四
捜査一課が、こちらが渡した情報から、重要参考人を割り出すことは時間の問題だった。
だが、割り出された重要参考人が、犯人でないことを僕は知っている。どうすればいいのだろう。そればかりを考えていた。
「課長」と緑川が呼んだ。顔を上げると、緑川がデスクの電話を指さして、「内線です」と言った。
「済まん。ありがとう」と言って、僕はボタンを押して受話器を取った。
「捜査一課の二係、係長の中村です。そちらからいただいた資料のおかげで、重要参考人が見つかりました。これから任意同行を求めに行きます」と言った。
「差し支えなければ教えてもらえませんか。重要参考人とは、誰ですか」と僕が訊くと、「山田宏、二十八歳。フリーターです」と教えてくれた。
「ありがとうございます」
「情報提供のお礼はこれで言いましたからね」と中村は言った。
「それは分かりました。ご丁寧にありがとうございました」と僕が言うと、電話は切れた。
「何でしたのですか」と緑川が訊くので、僕は大きな声を上げて、「みんな、聞いてくれ。滝岡の解析した情報により、重要参考人が判明したそうだ。重要参考人は山田宏、二十八歳、フリーターだ。捜査一課はこれから、彼を任意同行で引っ張ってくるつもりだ」と言った。
「やりましたね」と言う鈴木の声がした。滝岡に向かって言っていた。滝岡は「まあな」と応えていた。
とうとう、重要参考人が判明した。そうなれば、今日中にでも任意同行をかけて、署に引っ張ってくるだろう。そして、事情聴取が行われる。僕がおそれていたことが、現実に進行しつつあった。
どうすればいいのだ。僕にはいい知恵が浮かばなかった。
「滝岡、山田宏の映像はまだ持っているのか」と訊いた。
「ええ、ハードディスクに保存してあります」と答えた。
「その映像が見たいのだが」と言うと「ちょっと待ってくださいね」と言って、何かパソコンで作業をしてから、僕のデスクに来て、「パソコンをお借りします」と言って、キーボードを叩いた。そして、キーボードをこちらに返して、マウスを操作してディスプレイの中のアイコンの上にカーソルを置くと「このアイコンをクリックしてみてください。そうすれば、見たいファイルが表示されます」と言った。
僕はマウスを左クリックした。すると、画面にyamada0226.***、yamada0328.***、yamada0429.***という三つのファイルが表示された。yamadaというのは、重要参考人の名字でその後の数字は放火が起きた日付だろう。重要参考人が分かったので、ファイル名を付け変えたのに違いない。素早いなと思った。
「分かった。ありがとう」と言うと滝岡は自分の席に戻っていった。
僕は、まずyamada0226.***と書かれたファイルをクリックした。防犯カメラからの映像が数種類流れた。時間にして二十分ほどだった。僕は山田宏の顔を知らないので、誰が山田なのか分からなかった。
「済まん。滝岡、ちょっと来てくれ」と言った。
「何ですか」と言って、滝岡はやってきた。
「誰が山田なのか分からないんだ」と言った。
「ああ、そうでした。それなら、もう一つ映像を送ります」と言って、自分の席に戻りパソコンを操作した。それから、僕のところに戻ってきて、「このファイルを見てください」と言って、yamada_xxx.***と書かれたファイルをクリックした。
「ここにさっきの三つの映像から抽出した山田の映像が取り込んでありますから見てください」と言って、自分の席に戻っていった。
ディスプレイには、一人の男の映像が流れていた。そして、画面が切り替わり、そこにもさっき見た男の映像が流れた。そして、もう一度、画面が切り替わり、さっきの男の映像が流れた。この映像に映っているのが、山田宏なのだろう。それぞれ十数秒の映像だった。
最初の映像は、二月二十六日のもので、人混みの中を山田が歩いているのが分かった。前に人がいて、手元までは分からなかった。二番目のは、三月二十八日の映像で、やはり人混みの中を歩いていたが、チラリとショルダーバッグを提げているのが分かった。それで、一番目の映像を見直してみた。肩にショルダーバッグの肩掛けの部分が映っているのが見えた。三番目の映像も見た。人と人の切れ目を山田が歩いて行く姿が映し出されていた。やはりショルダーバッグを掛けていた。
