小説「真理の微笑 夏美編」

 十月の上旬だった。夏美の実家に茅野の警察署の刑事が二人訪れた。

 二人は、島崎と高橋と警察手帳を見せて名乗った。

 島崎の野太い声から、いつか電話で話をした刑事だと夏美にはわかった。

 二人を座敷に通すと、挨拶もそこそこに夏美はすぐに「主人は見つかったんですか」と訊いた。島崎は「いやぁ~」と言葉を濁してから、「ご主人の使われていた物がありましたら、お預かりできませんか」と言ってきた。

「どんな物が必要ですか」

「櫛とか歯ブラシ、洗濯をしていない服とか靴でもいいですわ。それからアルバムがあったら、それもお願いします」

 夏美は自宅から実家に引っ越してきてから、高瀬の使っていた物を取り出しては触っていた。それらは整理されて、二階の寝室の隣の部屋に置いてあった。夏美は二階に上がり、高瀬の物を見ると、その全てが高瀬を示しているように見えた。刑事に言われたが、何が必要なのかわからなくなり、夏美が座敷に降りていくと、高橋と名乗った刑事が折りたたんでいた段ボール箱を車から持ってくるところだった。

「高瀬の物は二階の部屋に置いてあります。今、持ってきます」と夏美は言った。

 すると、高橋が「今、段ボール箱を組み立てますから、それができたら、一緒に上がらせてもらってもいいですか」と言った。

 夏美が「それは何のために必要なんですか」と訊くと、「ご主人の身元を確認するためです」と島崎が答えた。

 その答に夏美が「主人は見つかったんですか」と再び尋ねると、高橋が「それを確認するためです」と答えた。

 夏美がなおも「主人は何処にいたんですか」と訊くと、「まあまあ」と島崎が夏美をなだめるように「とにかく、ご主人かどうかを確認するために必要なのでご協力お願いします」と言った。

 夏美は少しでも高瀬の事がわかればと思い、二人を二階の部屋に上げた。高瀬の物は二人の刑事が段ボール箱に詰めて、車に運んだ。

 二人は必要な物を手に入れると、「ご協力、ありがとうございました」と言った。島崎が車に乗り込む前に、「何かわかればすぐにお知らせします」と言った。夏美は「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。すぐに車は出て行った。

 

 二階にあった高瀬の物はあらかたあの二人の刑事が持ち去ってしまった。高瀬の物を置いてあった部屋に来た夏美は、まるで嵐が来て去っていたようだと思った。

 高瀬の物がなくなった部屋にいた夏美は、高瀬の居場所を知りたいばかりに刑事に協力をしたが、刑事たちの態度はまるで高瀬が亡くなっていたかのようではなかったか。そう思うと、刑事たちの言葉が合点がいく。刑事たちは身元を確認するとだけ言っていたのだ。それは身元の確認できない死体が発見されたという事ではないのか。そのように夏美には思えてきた。

 だとしたら、今日来た刑事たちは無駄骨を折った事になる。なぜなら、高瀬は生きているからだ。夏美が知りたいのは、その高瀬が何処にいるかだけだったのだから。

 

 一ヶ月ほどして、また島崎と高橋はやってきた。預かっていた物を返しに来たのだった。段ボールに詰められている中身を一つ一つ確認して預かり書の受領欄にサインをすると、島崎が「何も言わないで帰るのも失礼ですから、事情だけは説明します。先月、奥さんが捜索願を出された時期に一致する身元不明の死体が見つかったんですわ。それでご主人のDNAと合致するか、科研に調べてもらったところ、不一致でした。そういうことです」と言った。

「主人のDNAを調べるだけなら、あんなにも持ち出さなくても良かったんじゃありませんか」と夏美は詰め寄った。

 島崎が「いやいや、警察というところはそういうところだということで免じてください」と言うと、隣から高橋が「ご主人からは、本当に連絡がないんですか」と言った。

「ありません」と言いながら、夏美は高瀬の「警察に行くことは許さない。もしお前が警察に行くことがあれば、もはやお前は妻ではない。祐一は俺の子ではない。お前たちとは絶縁する。そして、一切の連絡を絶つ、絶対にそうする。電話をしないし、メールも手紙も一切送らない」というメールを思い出していた。

 夏美が黙り込むと、「では私たちはこれで」と言って、二人は帰っていった。

 

 刑事が帰って行ってから夏美は考えた。

 刑事が来て、高瀬の物を持って行ったのは、身元を確認すると言っていたが、それは身元不明の死体が見つかったからに違いない。しかし、見つかった身元不明の死体が高瀬ではない事を夏美は知っている。なぜなら、高瀬は生きているからだ。

 その時何故か、高瀬が捜索願を出した警察署で若い巡査が、自動車事故があった事を伝える電話で「事故に遭ったのは、高瀬隆一さんではありませんでした」と言ったのを思い出していた。だったら、その事故に遭ったのは誰なのだろうか。

 

 次の日、夏美は図書館に行き、七月二日か三日の新聞記事を探した。そこで、ある新聞紙の七月三日の朝刊で、蓼科の自動車事故を伝えているものがあった。自動車事故の被害者の名前は書かれていなかったが、その職業はソフトウェア会社社長である事がはっきりと記載されていた。もし、高瀬であってもソフトウェア会社社長と記載されただろう。これは偶然なのだろうか。

 夏美はその事故に遭ったソフトウェア会社社長が誰かを知りたくなった。

 そこで夏美は週刊誌を見ていった。その中で、突然、失踪したソフトウェア会社社長については、一誌だけが記事を書いていた。その記事では社長が失踪する二ヶ月ほど前に専務が交通事故で死亡した事が原因で、会社の経営が傾いていき、遂に社長までもが会社を捨てて失踪した、という内容になっていた。

 夏美はそれを読んで、涙を落とした。悔しくてたまらなかった。専務の北村の死は、確かに(株)TKシステムズにとっては大きな痛手だった。だが、それで経営が傾いていったわけではなかった。(株)TKシステムズは、北村の死を乗り越えて、新しいワープロソフトを発売しようとしていたのだ。

「なぁ、夏美。今度、発売しようとしているワープロソフトは凄いんだぞ。ワープロソフトの中で表計算ソフトが使えるんだ。これは罫線機能を強化したものだが、もしこのソフトを売り出す事ができれば、一気にワープロソフトの勢力図を塗り替えられる」と熱心に話していた高瀬が、昨日の事のように蘇る。

 それから、夏美はパソコン雑誌を見ていった。どこの雑誌にもトミーワープロの記事や広告が出ていた。内容は難しいので、読み飛ばそうとしていたが、その見出しに「罫線を使った表計算機能搭載」の文字を見いだすと、中身を読みたくなった。読んでみて、驚いたのは、高瀬が言っていたワープロソフトの新機能が説明されていた事だった。いくら情報戦の世界だとしても、こんなに似た機能を持つワープロソフトがあるのだろうか。これが夏美の素朴な疑問だった。

 そこでパソコン雑誌を取り出して、トミーワープロについて書いたものを読んでいった。その中で、ある出版社の五月号のトップ記事の中で、昨年のビジネスソフト売行きナンバーワン賞について書いてあるものが見つかった。

 夏美はその雑誌を広げて驚いた。そこには、ある人物が写っていた。それは、いつか畑仕事をしていた時に、しばらく夏美たちの方を見ていた人物だった。その顔を夏美は忘れようがなかった。その人は富岡修と紹介されていた。