二十七
朝、道場に行けば、小手の次に胴、突きそして面の打ち方を教えた。そのうちに、連続技も教えるつもりだった。
一の日が来たので、僕は堤道場に行った。
たえが門の所で待っていて、「家に寄っていきますか」と言うので、「道場の稽古風景を見学させて頂いてよろしいですか」と訊いた。
たえは、明らかに僕を待って町に行こうとしていたので、がっかりしたようだったが、「ちょっと見るだけです。後で町に行きましょう」と言うと「はい」と言って、僕を道場に案内した。
入るなり、凄まじい稽古ぶりだった。それも本格的なものだった。僕が弟子たちに教えられないことを堤は教えていた。指導するという点では、堤の方が数段勝っていた。
「どうです」と堤に訊かれて、僕は「感服しました」と答えた。
「できれば、我が道場に来て、稽古を付けてもらいたいものです」と続けた。
「ご冗談を」
「冗談ではありません。私は教えることには、才能がないのです」と言った。
「直に教えなくとも、弟子たちは師匠の背中を見ているものです。それでいいではありませんか」
僕は答えようがなかった。答える代わりに、「おたえさんをお借りします。町を案内してもらいます」と言った。
「どうぞ。たえも待っていましたから」
「お父様」
「いいじゃないか」
「では、失礼します」
町を歩けば、二人はやはり目立った。
「この間のお嬢さんとは、また別の人ですか」と声をかけて通り過ぎていった者もいた。
「おきくさんのことですか」とたえが訊いた。
僕は黙って頷いた。
「おきくさんが羨ましいです」と、たえは、つい言ってしまった。
「そうですか」と僕は聞き流した。
お昼は蕎麦にした。二階席に上がり、障子を閉めると、たえは身を固くした。
僕は笑って、「下では落ち着かないから、二階にしたまでです」と言った。女将が上がってきて、てっきり酒を注文するものと思っていたようなので、「酒は飲まないが二本付けておいてくれ」と言った後、蕎麦と天ぷらを注文した。
「お父上は、なかなか教え方が上手いですね」と僕は言った。心からそう思っていた。
「そうですか」とたえが応えた。
「ええ。門弟の上達ぶりを見ていれば分かります」
「嘘でも嬉しいです」
「嘘なんか、言いませんよ。私は弟子に教えることができない未熟者です」
「そんなことはないでしょう。あれほどの腕をお持ちなんだから」
「私の剣は教えられるようなものではありません」
「そんなことはないでしょう」
「でも、そうなんですよ。教えることのできない剣なのです」
そのうちに蕎麦と天ぷらが運ばれてきた。
食べ終わって、代金を払い、外に出ると、少し遠くに大手を振って歩いてくる侍たちが見えた。このまま進めば彼らと鉢合わせになる。
僕はそれを避けたくて、横道を探した。少し先に横道があったので、たえの袖を引っ張るように、その横道に入った。そして歩いて行くと前を三人のチンピラが道を塞いだ。
「何の真似だ」と訊くと、「後ろの旦那に訊いてくださいよ」と言った。
振り向くと、さっき通りを大手を振って歩いてきた侍衆がいた。
「何か御用なのですか」
「何だとその言い方は」
「言い方が悪ければ謝ります。しかし、わざわざ、道を空けたのに、こちらに向かわれてこられたのはあなた方の方ですよ。しかも、そこの三下に道を塞がせて」
「たまたま、ここを曲がろうとしたら、おぬしが先に曲がっただけのこと、平侍なら頭を下げて通るまで上げるな」
「分かりました。どうぞお通りください」
僕は頭を下げた。たえにも下げさせた。
「おぬしも大したことないな。武士ならこれほど言われて怒りもせんとは情けない者だ」
もう一人の者が「言われているほど大した奴じゃないな」と言った。
別の一人が「さよう、さよう」と相槌を打った。
「切れる刀ほど鞘に収めておくものです」と僕が言うと、「何」と一人が刀を抜こうとしたので、「止めておけ」と中心格の男が言った。
「今日は、顔を拝みに来ただけだ」と続けた。
「行くぞ」とその者が言うと、連中は引き上げていった。
僕は横道の出来事を見ていた人に、「今の侍たちが誰か、分かる者がいるか」と訊いてみた。すると、中の一人が「あれは確か、大目付の嫡男、滝村郡兵衛様たちですよ」と言った。
「彼らを見かけたら、みんな家に入りますよ」
「そうか、大目付の嫡男、滝村郡兵衛か」
たえは少し怒っていた。
「あんな奴らに頭を下げることないのに」
「それで向こうの気が済むんだったら安いもんじゃないか」
「こっちの気が済みません」
「おたえさんも、きくに似ているね」
「わたしがですか」
僕が頷くと「お世話係の小娘と一緒にしないでください」と言った。
大女に小娘ですか、と僕は内心では思っていた。
堤道場にたえを送っていくと、堤竜之介にお願いごとをした。六日に一度弟子を二人、堤道場に来させるから、彼らを鍛えて欲しいと頼んだのだった。それでもって一分金の代わりとさせて欲しいと言った。
「それではあまりにも、こちらに都合のいい条件でございます。それは鏡殿の優しさでございましょうが、受けかねます」と言われた。
僕も言い出した以上、引けなかった。それに弟子を鍛えてもらうのには、理由があったからだ。
「どうしても受けてもらわなければならない理由があるのです。ご承知願いたい」
僕の決心が固いのを見て取ると、堤竜之介は「わかりました」と言った。