小説「僕が、剣道ですか? 1」

十五

 前の晩はきくと口づけをしただけで眠った。

 きくを抱けるほど躰は回復していたわけではなかった。

 しかし、朝起きると、自分で半身を起こせるだけでなく、まだ少しふらついてはいたが、立ち上がることもできるようになっていた。

 きくがそんな僕を見て、抱きついてきた。

「ようございました」

 もう何度聞いたことだろう。

「喉が渇いた」と言うと、きくはすぐに庖厨に走って、盆に水を入れた湯呑みを持ってきた。それを飲み干すと、僕は「もう一杯頼む」と言った。きくはまた庖厨に走った。

 二杯の水で喉が潤った頃、「朝で済みませんが、ご様子をうかがいに来ました」と侍頭の佐竹の声がした。

「入ってきてもいいですよ」

 僕は、寝床の上であぐらを組んで、佐竹を迎えた。

「昨日よりも、また随分と元気になられましたね」

「おかげさまで、日に日に良くなっている」

「あなた様の様子を見に来たのには訳があります。旦那様が、鏡殿が元気になられたので、今回の討伐の祝宴を明日の夜、開こうと言い出したのです」

「明日ですか」

「ええ」

「元気と言われても、まだ立ち上がるのが精一杯の状態なんですけれどね」

「そうでしょうね。しかし、旦那様は言い出されると引かれるお方ではありませんし、今回の討伐に加わった若い者たちも宴会は楽しみにしているんです」

「そうですか」

「ただ、あなた様が意識不明だったものですから、その間に宴会をするのもと、控えていたのです。でも、意識が戻られたと聞いて、急に宴会の雰囲気が高まり、それを旦那様が聞きつけて、明日、祝宴を開くということになったのです。ただ、あなた様のご容態が悪ければそれもできかねるので、どんな様子か私に見てくるように仰せつかったという訳です」

「なるほど」

「それでどうなのでしょう。大丈夫ですか」

「こんな話、断れないでしょう。仕方がありません。承知しました」

 そう言うと佐竹の顔には、安堵の色がありありと浮かんだ。

「一つだけ条件があります」

「何でしょう」

「その祝宴の席に、きくも同席させて欲しいのです。私の隣にいてもらいたいのです」

「それは大丈夫でしょう。でも、どうしてですか」

「あなたには私が元気に見えるかも知れませんが、これでも無理をしているのです。私の世話係をしてくれているきくが隣にいれば、用が言いつけやすいのです。こればかりは譲れませんので、お願いします」

「わかりました。そのようにしましょう。早速、旦那様にお伝えすることにします。旦那様の喜ぶ顔が目に浮かぶようです。では、ご免」

 そう言って、佐竹は出て行った。

 彼が出て行くと、すぐにきくが駆け寄ってきて、僕に抱きついた。

「どうしたんだ」と僕は訊いた。

「だって、わたしのような女中が祝宴に同席できるなんて夢のような話ですもの」

「私の世話係をしているから、当然じゃないか」

「そんなことはないんですよ。女中の中でも身分の差があるんです。祝宴のような場に出られるのは、上女中の中でも限られた人ばかりなんです。わたしのようなものは、庖厨にいて酒の燗をつけたり、料理を運んだりするのが役目なんです」

「そうなの」

「そうですよ。それなのに、あなた様の隣に居られるなんて、こんなに嬉しいことはありません」

 そういうものか、と僕は思うしかなかった。

 

 午後になって、昨日、トランクスを作って欲しいと頼んだ女中が部屋に来た。

「できあがりました」と言って、三枚のトランクスを差し出した。

 僕は手に取って見た。手触りは普段穿いているトランクスとは異なっていたが、出来ばえは、裁縫が上手いと言うだけあって、上々だった。

 ちゃんとベルト通しも上手く作ってあって、それに合わせて紐も付いていた。

 僕は嬉しくなって、布団の上に立ち上がると、穿いていたおむつを脱ぎ捨てた。女中もきくも驚いて目を両手で覆った。

 僕は、その作ってきたトランクスを穿いてみた。そして、腰の少し上あたりを紐で縛ると、まるで普通にトランクスを穿いているようだった。

 これこれ、という感じだった。

 僕は作ってくれた女中の手を握って「凄い。できるじゃん」と言った。

 その女中は、僕の手を振り払うわけにもいかず、顔を真っ赤にしていた。きくはそれを見て、少しふくれっ面をしていた。

「これができるんなら、こっちも作ってくれるかな」と僕は、上に着る肌着と厚手のシャツを見せた。

 彼女はそれを手にして、まず上に着る肌着の方を指して「こんな布はありません」と言った。確かに、その肌着は伸び縮みするタイプだから、ゴムと一緒でこの時代にはない素材だった。それで、彼女に「この伸び縮みするものは、こうして伸ばしたところで寸法を測って欲しい。そして、前開きにして、こことこことこことここと……に短い紐を付けて欲しい」

 僕は、その肌着を着て、喉元から下に向けて、指でなぞるように下ろして、「ここを開くんだ」と言い、それから紐を付ける位置を指定した。その紐で肌着を結ぶ格好をして見せた。女中はわかったと言うように頷いた。

「この肌着の丈の長さはこのままでいい」

 続いて、厚手のシャツについて、説明をした。ボタンはなさそうだったから、これも紐結びにしてもらうことにした。

「これを作るのには時間がかかりますよ」

「時間はたっぷりあるから、満足行くものができるまでかけていい。これも三つずつ欲しい」

「わかりました」

 女中は上の肌着と厚手のシャツを見本に持って行った。

 女中が出て行くと、すぐにきくが「手なんか握らなくてもいいのに」と抗議した。

 女のやきもちほど怖いものはないと、僕は思った。