小説「僕が、剣道ですか? 2」

六-1
 家老屋敷の道場は、朝から稽古の声が聞こえていた。
 型練習を始めてから、その型を覚えようと皆、必死だった。役に立たない英語のアクセント問題をやっているようなものだが、何もしないより、やっている感じはあるので、それなりに充実しているのだろう。
 僕は堤道場に向かった。
 途中で付けてくる者に気付いた。その足捌きから忍びの者だと分かった。わざと相手に隙を見せるように、歩いて僕は相手に攻撃をさせた。
 今度は吹き矢だった。細い筒から飛び出る針が、首の近くを通り過ぎていこうとしたが、関係のない者に当たるのを避けるために、その針を挟んで掴んだ。僕は針が刺さったふりをしてかがみ込み、その者が近付いてきたところで、今、手にしていた針を投げつけた。相手の胸のあたりに刺さった。
 二、三歩歩いたところで、相手は倒れた。人が駆け寄っていくのが見えた。
 僕は立ち上がり、堤道場に向かった。

 たえは門の外の掃き掃除をしていた。そして、僕を庭から座敷に上げた。
 お茶を出しながら、「何故、父とあんな約束をしたのですか」と訊いた。
「何のことです」
「師範代のことです」
「それはまだ先のことです。それにこれだけ大きな道場になったんだから、師範代を置いた方がいい」
「でも、それではわたしの婿になってしまうわ」
「そうとは限らないでしょう」
「鏡様だって、そう思ってはいないでしょうに。とにかく、師範代が決まれば、わたしの夫が決まってしまいます。それを鏡様がするんですよ。わたしは鏡様と一緒になりたい」
「それはできないと申したでしょう。おたえさんだって、納得されたことでしょう」
「それはそうですが、一度きりなんて、女として寂しすぎます」
 僕は返答に窮した。たえとの思い出の時間が頭を過った。
「その一度きりに、おたえさんは女のすべてを賭けたんですよね」
「ええ」
「それでいいではないですか。世の中はそういうものです。そして、お子ができた。おたえさんは賭けに勝ったのです。きっと男の子でしょう。そして、きっと私よりも強くなる」
 たえはお腹をさすり、「わかりました」と答えた。
 堤竜之介がやってきた。
「相川と佐々木はどうですか」と訊いた。
「筋はいいですよ」
「と言うことは、今ひとつですか」と僕は答えた。
「そんなことは」
「もう少し強くなってもらわないと困るんですが」と僕は言った。
「それは何故ですか」
「道場を続けていきたいからです」
「鏡殿がやっていけばいいでしょうに」
「それができないから、苦労しているんです」
「また、突然どこかに行かれるわけですね」
「ええ」
 そう答えた後、この前出会った辻斬りの話をした。
「鏡殿がそれほど苦戦するとは、なかなかの使い手ですな」
「ええ、あれはただの辻斬りではありません」
「ただの辻斬りでないと」
「そうです。何か特別なものを感じるのです」
「特別なものとは」
「分かりません」
「相手の剣筋は見られたのですね」
「見ました」
「どうでしたか」
「あれが相手の決め手の剣であれば、次は打ち倒せるでしょう」
「それなら問題はないでしょう」
「いえ、問題は相手ではなく、剣の方なのです」
「剣」
「妖刀でした」
「この世に妖刀のある話は聞いたことがありますが、実際にあるとは」
「間違いなく妖刀でした。剣士が妖刀に守られている感じでした」
「では、辻斬りと戦うのではなく、その妖刀と戦うということにはなりませんか」
「そうなりますね」
「どうするつもりなのですか」
「剣を切ろうと思います」
「そんなことができるのですか」
「寺の住職にでも訊いてみることにします」