小説「僕が、剣道ですか? 2」

 家老屋敷の道場は、朝から稽古の声が聞こえていた。

 型練習を始めてから、その型を覚えようと皆、必死だった。役に立たない英語のアクセント問題をやっているようなものだが、何もしないより、やっている感じはあるので、それなりに充実しているのだろう。

 僕は堤道場に向かった。

 途中で付けてくる者に気付いた。その足捌きから忍びの者だと分かった。わざと相手に隙を見せるように歩いて、僕は相手に攻撃をさせた。

 今度は吹き矢だった。細い筒から飛び出る針が、首の近くを通り過ぎていこうとしたが、関係のない者に当たるのを避けるために、その針を挟んで掴んだ。僕は針が刺さったふりをしてかがみ込み、その者が近付いてきたところで、今、手にしていた針を投げつけた。相手の胸のあたりに刺さった。

 二、三歩歩いたところで、相手は倒れた。人が駆け寄っていくのが見えた。

 僕は立ち上がり、堤道場に向かった。

 

 たえは門の外の掃き掃除をしていた。そして、僕を庭から座敷に上げた。

 お茶を出しながら、「何故、父とあんな約束をしたのですか」と訊いた。

「何のことです」

「師範代のことです」

「それはまだ先のことです。それにこれだけ大きな道場になったんだから、師範代を置いた方がいい」

「でも、それではわたしの婿になってしまうわ」

「そうとは限らないでしょう」

「鏡様だって、そう思ってはいないでしょうに。とにかく、師範代が決まれば、わたしの夫が決まってしまいます。それを鏡様がするんですよ。わたしは鏡様と一緒になりたい」

「それはできないと申したでしょう。おたえさんだって、納得されたことでしょう」

「それはそうですが、一度きりなんて、女として寂しすぎます」

 僕は返答に窮した。たえとの思い出の時間が頭を過った。

「その一度きりに、おたえさんは女のすべてを賭けたんですよね」

「ええ」

「それでいいではないですか。世の中はそういうものです。そして、お子ができた。おたえさんは賭けに勝ったのです。きっと男の子でしょう。そして、きっと私よりも強くなる」

 たえはお腹をさすり、「わかりました」と答えた。

 堤竜之介がやってきた。

「相川と佐々木はどうですか」と訊いた。

「筋はいいですよ」

「と言うことは、今ひとつですか」と僕は答えた。

「そんなことは」

「もう少し強くなってもらわないと困るんですが」と僕は言った。

「それは何故ですか」

「道場を続けていきたいからです」

「鏡殿がやっていけばいいでしょうに」

「それができないから、苦労しているんです」

「また、突然どこかに行かれるわけですね」

「ええ」

 そう答えた後、この前出会った辻斬りの話をした。

「鏡殿がそれほど苦戦するとは、なかなかの使い手ですな」

「ええ、あれはただの辻斬りではありません」

「ただの辻斬りでないと」

「そうです。何か特別なものを感じるのです」

「特別なものとは」

「分かりません」

「相手の剣筋は見られたのですね」

「見ました」

「どうでしたか」

「あれが相手の決め手の剣であれば、次は打ち倒せるでしょう」

「それなら問題はないでしょう」

「いえ、問題は相手ではなく、剣の方なのです」

「剣」

「妖刀でした」

「この世に妖刀のある話は聞いたことがありますが、実際にあるとは」

「間違いなく妖刀でした。剣士が妖刀に守られている感じでした」

「では、辻斬りと戦うのではなく、その妖刀と戦うということにはなりませんか」

「そうなりますね」

「どうするつもりなのですか」

「剣を切ろうと思います」

「そんなことができるのですか」

「寺の住職にでも訊いてみることにします」

 

 家老家の菩提寺に向かった時に、五人の忍びに付けられた。境内に上がる階段の前で、僕は叫んだ。

「何故、付け狙う」

「それが我らの使命だからじゃ」

 年老いた声が聞こえた。

「そうなのか。斉藤頼母とは、どんな関係があるんだ」

「知っておるのか」

「知っているさ。そこにいる針の男が屋敷内に入っていくのを見たからな」

「ならば言うことはない」

「もう一度、訊く。何故、付け狙う」

「斉藤様に頼まれたからだ」と年老いた声が言った。

「それと仲間の敵討ちもある」と少し若い声も言った。

「あの大目付の嫡男たちと一緒にいた忍びの者の仲間か」

「そうだ」

「それなら、逆恨みだ。こちらは火の粉を振り払ったまでのこと。そちらが手出しをしなければ、何事もなかったものを」

「何を」

「雇い主の名前を簡単に言うのも、妙なものだな」

「どういうことだ」

「普通は言わない」

「おぬしが斉藤頼母様のことを言ったからだ」

「そうだとしても、頼母に頼まれたとは言わない」

「何が言いたい」

「雇い主に不満を持っているからだろう。あるいは無理矢理、雇われているからかもな」

「それがおぬしと何の関係がある」

「関係などないさ。ただ、虚しいだけだ。そうして命を落としていくだけなのだからな」

「それはどうかな。おぬしはわしらを見くびっておるだろう」

「ああ」

「飛田忍群の恐ろしさを教えてやる」

「飛田忍群と言うのか」

「そうだ。冥土の土産に名乗ってやった」

「聞いたことが無い。きっと滅んだのだろう」

「何だと」

「そうか、言うことを聞かないと滅ぼすと頼母に言われているのか」

「それ以上は言うな」

「本当のことだったか。だが、私とやり合っても滅ぼされるぞ」

「何」

「斉藤頼母は結果だけがすべてだ。お前たちが失敗したら、村は滅ぼされる」

「俺たちが失敗したら、次の刺客が来るだけだ」

「お前たち以上に腕のいいのがいるのか」

「…………」

「飛田忍群七人衆、と言ったところか。でも、もう二人やられている」

 その時、木の葉が上から降ってきた。おそらく、毒の塗られた木の葉なのだろう。

「問答無用ということか。それなら、こちらも容赦はしない」

 僕は、年老いた声がした方に走った。

 そこには老人がいた。何か念仏のようなものを呟いていた。だが、それを聞く前に一刀両断に斬り捨てていた。おそらくは、催眠術と同じような術をかけようとしていたのだろう。その隙を与えるわけにはいかなかった。

幻夜斉殿」と言う声が聞こえた。

「これまでだな」

 僕は木の上から叫んだ。

 相手は僕が地上にいるものと思っていたのだろう。どこから声がするのか分からないようだった。僕は移動しながら、また「これまでだな」と叫んだ。

 声のする方に手裏剣が投げられた。だが、そこには誰もいない。

 逆に自分のいる位置を僕に教えてしまった。相手は手裏剣を手にしたまま、胴を斬られていた。

「私はここだ」

 また僕は叫んだ。相手は林の中にじっとしていた。

「襲ってこないのなら、行くぞ」と僕は境内に向かわず帰ろうとした。

 林の中から三人が現れた。

 一人はこの間、針を僕に刺そうとした奴だった。

 僕の前に現れた時が、彼らの死ぬ時だった。彼らに向かって僕は走った。彼らは手裏剣を投げようとしたが、その暇がなかった。投げようとした時、すでに斬られていた。

 僕に針を刺そうとした者は、持っていた針を自分の首に突き立てられた。

 刀を振って血を吹き飛ばすと鞘に収めた。