小説「真理の微笑」

「手を離さないでよ」

 祐一だった。六歳の時だった。

 小学生になったら自転車の乗り方を教えてやると言っていた。でも、友達の多くはもう自転車に乗っていた。三輪車をとっくに卒業した彼には、補助輪のついた自転車は、いたく自尊心を傷つけていた事だろう。春先は忙しく、乗り方を教えたのは初夏の頃だった。

 自尊心と恐怖心とは釣り合いが取れていなかった。「手を離さないで」という懇願は、十数回目に破られた。いつまでも支えていたのでは自分で漕ぐ事など到底できないからだった。果たして、祐一が転び、私に不満を告げようとした時、何かを理解したのだろう。もう一度「手を離さないでよ」とは言ったが、自分で漕ぎ出し、少し安定した時に私が手を離すだろう事ぐらいは予測していたと思う。その時、初めて自分で自転車に乗れた。

 三日目にもなると、かなり遠くの公園まで出かけていた事を母親には告げていた。私は驚くとともに心配になったので、もう少しうまく乗れるようになるまでは遠出は禁じた。

 …………

 私は必死で記憶を辿っていたが、事故の衝撃のためにそれは混乱していた。記憶の引出しの中はごちゃ混ぜになっていて、何がどこにあるのか、うまく順番通りに思い出す事さえ難しかった。

 時折、現れるそれは、異常なまでにリアルで、胸を苦しくさせた。しかし、それが貴重な思い出である事は事実だったから、とぎれとぎれの記憶を繋いでいた。

 私には途方もなく時間はあったから、思い出した記憶を何度も再生させ、そしてその前後を埋めようとしていた。でも、それはそれほどうまくはいかなかった。

 

 私の記憶の中で消し去る事のできないもの。

 人を殺す!

 そう、最初に鏡の中の〈自分〉を見た時、それが〈自分〉である事さえも分からなかった。次に見た時、殺した相手だ……と思った。思った、というのは曖昧な表現ではあるが、厳然たる現実でもあった。拭い去る事は永遠にできはしなかった。

 殺人。言葉にすれば簡単な事だが、それは日常の中に引かれた目に見えない境界線の一方からもう一方へ飛び移るようなものだ。一度飛び移ってしまえば、再び戻る事は許されない。大体、私が誰かを殺そうとするなんて事……、そんな事、できるわけがない!

 そう思っても、私の記憶の断片は〈それをやってしまった〉と告げている。最初に鏡を見た時の恐怖はそのまま心に留まっている。いや、もっと増幅しているといった方がいい。

 そうして、それに思いを致した時、それが本物(現実)であれば、私はその過程と理由を思い出さなければならない事にも気づいていた。

 

 あの猛暑の続く夏の日、私は蓼科にある富岡の別荘に向かっていた。数キロ歩き、汗だくだった。山の端に日が微かに残り、西の空の雲を紅く染めていた。

 …………

 その二ヶ月前の事だった。街で偶然に北村を見かけた。道路を挟んだ向かい側だった。北村が角のビルの地下の喫茶店から出てきたところだった。北村は、我が社のシステム・エンジニアだった。私が信号を渡ろうとしたら、赤になった。北村は反対方向に向かいそうだった。彼には、大事な仕事を任せていた。私は朝からそのために、何度も彼を呼び出していたのに、こんな所で油を売っていたなんて。私は、あわてて声を出した。あらん限りの力で呼び止めるほどの大声ではなかった。青信号で一斉に走り出そうとしている車の騒音にかき消されて、私の声は聞こえるはずもなかった。しかし、彼はこちらを向いた。そして、私に気付き、逃げるように反射的に走り出した。彼は前をよく見ていなかった。歩行者が途切れたので交差点を右折しようとしていたトラックの前に飛び出した。まるで飛び込むかのようにはねられた。

 それを見ていながら、その時の私には、何が起こったのか、俄には理解できなかった。私は信号が変わるとすぐに走り出し、人垣をかき分け近寄った。誰かが「救急車だ」と叫んでいた。仰向けに倒れていた北村の頭部から次第に血が道路に滲み出していた。私は「北村~」と叫んだ。彼は私を見ていた。そう、確かにしばらく私を見ていた。微かだが、唇が動いた。何か言おうとしていた。それもできず、目を閉じた。

 

 パトカーの方が先に着き、警官が呆然と立ちつくすトラックの運転手に話しかけた後で私のところに来た。質問される事に答えながら、目は横たわる北村を見ていた。

 救急車は渋滞に阻まれて少しく遅れて着いた。警官が尋ねる言葉は遠い所から届いてくる感じだった。私はただ機械的に一通り話し終えていた……と思う。

 救急隊員が降り立つと、北村はすぐに担架に乗せられた。

「ご家族か知り合いの方?」

 救急隊員の一人が、北村が横たわっていた傍らに立ちつくしていた私に訊いた。

「ええ」と言うと、「じゃあ、乗ってください」と言われたので、彼に従うように救急車に乗り込んだ。

 何かを訊かれたが、覚えていない。分かっている事はきっとそれなりに答えていただろうとは思う。助手席の隊員が無線で搬送先の病院と連絡を取っているのがぼんやりと聞こえてきた。その間も北村がはねられた瞬間が何度も頭の中で繰り返されていた。

 近くの救急病院に着くと、すぐに手術が始まった。最初に手術室の前の長椅子に座っていたが、次第に騒然とした時間から解放された私は、電話を探して、会社の中島に状況を伝え、誰か病院に来るように頼んだ。

 

 結局、北村は助からなかった。

 手術から二時間後に死亡した。臓器のいくつかが(説明を聞いたが覚えていない)破裂していたのだった。何故か北村は封筒に入った三十万円を持っていた。