小説「僕が、剣道ですか? 4」

 番所での書取りには、時間がかかった。

 その間にお茶が出されただけだった。きくはききょうにミルクを飲ませた。

 しばらくして、番所に先程姿を消した若侍が入ってきた。

 彼は僕に「危ないところをお助け頂きありがとうございました」と言った。そして、月影竜次郎と諍いになったそもそものことを番所役人に話した。

 番所役人から解放された時には、お昼の時刻をかなり過ぎていた。

 その時、先程の若侍が「よろしければ当家に、寄って行っては貰えませんか」と言った。

 僕はきくを見ると頷いたので、「では、そうさせて頂きます」と答えた。

 

 目付、木村彪吾の屋敷は、武家屋敷の建ち並ぶ一角にあった。

 座敷に案内されて、お昼を馳走してもらった。

 木村虎之助は、町道場の帰りに月影竜次郎に会ったそうだ。鞘を当てたつもりはなかったが、因縁を付けられたと言った。

「次の宿場までどれくらいですか」と訊いたら、「ここから二里の所にあります」と言うので、「では、これで失礼させて頂きます」と言うと、木村虎之助は「今日はうちにお泊まりください」と言った。

「それではかえってご迷惑になります」と僕が言うと、「危ないところを助けて頂いた恩義があります。旅をされているようですが、父に話せば、口留番所などのお改めの時の便宜も計ってもらえるでしょう。ぜひ、お泊まりください。このままお返ししたのでは、わたしの顔が立ちませぬ」と言う。

「分かりました。では、お言葉に甘えさせて頂きます」

「こちらへどうぞ」と客室に案内された。

「こちらでおくつろぎください」と言った。

 僕ときくとききょうは、客室に入った。座布団が出されたので、それに座った。

 女中がお茶を運んできたので、それを飲んだ。

「鏡殿はお強いですね」と木村虎之助は言った。

「いやいや、大したことはありません」と僕は応えた。

「流派は何ですか」

「一応、小野派一刀流ですが」

「あっ、うちの先生と同じだ」と木村虎之助が言った。

「まだ、日が落ちるまでには間がありますから、これから道場まで行きませんか」と言う。

 初々しさの残るその声に、僕は「では、伺うとしましょうか」と言った。

 きくとききょうは客室に残して出た。

 

 歩きがてら、「何と言う先生ですか」と訊くと「田中修太先生です」と答えた。聞いたことがなかった。

 先程の宿場町の通りを抜けて、少し行くとその町道場が見えてきた。

 木村虎之助が門から玄関に入り、「先生」と呼びかけた。

 奥から、「何じゃ」と言って、壮年の男が現れた。その人が田中修太なのだろう。

「先生に会わせたい人を連れてきました」と虎之助は言った。

 田中修太は僕を見て、「誰ですか」と訊いた。僕は「鏡京介です」と答えた。

「鏡京介殿か、聞いたことがある名だが、何だっただろう。年のせいか思い出せない」

「まだ、そんなお年ではないように見えますが」

「いやいや、年には勝てません」と言っていた田中修太が、「あっ、思い出した。確か、白鶴藩の飛田村で山賊を成敗した者(「僕が、剣道ですか? 2」参照)の名が鏡京介殿とか申されていた。その鏡京介殿ですか」と訊いた。

 僕は頷いた。

「いや、お若い。もっと、年をとった方かと思っていました」と田中修太が言った。

「今、おいくつですか」と訊くので、僕は「二十三です」と嘘を言った。

「すると、山賊を成敗した時は十八の時でござるか」と訊くので「そうです」と答えた。

 しばらく、田中修太は考えていたが、ついに「申し訳ないが、一度お手合わせをお願いできませんか」と訊いてきた。

「これほどの剣豪に会えるのは、田舎にいる身としては一生にあるかないかです。ぜひ、一度、お手合わせ願いたい」と頭を下げた。

 こうなると断ることはできなかった。

「分かりました。少しだけですが、お相手しましょう」

「ありがとうございます」

 

