも、マスコミとの間には、一定の暗黙のルールがあります。今回の犯人のような声明文はマスコミ経由では書けないと思います。従って、今回の犯人の声明文を基に考える限り、前三件の放火事件と、今回の放火事件は繋がっていると考えるのが自然です」と言って座った。

 次は三係の福地刑事が「はい」と手を挙げた。

 福地は立って、「三係の福地です。わたしも前回の会議では、これまでの連続放火事件と切り離して考えるべきだと思っていると言いました。それは犯行の性格によってでした。しかし、今回の声明文を読む限り、その考え方が誤っていたと思うようになりました。犯人は放火することに快楽を感じているだけでは足りずに、警察を挑発しています。言わば、劇場型の犯人だと思われます。二回目の声明文では、第一声明文を送った後に、すぐに第二の声明文を送ってきています。これは、テレビの放送時間と新聞の締切りを意識したものでしょう。とにかく、犯行をするだけでは物足りなくなり、マスコミを使うようになってきています。そして、犯人の声明文に書かれた情報が正確な以上、前三件と今回の犯行の犯人は同一人物と考えざるを得ません。前にも申しましたが、マスコミにも送っていること、そして、コンピュータを使っていることを考えると、比較的若い犯人像が浮かびます。前にも言いましたが、二十代から三十代の者が犯人だと思われます」と言ってから座った。

 もう一人高木刑事も手を挙げて発言したが、前の二人と同意見だった。

「我々のやってきたことが無駄だったと言うのか」というヤジが二係から飛んだ。それに呼応するように三係も意見を言った。

 捜査一課長がマイクで「静粛に」と言うと、静かになった。

「今はただ声明文が届けられているに過ぎない。それに踊らされては向こうの思う壺だ。二係は今までの捜査内容を徹底して見直すように。そして、三係はこれを連続放火事件として調査するように。以上だ。意見がある者はわたしのところに直接来てくれ。では解散する」と言った。

『意見がある者はわたしのところに直接来てくれ』と捜査一課長が言っても、係長を飛び越して、行けるわけがなかった。実質、意見を封じたのだ。これが警察のやり方だった。