二十
優勝杯と楯は富樫が家まで持ってきた。
「お邪魔しまーす」と入ってきて、いきなり玄関できくが三つ指突いて、「いらっしゃいませ」と言ったのには驚いたようだ。
僕には「お帰りなさいませ」と言った。
「あれ、まだおきくちゃんいたの」と富樫が言うから、奥から出て来た母が「いろいろとあるのよ」と言った。
「そうですか」と富樫も何も考えず納得した。しかし、「おきくちゃん、少し変わった?」と訊いた。
きくは平然と「わたし変わりましたか」と訊き返した。
富樫は「いや、ますます……」と言った後で、言葉を濁した。そして、今日のビッグニュースを伝えた。
「やりましたよ。京介が優勝したんですよ」と言った。
「まぁ」と母は言い、きくは淡々と「おめでとうございます」と言った。
「あれ、おきくちゃん、驚かないの」と富樫が言うと、「京介様のことですから、当たり前です」と答えた。
「これ優勝杯と楯」と言って、優勝杯と楯を玄関の上がり口の床に置いた。
きくが「ご丁寧にありがとうございます」と言うと、富樫は「俺、今日は帰るわ」と言った。きくの対応に家に上がりづらさを感じたのだ。
「そうか。じゃあ、また明日学校でな」と言った。
「優勝杯と楯と賞状は、明日、学校に持って来いよ」と富樫が言った。
僕が怪訝な顔をすると、「校長に見せるんだよ。それに他の部員にも見せなきゃならないし、学校新聞の写真も撮らなきゃならないからな」と言った。
「分かった。持って行く」と応えた。
「じゃあな」と言って、富樫は帰っていった。
剣道の道具を自分の部屋に置いてくると、リビングに下りていった。
食卓には、いろいろな書類が置かれていた。
父もいた。そういえば、今日は日曜日だった。
「京介、凄いじゃないか」と父が言った。
「そうよね。優勝だものね」と母が言った。手にはデジタルカメラを持っていた。携帯で写すんじゃないんだ、と思った。
「さぁ、トロフィーと楯を持って、窓の横の壁に立って」と言った。
僕は言われたとおりにした。カメラで写真を撮った後で、携帯でも撮った。
「次に賞状を持って」と言った。
また言われたとおりにした。母はカメラで撮った後、携帯でもまた撮った。
その後、父と並ばされて写真を撮り、母と僕とが並んだ写真を撮った後、きくを呼んで、父と母と僕とが並んで、トロフィーと楯と賞状を持っている写真をきくにシャッターの押し方を教えて撮らせた。きくは慣れていないから、一度では上手く撮れず、何度かやり直しをさせられていた。
ききょうはソファに座っていて、京一郎は絨毯の上のベビー籠の中にいた。
僕ときくとききょうと京一郎が写っている写真も撮った。
「こんな時でもなければ、撮る機会がないから」と母は言った。
僕は「風呂に入るよ」と言った。
きくが来たので、「呼んだら京一郎を連れてきて。一緒に入るから。その後はききょうもだ」と言った。
「わかりました」ときくは応えた。
僕は躰を洗い浴槽に浸かったら、きくを呼んだ。しばらくして、京一郎を連れてきた。
京一郎をシャワーで洗ったら、きくに渡した。そしてききょうを抱き留めた。
ききょうもシャワーで洗って、きくに渡した。
その後で、僕はもう一度浴槽に浸かった。
優勝したという実感がなかった。子どもと大人がやり合っているようなものだった。葛城城介が少し手応えがあったが、ほんとに少しだった。関東には高校生で強いのはいないのか、と思った。これでは思っていたような腕試しができないではないか。
寝る時間になった。僕が試合をしてきたこともあって、きくは大人しく寝た。
時間を止めて、リビングに下りて行き、ひょうたんの栓を抜いた。
「張り合いがなかったって顔をしていますね」
「ああ」
「やはり竹刀では、駄目ですか」
「そんなことはないが、相手が弱すぎる」
「主様が強すぎるんですよ」
「この時代では、もうヒリヒリするような感覚は持てないのかな」
「別のことなら、ヒリヒリする感覚は持てるんじゃないですか」
「何のことだ」
「わかっているくせに」
そう言うとあやめは絡みついてきた。躰の中に入り込むように、すり抜けていく。普通の女を抱くのとは違う感覚だが、女を抱いている感じにはなる。