 僕と田中修太と木村虎之助は道場に向かった。

「道着に着替えますか」と訊くので「このままで結構です」と答えた。

 僕と田中修太は木刀を持ち、木村虎之助は道場の隅に座った。

 僕は神棚に一礼をすると、田中修太に「お願いします」と言った。田中修太も「お願いします」と言って頭を下げた。

 蹲踞の姿勢を取った後、立ち上がり、木刀を突き合わせると、少し下がった。

 正眼の構えを取り、じりじりと間合いを詰めていった。僕はすでに自分の間合いに入っていたが、背が少し低い相手はまだだった。相手の間合いに入ると、木刀を突いてきた。僕は、その木刀を叩くと、喉元に木刀を突きつけた。そのまま、少し下がって、相手と木刀でやり合いを少しした。僕の方が押していたが、木村虎之助の手前もあって、田中修太をたたき伏せるということはしなかった。

 半時ほど打ち合って、お互いに後ろに下がって、蹲踞の姿勢を取り、頭を下げた。

「いゃあ、お強い。聞きしに勝るお強さですね」と田中修太が言った。

「いえいえ、あなたもお強い」と僕は言った。

「鏡京介殿とお手合わせできて、嬉しく思います。虎之助、よくお連れになったな」と言った。

 木村虎之助は照れていた。

 それからしばらくして、道場を後にした。

 

 木村の屋敷に着いた頃には、日が暮れていた。

 客室に戻るときくがききょうを抱いて駆け寄ってきた。

「お帰りが遅いので、心配しましたよ」と言った。

「ちょっと汗をかいてきただけだよ」と言った後、虎之助に「風呂に入りたいが、よいかな」と訊いた。

「どうぞ、ご案内します」と言った。

「きくも行くか」と訊くと頷くので、「用意しろ」と言った。

 きくの用意ができると、きくはききょうも連れて、一緒について来た。

 風呂は、屋敷の外に小屋が建っていて、その中にあった。下駄が用意されていて、それを履いて湯屋まで行った。

 湯屋には、手ぬぐいと浴衣が用意されていた。

「どうぞ、こちらです。ごゆっくり、どうぞ」と言って、虎之助は屋敷の方に向かった。

 浴室の前で、着物を脱ぎ肌着とトランクスを脱ぐと、きくはそれを自分の方に寄せて、新しい肌着とトランクスとタオルを浴衣の上に置いた。

 僕は裸になると、浴室に入った。見ると五右衛門風呂だった。蓋を取ると踏み蓋が浮かんでいた。まず、湯を桶に汲んで頭や躰を手ぬぐいで洗った。そして、折たたみナイフで髭を剃り、顔を洗うと、蓋に乗り、豪快に溢れる湯に入った。

「湯加減はどうですか」と下働きの者が風呂の外から訊いた。

「いい湯加減だ」と答えた。

「そうですかい。ゆっくりと浸かりなせぇ」と言った。

「そうする」と応えた。

 きくとききょうが入ってきた。きくも五右衛門風呂は初めてのようで、「どうやって入るんですか」と訊くので、僕は一旦風呂から上がり、蓋が浮いてきたところへ、足を乗せてそれを沈めながら湯に浸かった。

 きくとききょうが躰を洗うと、僕と交代した。五右衛門風呂は二人が入るには、狭すぎた。

 僕はかけ湯を躰に掛けると、手ぬぐいを絞って躰を拭き、「先に上がってるぞ」と言った。きくは「はい」と応えた。

 タオルで躰を再度拭き、水気を取ると、肌着を着ずにトランクスだけを穿いた。そして、浴衣を着て、帯を締めた。

 タオルと肌着を持つと、下駄を履いて屋敷に戻ってきた。客室に入ると、荷物が隅にどけられていて、布団が敷かれていた。

 布団の上には、二つの団扇が置かれていた。

 その一方を取り、縁側で夕涼みをしていた。

 そのうち、きくとききょうも出て来た。

 縁側の掛け竿に洗濯してきた物を干した。

 しばらくすると、虎之助が襖の向こうから「失礼します」と声を掛けた。

「入ってきてもいいですよ」と言うと、虎之助は襖を開け、「夕餉の準備ができましたので、いらしてください」と言った。

「かたじけない」と言って、僕はきくとききょうとで、虎之助の後に従った。

 廊下を二度曲がった所で止まり、障子戸を開けた。

「こちらです」と虎之助は言った。

 中に入ると、目付の木村彪吾が座っていた。僕たちは上座に座らされた。