この映像を見れば、あのショルダーバッグの中に、灯油の入った瓶とマッチ箱が入っていたものと思うことだろう。もっとも、マッチ箱は、山田が上着を着ていたから、そのポケットに入れていたかも知れない、と思うかも知れなかった。
この三つの映像が示していることは、犯行日時に、犯行現場近くに、山田宏がいたという事実だった。犯行を否認するのに、一番手っ取り早いのが、アリバイを証明することだった。しかし、山田の場合、そのアリバイがなかった。アリバイのないことを映像が示していた。
退署時刻が迫ってきた頃、署内が慌ただしくなってきた。
鈴木がどうしたものかと、安全防犯対策課を出て捜査一課の方に見に行った。そして、息を切らして戻ってくると、「山田が今、捜査一課に連れられて署内に入ってきました」と言った。そして、「公務執行妨害ということで現行犯逮捕されたようです」と続けた。
とうとう、おそれていたことが現実化したと思った。公務執行妨害は口実に過ぎない。本丸は連続放火事件の方だろう。こっちは二名の死亡者が出ている。現住建造物等放火ともなれば、裁判員裁判の対象事件にもなってくる。
取調は二係がやるだろうから、安全防犯対策課が出て行く余地はない。
これから、ビデオ録画された取調が行われるだろう。その時、灯油を撒いて、マッチで火をつけたことが、犯人しか知り得ない事実になってくる。この事実は報道もされていなければ、マスコミにも流れてはいなかったのだ。
取調官は、犯行の手口を訊いてくるのに違いなかった。しかし、山田にそれが答えられないことも僕は知っていた。だが、取調官はあれやこれやの手を使って、口を割らそうとする。山田がそれに堪えられるかどうかが、問題だった。
退署時刻になった。僕が鞄を持つと、緑川が「帰るんですか」と訊いた。山田が署内に連行されてきたのだ。興味がないのですか、と訊きたいようだった。
「ここにいても、私たちの出番はありませんよ。私はこれで帰ります。お先に」と言って、安全防犯対策課を出た。
気にならないわけではなかったが、安全防犯対策課に残っていてもしょうがなかった。
捜査一課二係に任せる他はなかった。
家に帰ると、京一郎と風呂に入った。今日は金曜日だった。明日は署に行かなくてもいいが、山田の取調は続くことになる。事件送致まで最大四十八時間あり、その後二十四時間以内の範囲で検察送致が行われる。その間に勾留請求をして認められれば、最大二十日間勾留することができる。勾留延長請求ができるからだ。山田の現在の逮捕事実は公務執行妨害だから、さすがにそれで二十日間も勾留することは難しい。どこかで、現住建造物等放火で逮捕状が出る可能性がある。その時は、勾留期間がそこから始まることになる。
結局、嘘にしろ何にしろ、山田が自白するまで勾留は続くことになる。人間は弱いものだ。勾留期間が長くなれば、やっていないことでもやったと言うようになる。こうして冤罪は生まれるのだ。
僕は山田が白だということは、分かっているが、今のところ何にもすることができない。山田自身が否定し続けてくれる他はないのだ。
土曜日は、一日中鬱々とした日を過ごした。明日は、父や母、きくとききょうと京一郎を連れて、東京****ランドに行く予定だった。
そして、日曜日が来た。開園前に着くように車で行って、長蛇の列に並んだ。1デイパスポートというチケットを購入して、入場した。どのアトラクションも長い行列ができていた。予約のできるアトラクションは予約をしてから比較的空いているアトラクションを回った。そして、予約時間が来たら、そのアトラクションを楽しんだ。
ききょうも京一郎も、初めて東京****ランドに来たので、目を輝かせていた。
売店で食べ歩きできる食べ物を、父や母は、ききょうと京一郎に買い与えていた。いつもは、「食べながら歩いてはいけませんよ」と言う僕ときくだったが、今日ばかりは目をつぶった。きくも一緒になって食べていた。
きくが「これ、美味しいです」と言ったのが、キャラクターがデザインされているメープルソース付きワッフルだった。
お昼は比較的空いているレストランで、ききょうと京一郎はオムライスにハッシュドビーフのプレートにオレンジジュースを頼んだ。父と母はシーフードドリアにし、僕ときくはコンビプレートを頼んだ。父も母も僕もきくも、飲物はウーロン茶にした。
閉園時間になったので帰った。帰り道は車で混んでいた。