小説「真理の微笑 夏美編」

四-一

『隆一様

 メモ通りに設定しました。わたしには難しくて、よくわからないところもありましたが、何とか終える事ができました。このメールが無事届くといいですね。

 今、わたしたちは埼玉のわたしの実家にいます。祐一は転校してきたばかりで、まだ友達はいないようです。

 会社は倒産しました。自宅を売却して、借金は清算しました。それでわたしたちは埼玉の実家に移り住みました。

 あなたが帰ってこない日曜日からの日々は、わたしにはとても辛い毎日でした。あなたの事が心配でなりませんでした。だから、この前、電話をもらった時はとても嬉しかった。あなたの声は聞き取りにくく、とても変わってしまいましたが、あなただとすぐにわかりました。今わたしが望む事はあなたに会いたい、その一言です。でもあなたは会えないと言う。今のわたしにはそれが理解できません。どうして会えないのですか。ぜひ、教えてください。わたしはあなたが帰って来る事を待っています。いつまでも。 夏美』

 

四-二

『夏美へ

 メールは届いた。これからはこのメールで連絡を取り合おう。    隆一』

『隆一様

 今日は、あなたが好きだったチキンカレーにしました。祐一と二人で食べました。祐一はお代わりをしました。

 あなたがいないのが寂しくてたまりません。会いたいです。  夏美』

『夏美へ

 俺もお前に会いたい。でも、それはできない。   隆一』

『隆一様

 どうして会う事ができないのか、わたしにはわかりません。病院の場所だけでも教えてくれませんか。あなたが怪我をしていると思うと、いてもたってもいられません。どんなに遠くても行きますから、教えてください。  夏美』

『夏美へ

 手紙にも書いたように、病院の場所を教える事はできない。もし、教えられるものならそうしたい。でも、できないんだ。わかって欲しい。俺も夏美に会いたい。それができないのが残念でならない。  隆一』

『隆一様

 今日は、あなたの誕生日ですね。ちゃっんとケーキ買ってきましたよ。いちごのショートケーキです。角のケーキ屋さん、覚えているでしょう、そこで買ってきました。あなたの分もあります。祐一が欲しそうにしていましたが、今日は駄目です。明日、祐一のおやつになるでしょう。

 あなたとケーキが食べたい。わたし、無理なお願い、言っている。

 こうして、パソコンを通してメールを交わせているのに、どうして会えないのか、わからないの。教えてください……。  夏美』

『夏美へ

 そうか、今日が俺の誕生日だったか。すっかり忘れていた。

 会えない理由についても、教えられない。でも、元気にしているから心配しないでくれ。と言っても、病院にいるから元気とは言えないか。  隆一』

 

四-三

『隆一様

 わたし、考えたの、居場所を教えられない理由を。女の人ができたんじゃないの。きっと、綺麗な人なんでしょう。その人に夢中なのよね。でもね、それでもいいから、わたしの事も忘れないでね。きっとよ。   夏美』

『夏美へ

 誓って言うが、女が原因じゃない。  隆一』

『隆一様

 あなたは否定するけれど、女の人が原因じゃなかったら、どうしてわたしたちを見捨てる事ができるの。わたしはあなたに会いたくてたまらないの。どうして会えないの。そのわけを教えて。お願いします。教えてください。  夏美』

『夏美へ

 もう一度言うが、会えないのは女が原因じゃない。俺も夏美に会いたい。しかし、それができない。わかってくれと言っても無理だろうけれど、わかって欲しい。  隆一』

『隆一様

 あなたが「女が原因じゃない」と書いてくれた言葉を、わたしは信じます。

 公園に行っても祐一と二人ぼっちです。かつてのわたしのように他の母親たちは、小さな子どもを遊ばせて、楽しそうに話をしています。でも、今のわたしにはそういう事はできません。第一、あなたのことを訊かれても答える事ができないし。ただ、まだ友だちもできなくて、鉄棒に一人ぶら下がっている祐一を見ると、不憫になるのです。

