十四
朝餉の時に、木村彪吾は「実は、わたしは鏡殿のことを詮索していました。もしや、幕府の間者ではないかと疑いを持ったのです。当藩のことを調べて、幕府に報告するのではないかと、おそれたのです」と言った。
僕は「それでどうでした」と訊いた。
「記録によれば、白鶴藩の山賊の一件も、また黒亀藩の二十人槍や黒亀藩御指南役の氷室隆太郎を破ったことは書かれていたのですが、歳が合わないのです。どれも十八歳と書かれている。しかし、今の鏡殿はどう見ても十八歳ぐらいにしか見えません。すでに、五年が経っているというのにです。そして、おきくさんとききょうさんのことも調べさせて頂きました。どちらも歳を取られた形跡がありません。従って、幕府が別人を鏡殿と装って遣わしたのかと疑ったのです。しかし、わたしの考え過ぎのようでした。神隠しに遭われたという鏡殿の言うことは真実なのでしょう。そう思うことにしました。それで……」と言って、木村彪吾が続けたのは、鷹岡藩の内紛のことだった。
「昨夜の一件でもおわかりの通り、我が藩にも内紛があるのです。若年寄、佐野五郎を先頭とする年貢米を増加すべしとする者たちと今のままでいいとする者たちに分かれているのです」
「なるほど、すると木村彪吾殿は今のままでいいとする者たちの筆頭ということになりますね」
そう僕が言うと、木村彪吾は驚いて「どうしてそれを」と言った。
「今までの木村彪吾殿の話を聞いていれば、そういうことになるではありませんか」
「なるほど、そうですか」
「木村彪吾殿はなにゆえに、今のままでいいとされているのですか」
「それは民、百姓たちが疲弊しているからです。昨年まで凶作が続き、今年ようやく豊作となりました。民、百姓たちにとっては、一息つける状態になったわけです。そこに年貢米を増加するという達しが出れば、民、百姓たちは怒るでしょう。我が藩の財政も決して良くはありませんが、まだ大きな赤字に陥っているわけではありません。ここは民、百姓たちのことを考えるべきだとわたしは思っています」
「木村彪吾殿の言われることは、もっともなことだし、私も聞く限りにおいて、同様に思います。ただ、若年寄、佐野五郎が昨夜のような強硬手段に出て来たとなれば、このままでは済まないでしょう」
「おっしゃる通りです。この先、何が起こるのかわかりません」
「虎之助殿が町道場に通うのを控えるのも一策かと思いますが」と僕が言うと、「それでは相手のいいなりになるようなものです。ここは虎之助に注意をするように言って通い続けさせます」
僕は木村彪吾を見直した。芯の通った男だと思った。
となると、もう少しここに逗留して、成行きを見守りたくなった。
「では、ご迷惑かも知れませんが、もう少しここに滞在させて頂けますか」
「そうして頂けるのですか」
僕はきくを見た。きくも頷いていた。
「はい」と僕は答えた。
町を見物していた。
「何やら面倒なことになってきたな」と言うと「そうですか」ときくが言った。
「何やら、楽しそうに聞こえますよ」と言って笑った。
刀剣店に入った。
懐剣を探した。上物になると百両を超えていた。とても買える物ではなかった。今四十数両残っているのだから、十両程度の物を探した。
白木の物なら十二両で買える。
質屋に行ってみることにした。こちらでは、十二両も出せば、上物ではないが柄と鞘が漆塗りの物が手に入れられる。袋も付いていた。
僕は手に取って、刃を見た。刃こぼれはしていず、綺麗な模様が浮かんでいた。それを見ているうちに、これが欲しくなった。巾着から十二両を出して、その懐剣を買った。
もちろん、きくに持たせるためだった。
店を出ると、その懐剣をきくに渡した。
「これをわたしにくださるのですか」ときくは言った。
