小説「真理の微笑 夏美編」

五-一

 十二月の中頃、夏美の元へ高瀬から分厚い封筒で三百万円の現金が送られてきた。

『隆一様

 素敵なクリスマスプレゼントありがとう。三百万円、確かに受け取りました。あなたの書かれた住所も電話番号も、名前のようにでたらめでしたね。電話をかけたけれど、現在使われていませんというメッセージが流れてきたわ。あなたの手紙も読みました。何度もよ。封筒は焼き捨てました。でも、あなたの手紙はどうしても焼けませんでした。  夏美』

『夏美へ

 こうしてメールしている事も危険なんだ。頼むから、手紙は焼き捨ててくれ。そうしてくれなければ、もうメールは送らないし、お金も送らない。永遠にお前たちと別れる。そうするしかなくなる。書いた事は必ず守ってくれ。  隆一』

『隆一様

 あなたの手紙はもう読むことができないくらい、わたしの涙で文字が霞んでしまいました。それでもその手紙をあなたが書いたのだと思うと、これまではどうしても焼き捨てる事はできませんでした。

 庭の片隅で枯葉を集めて、火をつけました。あなたからの手紙が燃えていくのを、涙で霞んでいく中に見ました。初めは少しずつ燃え、やがてそれは大きな炎となりました。わたしはその頃には、子どものようにわんわんと泣いていました。  夏美』

 

五-二

 五月のある日、夏美は父と母を手伝って畑に出て農作業をしていた。

 先程から、畑を見下ろせる場所にタクシーのようなものが止まっているのを夏美は知っていた。だが、それが介護タクシーだとはわからなかった。

 そのタクシーは止まったまま、後部座席のウインドウが降ろされていた。夏美の位置からは、中に誰が乗っているのか見えなかった。

 タクシーはしばらく止まっていた。それが不自然だった。夏美はハッとした。高瀬隆一だ、と思った。彼が見に来てくれているのだ、そう思った。

 夏美は畑仕事の手を休めて、タクシーの方に歩き出した。最初はゆっくりとしていたが、次第に早くなって、最後は走っていた。

 そして、中に乗っている人の顔がこちらを向いているのを見た。高瀬ではなかった。でも、目と目とが合った。夏美はその瞳に懐かしさを覚えた。

 タクシーのウインドウが上がっていく時に、中の人が前を向いた。その仕草にも懐かしさを感じた。ウインドウが閉じられるとタクシーは動き出した。

『隆一様

 畑の近くにタクシーが長い事止まっていました。わたしはてっきりあなたが会いに来たものと思いました。近づいていくと、ウインドウを閉められました。顔を見るとあなたでない事がわかりました。その人はウインドウを上げながら前を向きました。その仕草があなたを彷彿とさせました。もちろん、顔を見ましたから、あなたでない事はわかっています。でも、今のわたしには全てがあなたのように見えてしまうのです。

 もしかしたら、誰かを使いに出してわたしたちの事を探らせていたのかも知れないと思いました。それならそれでいいのです。わたしたちの事をあなたが気遣ってくれれば、わたしは嬉しい。

 夢を見ました。ちらっと見たタクシーの中の人の事です。その人があなたでない事はわかっています。しかし、目なのです。一瞬ですが、その人と目が合いました。わたしはあなただと思ったのです。思ってしまったのです。夢の中では、あなたは仮面を被っていました。他人の振りをしてわたしたちを見に来ていたのです。でも、いくら仮面を被っても目だけはごまかせませんよね。仮面が浮いて、その下から、あなたの目が覗いている。そんな夢を見ました。こんな夢を見るのもあなたに会いたいからです。

 あなたに会いたい。あなたに会う夢を見るしかない夏美をどうか哀れんでください。 夏美』

 高瀬からは、このメールに対する返事は返ってこなかった。

『隆一様

 祐一はようやく学校に慣れたようです。前のように、朝ご飯を食べてから学校に行くまで、ぐずぐずしていたのが、今は友達が呼びに来てくれるようで、すぐに行きます。わたしは心からホッとしています。

 あなたはもう退院しているのでしょうね。そうであれば、どこかに住んでいるのに違いありません。そこはどこですか。教えてはもらえませんか。

 あなたが居場所を教えてくれないのと同じほどに、女の人と一緒じゃないという事が信じられません。きっと、あなたはいい女(ひと)を見つけたのでしょうね。それで、わたしを忘れてしまったのですね。わたしはあなたに忘れられてもいい。いいえ、嘘です。わたしはあなたに忘れられたくない。でも、あなたがそうしたいのなら、仕方ありません。それでも、あなたについていきます。ただ、お願いがあります。メールだけはしてください。あなたからのメールだけがわたしとあなたをつなぐものです。そのメールも来なくなったら、わたしは生きてはいけません。お願いします。あなたからのメールが欲しい、そう願っている夏美です。少しでも夏美のことを思ってくれているのなら、メールをしてください。お願いします。  夏美』

 このメールに対しても高瀬からのメールはなかった。

 

五-三

 七月には夏美に郵便書留で大きめの硬い材質の封筒が送られてきた。住所も名前も電話番号もでたらめだったが、封筒の裏の隅に「Ryu」と書かれていたので、高瀬からのものだとわかった。

 開けて見ると、A四版の白紙の紙の束の間に五百万円もの大金が入っていていた。手紙はどんなに探してもなかった。

『隆一様

 突然、大きな封筒が送られてきて驚きました。あなたからだというサインを見つけた時、わたしは胸が躍りました。あなたからは五百万円もの大金が送られてきました。お金は無事届きました。しかし、わたしが欲しかったのは、あなたからの手紙でした。どんなに探しても見つかりませんでした。わたしが燃やすことをぐずったからでしょうか。でも、わたしはあなたからの手紙が欲しかったです。そして何よりも、あなたに会いたい。そればかりを思っています。  夏美』

『夏美へ

 お金が無事に届いてホッとしている。

 お前たちは元気で暮らして欲しい、それだけが今の俺の願いだ。  隆一』

『隆一様

 久しぶりにメールを頂き、何度も読み返しました。わたしも祐一も元気に暮らしています。心配しないでください。ただ、わたしも祐一もあなたと一緒に暮らしたい。それができる日を望んでいます。すぐに一緒に暮らせないのだとしても、会うことだけは叶いませんか。あなたに会いたくて仕方のない夏美です。どうか夏美の願いを聞き届けてください。  隆一』

 高瀬は、現金が届いた事を確認した後、夏美には一切メールを送る事はなかった、夏美がメールだけでも送って欲しいといくらせがんでも。