 でもね、今日、公園に行ったら祐一が「ぼく、足かけ上がりができるんだよ」と言って見せてくれました。

 鉄棒に逆さにぶら下がり、鉄棒に片足をかけるんです。そして、上半身を伸ばしながら躰を揺らし始めたの。それを何度か繰り返したら、くるっと回って、鉄棒の上に起き上がったんです。わたしの方を見て、笑ったのですが、見ていて落ちやしないかとヒヤヒヤしました。隆一さん、あなたにも見せたかった……。

 だから、教えてください。あなたは今、どこで何をしているのか。  夏美』

『夏美へ

 祐一は足かけ上がりができるようになったんだね。教えてくれてありがとう。

 わからないかも知れないが、こうしてパソコンを使ってメールのやり取りをしている事は、誰にも教えてはならない。誰も知らなければ一緒にこれからも歩いていけるのだから。  隆一』

『隆一様

 あなたの居場所を教えてくれないのには、きっと理由があるのでしょう。会えないのにも、理由があるのに違いありません。こうして何度訊いてもあなたは答えてくれない。

 きっとあなたには、わたしがあなたを責めているように思えるのでしょうね。

 そんな事はありません。

 こうして、誰も知らないパソコンを使ってのメールがわたしとあなたとの生命線になっています。これを誰にも教えるなというあなたの言葉は、わたし、死んでも守ります。

 あなたが書いてくれた「誰も知らなければ一緒にこれからも歩いていける」という言葉にわたしはすがります。  夏美』

『夏美へ

 辛いだろうが、そうしてくれ。  隆一』

『隆一様

 昨夜は、急にあなたが恋しくなって眠れませんでした。だから、祐一の小さな手を握りました。すぐに嫌そうに離しましたが。

 川の字になって眠っていた時に、祐一をまたぐかのように手を繋ぎましたね。そしたら、しばらくして、あなたはわたしの方に来た。わたしは嬉しかった。

 今となっては二人目の子どもが欲しかったと思っても仕方がありませんよね。もはや、かなわない事ですから……。

 隆一さん、わたしの苦しみを救ってください。

 隆一さん、わたし、あなたの夢をよく見るの。夢の中のあなたはとても優しい。そして、わたしの大好きなキスをしてくれるのです。

 隆一さん、わたしはもう二度とあなたとキスをする事ができないのでしょうか。

 隆一さん、わたしはあなたの唇を忘れる事ができません。       夏美』

『夏美へ

 俺もお前の唇を思う時がある。それがどんなときか……。書けない。とにかく、一生、お前とのキスは忘れない。  隆一』

『隆一様

 あなたが失踪した日の朝の事を思い出すのです。

 あの時、わたしは何も気付きませんでした。きっとあなたは思い詰めていたでしょうに、それに気付く事ができませんでした。

 その日の朝、わたしたちは普通に朝食をとりましたよね。何にも変わらない一日のはずでした。あなたが車で出かけていくのをわたしは祐一と見送りました。それが最後です。

 それっきり、あなたは消息を絶ちました。二日待ってもあなたは帰っては来ませんでした。ですから、警察に相談に行きました。すると捜索願を出すように言われ、その用紙に書いてきました。そして、生存連絡のお願いも一緒に提出しました。

 そして何の連絡もなく二ヶ月が過ぎました。しかし、ある日、突然あなたから電話がありました。最初の時は、何も言いませんでしたね、でもあなたからだと思いました。次にかかってきた時には、声こそ変わっていましたが、あなただとすぐわかりました。わたしはあなたが生きていてくれた事を感謝しました。さすがに二ヶ月も連絡がなければ、行方不明の死体となっているのかと思ってもきていたからです。警察にもよく足を運び、行方不明者の死体で、あなたに似たような人がいないか尋ねてみたほどです。しかし、そのような事がないと知ると安心する一方で不安もつのっていたのです。

 そんな時でした、あなたからの電話があったのは。わたしは、受話器を耳に押し当てながら泣きました。あなたが生きている。それがわかり、わたしはとても安心しました。そして、あなたを追い求めていた苦しさからやっと解放されたと思ったのです。

 でも、あなたは会えないと言いました。わたしが、なぜ、と訊いても答えてはくれませんでした。ただ、会えない。あなたの口から出る言葉はそれだけです。

 ねぇ、あなた。わたしがどれほどあなたに会いたいと思っているか、わかる。わからないでしょうね。今のわたしは全てを失ってもいいからあなたに会いたいと思っているのよ。

 お願い。あなたに会いたい。お願いします。あなた、あなたの顔をもう一度見たい。見せてください。 夏美』

『夏美へ

 俺もできる事ならお前に会いたい。しかし、それができないから、こうしてメールでやり取りをしている。今は、これが精一杯なんだ。わかって欲しい。  隆一』

 

