小説「僕が、剣道ですか? 4」

十八

 朝餉が済むと、きくとききょうとで河原に行き、きくに懐剣の練習をした。

 今日は僕が定国を抜き、そこに向かってくるように言った。実際に真剣を持った者に立ち向かうのは容易いことではなかった。まして、それが僕であるから、きくの懐剣は鈍かった。何度、注意をしても一向に良くはならなかった。

 そのうち、ききょうがぐずり出したので、きくは乳を与えた。

 屋敷で昼餉をとった後、河原に向かうとつけてくる者がいた。浪人者十二人だった。

 きくに目配せをすると、きくも頷いたので、きくも分かったのだろう。

 そのまま河原に行き、敢えて浪人たちに囲ませた。

「きく、少し離れて戦うが、自分の身は自分で守れるか」と僕はきくに訊いた。

「はい、守れます」ときくは答えた。

 僕は大きな声で「昨日は、腕を折っただけで済ませたが、これだけの人数に囲まれてはそうも言ってはいられない。刃向かう者は容赦なく斬り捨てる。命が惜しい者はこの場から立ち去れ」と言った。

 浪人たちは自分たちが数で勝っているものだから、立ち去る気配はなかった。

「なら仕方がない。参るぞ」と言って、僕は定国を抜いた。

 こちらから切り込んでいき、先頭の二人を斬り倒すと、左右からかかってきた者は、その腹を刺した。すぐに後ろに走り、二人を袈裟斬りにすると、「妻子はどうなってもいいのか」と二人の浪人者がきくとききょうを捕まえようとしたので、きくが懐剣でその二人の腕を切った。僕はきくの側に走り寄ると、その二人の胴を斬り裂いた。残りの四人は逃げ出していった。斬り倒した一人の着物の袖で定国の血を拭うと、定国を鞘に収めた。

 僕は辺りを見ると、覆面の男を見付けたので、時間を止めて、そいつの所まで走り、みぞおちを拳で突いて気絶させた。そして、時間を動かし、そいつの覆面を取った。

 見知らぬ顔だった。そいつの覆面で後ろ手に縛ると、立ち上がらせて、きくとききょうの所まで行った。

 きくは懐剣を持ったままだった。血が付いていたので、覆面をしていた男の袖で拭うと、きくに鞘に収めるように言った。

 覆面の男は、後ろ手に縛ったまま、町まで連れて行き、番所の役人に引き渡した。河原に八人斬り倒したことも話した。

 番所の役人からは、いろいろ質問された。例えば、名前とかどこに住んでいるとか訊かれたので、鏡京介だと言った後、今は目付の木村彪吾の所に逗留していると言うと、役人の態度が変わった。

 人を遣わせて河原の様子を見に行かせ、その者が帰って来ると、「この方の言われている通りでした」と言った。

 僕は一通り話し終えると、帰ってもいいかと訊いた。

「結構です」と答えたので、番所を後にした。

 夕時が迫っていたので、屋敷に戻った。

 いつものように、きくとききょうと一緒に風呂に入りに行った。

 きくに背中を流してもらいながら、「きく、実際に懐剣を使ってみてどうだった」と訊いた。すると、きくは「何も覚えてはいません。無我夢中でした」と答えた。それが本当のところだろうと、僕は思った。初めて、懐剣を使うのだ。どう使ったのか、覚えていないのが、当然だった。だが、僕は、きくが自分とききょうを捕まえようとした者の腕を切ったところをはっきりと見た。きくが自分の身を、ある程度、自分で守れることが分かった。今日は、これだけでも収穫だったと思った。

 それにしても覆面の男は何者なのだろう。城中にいた侍ではないことは、確かだった。とすると、木村彪吾が恐れていた幕府の間者かも知れなかった。

 しかし、そうだとすればなにゆえに僕を襲ったのだろう。訳が分からなかった。

 

 風呂に入った後の夕餉の時には、今日、浪人者に襲われた話を木村彪吾にした。覆面をしていた男を番所に突き出したのだから、明日には、彼の耳にも入るだろうと思ったからだった。

「そうでしたか。それにしても怪我がなくて何よりでした」と木村彪吾は言った。

 それに続けて「あの真剣白刃取りは効果がありましたよ」と言った。

「これまで年貢米を引き上げることに熱心だった若年寄の佐野五郎が折れてくれたのです。年貢米はこれまで通りということになりそうです」と言った。

 僕は「それは良かったですね」と言った。

「これも鏡殿のおかげです」と木村彪吾は言った。

「では、私は明日にでも出立できますか」と訊くと、「いや、もう一日、ご滞在ください。今日のことが、明日、番所から報告されてくるでしょう。それを待ってからにして頂きたい」と答えた。

「分かりました」と僕は応えた。

 

 客室に行き、布団に入ると、夜のきくは激しかった。昼の興奮が躰を包んでいるのだろう。僕はきくの口を手で押さえながら、きくの躰に深く入っていった。

 

 次の日も、朝餉が済むと、河原に行った。昨日の感触が残っているうちに、きくに懐剣の使い方が上手くなって欲しかったのだ。やはり、実戦を積むと違ってきていた。きくの突き出す刃に鋭さが宿っていた。

 昼餉に屋敷に戻り、その後でまた河原で懐剣の稽古をした。途中で、ききょうがぐずったのでミルクを飲ませた。

 

 風呂に入り、明日出かける準備を整えた。

 今、掛け竿に干してある物を取り込むだけで良かった。

 夕餉の支度ができたと女中が呼びに来たので、夕餉の席に着いた。

 木村彪吾が入って来て座ると、いきなり「鏡殿、昨日の覆面の男は、番所の牢屋で自殺しました」と言った。

「いかなる方法で」と僕が訊くと、「梁に帯を掛けて、首を吊りもうした」と答えた。

「そうでしたか」

「ですから、何者かはわかりませんでした」と言った後、「これは口留番所を通る時のわたしからの口添え書きです。お収めください」と言った。

「ありがとうございます」と僕は言って、懐にしまった。

「それがあれば、荷物のお検めもなく通過できるでしょう」と言った。

 僕は頭を下げた。

 

 客室に入ると、僕は気になったので、口添え書きを開いて読んでみた。そこには、次のように書かれていた。

『この者は、幕府の間者である。通すことまかりならん』

 僕は怒りに震えた。しかし、ここで事を起こせば、口留番所までまだかなりの距離がある。このまま黙って事態の推移を見守るしかないと思った。

 もちろん、口留番所を通過する時は、この口添え書きを見せる気はなかった。

 

 次の日、何事もなかったかのように朝餉をとると、僕は木村彪吾に長い間逗留させて頂いた御礼を言った。

「なになに当方こそ、お世話になり申した。御礼を申し上げます」と木村彪吾は言った。

 僕ときくは旅の準備ができると、ききょうを僕がおんぶして木村彪吾の屋敷を後にした。

 

 次の宿場まで二里ほどあった。そこでは昼餉をとり、庖厨を借りてききょうのミルクを作ると、次の宿場を目指した。

 途中で団子屋を見付けたので、串団子を食べた。

 そして昼から四里ほど歩いた所の宿場で宿を取り、そこに泊まった。

 一泊二食付きで、一人三百文だった。ききょうの分はいらなかった。隅の部屋を望んだが、中程の部屋になった。相部屋ではなかった。

 そこの宿にも風呂があり、早速、入った。手ぬぐいと浴衣が用意されていた。

 風呂から出ると、窓の外の掛け竿に干し物を干した。

 明日のことは明日に任せて、今日は早く寝ようと僕は思った。