小説「真理の微笑 真理子編」

五十五

 大晦日だった。起きたのは昼を過ぎていた。

 昨夜と言うより、朝まで真理子は高瀬に抱かれていた。

 高瀬が寝室の電気を消さず「真理子の顔を見ていたい」と言うので、恥ずかしかったがそうした。真理子は目を閉じ、いつか週刊誌に載っていた不鮮明な高瀬の顔を思い浮かべて、高瀬に何度も抱かれた。真理子は自分でも驚くほど大きな声を上げていた。

 

「お昼はどうする」と真理子が高瀬に訊くと「いいよ、真理子でお腹はいっぱいだ」と返ってきた。

「嫌な、人ね」と真理子は笑い、「もう少ししたら、お蕎麦を買いに行くわね」と言った。

「うん」

「大きなエビ天も買ってくるわ」

「期待している」

「他に欲しいものある」

「いいや」

「そう」

「いや、真理子が欲しい」と高瀬が冗談を言った。

「また後でね」

「今日は眠らせないから」と高瀬が言った。

「今日もでしょ」と真理子が返した。

「そうか」

「一緒に除夜の鐘を聞きましょう」

「そうしよう」

 

 真理子は真っ赤なポルシェでデパートに向かった。

 デパートは混雑していた。特に食料品売り場は人の隙間のないほどの混みようだった。

 やっと、八割蕎麦と大きなエビの天ぷら二本を買うと、真理子は早々に売り場を出た。

 

 真理子が帰ると、高瀬の姿が見えなかった。どうしたのか、不安になってあちらこちらを探すと高瀬は納戸にいた。

「何してるの」と真理子は、高瀬に訊いた。

 高瀬はビックリしたように振り向くと、「シャフトを拭いていたんだ」と答えた。

「そう、そうよね」と真理子は言ったが、そこにいるのは富岡ではなく、高瀬なのだ。どうしてなのか、訳が知りたくなった。

「あなた、去年まで、正月になると必ずゴルフに行っていたものね」

「そうだったのか」

「そう。新年の挨拶だとか言って、業界主催のゴルフ大会や友人に誘われたら、毎日出かけていったわ」

「今年は誘われないのか」

「友人、知人はあなたの躰のことは知っているから、ゴルフに誘ったりはしないわよ。業界からの招待状は、わたしが不参加に○をして出しておいたわ」

「そうなのか」

「でも、こういうことは覚えているのね」

「別に覚えているというわけではないが……」

 高瀬はクラブを磨くのをやめて、ゴルフバッグの中にしまった。その様子を見ていて、真理子はハッとした。アルバムの時と同じなのだ、そう思った。

「使わないのなら、誰かにあげるか、捨ててしまえばいいわ」と真理子が言うと、高瀬は「そうだな」と応えた。

 

 真理子がリビングのソファに座ると、高瀬は真理子を抱き寄せた。

「あなた、変わったわね」

「死にかけたんだ。人生観も変わるさ」

「人生観ね」

「…………」

「人が変わったよう」

「俺は俺だ」

「それはそうね。でも、良い方に変わったと思うわ」

「そうか」

「まず、わたしに対して優しくなった」

「前から優しかったじゃないか」

「前の優しさは、偽りのような気がする」

「そんな」

「わたし、知っているのよ。あなたがいろんな女と付き合っていたことを」

「…………」

「いいのよ、子どもができない女なんて女じゃないものね」

「そんなこと言うなよ」

 高瀬は真理子にキスをしようとした。真理子の口を閉じようとしたのだろう。真理子は、それを避けて、「でも、今はあなたは他の誰よりもわたしを愛してくれている。それはわかるの」と言った。そして、高瀬のキスを受け入れた。

 

 夜八時過ぎ頃に、年越し蕎麦を食べた。

 テレビをつけたまま、除夜の鐘はベッドの中で聞いた。

 真理子も高瀬も絡み合っていた。躰中から汗が噴き出していた。

 高瀬に抱かれながら、真理子は何度も声を上げた。そして、そのまま朝を迎えた。

 

 元旦には、真理子も高瀬もダイニングにいた。テーブルの上に、おせちの重箱が載っていた。昨日、年越し蕎麦を食べた後、真理子が詰めたのだった。

 高瀬は蓋を取り、少しずつ皿に盛り、箸を付けた。こんな元旦はもう何年ぶりになるのだろうか。真理子は高瀬が食べるところを嬉しそうに眺めていた。

 

 年賀状を取りに行くと、沢山の年賀状が届いていた。

 真理子はそれらをより分けながら、高瀬に渡した。

 高瀬にとっては、親類、友人、知人関係は全く知らない人たちだったので、誰からなのかを真理子に訊いた。真理子も富岡の友人、知人関係については、全部知っているわけではなかった。

 

 年が明けて、真理子と高瀬が二人だけで過ごせたのは、二日目までだった。三日目になると社員たちが年始挨拶に来たのだ。

「明けましておめでとうございます」と言う社員たちを高瀬はリビングに招いた。

 真理子は社員たちにおせち料理だけを食べさせるわけにもいかず、冷蔵庫を開け余り物の食材でオードブルを作った。ビールや酒が足りなかったので近くのコンビニに買いに行った。

 彼らが帰っていった後、高瀬がうんざりしたように「毎年、こうなのか」と訊くと、「ううん」と真理子は首を左右に振った。

「だって、正月休みはあなたゴルフに行きっぱなしだったから、それを知っていて誰も来なかったわよ」

「今年が初めてってことか」

「そうよ」

「参ったな」

「明日も来るかも知れないから、わたし、食べ物やお酒買ってくるわね」