小説「僕が、剣道ですか? 5」

十九-2

 僕は道着に着替えて、道場の中央に立った。
 竹内源五郎が門弟に「よく見ておくんだぞ」と言った。
 僕らは相対すると、一礼をして、木刀の先を重ねた。その時、竹内源五郎の「始めぃ」の声がかかったが、次の瞬間、僕の木刀は荒木重左衛門ののど元に突きつけられていた。
 門弟たちが見る隙も与えなかった。
 竹内源五郎は「勝負あり。鏡殿の勝ち」と言った。
 荒木重左衛門は僕のところにやってきて、「全く歯が立ちませんでした。踏み込んできたのにすら気付きませんでした。ありがとうございました」と言った。
 僕は竹内源五郎に向かって、「ご門弟たちに稽古をつけても良いですか」と訊いた。
「鏡殿が、門弟に稽古をして頂けるのですか」と訊き返してきた。
「ええ、軽くですけれど」と言った。
「それはありがたい。ぜひ、お願いします」と言い、門弟たちに「これから鏡殿が稽古をつけてくれるそうだ。言われるようにしろ」と言った。
 門弟たちは「はい」と答えた。
 僕は門弟たちの数を数えた。四十人だった。五人ずつ八班に組ませた。組み合わせは、門弟たちに任せた。
「五人ずつ、相手にする。それぞれ木刀を持ち、私を囲むようにするんだ。そして打ち掛かってこい。一人の木刀が私にかすりでもしたら、お前たちの勝ちだ」と言った。
「かすっただけでも良いんですか」と一人が訊いたので、「いいとも」と答えた。
「その代わり、私はお前たちの木刀を叩き落とす。手が痺れると思うが、我慢してくれ。一班全員の木刀がうち落とされたら、次の班に交代する。いいな」と言った。
 皆「はい」と答えた。
 僕は家老屋敷の道場にいる気分になった。
 最初の班の五人が僕を取り囲んだ。門弟たちは、木刀をかすらせることぐらいならできると思ったのだろうが、「では始め」と僕が声をかけた次の瞬間、瞬く間に全員の木刀がうち落とされていた。ほんの数秒だった。
「次の班、用意」と言った。次の班の用意ができると、僕は「始め」と言った。これも数秒でけりが付いた。誰もが信じられない顔をしていた。
「次」と僕は言っていた。そして「始め」と言うと、僅かな間に全員の木刀が叩き落とされていた。
 結局、四十人全員の木刀を落とすのに、何分も要さなかった。そして、僕は神棚に向かって一礼した。
 僕は竹内源五郎の元に行くと、「いい機会を作って頂きありがとうございました」と言った。
 竹内源五郎は「いやいや、お礼はこちらが言う方ですよ。それにしても凄かったですね」と言った。
「あれでは稽古になりませんでしたね」と言うと「何の。実戦を知らぬ者たちばかりだから、剣豪の強さを知るいい機会だったのですよ。手抜きをされてお茶を濁されるより、彼らにとってはいい稽古になったでしょう」と言った。
 僕が道着から着物に着替えると、竹内源五郎は「奥の座敷でお茶でもどうですか」と言った。喉は渇いていたが、僕は断った。急の訪問だったからだ。話をするのも面倒に思えた。
「今日はこのあたりに宿を取ろうと思っているのですが、どこかいい所はご存じですか」と訊いた。
 すると「松葉屋さんが良いんじゃありませんか。評判良いですよ」と竹内源五郎が言った。
「では、そこに泊まることにしましょう」
 僕はきくとききょうのところに行くと、荷物を持って玄関に向かった。
「今日は松葉屋というところに泊まることにした」と言った。
「そうですか」ときくが言った。
 竹内源五郎に頭を下げて道場を出ると、まだ風車は手を気にしていた。
「まだ、痺れるんですか」と訊くと、風車は「心の奥がズキズキと痺れているんです」と洒落た言葉を返してきた。
「あれは道場の戦法ですよ、小手狙いは」と僕は言った。
「そうなんですか」
「そうですよ。小手が一番間合いを詰めやすい。風車殿のように胴や頭を狙いに行くよりもずっとね。だから、道場では、まず小手を教えます。それを狙われたのです」と僕は言った。
「そうだったのか」
「相手は最初から小手狙いで来ていましたよ。小手なら、相手は何百回、何千回と練習していることでしょう、その差が出ただけです」と僕は言った。
 きくはちらっと僕の方を見た。
 僕は台車を押しながら、「あそこに焼き芋屋がいる」と言った。
「本当だ」と風車は言うと、もうそっちの方に歩き出していた。
 風車が離れていくと、きくは「京介様はお優しいんですね」と言った。
 それには答えず、僕は「きくも買ってこなくて良いのか」と言った。
「きくも買いに行きます」と言った。
 風車は三本買い、きくも三本買った。
「宿に着いたら食べよう」と僕は言った。
 ええ、という顔を風車がしたので、「あそこが宿だよ」と僕は指さした。その先には松葉屋の看板が出ていた。

 宿で部屋を取り、部屋に入ると早速女中にお茶を頼んだ。
 風車はお茶が来る前に、焼き芋を皮ごと食べていた。
 きくは皮を剥き、柔らかいところを冷ましながら、ききょうに食べさせた。ききょうは美味しそうに食べた。
 お茶が運ばれてくると、僕は一口飲んで、それから焼き芋に齧り付いた。