三十
元旦に家に着いたのは、午前三時過ぎだった。帰りも大混雑の中だった。
きくは初詣が珍しかったのか、大興奮していた。
風呂に入っても「楽しかったです」と言っていた。
僕はすっかり疲れてしまったので、風呂から上がると、自分の部屋に上がっていき、そのままベッドに倒れ込んで眠ってしまった。
起きたのは、正午近かった。
父は出かけていなかったが、母がキッチンにいたので、「明けましておめでとうございます」と新年の挨拶をした。母も同じように言った。
きくはリビングのソファにいた。
「きくも新年の挨拶をしたのか」と訊くと、「はい、お母上から聞いて、お父上とお母上に挨拶をしました。これから、最初に会ったときは、そのように挨拶をするものだと教わりました。ですから、京介様にも挨拶します」
きくはソファの上に正座して「明けましておめでとうございます」と言って、頭を下げたものだから、ソファから転げ落ちた。
僕は笑いながら、「明けましておめでとうございます。これかもよろしくな」と言った。
きくは起き上がって、「はい。わたしもこれからもよろしくお願いしますです」と言った。
僕はそのきくの言い方に、またも笑った。
お昼は重箱を開けて、そこに詰め込まれているおせち料理を食べた。
その時、富樫から携帯がかかっていた。
「ジャジャーン。富樫でした。京介、明けましておめでとう。今年もよろしく頼むわ」
「明けましておめでとう。こちらこそ、よろしく」
僕が携帯で富樫と話していると、きくが来て「富樫さん」と訊くので頷くと、携帯を貸してという仕草をするので、携帯を渡すと、「富樫さんですか。わたしはきくです」と言った。富樫は、きくに新年の挨拶をしたのだろう。
「こちらこそ、明けましておめでとうございます」と言った。
「えっ、今からですか。ちょっと待ってください」ときくは携帯を僕に渡した。
「おい、京介、ヒマしてんだろう。今から、浅草に行かないか」と言った。
昨日、明治神宮に初詣して、躰はまだ疲れたと言っていた。
「昨夜というか、今日、明治神宮に初詣に行ってきたんだ。疲れているから今日は勘弁してくれ」
「わかった。それじゃあ、今からお前んちに行ってもいいか」
「来るなって言っても来るんだろう」
「うん」
「じゃあ、待っているよ」
「五秒で行く」
「また家の前から携帯をかけているのか」と言い終わらないうちに、携帯は切れて、玄関のチャイムが鳴った。
きくが玄関に降りていった。
「誰が来たの」と母が言うから、「富樫」と答えた。
「ああ、富樫さんね」と言うと、母は緊張感が抜けたようだった。富樫なら特に何もしなくても良かったからだ。
「お邪魔しまーす」と入ってきた富樫は、母を見ると「明けましておめでとうございます」と言った。母も同じように返した。
富樫がオーバーコートを脱いで、ダイニングの椅子に座ると、きくが「富樫さん、コーヒーを飲みますか」と訊いた。富樫は僕を見た。僕は笑っていた。
「じゃー、もらいます」と富樫が言った。
「僕もコーヒー」と言った。
きくはもう慣れた手つきでコーヒーを入れて、カップを富樫と僕の前に出した。
僕は食器棚に立って、シュガーポットとクリームの瓶とスプーンを持ってきて、富樫の前に置いた。
富樫は砂糖を多く入れた、クリームの入ったコーヒーが好きだったのだ。
シュガーポットから砂糖を三杯入れると、クリームの粉末をスプーンに山盛りにして入れた。
「きくちゃんはいつコーヒーの入れ方を覚えたんだ」と富樫が驚くから、「ついこの間にしては、うまいもんだろう」と答えた。
「うん、そうだな」
きくはお茶を入れて、テーブルに座った。
「ねえ、正月の浅草もいいもんだよ」と富樫が言った。
「浅草って何ですか」ときくが訊くと、「浅草寺ってお寺があるんだ。正月になるとお参りをする人がいっぱい来るんだ」と言った。
「明治神宮ほどですか」ときくが訊くと、「元旦はそうかも知れないけれど、それ以外の日はどうかな。でも、いっぱい人が参拝に来るよ」と言った。
「きくは行ってみたいです」
「じゃあ、行こうよ」
「今日は行かないよ」
「わかってるよ。明治神宮に行ったんだろ」と富樫が言うと、きくが「そうです。明治神宮に行きました。凄い人でした」と言った。
「じゃあ、明日は」と富樫が言うので、「先約がある」と僕は答えた。
「えっ、誰と」と富樫が訊くので、きくが「沙由理と言う人とです」と答えた。
「えっ、沙由理ちゃんとデートなの」
「そうなんです」ときくが言うと、僕は「そういうことは人に話すことじゃない」ときくに言った。
「きくちゃんを怒るなよ。俺だから、いいじゃないか。でも、沙由理ちゃんとデートならしょうがないか」
「そういうこと」
「俺は、三日と四日は予定があるから、五日はどうかな。三が日も過ぎるから、それほど人は多くないと思うよ」
「京介様はどうですか」
「五日か、今のところ予定はないから、いいか」
「じゃあ、決まり」
「高田馬場駅から東京メトロ東西線の西船橋行に乗って、日本橋で降りて都営浅草線で浅草に行くってのはどう」と僕は言った。
「わかった。高田馬場駅で待ち合わせるんだな」
「そうだ」
「何時にする」
「午前十時にしよう」
「わかった、高田馬場駅で待っているから、見つけてくれ」と富樫が言った。
「どのあたりにいるつもりなんだよ」
「JR山手線の早稲田口の方」
「分かった」と僕は言った。
「浅草に行けるんですね。きくは嬉しいです」と言った。
富樫は母が勧めるおせち料理を次々と食べて、お腹をいっぱいにして帰って行った。
「富樫さんは面白い人ですね」ときくが言った。
「ああ」
「そして、いい人ですね」とも言った。
「そうだな」と僕は言った。気の置けない、いい奴だった。
僕は自分の部屋に入った。ききょうを見た。腹ばいになって、富樫からもらった雪だるまのぬいぐるみに手を伸ばしていた。
机に座った。
真紀子が誰を連れてくるのかは分からなかった。だが、そいつが僕の顔を知っていることに、百万円を賭けてもいい、直接見たか、写真でかは別として。そして、頃合いを見て、席を立つだろう。
そいつが、竜崎雄一に、直接連絡を取ることは半々だった。しかし、小者に連絡をすることはないと思った。これまでに、九十一人もの仲間がやられているのだ。小者に連絡しても、やられに来るだけだった。だから、竜崎雄一でないとしても、近い者に連絡をするだろう。そしたら、そいつに竜崎と会う日取りを決めるように伝えればいいだけのことだ。
どっちにしても、このあたりで決着をつける頃なのだ。