小説「僕が、警察官ですか? 3」

 次の日、ひょうたんを鞄に入れて、黒金署に向かった。今日は鑑識課に行くつもりだった。どうせ鑑識が調べた調査書は、読むことができないことは分かっていた。それならば、調査書を作った本人の意識から、直に読み取るだけだった。そのためには、あやめが必要だった。

 安全防犯対策課に着くと、鞄を棚に置き、中からひょうたんを出して、ズボンのポケットに入れた。それから、緑川に「ちょっと席を離れる」と言って、安全防犯対策課を出た。そして、三階にある鑑識課に向かった。

 鑑識課は奥の広い部屋にあった。その手前が会議室だった。

 入口にいた女性の課員が「何か御用ですか」と訊いた。

「私は安全防犯対策課の課長の鏡だ。四月二十九日の被害現場の鑑識をした者を呼んでもらいたい」と言うと「ここにいる者は、ほとんどがその日の鑑識を行っていますが」と答えた。

「ではその日の鑑識の調査報告書を書いた者を呼んでもらいたい」と言うと、僕の声が聞こえたらしく、「はい、わたしですが何か問題でもあったのですか」と言って、デスクから立って入口までやってきた。

 僕は時を止めた。そして、ズボンのポケットのひょうたんを叩いた。

「はーい」と言うあやめの声がした。

「この者の意識から、調査報告書に書いた部分を読み取ってくれ。それと四月二十九日の鑑識の現場の様子も読み取ってくれ」と言った。

「わかりました」とあやめは言った。

 時が止まった鑑識課は面白かった。それぞれが何かをしようとしているところで止まっていた。ここには、仕事があった。安全防犯対策課とは大違いだった。

 しばらくして、ひょうたんが震えた。

「読み取りました。映像を送りますね」と言った。

「そうしてくれ」と言った。

 目眩が襲ってきたが、これはいつものことだから、すぐに慣れた。

 調査報告書は数百ページに及んでいた。これを読むのは後回しにした。四月二十九日の鑑識の様子を再生した。

「これどう思う」と言う声が聞こえてきた。別の鑑識員の声だった。居間の燃え後を見ていた。

「ここが一番ひどく焼けている」と言った。

「確かに」と今目の前にいる彼は言った。

「玄関の脇の板塀の火がここに回ってきたとすれば、こんな焼け方になるだろうか。ここの壁が焼ける前に居間から火が出ているような気がするんだがな」と言った。

「そうだな」

「ここに煙草の燃えかすみたいな物があるんだが、煙草から火がついたとしたら、こんなに急に激しく燃えるだろうか。まるで、マッチで新聞紙に火をつけたようには見えないか」とその鑑識員は言った。

 今目の前にいる彼は「そう見えるな」と同意した。

「ここが出火元じゃないのか」とその鑑識員は言った。

「それじゃあ、板塀の火はどうなるんだよ」と今目の前にいる彼は言った。

「煙草を吸おうとしてマッチで煙草に火をつけた時に、板塀の火を見て、燃えたマッチを落としたんじゃないのか。それなら、辻褄が合う」とその鑑識員が言った。

 そこで、僕は報告書の該当箇所を読んでみることにした。しかし、そこには、今の会話のようなことは記載されていなかった。あくまでも、板塀の火が回って、居間に積み上げられていた新聞紙に火がついたように書かれていた。事実が曲げられて書かれていた。

 時を動かした。

「報告書によれば、板塀の火が回って、居間に積み上げられていた新聞紙に火がついた、と書かれていますよね」と言った。

「それが何か」とその者は言った。

「実際は、居間からも火が出ていたんじゃないですか」と訊いた。

「居間からも火は出ていましたよ。それは板塀からの火が回ったものです」と答えた。

「いや、そうではなくて、マッチで火がつけられたんじゃあないですか」とずばりと訊いた。

「あなたは報告書を読んではいませんね。読んでいれば、そんなことは書かれていないことがわかるはずです」と言った。

「確かに読んではいませんが」と言うとその鑑識員は、「これ以上、何も言うことはありません。まずは報告書を読んでください。もし、読む権限がないんだとしたら、これ以上の質問はお断りします」とぴしゃりと言った。