「そうだよ。きくが使うんだ」と僕は応えた。
「わたしがですか」
「そうだ。使い方は後で教える」
昼になったので、屋敷に戻り、昼餉を虎之助と一緒にとった。
「町道場の帰り道には、気をつけなされよ」と僕が言うと、虎之助は「わかっています」と言った。
虎之助を送り出すと、僕ときくとききょうは、河原に向かった。
きくは懐に懐剣を入れていた。それは僕が持たせた物だった。
懐剣の使い方をきくに教えようと思ったのだった。
日の当たる所に、抱っこ紐に入れられたききょうは、置かれた。
僕はきくに素早く袋から懐剣を出すように言った。しかし、思うような速さでは、懐剣は取り出せなかった。
その練習を繰り返した。繰り返しながら、時間が遅く見えると言ったきくの言葉が、次第に信じられなくなっていった。
そこで、居合抜きをして、刀を鞘に収めるまでをきくに見せた。
きくには教えず、それを二度続けてした。
「どうだ。居合抜きが見えたか」ときくに訊くと「はい。二度続けて、なさいました」と答えた。
見えているのだ。ならば、速く袋から懐剣を出すこともできるはずだ。しかし、なかなか上手くはいかなかった。
午後三時頃になったので、甘味処を探して、お汁粉を二人分頼んだ。
ききょうには、乳を飲ませた。足りなかったので、ミルクも飲ませた。
甘味処を出ると、また河原に行き、素速く袋から懐剣を出すことを練習させた。最初は駄目だったが、次第に速く出せるようになってきた。
これも慣れなのだろうと、僕は思った。
夕方になったので、屋敷に帰った。
屋敷に戻ると、懐剣を風呂敷の中に隠した。
女中が来たので、風呂に入りたいと言ったら、用意してあると答えた。
僕は、タオルとトランクスに折たたみナイフを持ち、きくはききょうのおむつ代わりのタオルと襦袢を持って、湯屋に向かった。
棚には、いつもの通り、手ぬぐいと浴衣が用意されていた。
僕は着ていた肌着とトランクスを湯で洗い、頭を洗った後、手ぬぐいで躰を洗った。
それから湯をかけて、踏み蓋の上に乗って、風呂に浸かった。
きくはききょうのおむつ代わりのタオルを三本洗うと、ききょうの頭や顔、躰を洗って、僕に渡した。僕はゆっくりとききょうを湯に浸けると肩まで沈ませ、三十まで数えたら、きくに渡した。
僕が五右衛門風呂から出ると、ききょうも連れて風呂場から出た。ききょうの躰をタオルで拭くと、タオルをおむつ代わりにしておむつカバーで包んだ。そして、バスタオルに包むと、棚に落ちないように置き、僕は自分の躰を最初は手ぬぐいで、次にタオルで拭くと、持ってきたトランクスを穿き、浴衣を着た。そして、棚に置いたききょうを抱き上げた頃、きくが風呂場から出て来た。おむつ代わりのタオルを洗うのに、時間が取られたのだろう。
きくはショーツを穿くと、浴衣を着た。きくが浴衣を着ると、きくにききょうを渡した。
湯屋から屋敷までは下駄で戻った。
屋敷に戻ると、女中が待っていて、「夕餉の支度ができております」と伝えた。
僕たちは夕餉の席に着いた。
木村彪吾が夕餉を食べるように勧めるので、食べ始めた。
ご飯を口に入れた時に、木村彪吾が今日の城中のことを話し始めた。
若年寄、佐野五郎の態度は一層硬く、五人の家老の中の二人は若年寄派であることがはっきりしたと言った。後の三名は今年の年貢米はこのままでいいと言ったと言う。勘定奉行は、年貢米を上げるべきであると言ったと言うが、これは職務上、そう言わざるを得なかったのだろう、ということだった。木村彪吾が筆頭目付故に、目付は今年の年貢米はこのままでいいという派らしかった。
つまり、城中の意見は二分していることになる。
僕が「この先、どうなるのでしょう」と訊くと、「最後は、殿のご決断に委ねられます」と答えた。