小説「僕が、警察官ですか? 3」

 田中虎三の自宅である黒金町**丁目**番地**号は、黒金署から歩いても二十分ぐらいの所にあった。

 僕は緑川に「出かけてくる。後をよろしく」と言って、席を離れた。

 黒金署を後にすると、田中の家に向かった。質問は大してなかった。あやめに記憶を読み取らせれば済むことだったからだ。田中に会うことだけが必要だったのだ。

 田中の家はすぐに見つかった。ドアのブザーを押した。中から声がして、六十代後半から七十代前半の男性が出て来た。

 僕は警察手帳を見せて、「黒金署の安全防犯対策課の鏡京介です」と少し大きな声で言った。

「わかりましたから、中に入ってください」と田中は言った。

 大抵の者は、警察が来ていることを近所に知られたくはなかった。

 僕は玄関内に入ると「玄関先で結構です。いくつかの質問に答えてください」と言った。

 そこで、時を止めた。ズボンのポケットのひょうたんを叩いて、「あやめ、この人の今年の三月二十八日の記憶を取ってきてくれ」と言った。

「わかるでしょうか」と心配そうに言うものだから、「三月頃では、一番強く残っている記憶に違いないから、それを探してみてくれ」と言った。

「やってみます」と言って、あやめは田中の頭の中に入っていった。

 ほどなく、ポケットのひょうたんが震えた。

「取ってきました。流しますね」と言った。

 田中の三月二十八日の映像が流れてきた。

 田中は六十九歳で五年前に妻に先立たれて一人暮らしだった。そこで、週に二、三日は夕食がてら少し飲みに出るのが、習慣になっていた。深酒はしなかった。三月二十八日もその一日だった。午後七時半頃に家を出て、二十分ほど歩きながら、どこに入ろうか、何を食べようかと迷いつつ、店を探していた。そして、一軒の居酒屋に決めるとそこの暖簾を潜った。

 田中はそこで、一時間ほど飲み食いをすると店を出た。店を出たのは、腕時計のストップウォッチで計ると、午後八時五十分頃になった。そこから歩いて、家に向かった。通りの角を曲がって、次の通りをしばらく行った所が自宅だった。

 その通りを曲がったのが、午後八時五十七分だった。その時に誰かにぶつかった。相手は帽子を深く被っていて、顔はわからなかった。ぶつかったせいで、足を痛めたのか、右足を引きずるように角を曲がっていた。

 田中が前を向くと、火が見えた。近付いて行くと板塀の下が燃え始めているところだった。田中は慌てて、服のポケットから携帯を取り出すと、消防署に電話をした。その時間が午後八時五十八分だったのだ。

「あやめ、これから時を動かす。そして、田中さんにいくつか質問をする。その時に僕の頭の中の映像を田中さんにも流してくれ。記憶というものは、繰り返していくうちに忘れていたことも思い出すこともあるからな。そして、田中さんが何か思い出したら、その映像もこっちに流してくれ」と言った。

「わかりました」とあやめは言った。

 僕は時を動かす前に、携帯を取り出し、録音のアイコンを押した。それから時を動かした。

「では、三月二十八日のことを伺います。あなたは、火事を発見する前に誰かにぶつかっていますね。その時のことを詳しく話してください」と言った。

「ええ、通りの角を曲がった時です。その時、帽子を深く被った男性とぶつかりました」

「その男性のおおよその年齢は分かりますか」

「いえ、帽子を目深に被っていたし、多分、マスクもしていたし、コートの襟も立てていたので、顔は見えませんでした。だから、年齢まではわかりません。ただ、ぶつかった感じからは、わたしと同じかわたしよりも年寄りだと思いました」

「それはどうしてですか」

「よろけ方です。若ければ、あんなによろけはしないでしょう。相手が足を悪くしていたのかも知れませんが、当たった感じが軽かったんです。若い人なら、もう少し跳ね返してくるような感じを受けると思うんですよね」と言った。

 田中の映像が僕の頭に流れてきた。確かに、田中が当たった男は軽い感じがした。

「背丈はどれくらいでしたか」

「わたしより低かったと思います」と田中は言った。

「失礼ですがあなたの身長はどれくらいですか」

「百六十五センチです。わたしより、五センチくらい低く感じました」

 これも田中の映像と一致していた。

 これからする質問が重要だった。

「あなたは火を見たんですよね」

「ええ、見ました」

「それは激しく燃えていましたか」

「いいえ、まだそれほど激しくはありませんでした」

「とすると、火をつけられてから、それほど時間が経っていなかったということでしょうか」

「それはわかりません。でも、出火直後のような気はしました」

「その時、あなたにぶつかった人以外に、通りに人はいましたか」

「いいえ、誰一人もいませんでした」

「本当に誰一人もいませんでしたか」

 僕は田中の記憶を辿って確認をした。田中は、誰か他の人に助けを求めようと周りを見回したのだった。しかし、誰もいなかった。だから、仕方なく、ポケットから携帯を出して一一九番にかけたのだった。

 この映像は田中も見ているはずだった。

「確かに誰もいませんでした。だから、一一九番に電話したんです」と言った。

「この出火は放火だと見られています。それはご存じですよね」

「もちろん、知っています」

「そして、今、あなたは通りには、他に誰もいなかったと言いました。とすると、火をつけたのは、あなたにぶつかった人ではありませんか」と言った。

 田中は考えていた。あやめはその時の映像を田中に流していた。

「そうですね。考えてみたんですが、あの時には、他に誰もいませんでした。だから、ぶつかった人が火をつけたと思うのが自然ですね」と言った。

「そうですか。どうもありがとうございました」と言って、頭を下げると、時を止めて、携帯の録音のアイコンを停止にした。そして携帯を上着のポケットにしまうと、時を動かした。

 田中の家を出ると、黒金署に帰った。安全防犯対策課に戻ると、自分のデスクに座り、パソコンを起動して、携帯を取り出した。今、田中としてきた会話を携帯からパソコンの中に取り込むためだった。

 一つ、僅かだが、突破口が開いた。ここから証拠を積み上げていくんだ、と僕は思った。

 僕は滝岡を呼んだ。

 滝岡が「何ですか」と言いながら来ると、「二月二十六日と三月二十八日の監視カメラの録画映像の中から、戸田喜八さんの映像を見付けてくれ」と言った。

 滝岡は「二月二十六日と三月二十八日の監視カメラの録画映像の中に戸田喜八さんが映っているんですか」と言った。

「それを確認したいから、頼んでいるんだ」と僕は言った。

「わかりましたよ。やりますよ」と言って、滝岡は席に戻っていった。

「戸田喜八さんの映像は分かるよな」と言うと、「被害者ですからね。映像はすぐに出せますよ。それとこの前、照合した二月二十六日と三月二十八日の監視カメラの録画映像の中から、戸田喜八さんの映像を照合すればいいだけですから、それほど時間はかからないと思いますよ」と言った。

「では、頼んだ」と僕は言った。

 僕は、必ず二月二十六日と三月二十八日の監視カメラの録画映像の中に戸田喜八が映っていると思っていた。そうでなければならなかった。

 しばらくして、滝岡が「ありませんよ」と言ってきた。

 そんな馬鹿な、と思った。

「もう一度、やってみてくれ」と言うと、滝岡は「何度やっても同じですよ、機械のすることですから」と言った。

 確かに滝岡の言うとおりだった。しかし、二月二十六日と三月二十八日の監視カメラの録画映像の中に戸田喜八が映っていないはずはなかったのだ。何かを見落としているんだ。それは一体、何だろう。