小説「僕が、警察官ですか? 3」

 僕は気を落ち着けるために、違うことをしようとした。それは携帯でパソコンに取り込んだ録音データを聞くことだった。ヘッドホンをして聞いてみた。携帯での録音だったが、音声は鮮明に録音されていた。

 それを聞いているうちに、僕はハッとした。

 何て馬鹿なことを、と思った。答えは簡単だった。放火する時に喜八は、帽子を目深に被り、眼鏡もし、マスクもしていて、コートの襟を立てていたのだ。普段の喜八の顔と照合しようとしてもヒットしないのは当たり前だったのだ。喜八はコートを着ていた。喜八の映像を思い浮かべた。そのコートは黒に近い濃い灰色だった。

 僕は時を止めて、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「はーい」とあやめが言った。

「これから、あそこにいる滝岡と話をする。その時に、戸田喜八の変装した時の映像を送ってくれ」と言った。

「わかりました」

 時を動かした。

「滝岡。じゃあ、帽子を目深に被り、眼鏡もし、マスクもしていて、黒っぽいコートの襟を立てていた者を見つけ出して欲しい」と言った。

 滝岡はブルッと頭を振った。映像が流れた証拠だった。僕の見た映像が滝岡の頭にも流れたのだ。

 滝岡は作業に取りかかった。

 ほどなく、「見付けました」と言った。

「確かに、今言われた人物と合致する男が、二月二十六日と三月二十八日の監視カメラに映っていますね」と言った。

「そうか、その映像をこっちのパソコンに送ってくれ」

「わかりました」と滝岡は言った。

「henso0226.***とhenso0328.***というファイルがそれです」と続けた。

「それと映像の中で、その人物がよく写っているところをプリントアウトしてくれ」と言った。

「すぐにやります」と滝岡は言った。そして、プリンターが印刷を終えると、用紙を取り出して、僕のデスクに持ってきた。

「ありがとう」と言って、受け取った。

 二枚の写真が本当の犯人だった。そして、それは喜八の変装した姿だった。

 今、このプリントアウトした写真を捜査本部に持っていっても、一笑に付されるだけだろう。捜査本部は山田を本ボシと思っている。それを覆すだけの確たる証拠がいる。

 だが、今の僕には思いつかなかった。山田が否認し続けてくれることを願うばかりだった。

 

 退署時間が来たので、安全防犯対策課を出て自宅に向かった。歩きながら、次はどうするか考えた。捜査資料が見たかった。そうすれば、何かヒントのようなものが見つかるかも知れなかった。しかし、捜査一課二係が部外者に捜査資料を見せるはずがなかった。

 全部の捜査資料が見られなくても、鑑識結果だけは知りたかった。少なくとも四月二十九日に関しての鑑識結果は知る必要があった。

 明日は鑑識課に行ってみるか、と思った。

 

 自宅に戻ると、着替えをして、京一郎と風呂に入った。こうして京一郎と一緒に風呂に入れるのは、いつまでなのだろうと、ふと思っていた。

 風呂から上がると、バスローブのままダイニングルームに行った。トランクスは穿いてなかった。

 椅子に座ると、コップが置かれ、ビールが注がれた。

「風呂上がりの一杯は美味しいんでしょう」ときくが言った。

 そして「これも食べてくださいね」とみじん切りしたネギとかつお節をかけた冷や奴を出してきた。

 僕は遠慮なくビールを飲み、冷や奴を食べた。

「今日はビーフシチューか」と言うと「そうなの。子どもたちが好きですから」と言った。

「パンも焼いたんですよ」と続けた。

「えっ、いつの間にそんなものまで作れるようになったの」と訊くと、「今日、テレビでやってたので、それをそっくり真似てみました」と答えた。

「美味しくできているといいんですけれど」と言った。

 見ると、バターロールと食パンだった。食パンは一斤を六等分に切った四切れが皿に載っていた。

「二切れはどうしたの」と訊くと「お義父様とお義母様に分けて差し上げました。その時、バターロールも一個ずつ持っていきました」と答えた。

「そうか。きくも大変だな」と言った。きくは一日中、家にいるから、父や母とも上手くやっていかなければならなかったのだ。もっとも父はまだ現役で働いているから、母とのやり取りが多いのかも知れなかった。きくは女中上がりだから(「僕が、剣道ですか?」シリーズ参照)、そのあたり上手くこなしているのだろう。

 ビールを飲み終わった頃には、汗も引いていた。寝室に行くと、ベッドにトランクスにTシャツ、半ズボンが出してあった。バスローブを脱いでトランクスを穿いて、Tシャツを着、半ズボンを穿いたところで、きくが入ってきて脱ぎ捨ててあったバスローブを拾って、「今日もお疲れ様でした」と言った。僕はバスローブを持っているきくを引き寄せて、抱き締めた。そしたら、きくが「あれが遅れているんです」と耳元で囁いた。

「あれって、あれのこと」と僕は訊いた。

「はい」ときくは答えた。

「お義母様に言ったら、明日、一緒にお医者さんに行ってくれるそうです」と言った。

「そうなのか」

 三人目が産まれることになるのかも知れないのか。僕の年齢では、初めての子でもおかしくないのに、今はこの六月十日で十一歳になるききょうと九歳の京一郎がいた。

 きくは僕のバスローブを洗濯籠に持っていった。

 

 きくの作ったビーフシチューもパンも美味しかった。ききょうと京一郎はビーフシチューをお代わりしたが、パンがなくなったので、ご飯で食べていた。

 僕もパンの後はご飯で食べた。ビーフシチューはご飯にも合った。

 

 夜になった。ベッドではきくが躰を寄せて来たので、抱き締めた。

「赤ちゃんができているといいな」と言うと「ええ」ときくも言った。そのうち、きくは眠った。僕はそっとベッドから抜け出すと、時を止めた。

 鞄からひょうたんを取り出した。ズボンのポケットにひょうたんを入れたままにすると、着替えのときにきくに気付かれるので、鞄に移しておいたのだ。

 ひょうたんを持って、ダイニングルームに行った。ひょうたんの栓を抜くとあやめが現れた。

「またお子さんができるんですね」と言った。

「明日、病院に行くまでは分からないよ」と僕が言うと、「わたしには子どもができないから、主様だけですわ」と言って抱きついてきた。

「これからウイスキーを飲もうと思うんだ。少し、待ってくれ」と言うと「いいですよ。いくらでも待ちますよ」と言った。

 僕はグラスを取り出すと、冷蔵庫から氷を取ってきて入れて、そこにウイスキーを注いだ。僕はオンザロックが好きだったのだ。一杯、飲むと「さぁ、おいで」とあやめを招いた。あやめは僕にぶつかるようにして、長ソファに横になった。そこで、あやめと交わった。長い交わりだった。

「あやめ」と言うと「何ですか」と訊いた。

「明日も頼むな」と答えた。

「いいですよ。いくらでも使ってください」とあやめは言った。

 あやめはどっちの意味で取ったんだろうと、ちょっと思った。