小説「僕が、剣道ですか? 4」

十七

 昼餉の時刻になり、鷹岡彦次郎は退席して行った。

 それぞれの侍たちも広間から退出して行った。その中で、目付の木村彪吾が僕のところに駆け寄ってきた。

「お見事でござった。これでわたしの面子も立ち申した。鏡殿のおかげでござる」

「いや、なに、大したことをしたわけではございません」

「なんの。あれは大したものでござった」

 僕は笑うしかなかった。

「この後、どうされる」と木村彪吾から訊かれたので、「城を出て、城下に行ったら、美味い昼餉でも食べようかと思っています」と答えた。

「そうか、わたしも付き合いたいところだが、用があるのでここらで失礼させて頂きます」と言った後、美味い鰻屋の場所を教えてくれた。

「では、ご免」と言って離れていった。

 僕は名刀定国を持ち、廊下を歩き、途中で若い侍から預けてあった刀を返してもらった。

 四本の刀を持って玄関に行くと、下足番が草履を出してくれたので、履いて外に出た。

 強い光が照りつけていた。

 定国を腰に差し、その他の二本は手にして歩いた。

 城下町に入ると、質屋を探した。いらなくなった刀を売るためだった。

 少し歩くと見付けたので、早速、中に入った。

 刀を見せると、「二十両ってところですかね」と言った。

「こちらの本差が十二両。脇差が八両です」

「それでいい」と言って、僕は二本の刀を渡し、二十両と質札を受け取った。

 質札はすぐに捨てた。

 その後で、木村彪吾が言っていた鰻屋を探し、そこで特上のうな重を頼んだ。

 

 屋敷に戻ったのは、午後三時頃だった。

 きくが「心配していたんですよ」とプンプン怒っていた。

「心配をかけて済まなかった」と謝った。

 きくが「どうだったんですか」と訊くので、今日あったことを残らず話した。

「まあ、そうでしたか」と言うきくに、定国を抜いて見せた。

「美しい刃文が浮き出た刀でございますね」と言った。

「きくにも刀の良さが分かるのか」と訊くと、「きくにだってわかります」と答えた。

 風呂までの時間に、きくに懐剣の練習をさせた。

 持ち方から、使い方まで、僕が知っていることは一通り教えた。

 風呂にはいつも通り、きくとききょうも一緒に入って、風呂で洗った物は掛け竿に干した。

 そして、夕餉の時になった。

 夕餉では木村彪吾が良くしゃべった。僕の真剣白刃取りのことを、息子の虎之助に詳しく話した。

 虎之助は僕を見て、「鏡様はそんなに凄い技をお持ちなんですね」と言うと、木村彪吾は「凄いなんてものじゃなかった。相手をした指南役の坂岡十兵衛殿が、あわや切腹されようか、としたぐらいだからな」と虎之助に言った。

 虎之助は「わたしも見とうございました」と言って、僕の方を見た。

「それはご勘弁願いたい。命を張った技ゆえ」と僕は言った。

 木村彪吾は「そうじゃぞ、虎之助。あまり、鏡京介殿を困らせるな。あの技は危険な技ゆえ、軽々にできるものではない」と虎之助に言った。

 その後で、「それにしても、鏡殿に真剣白刃取りをしていただいたおかげで、わたしの顔が立ちました。感謝、申し上げます」と言うので、「彪吾殿、面子が立ったのであれば、なによりです」と応えた。

「あの後も、殿は上機嫌でした」と言った。

 

 夜になって、布団に入ると、微かに唸る音がする。

 その音は、床の間に置いてある刀から聞こえて来るようだった。

 きくも起きていた。

「きくにも聞こえるか」と訊くと頷くので、定国を手に取り、鞘から抜いて見た。すると、オレンジがかった黄色い光が刀から発していた。

「この刀にも、数々の怨念が籠もっているようだ。これほどの名刀を鷹岡彦次郎様が私にくれたのは、このせいかも知れない」と僕はきくに言った。

「明日、稲荷神社に行き、祈祷してもらおう」と言うと、きくも頷いた。

 

 次の日、朝餉を終えると、僕ときくとききょうは早速、稲荷神社に向かった。

 神主にわけを話して、祈祷してもらうことにした。祈祷料として一両を渡した。

 祈祷は二時間に及んだ。その間に、ききょうがぐずったので、ミルクを飲ませた。

 祈祷が終わった後、刀を抜いて見た。オレンジがかった黄色い光は消えていた。

 御札をもらい、稲荷神社を後にした。

 境内から下りる階段の下に五人の浪人者がいた。稲荷神社に入る時も目にした者たちだったが、祈祷が終わるまで待っていたようだった。

 僕らは彼らを気にせず、通り過ぎようとした。

 すると、中の一人が「おっと、待ちねぇ。通行料を払っていきな」と言った。

「ここは神社の入口だ。通行料を払ういわれはない」と僕は言った。

「そうはいかねえんだよ」と浪人者が刀の柄に手をかけた瞬間、五人の右手がぶらりと下がった。そして、右手を押さえて苦しみ出した。

「きく、さあ行こう」と僕は言った。

 歩きながらきくは「凄い早業でしたね」と言った。

「きくにも見えたのか」

「はい。五人の右腕を刀の峰で打つところが見えました」と言った。

 僕は改めて感心した。あの速さを、きくは目で見ることができたのだ。凄いことだと思った。後はきくの懐剣の使い方が上手くなればいいのだが、と思っていると、惜しい機会を逃した気がしてきた。大した腕のない浪人者五人だった。きくに実際に懐剣を使わせてみるのも、一つの手であったかと思ったのだ。

 だが、あの五人の浪人者は、明らかに僕たちを狙っていた。

 神社の境内に向かう階段の下で待ち構えて、通行料を取るなどという話は聞いたことがなかった。誰かがやらせたことだろう。

 最初に、若年寄、佐野五郎の顔が浮かんだが、昨日の真剣白刃取りを自ら経験している。僕の力量を確かめる必要はないはずだ。すると、心当たりがなくなる。

 まだ、階段の下で呻いている浪人たちの所に行き、「誰に頼まれた」と訊いた。

 すると一人が「覆面をした男だ」と答えた。

 覆面をした男……。

 とすると、顔を見られてはまずい男ということになる。誰なのか、僕には全くの心当たりがなかった。

 

 きくとは、昼に鰻を食べた。昨日も食べたのだが、あまりに美味しかったので、きくにも食べさせたかったのだ。ききょうには、甘辛いタレのかかったご飯を箸で潰して食べさせた。

 昼餉の後は、河原に行き、きくに懐剣の練習をさせた。次第に慣れてくるのが分かった。後は、実戦で経験を積み重ねていくしかなかったが、今日は絶好の機会だったのに、それを逃したのが、返す返すも惜しかった。

 屋敷に戻ると、いつものように風呂に入り、洗濯物をして、それを掛け竿に干した。

 夕餉の席では、神社で襲われた話はしなかった。

 夕餉が終わると、客室に戻った。

 少し早かったが、布団に入った。

 床の間の定国は唸る音を立てなくなった。祈祷してもらった甲斐があったのだろう。