四-四

 夏美は、高瀬から電話や手紙、メールがあった時から何もしていないわけではなかった。高瀬の手紙には「怪我をして、ある病院に入院している」と書かれていた。

 夏美はまず茅野にある病院全てに電話をして、高瀬隆一が入院していないか、確認した。しかし、答は全て「そのような患者さんはいません」だった。

 次に都内の病院に電話した。電話で答えてくれるところもあったが、その回答は「いません」だった。電話で答えてくれないところには、夏美自身が病院に出向いて尋ねた。その一つに富岡修が入院していた大学病院もあった。しかし、高瀬隆一という名前の入院患者はいないと言われた。その他の病院もほぼ同じだった。

 東京近郊の大病院にも電話した。しかし、収穫は何もなかった。

 こうして、高瀬隆一を捜し求める夏美には、まるで高瀬隆一がこの世からいなくなったような気がしてきた。

 しかし、電話があり手紙が送られてきて、毎日メールをしている。高瀬隆一は、どこかにいるのだ。夏美は明後日、警察に相談しに行こうと思った。

 

『隆一様

 先程、祐一と夕食を済ませました。あなたが美味しいと言ってくれたミートソースのスパゲティです。いつもの分量で作っていたら、あなたの分まで作ってしまいました。残ってしまったので、明日はナポリタンにして食べます。

 夜が来るのがこわい。ベッドに横たわっても、伸ばした手の先があなたに触れるわけではありません。あなたがいない事を痛いほど思い知るのです。

 長い夜はあなたの事を思っています。あなたの事を思い出し、あなたと一緒によく行った場所を思い出すのです。その光景を思い出すたび、涙が溢れてきて止まりません。毎晩、枕を涙で濡らしています。

 どうして会えないのですか。どうしても会えないというのなら、わたしがあなたを捜すしかありません。

 明後日、警察にもう一度行ってきます。そして、あなたから電話があった事、パソコン通信のメールが届いている事、手紙が送られてきた事を話すつもりです。そして、あなたの居所を捜してもらうつもりです。

 ただ会えないと書いてきたら、わたしはきっとそうします。この決心はかたいものです。

 明日一日、あなたに時間を差し上げます。よく考えてください。

 もし、お返事がなかったり、前と同じように、理由もわからないまま、ただ会えないというのであれば、わたしは警察に行きます。  夏美』

『夏美へ

 警察に行くことは許さない。もしお前が警察に行くことがあれば、もはやお前は妻ではない。祐一は俺の子ではない。お前たちとは絶縁する。そして、一切の連絡を絶つ、絶対にそうする。電話をしないし、メールも手紙も一切送らない。  隆一』

『隆一様

 あなたはむごい人です。わたしが警察に行けば、絶縁するとメールに書いて寄こしました。もう、電話をしないし、メールも手紙も一切送らないと書いてありました。そして、永久にわたしと祐一の前から姿を消すとも。

 あなたはわたしに、俺がお前たちの記憶まで消し去らなければならない事をするのか、とまで書いてきました。わたしが警察に行けば、必ずそうすると書いてありました。

 そんな事をされたら、わたしが生きてはいけない事をあなたは承知して書いてきたのです。そう書いてきたのには、それなりの訳があるのでしょう。

 それはきっと良くない訳に違いありません。あなたは、きっと許されない罪を犯したのですね。それで出てこられないのですね。会えないのは、そういう事なのですね。

 もし、間違っていたらごめんなさい。でも、そう考えるより他に考えようがありません。

 わたしはあなたに見捨てられたくはありません。だから、警察には行きません。もう、警察の人ともあまり関わらないようにします。ですから、電話をかけないなんて言わないでください。メールをしないなんて言わないでください。

 わたしが悪かったのです。許してください。

 でも、あなたに会いたい。この気持ちだけは止める事ができません。わたしを、このわたしを不憫に思ってください。お願いします。  夏美』