「そうですか。分かりました。今日のところは帰ります」と言って、僕は鑑識課を出た。

 予想していた通りだった。鑑識は板塀が火元になるように鑑識結果を書いていたのだ。まさか家の中が出火の主因だったとは書けなかったのだ。喜八の狙い通りになったのだ。

 

 僕は安全防犯対策課に戻った。自分のデスクに座ると、パソコンをつけ、画面を見ているフリをして、頭の中に映像として残っている鑑識の調査報告書を読んだ。

 読み終わるまでに時間がかかった。結果を言えば、結論ありきの報告書だった。板塀の火付けが元で喜八の家は全焼したことになっていた。

 すでに喜八の焼けた家の現場は捜査陣によって荒らされている。鑑識のやり直しはきかない。この鑑識書がすべてだった。

 喜八の携帯も黒焦げになっていて、SDカードの記録も調べたが、読み取れなかったと書かれていた。実は僕は最後の手段として、喜八が妻の最期と自分が新聞紙に火をつけているところを携帯に録画して残しておいたことにしようと思っていた。あやめを使って、SDカードに念写することでそれが可能なのではないかと思っていた。しかし、それもできなくなってしまった。僕はすべての手段を失った。

 

 お昼になった。僕は愛妻弁当と水筒を持って、屋上に上がっていった。隅のベンチに座って、弁当の蓋を開けた。今日はのり弁でハートマークが作られていた。それを崩しもしないで、食べていった。

 まだ、何かやれることがあるはずだと、思いたかった。しかし、思いつかなかった……と思っていたら、滝岡に調べさせた変装した姿の喜八の映像、確かhenso0226.***とhenso0328.***というファイルをまだ見ていないことに気付いた。

 急いで、弁当を食べ終えると、水筒のお茶を飲んで、安全防犯対策課に戻った。

 パソコンを操作して、henso0226.***とhenso0328.***の二つのファイルを見つけ出した。 

 まず、henso0226.***のファイルをクリックして開いた。

 変装した喜八は午後八時十七分にコンビニの前を通っていた。それは防犯カメラの映像に映っている時刻から分かった。そこから放火されたゴミ集積所までは、三分ほどだった。変装した喜八は、右足を悪くしていてびっこを引いてはいたが、それほど遅い足取りではなかった。足が悪くて、あまりにも遅いようなら、そもそも放火などという危険は犯さないだろう。放火現場から一刻も早く立ち去らねばならないのだから。

 そこから、映像は一旦切れて、次の映像が映った。同じコンビニの午後八時二十七分のものだった。放火した帰りだったのに違いなかった。その時の変装した喜八は急いでいた。その時、息が苦しくなったのだろう。マスクを外した。しかし、それでも帽子を目深に被り、眼鏡をしてコートの襟を立てていることには違いなかったから、マスクを外しても喜八だとは分からなかった。横顔の一部が見えたのに過ぎなかった。だが、その横顔に特徴があるかも知れなかった。黒子とか痣が映っていないか、確認した。何度も見たが、そのようなものは見当たらなかった。ただ、横顔にゴミのようなものが映り込んでいるのは見た。

 次にhenso0328.***のファイルをクリックした。

 これも変装した喜八が、午後八時五十分にコンビニの前を通っていた。前のコンビニとは別のコンビニだった。そのコンビニから放火現場までは、喜八の足では五、六分ぐらいかかるだろう。

 それから映像は一旦切れて、次の映像が映った。同じコンビニの午後九時五分のものだった。放火した帰りだった。その時、喜八はコートを脱いで丸めて持っていた。そして、すでにマスクも取っていた。帽子を目深に被り、眼鏡をしているのは変わりなかった。しかし、僕には、喜八だと分かった。コートを脱いだのは、人とぶつかったためだろう。同じコートを着ていれば、見付けられる可能性がある。だから、脱いで、姿を変えたのだ。

 ここに写っている喜八の横顔をコンピュータで照合して、喜八と断定できれば、一歩前進になる。

 僕は滝岡を呼んだ。