小説「僕が、剣道ですか? 2」


 二日後に鍛冶屋、源蔵の所に刀を取りに行った。
「これで妖刀は切れる。しかし、おぬしの持つこの刀もその妖気を吸うことになるぞ」
「そうなるとどうなります」
 源蔵は僕の顔をじっと見た。
「普通は刀に囚われる。しかし、おぬしはそうはならぬようじゃな」
「そうですか」
「この刀は使わなくなったら、神社にでも奉納することだな」
「そうですか」
「まぁ、この老いぼれの言うことを聞いておくのもいいことだと思って、胸の内のどこかに覚えておくことだな」
「分かりました」
 僕は代金を支払うと、刀を受け取り腰に差した。

 堤道場に行くと、いつものようにたえは門の掃き掃除をしていたが、僕を見ると、すぐに寄ってきて「ここで待っていてくださいね」と言って門の中に入っていった。
 着替えてきたたえは、僕の手を引いて「町に行きましょう」と言った。
 その手の界隈に入り、一件の茶屋の中に、半ばたえに引きずり込まれるように入った。たえが料金を払おうとしたので、さすがにそれはさせられなくて、僕が女中の手に握らせた。
 奥座敷に通され、お茶と菓子が運ばれてくると、たえは僕にしがみついてきた。
 そして、僕の頬を撫でながら「ああ、このお顔。どれほど夢に見たでしょう」と言った。
「あなたはひどい人です。一度きりなんて、そんなことできるわけがないじゃないですか」
 僕はたえの激情に驚いた。
「でも、そう言ったよね」
「こんなに深く、わたしの中に入り込んで、それでお仕舞いなのですか」
「でもこの前は普通だったじゃないか」
「父がいたからです」
「そうか。でも……」
 たえは僕の口を唇でふさいだ。そして、舌を絡ませてきた。
 どれだけの時間が過ぎたのだろう。ほんの一時だったかも知れないが、永遠のように感じられた。
「あなた様をお慕い申しています」とたえは言った。
「そのあなたがわたしの夫を決めるなんて、堪えられません」
 たえは泣いた。
 僕は言葉がなかった。
「わたしがどれほどあなた様をいとしいか、おわかりになりますか」
 たえは涙顔を向けた。その顔を見ることができなかった。
「胸の内が苦しいんです。わたしを助けて欲しい……」
「…………」
「もう一度、抱いてください」
「それは……」
「後生です。あなたを一生、忘れないために、わたしを抱いてください」
 僕はどうしていいか、分からなかった。
「わたしがお嫌いですか」
「そんなこと、あるはずがないじゃないか」
「でしたら、わたしを抱いてください。わたしを哀れとお思いになられるのであれば、わたしを抱いてください」
「哀れなんかだと思ってはいない」
「ならば思ってください。いとしくても、もうあなたに抱いてもらえないわたしを哀れんでください」
 僕は不覚にも泣いていた。たえの気持ちが痛いほど伝わってきたのだ。
「もし、言っていいのなら、わたしを繋ぎ止めておいてください、離さないでください、わたしのそばにいてください、わたしの夫になってください」
 僕はたえを抱いていた。
「わたしを忘れないでくださいね」
「忘れるものか」
「わたしはあなたの心の中にいます。わたしの夫は心の中ではあなただけです」
 たえの涙が胸を流れていった。
「もう大丈夫です」と言ったので、躰を離そうとすると「でも、あなたと離れたくない」と言ってたえはしがみついてくる。
 僕は包み込むように抱くしかなかった。

  茶屋を出てから、たえは何も言わなかった。
「わたしのこと、いとしく思っていてくださいね、ずっとですよ」
 最後に躰を離す時にそう言った。
 僕は「ああ」と答えた。
  哀しい逢瀬だった。これが最後と思えばこその激しい逢瀬だった。
  町の八百屋に、「そこの若いご夫婦。今日は取れたてのなすはどうですか。焼くとうまいですよ」と言われた。
 たえにはその声が聞こえていないようだった。
 堤道場までたえを送ると、門の前で別れようとした。その時、たえが僕の着物の袖を引っ張った。そして「今日のこと、忘れないでくださいね」と言った。
「忘れないよ、ずうっとだ」と言うと、袖口を離した。

 風呂に入った。きくが鼻をくんくん鳴らして「あっ、女の匂いがする」と言った。
「そうか」
 トランクスの匂いを嗅いで、「この前の女と一緒だ」と言った。
「うん」
 僕が否定しないので、前に回って僕の顔を見た。
「なんて、哀しそうな顔をしているの」と言った。
 僕は頭から湯をかぶった。