小説「僕が、警察官ですか? 3」

十五

 午後一時になると、ズボンのポケットにひょうたんを入れて、緑川に「ちょっと出てくる」と言って安全防犯対策課を出た。

 四階の待合席に行った。午前中に僕に声をかけてくれた女性に目礼して、席に座った。

 ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「さっきのように頼むよ」と言った。

「はーい」と言うあやめの声がした。

 あやめが情報を取ってくる間、ただ待つわけにはいかなかった。僕は昨日、まだ再生していなかった二月二十六日、三月二十八日、四月二十九日の中上祐二の映像を見ることにした。

 二月二十六日は、中上祐二は一日中部屋に引きこもってパソコンを操作していた。新しいアイデアが浮かんだのだ。それに夢中になっていた。したがって、二月二十六日のアリバイは、中上にはなかった。

 三月二十八日は、午後八時半頃に、黒金高校時代の友人、武下と沢島に会っていた。三人で黒金駅前のカラオケ店で午後十時まで歌っていた。中上の三月二十八日のアリバイはあった。

 そして、四月二十九日のアリバイはもっと完璧だった。四月二十八日から三十日まで台湾旅行をしていたからだ。中上祐二の出入国記録を調べれば一発で分かるアリバイだった。

 このアリバイがあるからこそ、中上祐二は自分が連続放火事件の真犯人だという偽の犯行声明を出せたのだ。いざとなれば、台湾旅行をアリバイにすれば良かったからだ。

 小心者の考えることだ、と思った。

 その時、ひょうたんが震えた。

「今、散会しました」と言った。やけに早いなと思った。

「映像を送ります」とあやめが言った。

「分かった」と応えた。

 映像が送られてきた。僕は待合席を立ち上がると、屋上に向かった。自販機で缶コーヒーを買うと、いつものベンチに座った。そして、映像を再生した。

 まず最初に「はい」と言って手を挙げたのは、二係の岡山だった。

 彼は立ち上がると、「二係の岡山です」と言ってから、「今、二係ではあくまでも山田が連続放火事件の犯人として取調を行っている最中です。この方針に変わりはありません。従って、今回、起きた放火事件は切り離すべきだと思っています。それは、先ほど澤北刑事が言われたように、放火の仕方が違うことから明らかです。澤北刑事が説明されたので、同じことは言いませんが、今回の放火事件は模倣犯だと思います。しかし、放火方法までは、マスコミにも伏せてありますから知らなかったのでしょう。とにかく、前の三件の放火事件に便乗して行った放火だと思います」と言った。

 次に「はい」と手を挙げたのは、二係の秋口刑事だった。

 秋口は立ち上がると、「二係の秋口です。わたしも岡山刑事と同意見です。これまでの連続放火事件とは別だと思っています。今回の犯人は、山田が取調を受けていることを知っています。従って、もう一回放火事件を起こせば、警察が誤った被疑者を取り調べていることになります。それが犯人の狙いでしょう。犯人は、警察に対して、不信感を持つか、敵意を持った人物だと思っています。捜査を攪乱させることが狙いだと思います」と言って座った。

 次に「はい」と手を挙げた者も同じようなことを言った。また、その次に手を挙げた者も同意見だった。二係の者はまだ他にも手を挙げている者がいたが、捜査一課長が「今手を挙げている者で、これまでと別の意見の者はいるか」と言うと、手を挙げていた者が手を下げた。

「ということは、二係の者たちは、山田がこれまでの連続放火事件の犯人であり、今回の放火事件の犯人は別にいると考えていると思っていいんだな」と言った。

 二係の者は全員「はい」と言った。

「では、二係の者はこれまで通り、山田を取り調べ、三係は新たな放火事件の犯人を追ってもらいたい。捜査方針はこれで行く。以上だが、意見のある者はいるか」と捜査一課長は言った。

 誰も手を挙げなかった。

 捜査一課長は、管理官、署長の顔を見てから、「では、捜査会議をこれで終了する」と言った。

 刑事たちは捜査本部から駆け出していった。

 

