小説「僕が、剣道ですか? 4」

 目付の木村彪吾は、目付らしい鋭い眼光をしていた。

「今日は息子、虎之助の危ないところをお助け頂きありがとうございます」

「いえいえ、番所の役人も来ていましたから、私がいなくてもなんとかなったでしょう」

「その番所の役人たちも斬られたと息子からは聞いていますが」

「まあ、前に関わりのある者でしたので」

「その関わりとは」

 木村彪吾は何でも問わずにはいられない性格のようだった。

「昔、その者の兄を斬ったのです」

「何と」

「月影竜之介という辻斬りでした。ですから、彼には私を斬る理由があったのです」

「で、あなたを斬ろうとしたのですね」

「そうです」

「しかし、逆に斬られた」

「はい」と僕が返事をすると、虎之助は「あの者は先にわたしに言いがかりをつけてきたのです」と言った。

「目付、木村彪吾様の嫡男と知って、言いがかりをつけたのです」と僕が言った。

「わたしの嫡男と知って言いがかりをつけたと申されるのか」

「ええ」

「それはどういうことでしょう」

「分かりません。しかし、相手が虎之助様を木村彪吾様の嫡男と知って、言いがかりをつけたのは確かです」

「そうなのか」と木村彪吾は虎之助に訊いた。

「わかりません。ただ、目付、木村彪吾の嫡男虎之助であると言ったのにもかかわらず、『それがどうした。武士同士の争いに、父の威を借りるキツネにでもなったつもりか』と言いました。その後、番所役人が来たのですが、これも斬られ、その時に、金を置いていけと言ったので、最初は金目当てであったろうと思います。そして応援に来た番所役人の手下の者も斬られました。もう一人の番所役人もいたのですが、どうすることもできずにいたところに、鏡京介殿が現れたのです」

「鏡殿はどう思われる」と木村彪吾が訊いた。

「最初は確かに金目当てだったでしょう。しかし、それならば、番所役人を斬りますかね。斬った後に、金を要求したのです。どう考えても不自然です」

「なるほどな」

「金の要求は、真の目的を隠すためか」と木村彪吾が呟いた。

「私はそう思いました」と僕は言った。

「わたしにも敵は多いからな。我が息子を狙ってきたのか。なるほど」と呟いた後で、「これは失礼した。夕餉がまだであったな。存分に食べて行かれよ」と言った。

 僕は、焼き魚以外に、久しぶりの本格的な煮物に舌鼓を打った。

 夕餉が終わろうとしていた頃に、木村彪吾に「鏡京介殿に頼み事があります」と言われた。

「何ですか」と応えると、「願わくば、もうしばらく、我が家に逗留して貰いたいと思っています」と言われた。

 僕はきくを見た。きくは僕のしたいようにすればいい、という顔をしていた。

「分かりました。お言葉に甘えさせて頂き、しばらく逗留することにします。ただし、口留番所を速やかに出られるように口添え書きを頂きたいと思います」と答えた。

「わかりました。それくらい当然のことです」と言った。

 

 客室に戻ると、きくに「これで良かったんだろうか」と訊いた。

「あなた様が決めたことではありませんか」と答えた。

「それはそうなんだが、何やら面倒なことが起きそうな気がする」

「多分、起こるでしょうね」

「やはり、そう思うか」と言うときくは笑って、「あなた様の行く所に面倒なことが起こらなかったことってありましたか」と言った。

「それもそうだな。考えていても始まらない。寝ようか」

「はい」

 

 次の日は朝早くに目が覚めた。

 顔を洗い、髭を剃っても、まだ朝餉までに時間があったので、床の間から本差と脇差を持ち出してきて、浴衣を着たまま、三十分ほど素振りをしてみた。すると、随分と刃こぼれがしているのに気付いた。この前の盗賊討伐の時に、刃こぼれがしたのであろう。気になったので、今日、町に出たら、研ぎ師を探して研いでもらおうと思った。

 井戸場で手ぬぐいを桶に浸して、汗をかいた躰を拭いて、客室に戻ると、女中が「朝餉です」と呼びに来た。

 浴衣を脱いで、着物に着替えると、朝餉の準備がされている部屋に向かった。

 昨日と同じように座った。

 木村彪吾から、「昨夜は眠れましたか」と訊かれたので、「はい、ぐっすりと眠りました」と答えた。

「それは良かった。では、粗末な朝餉ですが、召し上がってください」と言った。

 僕ときくはご飯に焼き魚を食べ、味噌汁を飲んだ。ききょうは皿をもらい、ご飯に味噌汁を掛けて箸で潰したものをよく食べた。

 朝餉が済むと、木村彪吾は「わたしは登城するのでこれで失礼します。後は、虎之助に訊いてください」と言って屋敷を出て行った。

 僕ときくは客室に戻った。きくは哺乳瓶を出してきて、タオルに包んで庖厨を借りて、ミルクを作りに行った。

 そのうちに、虎之助が顔を出した。

「今日は、道場には行かないのですか」と訊くと「今日は昼餉を食べてから、一刻ほど行ってきます」と言った。

 きくが庖厨から戻ってきたので、「これから町を虎之助殿に案内して貰おうと思うが、きくも行くか」と訊くと「行きます」と答えた。

 僕が「支度をしてから出かけるので、玄関で待っていてください」と言った。

「わかりました」と言って、虎之助は客室を出て行った。彼に見られたくないショルダーバッグなどを、風呂敷で包んだ。その前に、裁縫道具入れから、きくに針を一本出して貰い、風呂敷を包んで縛ったら、その一箇所に針を刺しておいた。こうすれば、風呂敷包みを開けて中を見たかどうかが分かるからだった。

 こうして持って行く物を別の風呂敷に包んで肩に掛けると、玄関に向かった。

 虎之助が待っていた。

 

 城下町だけあって、町は広かった。まず研ぎ師のところに案内してもらった。

 刀を見せると、「随分と刃こぼれしていますね」と言われた。

「本差と脇差の研ぎ代はいくらか」と訊くと「一分です」と答えた。

「いつまでに研げる」と訊くと「八つ時(午後三時)までには研ぎ上げておきます」と答えた。「分かった」と言って、巾着から一両出して三分のおつりをもらって、研ぎ師のところを出た。

 歩きながら虎之助と話した。

「昨日の月影竜次郎をどう思う」と訊くと、「金目当てではなかったのですか」と応えた。

 僕は首を左右に振った。

「確かに金を要求したが、それなら明らかに道場帰りの者と分かる者にねだるかな」と僕は言った。

「わたしなら、もっと金を持っていそうな商人を狙うでしょうね」

「そうだね。しかも虎之助殿が目付の嫡男だと言ったのにもかかわらず、因縁をつけ続けた。そして役人まで斬ったのだ。尋常じゃない」と僕は言った。

「わたしを目付、木村彪吾の嫡男と知って、因縁をつけてきたと鏡様は思っているのですね」

「昨日の夕餉でも、話したとおり、そう思っている」

「何故でしょう」

「それは分からない。当人が死亡した今となっては、理由を知る手立てがない」と言った。

 町を一通り見て歩き、昼になったので、屋敷に戻った。

 屋敷に戻ると昼餉の準備がされていた。

 

 昼餉が済むと、虎之助は道場に行った。

 置いてきた風呂敷を見た。針が落ちていた。誰かが中身を見たことになる。誰が見たにしろ、中身について、主人である木村彪吾に伝わることだろう。

 僕は今日の夕餉の席が楽しくなってきた。