小説「僕が、剣道ですか? 2」

 屋敷の通りには、屋台が何台か並んでいた。

 そこで侍が蕎麦を食べたり、おでんをつまんで酒を飲んでいたりした。

 そこを通り過ぎ、少し行くと、暗い通りが続いていた。

「いませんね」と八兵衛が言った。

 その時だった。遠くから「辻斬りだ」と言う声が聞こえてきた。

 その声のする方に走っていったら、向こうから侍風の男が走ってきた。

    左前髪を長く垂らし、右目の眼光が鋭い男だった。

「こいつだ。奴ですよ。間違いねえ」と八兵衛が言った。

  辻斬りの月影竜之介。とうとう、出会ったぞ、と僕は思った。この前は忍びの者に邪魔をされて逃げられたが、今度は逃がさない。

 相手の躰が黄色く光っていた。刀の妖気のせいだろう。刀に月影は守られていた。だから、刀もろとも月影を斬る必要があった。

 僕は敢えて、相手の間合いの中に踏み込んだ。

 その瞬間、月影は抜刀した。刀が綺麗な半円を描いて迫ってきた。だが、僕も抜刀していた。そして、その刀を受け止め、すぐに切り返した。

 相手は後ろに飛び退いた。僕の刀をすれすれのところでかわした。

 月影は刀を鞘に収めて構えた。居合い抜きが得意なのだろう。

 ならば、その居合い抜の間合いに入ってやろうではないか、と僕は思った。

 八兵衛は見えないだろうが、月影は黄色く光っており、僕の刀は銀色に発光していた。

 月影には、僕の刀が発光しているのが見えているはずだった。

 月影は僕が間合いの中に入ると、刀を抜いてきた。鋭く速かった。しかし、その刀を僕の刀は受けた。激しい音とともに火花が散った。

 僕は次々と刀を繰り出していった。相手は受けるのが精一杯だった。刀が唸り出した。

    僕はもっと刀を唸らせたくなった。月影を斬るのではなく、刀を切りつけていった。銀色に光る刀は、びくともしないのに、妖刀は次第に刃こぼれを始めた。その度に刀は唸った。

 月影は刀の異変に気付いたようだった。

 鞘に収めると逃げ出した。

 しかし、僕は先回りをした。

「逃がしはしないよ」と言った。

 また相手の間合いに入った。だが、刀を抜いてこなかった。それならばと、僕は抜刀して相手の刀の鞘を切った。

 月影は慌てて刀を掴んだ。

 もう鞘はない。

「逃げられないぞ」

 僕は月影ではなく、刀に言った。

 すると、妖気が襲いかかってきた。僕は刀を正眼に構えてその妖気を切り裂いた。

 切り裂かれた妖気は大気に消えていった。

 その時、相手の刀が折れた。

 次の瞬間、僕は月影竜之介を袈裟切りにしていた。

 八兵衛が寄ってきた。

「終わった」と僕は言った。

 八兵衛は番所に同心を呼びに行った。

 検死はその場でされ、月影竜之介は戸板に乗せられ、番所の者に番所まで運ばれた。

 同心の岡島が「この者には懸賞金がかけられている。鏡殿には明日にでも番所を訪ねられよ」と言った。

「分かりました」

 

 夜、遅かったが、二度目の風呂に入った。月影の返り血を浴びていたからだったが、妖気も振り払いたかった。

 夜、寝る時、きくが抱きついて来るのも、暑苦しいので、本当は振り払いたかった。

 

 次の日は、辻斬りが退治された話題で町は持ちきりだった。

 僕は頭巾をかぶって歩きたくなった。

 番所に寄ると、十両を渡された。

「月影竜之介は十両首だったんですか」と僕が驚くと、「鏡の旦那、そんなことも知らなかったんですか」と八兵衛が言った。

「知っているはずがないじゃないか」

「知ってて、手伝ってくれているんだと思っていましたよ」

 僕は笑うしかなかった。

 

