小説「僕が、剣道ですか? 1」

二十六

 朝餉の後、道場に行くと、前進しながらの素振りをしていた。数日の間に、皆の動作が素早くなっていた。

 相川と佐々木を呼んだ。

「お前たちは掛かり稽古をしろ」

 二人は掛かり稽古の意味がわからないようだったので、説明をした。元立ちといわれる者に対して、掛かり手が一方的に攻める。元立ちは打ち込まれないように、隙を作らない。掛かり手は元立ちの隙を作るようにして打ち込む。これだけである。

 掛かり手の攻撃として、小手、胴、突き、面があることを教えた。

 その中でも、今日は、小手をするように指示した。

 まず、僕が元立ちになって、二人に掛かり手をやらせた。一つの技をかけるのには十五秒ほどに制限し、それを連続してやらせた。

 十分もすると、二人の息が上がってきた。

「もっと気を入れて」と僕は言った。

 二人は、次々に打ちかかってきた。僕はその木刀を、僅かに木刀の切っ先を動かして軌道をそらし外していった。とにかく、絶え間なく打ち込ませ続けたので、三十分後には、二人は打ち込めないほど疲れ切っていた。

「これを小手、胴、突き、面で一時間も連続してできるようになれば、次の技を教える」と僕は言った。

「今は私が元立ちをしたが、百本打ち込むごとに、二人は交互に元立ちと掛かり手を交代するように」

 二人は「そんな」と言ったが、僕は「時間がないんだ。お前たちには早く上達してもらわなければ困るんだ」と言った。

 

 僕は座敷に戻り、床の間から真剣を取り出して、宙を切ってみた。空気が切り裂かれていく感じがはっきりとした。なるべく素早く振ってみた。空気が切れていた。刀の峰の所が一瞬だが真空になった。そのため、刀が持ち上げられそうになる。素早く、切っていくと空気が蜜のように粘り気のあるもののように感じる。

 三十分ほど剣を振っていたら、汗が出てきたので、井戸に行き、水を汲んできて、手ぬぐいで汗を拭いた。道場では、僕はほとんど動かなかったのと同じだったので汗が出なかったのだ。

 躰を拭っている時に、きくがやってきた。僕が着物の上半身を脱いで拭いていたので、「きゃっ」と小さく叫び、着物の裾で目を隠した。

 僕は汗を拭き終わると、桶で手ぬぐいを濯ぎ、掛け竿に掛けて干した。

 その時、相川がやってきて「道場にお客さんがお見えになっていますよ」と言ってきた。

 誰だろうと思っていくと、たえだった。

 僕は裏庭の方に回ってもらい、縁側から座敷に上がってもらった。

 きくがいたので「お茶を頼む」と言った。きくは、たえの顔を見て、何も言わず庖厨に向かった。

 ぼくはたえに座布団を勧め、自分も座布団に座った。たえは座布団を横にずらして畳に座り、両手を突いて頭を下げた。

 それから懐からふくさのようなものを出して、僕の方に差し出した。開けて見ると一分金が入っていた。

「これは」と訊くと、たえは「お返しするとお約束したお金です。どうぞ、お納めください」と言った。

 別に返してもらわなくてもいいのに、と思ったが、僕が受け取らなければ、たえが困ることは目に見えているので、黙って一分金を取ると引出しを開け、巾着の中に入れた。

 ふくさのようなものは、たえが懐にしまった。

 その時、きくがお茶を運んできた。

 お茶を出すと、僕からは少し離れてはいたが、横に並ぶように座った。普通なら、客人より、下がって座るところだったのだが。

「町では、お寺参りの一件のことで持ちきりですよ」とたえが言った。

「あたりに人がいるようには見えなかったが」と僕が言うと、きくは「お墓参りをしている人は他にもいらっしゃいましたよ」と言った。

 僕は相手にばかり注意を払っていたので、周りの人のことは気付かなかったのだ。

「あなたも一緒だったのですか」とたえがきくに訊くと、「きくと言います。鏡様とは一緒でした」と答えた。

「怖かったでしょう」とたえが言うと、本当は怖い思いをしたはずなのに「鏡様と一緒ですもの、怖いはずがありません」とぴしゃりと言った。

「そうですよね。鏡様はお強いですものね」

「そうです」

「それにお優しい」

 それを聞くと、きくは僕の方をキッと見た。

「川で溺れそうになった男の子をお助けになったんですよ」と、たえが助け船を出すかのように言った。

「それも町では噂として広がりましたから、お寺の一件とともに凄い噂になっていますよ」と続けた。

 きくは「お寺のことは、さっきも申したとおり、わたしも一緒でしたから知っています。凄かったですよ」と言った。

 こんな具合に続いたのではたまらないと思っていたところに、たえが「わたしはこれで失礼します」と言ったので、僕は「玄関まで、おたえさんを見送ってくる」と言った。

 