こんなところで欲求不満を吐き出している自分が情けなかった。そして、それをあやめに見透かされていることも。
次の日、学校に行くと凄い騒ぎになっていた。
校舎の壁からは、富樫が言ったような幕が下ろされていた。それは遠くからでも、はっきりと見えた。
監督が待っていて、一緒に校長室に行き、トロフィーと楯と賞状を見せ、昨日の報告をした。
「今日、記者が来て取材をするそうだ。三時限目はここに来るように」と校長は言った。
「それは分かりましたが、記者が来て取材をするんですか」と訊いた。
「そうだ。公立高校の生徒が夏季剣道大会兼関東大会の個人部門で優勝するのは、三十三年ぶりだそうだ。ましてや西日比谷高校からは初だ。凄いことじゃないか」と言った。
「はぁ、そうですか」としか言えなかった。
クラスに入ると、握手を求められて、もみくちゃになった。
一時限目が始まるまで、誰彼となく、質問されたが、何を答えたのかは覚えてはいなかった。
休憩時間になっても、「ねぇ、勝った時ってどんな感じ?」とか「優勝してどう?」とか訊かれたが、答えようがなかった。
三時限目は校長室に行った。
監督も来ていた。来客席には記者とカメラマンが座っていた。****新聞の人たちだった。
校長と、トロフィーと楯と賞状を持った僕の写真が撮られた。
それから、取材が始まった。
一通りの感想を訊かれた後で、記者から質問が出た。
「無反動って何ですか」
「どういう意味でしょう」と僕は訊いた。
「さぁ、準優勝者へ取材した時に、無反動の剣道は初めてだと聞かされたもんですから」と答えた。
「そこでは、それ以上は訊かなかったのですか」と僕は尋ねた。
「いいえ、無反動の剣道って何ですかって訊きましたよ」と答えた。
「どう答えてました」と僕は訊いた。
「全く常識外れの剣道だと言ってました。何でもスイングしないでバットを振っているようなもんだと。たとえれば、バントしようとして出したバットにボールが当たってホームランになったようなものだと言ってました」と答えた。
「だったら、そうなんじゃないですか」と僕は言った。
「バントしたらホームランになるなんてこと、あり得ますか」と記者は訊いた。
「ないでしょうね」と僕は答えた。
「だから何か秘密があるんじゃないかと言ってました」と記者は言った。
「秘密なんてないですよ。ただ、手首だけで竹刀を返す練習は良くしてますよ」と僕はでたらめを言った。
「手首だけで竹刀を返すんですね」と記者はメモに取っていた。
「ええ」と僕はそのでたらめを補強した。手首だけで竹刀を返せたとしても、弾き返すことなどできない。それは、バントにたとえれば、最初はただ、バントしようとしていたが、相手の守備の様子を見て、プッシュバントに切り替えたようなものだ。プッシュバントすれば、ただ、バントをしてボールの勢いを殺すのではなく、かえって、ボールの勢いを使って、投手と野手の間にボールを転がすことができる。でも、そのボールがホームランになることは決してない。そのあり得ないことを、ありそうなこととして答えたのだ。
その後も、どのように練習しているのかとかいったような質問がいくつかされた。僕は適当に答えていた。
全く部活には参加していないことは監督も知っていたが、その質問にも、僕がさも毎回出ているように答えたが、何も言わなかった。
次の時限が始まるということで僕は解放された。
昼食時間に富樫と沙由理がやってきた。
「な、大変な騒ぎだろう」と富樫が言った。
「正直言って疲れた」と僕は応えた。
「京介だったら、高校生相手ならこれくらい普通なのにね」と沙由理は言った。
沙由理は、僕がもっと危険な状態を切り抜けてきていることを知っているからだった。
「でも、わたしの彼氏なんだから、これくらい強くないと困るけれどね」とも言った。
「あれ、お前、沙由理ちゃんの彼氏だったっけ」と富樫が言った。これだけ一緒にいるところを見ているのに、ぼけているのかと思ったら、「絵理ちゃんとはどうしたんだ」と言い始めたから、口を押さえた。それが言いたかったのだ。
「絵理ちゃんって誰」と沙由理が訊くから、「気にしなくていいんだ」と僕は言った。
油断も隙も富樫(なし)だな、と僕は思った。