小説「僕が、剣道ですか? 1」

 僕は全身、血しぶきを浴びていた。盗賊たちがいなくなると持っていた刀を放り捨てた。

 籠の戸が開き、「重ね重ね、ありがとうございました」と中の女性が礼を言った。

 戸が閉まると、籠は持ち上げられ、動き出した。

 僕は「あそこに倒れている仲間はどうするんですか」と言うと、お付きの侍の一人が「後で人を寄こして屋敷まで運びます」と答えた。

 

 僕は白鶴藩の家老の屋敷に招かれると、まず、風呂に入りたいと言った。何しろ、全身血だらけだったのだから当然の要求だった。

 風呂が焚けたと言うので、風呂に行ってみると、そこは言ってみればサウナ風呂のようなところだった。水を温めたものが浅い風呂桶に入っていたので、手桶を探したがない。しかたなく、かけ湯もしないで、浅い風呂桶に漬かっていると、風呂の戸が開いて若い裸の女が入ってきた。

 風呂桶から立ち上がった僕は、慌てて手で股間を隠そうとしていると、「お背中をお流しします」と言って、風呂桶から出た僕の背中を女は手ぬぐいで擦った。しばらく、そうしていると手桶を棚から出してきて、桶から湯を汲んで背中を流した。僕が「それを渡してくれ」と頼むと女は手桶を寄こした。僕はそれに湯を汲んで、頭を洗った。頭からは血が滴った。湯が透明になるまで、頭を洗った。

 風呂から出ようとすると、女が「躰を拭きます」と言ったので「それは自分でする」と応えると、「それでは困ります」と女は言った。僕はどうせ夢の話なのだと思うことにして、女のしたいようにさせた。

「着替えは」と訊くと、「こちらに用意してあります」と棚の中の籠を指して言った。

 見ると思った通り、浴衣に近い着物だった。下着はふんどしだった。

 パンツじゃないのかよ、と思った。お尻にねじるようにして締めることは知っていたが、そんな穿き方はしたくなかった。ふんどしを後ろから広げたままで前に持ってきて、そこで紐を結んで余った布は前に落とした。なるべくブリーフパンツに近い形になるように穿いた。着物は女に着せてもらった。帯の締め方が分からなかったからだ。

 

 夕餉は客扱いを受けた。家老は今、城中に行っているとかで、嫡男が上席に座って接待をした。名前を訊かれたので「鏡京介です」と応えた。その嫡男の隣に、今日、籠に乗っていたと思われる婦人が座っていた。

「妻のあきだ」

 襲われたのは、この人の嫁だったのか、と思った。

「あきです。この度は大変危ないところを助けていただき、ありがとうございます」と言った。そして、立ち上がって、奥に行った。

「一緒に食事をするのではないのですか」と僕が訊くと、嫡男が「当家では女性は別室で食事をとることになっている」と答えた。

「そういうもんですか」と僕は言った。

 夕餉は、彼らからすれば豪勢なものだったかも知れないが、それでも現代から見れば粗末なものだった。ご飯は茶漬けだった。漬物が添えられていたが、僕は漬物が苦手だった。そして、主菜は魚の日干しの焼いたものだけだった。魚は身の部分だけを食べた。

 酒を勧められたが、僕は飲めないと言って断った。

 接待をしてくれた家老の嫡男は、島田源太郎と名乗った。僕も鏡京介と名乗った。

 島田源太郎は、二十歳半ばだそうだが、そうには見えなかった。もっと老けて見えた。彼には僕は子どもに見えたかも知れない。

 彼は近く家督を継ぐという話をした。彼の嫁は菩提寺に墓参りに行っての帰りだったそうだ。

「このあたりを根城にしている盗賊の話は聞いていたが、まさか家老職の家の者を襲うとは思わなかった」と言った。

「奥方の警護をするのであれば、もっと腕の立つ者を付けるべきではなかったのですか」

 そう僕が言うと、彼は自嘲するように笑い、「あれでも城中で腕の立つ者だったんだがな」と答えた。僕は何も言えなかった。あの盗賊を前にして、まるで実戦経験が無い者かのように為す術も無かった四人を思った。

 実戦経験が無い。そうだったかも知れない。あの四人は道場では強かったかも知れないが、実戦経験が無かったんだ。それに比べて盗賊たちは、日々実戦を繰り返している。その差が技術を上回ったんだ。

 それだったら自分も同じではないか。実戦経験といえば、夏季剣道大会兼関東大会の団体予選をしたといえばいえるかも知れないが、あれは命を賭けた戦いではなかった。本物の実戦経験とは、ほど遠いものだった。ならば、何故、奴らを追い散らすことができたのだ。何故、何人も殺したり、怪我を負わせることができたのだ。

 答えは簡単だった。時だった。戦いが進めば進むほどに、時がゆっくりになっていくのが分かった。相手の刀の動きがスローモーションのように感じられた。この経験は前にもあった。夏季剣道大会兼関東大会の団体予選の初戦の大将戦でだった。相手の動きが凄くスローに見えた。今日もそうだった。だから、相手の刀をかわすのも容易かった。あの大男にしてもそうだった。

「だが、そなたが連中の中でも手に負えなかった一番強い奴を倒してくれたので、こちらも征伐隊を送れる」

「あいつらがどこを根城にしているか、分かっているのですか」

「大体のところは……」

「そうですか」

「近く征伐隊を編成しようと思っている」

「…………」

「鏡殿も加わって頂けますかな」

「僕、いや、私もですか」

「そうだ。そうしてくれると百人力だ」

 僕はどうやら引くに引けない状況に追い込まれているようだった。もう一度、断ってもおそらく、また頼まれるだろう。次の家老になろうとしている人に対して、そうそう断り切れるものではないし、相手も一度言い出したら引きはしないだろう。

「分かりました」と僕は、諦めるように言った。

「そうか。頼んだぞ」と言いながら、また酒を勧めようとしたので、飲めないとそれだけは断った。

 

 夜、座敷に布団が敷かれ、僕はその部屋に案内された。部屋の隅に行灯が置かれていたが、その光は薄暗かった。

 厚手の着物のような形状の掛け布団に包まった。行灯の火を消しに行こうかどうか、迷っている時に襖が開いて、若い女が入ってきた。湯屋に来た女性だった。

 行灯の火を吹き消して、僕の寝ている布団の横に立った。そして着物を脱いだ。そのまま、僕の布団の中に入ってきた。

「ちょっ、ちょっと」と僕は彼女を押しのけようとすると、「夜とぎをするように仰せつかってまいりました」と言った。

「そんなのいらないよ」と僕は言ったが、女は「それではわたしが叱られます」と応えた。

「でも、それじゃあ、眠れない」と言おうとしたが、急に躰がだるくなった。腕を動かすこともできないほど躰が疲れ切っていた。今まで気を張っていたから気付かなかったのだ。

 女は僕の前に回り、躰を押しつけてきた。女の躰を抱き取るのが、精一杯だった。僕は深い眠りに落ちていった。