七
一ヶ月ほどして、また島崎と高橋はやってきた。預かっていた物を返しに来たのだった。段ボールに詰められている中身を一つ一つ確認して預かり書の受領欄にサインをすると、島崎が「何も言わないで帰るのも失礼ですから、事情だけは説明します。先月、奥さんが捜索願を出された時期に一致する身元不明の死体が見つかったんですわ。それでご主人のDNAと合致するか、科研に調べてもらったところ、不一致でした。そういうことです」と言った。
「主人のDNAを調べるだけなら、あんなにも持ち出さなくても良かったんじゃありませんか」と夏美は詰め寄った。
島崎が「いやいや、警察というところはそういうところだということで免じてください」と言うと、隣から高橋が「ご主人からは、本当に連絡がないんですか」と言った。
「ありません」と言いながら、夏美は高瀬の「警察に行くことは許さない。もしお前が警察に行くことがあれば、もはやお前は妻ではない。祐一は俺の子ではない。お前たちとは絶縁する。そして、一切の連絡を絶つ、絶対にそうする。電話をしないし、メールも手紙も一切送らない」というメールを思い出していた。
夏美が黙り込むと、「では私たちはこれで」と言って、二人は帰っていった。
刑事が帰って行ってから夏美は考えた。
刑事が来て、高瀬の物を持って行ったのは、身元を確認すると言っていたが、それは身元不明の死体が見つかったからに違いない。しかし、見つかった身元不明の死体が高瀬ではない事を夏美は知っている。なぜなら、高瀬は生きているからだ。
その時何故か、高瀬が捜索願を出した警察署で若い巡査が、自動車事故があった事を伝える電話で「事故に遭ったのは、高瀬隆一さんではありませんでした」と言ったのを思い出していた。だったら、その事故に遭ったのは誰なのだろうか。
次の日、夏美は図書館に行き、七月二日か三日の新聞記事を探した。そこで、ある新聞紙の七月三日の朝刊で、蓼科の自動車事故を伝えているものがあった。自動車事故の被害者の名前は書かれていなかったが、その職業はソフトウェア会社社長である事がはっきりと記載されていた。もし、高瀬であってもソフトウェア会社社長と記載されただろう。これは偶然なのだろうか。
夏美はその事故に遭ったソフトウェア会社社長が誰かを知りたくなった。
そこで夏美は週刊誌を見ていった。その中で、突然、失踪したソフトウェア会社社長については、一誌だけが記事を書いていた。その記事では社長が失踪する二ヶ月ほど前に専務が交通事故で死亡した事が原因で、会社の経営が傾いていき、遂に社長までもが会社を捨てて失踪した、という内容になっていた。
夏美はそれを読んで、涙を落とした。悔しくてたまらなかった。専務の北村の死は、確かに(株)TKシステムズにとっては大きな痛手だった。だが、それで経営が傾いていったわけではなかった。(株)TKシステムズは、北村の死を乗り越えて、新しいワープロソフトを発売しようとしていたのだ。
「なぁ、夏美。今度、発売しようとしているワープロソフトは凄いんだぞ。ワープロソフトの中で表計算ソフトが使えるんだ。これは罫線機能を強化したものだが、もしこのソフトを売り出す事ができれば、一気にワープロソフトの勢力図を塗り替えられる」と熱心に話していた高瀬が、昨日の事のように蘇る。
それから、夏美はパソコン雑誌を見ていった。どこの雑誌にもトミーワープロの記事や広告が出ていた。内容は難しいので、読み飛ばそうとしていたが、その見出しに「罫線を使った表計算機能搭載」の文字を見いだすと、中身を読みたくなった。読んでみて、驚いたのは、高瀬が言っていたワープロソフトの新機能が説明されていた事だった。いくら情報戦の世界だとしても、こんなに似た機能を持つワープロソフトがあるのだろうか。これが夏美の素朴な疑問だった。
そこでパソコン雑誌を取り出して、トミーワープロについて書いたものを読んでいった。その中で、ある出版社の五月号のトップ記事の中で、昨年のビジネスソフト売行きナンバーワン賞について書いてあるものが見つかった。
夏美はその雑誌を広げて驚いた。そこには、ある人物が写っていた。それは、いつか畑仕事をしていた時に、しばらく夏美たちの方を見ていた人物だった。その顔を夏美は忘れようがなかった。その人は富岡修と紹介されていた。