小説「僕が、剣道ですか? 2」

十三
 次の日も九十組の選抜試験があった。
 僕はやはり道場を抜け出していた。そして山に向かった。道着を持って行った。お奉行との約束があったからだった。
 屋敷と思っていた所が、山奉行の奉行所だった。
 そこに顔を出すと、佐伯は「待っていたぞ」と言った。
 僕も道着を見せて、「今日は本格的にやらせてもらいます」と言った。
 僕は、番所の隅で道着に着替えた。
 佐伯も道着姿で現れた。
 この前、立ち合いをした平坦な所に移動した。
 木刀を二本持っていた。
 一本を僕の方に向かって投げて寄こした。
 僕はそれを掴むと、正眼に構えた。
 やはり、佐伯の立ち合いを見たいらしく、番所の者、皆軒先に顔が集まっていた。
 佐伯も正眼に構えた。そして「まいれ」と言った。
 前と同じだった。僕は正眼の構えから、上段の構えに変えた。そして、振り下ろした。

 かなりのスピードだった。しかし、佐伯はそれを払いのけ、さらに突きを入れてきた。その突きに合わせるかのように、僕は小手を打った。だが、途中で止めた。
 これで終わりにするのが、惜しかったからだ。佐伯はまだ本当の力を出してはいなかった。それを引きずり出したかった。
 僕が後ろに跳んで避けたので、佐伯は首を捻った。
「手首を打たれたと思ったが、気のせいか」
 佐伯には見えている。僕の動きが見えるのだ。
 油断はできなかった。
「気のせいですよ」と言いながら、今度は下段から、突き上げた。
 その木刀も佐伯は受け止めた。離れ際、佐伯の木刀を叩き、上体を崩したところで、面打ちに出た。佐伯は、木刀でその面打ちを避けた。
 僕は、小手、小手、面の要領で打ち込んでいった。佐伯はそれをことごとく返した。
 さて、見せてもらうぞ、と思った。
 佐伯は木刀を右手に持ち背中に引いた。そして、半身の構えで向かってきた。
 こちらに向かってくる半身ががら空きだった。
 もちろん、そこに打ち込んでいった。すると、右手に持った木刀が鞭のように迫ってきた。こちらは打ち込んでいるから、その鞭のような木刀は、木刀では普通は返せない。しかし、僕は木刀の軌道を変えて、鞭のような木刀を捉えた。
 佐伯は信じられないものでも見ているかのようだった。
 僕はその木刀を叩き、そして離れた。
 そして、木刀を地面近くに下ろし、そのまま佐伯に突進した。
 佐伯は、正眼から打ち込んで来た。その木刀を跳ね上げ、そのまま横をすり抜けていった。胴を叩くこともできたがしなかった。
「今度は胴か」
 僕は正眼に構えた。そして、打ち込みながら、上段に構えを移した。相手が木刀を受ける前に、空中で面をうち、そして、受けてくる木刀を真正面から打ち下ろした。
 木刀は割れた。
「今度は頭か。噂に違わず強いな」
 佐伯はそう言った。
「佐伯様こそ」
「そう言われると、余計、敗北感が強くなる」
「…………」
「これでもなかなかにやれる方だと自負していたのだがな」
「なかなかでしたよ」
「あの佐伯流八方剣をどうやって受け止めたんだ」
「分かりませんでしたか」
「わからなかった」
「秘密です」
「秘密か」
 そう言うと佐伯は笑い出した。
「あの位置から木刀を折るとは、なかなかのものだな」
「あの位置だから木刀を折ることができたのです」
「そういうものなのか」
「はい」
「木刀を折られては、仕方ないか」
「今日は、そうですね」
「ほう。するとまた来てくれるのか」
「明日、来ます」
「明日か」
「はい。そして、佐伯流八方剣のもう一つの破り方をお見せします」
「何ということを」
「今日は失礼します」
 僕は道着を着替えて、山を下りた。

 そして、その次の日、再び山奉行と相対した。
 木刀を持ち合い、それぞれ正眼に構えた。
 佐伯が「まいれ」と言う前に、僕は木刀を突き出し、それを払われると、上段に構えた。そこから素早く打ち下ろし、後ろに引いた。
 そこから、突きを繰り出していった。佐伯が木刀で避けるのが精一杯の速さで、突きを繰り出していた。
 そして、相手をかわして、振り向きざまに打ち下ろした木刀と、相手の木刀が激しくぶつかった。
 また、打ち込んでいった。相手がかわせるギリギリのスピードだった。
 佐伯の速さが分かった。
「佐伯流八方剣、見せてもらいますよ」
 僕は言った。
佐伯は木刀を右手に持ち背中に引いた。昨日と同じだった。半身の構えで向かって来るのも同じだった。凄いスピードだった。昨日よりも、速かった。
 半身ががら空きになるのが欠点ではなく、誘いの隙なのだ。
 佐伯流八方剣を見るには、そこに打ち込んでいく他はなかった。それを待って、相手は動き出すのだから。やはり、右手に持った木刀が鞭のように迫ってきた。こちらは打ち込んでいるから、その鞭のような木刀は、木刀では返せない。しかし、昨日は、それをやった。今日は、鞭のように迫ってくる木刀を、躰を引いてかわした。
 普通ではあり得ないことだった。踏み込んで打ち込んでいるところに、木刀が鞭のように迫ってくるのだ。踏み込んでいるのに、かわすこととなど到底できることではなかった。しかし、僕はそれをやって見せた。
 佐伯はまたしても信じられない顔をしていた。おそらく、昨日よりも信じられなかったろう。
 僕は鞭のような木刀をかわすと、がら空きになった佐伯の背中を木刀でポンと叩いた。
「何てことだ。信じられん」
 佐伯はがっくりと肩を落とした。
「佐伯流八方剣は、間違いなく無敵ですよ」と僕が言っても、何の説得力もなかった。
「どうやってかわしたのだ」
「見えませんでしたか」
「見えなかった」
「それが答えです。見えないほど、速く動いたのです」
「そんな馬鹿な」
「そう、あり得ませんよね。私でなければ佐伯流八方剣は無敵です。私が保証します」
「選抜試験とやらが、隆盛なのも肯ける。おぬしの道場で鍛えられたいと思うのは自然なことだ」
「私が教えている訳ではありません。私の技は教えられるものではないからです」
「そうだろうな。相対してみて、わかった。拙者の及ぶところでないことも」
「滅相もない」
「本当のことだからしょうがない。ここまで、差があると、むしろ清々しいくらいだ」
 僕は何も言えなかった。
 道着を着替えて山を下りた。

 選抜試験は一巡した。五百四十名いたのが、二百七十名になった。
 そして、二巡目が始まった。これは、二日に亘った。そして百三十五名が残った。
この中で残りの九十四席を争うのだ。戦う者と戦わない者がくじで決まる。
 道場の定員を百名にするには、四十一組が戦うことになる。戦う者と戦わない者との悲喜こもごもがあった。
 結局、選抜試験は七日間に及び、新たに九十四名が選ばれた。

 屋敷の道場は新しい仲間を迎えて、活気づいた。相川たちが道場の規則を作っていて、新しく入ってきた者に丁寧に教えていた。
 百人もの門弟がいるとそれなりの規則がいるのだろう。相川たちは試行錯誤を繰り返して、その規則を作ったのに違いない。
 生徒手帳に書かれている校則のようなものを感じたが、逆の立場に立つとそれも仕方ないと思うしかなかった。