 玄関を出た後も、角まで歩いた。

 たえは、袖を口元に持って行き、少し笑った。

 僕が怪訝な顔で見ると、「おきくさんはかわいらしい娘さんですね」と言った。

「どこがですか」と訊き返すと、たえは「お気付きになりませんか」と言った。

 僕が首を捻っていると、たえは「鏡様らしゅうございますね」と言った。

 僕は余計に分からなくなっていた。

 

 座敷に戻ると、きくが待っていた。

「玄関まで見送るのに、随分とお時間がかかったこと」と言った。

 角まで見送ったとは言えなくなっていた。

「今日は、どんな御用でしたの」と訊かれたが、お金を返しに来たとは言えなかった。

 きくが立って座敷を出て行く時に、本人は意識していなかったかも知れないが「あんな大女のどこが……」と呟いているのが聞こえてきた。

 

 午後になると、中年の女中が上の肌着と厚手のシャツが縫えたと言って持ってきた。

 きくもいた。上の肌着を着る時、着物の上をはだけるように脱ぐと、きくは目を覆った。

 中年の女性は、そんなことはなく、僕の肌着がちゃんと合うかどうか見ていた。肌着の紐を結ぶと、着心地は良かった。

 厚手のシャツは生地がいまいちだったが、これも上手に縫えていた。

「ありがとう」と言うと「お役に立てて嬉しゅうございます」と言った。

 中年の女中が出て行くと、きくは「肌着はともかく、上着は、それを着て外を歩くのはお止めください」と言った。

「分かっている」

 こんな、この時代にない服装で外を歩いたら、目立つだけでなく、誰何(すいか)されるに決まっている。

「これから町に出ないか」ときくに言うと、きくは顔を輝かせて「お待ちになっていてください」と言って、奥に引き込んだ。

 しばらくして着替えてきた。

 僕は道場に寄って、木刀を一本持ってきた。道場で使われている木刀には、鍔がなかったので、それを作ってもらおうと思ったのだった。

 町に出ると、僕は目立つらしくて、人目を引いた。

「あのお寺参りの……」と言って通り過ぎていく人もいたし、「溺れている男の子を助けた人よ」と言う女もいた。

 当然、隣を歩くきくも誰かと詮索された。

 道具屋に入り、木刀を見せ、鍔が欲しいと言った。

「いくつ入り用で」と訊くので、「百」と答えたら、「そんなにはございません」と言われた。

「幾つならある」

「ちょっとお待ちください」と店の者が中に入り、「八つございます」と言った。

 そのうちの一つを木刀に付けて見た。うまく柄の部分を残す形で嵌まった。

「全部もらおう」と言って、代金を払った。

「ありがとうございます」

「それと後、これと同じものを九十二個、作ってくれ」と言った。

「わかりました」

「いつ頃できる」

「六日、お時間を頂けますか」

「では、六日後にまた来る」

「お待ちしています」

 店を出て、しばらく歩くと、きくの櫛を買った店を見つけた。

「あそこだよ、きくの櫛を買ったのは」

 そう言うと、きくは駆け寄るようにして中に入っていた。

 自分が今している櫛はさほど高くはなかったが、漆塗りのものはさすがに高く、「こんなにするんですか」と言ったきりだった。

 

 屋敷に戻ってくると、僕は早速、購入してきた鍔を木刀に付けた。

 鍔のついた木刀が八本できた。

「鍔を叩くような感じで小手を打って見ろ」と言った。

 今までは、直接手を打つことを禁じていたから、踏み込んでの小手の感触がいまいち湧かなかったようだ。しかし、鍔を叩くように打つ小手は違っていた。