 僕はズボンのひょうたんを叩いた。

「今、中上は部屋にいるか」

「気配は感じますが、遠過ぎてわかりません」とあやめは言った。

「だったら、行くしかないか」と言って、僕は立ち上がった。

 安全防犯対策課に立ち寄って、緑川に「出かけてくる」と声をかけて出た。

 二十分もかからずに、中上のいるアパートに着いた。その一階下の部屋の前に来ると、時間を止めた。

 ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「中上祐二がいるか、確かめてきてくれ」と言った。

「はーい」と言う声がした。そして、すぐに「います」と言った。

「だったら、私の頭にある映像を中上に送れ」と言った。

 僕は喜八が二月二十六日、三月二十八日、四月二十九日に火付けをしているところだけを切り取って頭に思い浮かべて、中上に送るようにあやめに指示したのだ。その際、警察は、今度の事件は模倣犯だと思っている、ということは思い浮かべた。それ以上、余計な情報を中上に伝える気はなかった。

 しばらくして「送りました」と言うあやめの声が聞こえてきた。僕は時を動かして、その場を離れた。

 新しい情報を得た中上が何をするのかは、あやめを使わなくても僕には分かっていた。

 今、第二の声明文を作るのに夢中になっていることだろう。

 時計を見た。午後四時半だった。早く、黒金署に帰って退署しなくてはならない、とまず思った。次に思ったのは、これから声明文を作ってマスコミに送るとしたら、午前〇時を過ぎるかな、ということだ。明日の朝刊に間に合うのが、せいぜいだろうと思っていた。

 

 午後五時に黒金署に着くと、すぐに安全防犯対策課に戻り、鞄を取ると、「お先に」と言って部屋を出た。部屋を出てから、ズボンのポケットのひょうたんは鞄に入れた。

 新たな声明文を作るのに、どれくらい時間がかかるのだろう。僕なら、一時間もあれば書けそうだったが、声明文を書き慣れていない中上にそれができるとは思えなかった。

 

 家に帰ると、きくが出迎えてくれた。

「躰はいいのか」と訊くと「ご覧の通りです」と答えた。

 きくに手伝ってもらって、着替えると、すぐに風呂に入った。

 風呂に入りながら、考えた。

 とうとう、禁じ手を使ってしまった。中上祐二に情報を与えたことだった。いくら、山田の冤罪を晴らそうとしても、放火犯に情報を与えるのは、いき過ぎていた。それは分かっていた。分かっていたが、止められなかった。

 中上とすれば、突然閃いたように送られてきた映像が本物かどうか知りたいだろう。それには声明文を作ってマスコミを刺激するのが一番だった。そして、警察もだった。その反応で、自分の頭に浮かんだ映像が本物かどうか分かる。それを確かめないでは、寝られないだろう。

 風呂から上がると、枝豆をつまみにビールを飲んだ。

 テレビを見ていた。すると、突然、キャスターの動きが慌ただしくなった。女性キャスターが「今、犯人から第二の声明文が送られてきました、詳しい内容は追って知らせます」と言って、CMに切り替わった。

 僕は飲んでいたビールを吹き出しそうになった。こんなにも早く、中上が声明文を送ってくるとは予想だにしていなかったからだ。中上があの映像を検証するのには、時間がかかるはずだった。そして、声明文が作れたとしても、国内の誰かのパソコンを乗っ取り、それから海外のサーバーを幾つも経由して、警察やマスコミに声明文を送るとしたら、時間がかかるに決まっていた。僕はそう思い込んでいた。だが、それは違っていたようだ。

 CMが明けると、「先程の犯人からの声明文ですが、前回と同様にインターネットを使って同局まで送られてきました。その全文を表示します」と言って、テキスト画面に変わった。

『わたしは、連続放火事件の真犯人である。警察は、これまでの放火の仕方と今回の放火の方法が違っていることで、別人だと思っているようだがそれは違う。灯油がなくなったのに過ぎない。それとマッチだが、火をつけるのに、両手を使わなければならない。それがネックだった。それを解消するために、今回は百円ライターを使って、直接、ゴミ袋に火をつけた。これで、どうして、犯行方法が変わったか、わかるだろう。』

 文面はこれだけだった。だが、これで十分だった。今まで、犯行の態様を隠してきたが、それを犯人は言い当てている。そして、何よりも重要なのは、前回までと今回の犯行の仕方が違っていることを指摘していることだった。これは秘密の暴露に近かった。

 このテレビを見ている、捜査一課二係と三係の慌てぶりが分かるようだった。