五
「手を離さないでよ」
祐一だった。六歳の時だった。
小学生になったら自転車の乗り方を教えてやると言っていた。でも、友達の多くはもう自転車に乗っていた。三輪車をとっくに卒業した彼には、補助輪のついた自転車は、いたく自尊心を傷つけていた事だろう。春先は忙しく、乗り方を教えたのは初夏の頃だった。
自尊心と恐怖心とは釣り合いが取れていなかった。
「手を離さないで」と言う懇願は、十数回目に破られた。いつまでも支えていたのでは自分で漕ぐ事など到底できないからだった。果たして、祐一が転び、私に不満を告げようとした時、何かを理解したのだろう。もう一度「手を離さないでよ」とは言ったが、自分で漕ぎ出し、少し安定した時に私が手を離すだろう事ぐらいは予測していたと思う。その時、初めて自分で自転車に乗れた。
三日目にもなると、かなり遠くの公園まで出かけていた事を母親には告げていた。私は驚くとともに心配になったので、もう少し上手く乗れるようになるまでは遠出は禁じた。
…………
私は必死で記憶を辿っていたが、事故の衝撃のためにそれは混乱していた。記憶の引出しの中はごちゃ混ぜになっていて、何がどこにあるのか、上手く順番通りに思い出す事さえ難しかった。
時折、現れるそれは、異常なまでにリアルで、胸を苦しくさせた。しかし、それが貴重な思い出である事は事実だったから、とぎれとぎれの記憶を繋いでいた。
私には途方もなく時間はあったから、思い出した記憶を何度も再生させ、そしてその前後を埋めようとしていた。でも、それはそれほど上手くはいかなかった。