 結局、堤道場に向かっていた。

 門を掃くたえに会った。

 目を合わせた。しばらく見つめ合っていた。

 この間のことは口にしなかった。たえは「どうぞ」と言って、僕を門の中に入れた。

 たえが先に立つと思ったら、いつまでも門の扉の所にいる。僕はその横を通り抜けるような感じになった。

 その時、たえは僕の手を掴んだ。そして、指の間に指を挟ませた。指と指が互いに絡み合った。たえは何も言わない。しかし、僕が先に進むにつれ、それは次第に解けて離れた。

 裏庭から座敷に上がると、たえがお茶を出してくれた。

「変わりはありませんか」と僕が訊くと「変わりありません」と答えた。

 変な質問だった。この前と同じかどうか、訊いているようにも取れる。そして、同じだと答えたようにも取れる。

「今日は、師範代になられるという人に会いに来ました」

 そう僕が言うと、たえは顔色を変えた。

「決めに来たのではありません。決めるのは、そのお腹の子どもが生まれた後にと思っています」

 たえの顔には安堵の色が浮かんだ。

 その時、堤竜之介が入ってきた。

「辻斬りを退治されたそうですな」

「先生のお耳にも入っていましたか」

「門弟たちが道場に入ってくる度に、その話をする。耳に入るも何も、聞かないことの方が難しい」と言って笑った。

「昨夜でしたな」

「ええ」

「その辻斬りは強かったですか」

「とても」

「ほう。鏡殿がそう言うのなら、強かったのでしょう」

「堤先生にはお願いがあってきました」

「何でしょう」

「相川と佐々木の他に、後四人、この道場に通わせて欲しいのです」

「それは構いませんよ」

「そうですか。でしたら、二人ずつ寄こしますのでよろしくお願いします」

「私が鏡殿にお願いしている件はどうなりますか」

「今日、その四人に立ち合わせてもらいます」

「ほう、今日ですか」

「ええ。でも、決めるのは、おたえさんがお子をお産みになった後です」

「それは構いませんが、今日立ち合われると言うのは、どういうことですか」

「昨日の今日だからです」

「昨日の今日」

「ええ、辻斬りとやり合いました。まだ、その感触が残っているうちに立ち合いたいのです」

「ふうむ。そういうものですか」

「はい」

「では、道場に」

「その前に、刀をお借りできますか」

「いいですよ」と堤は床の間の刀を僕に渡した。

 

 僕はたえが用意してくれた道着に着替えた。

 道場に僕が入っていくと、歓声が上がった。

「これ、静かに」と堤竜之介が言った。しかし、すぐには歓声は止まなかった。もう一度、堤が言った時に、静かになった。

 堤は「竹内康太郎、城崎信一郎、中園宗二郎、時田重蔵」と名を呼んだ後、「前に出てこい」と言った。呼ばれた四人が前に進み出た。

「彼らです」と堤は僕に言った。

 僕は彼らに、「これから私と立ち合いをしてもらう。形式は本番の試合と同じだ。ただ、違うのは、君たちには、私の刀を持ってもらう。そして、私はこの刀で戦う」と堤から借りた方を抜いて見せた。

「真剣勝負だ」

「待ってください。突然そんなことを言われても心の準備ができていません」と竹内が言った。他の三人も頷いていた。

「真剣勝負と言っても、私はかわすだけだ。どれだけ真剣で打ち込んで来れるのかを見てみたい。それだけだ」

「鏡先生は打ち込んで来ないのですか」

「そうだ。ただ受け身に立つ」

 四人にホッとした表情が浮かんだ。

 竹内を呼んで、僕は自分の刀を渡した。

「お前たちはその刀を使え。私の刀だ。まず、竹内からだ」

 僕は、蹲踞の姿勢から立ち上がり、刀を抜いた。竹内も刀を抜いた。

 間合いを詰めてきた。そして、刀を突き出してきた。その刀を払った。

「次、城崎」

 城崎も同じだった。

「次、中園」

 中園が刀を構えた時、微かに刀が黄色く光り出した。中園の突き出す刀には、殺意があった。その分、鋭かった。しかし、簡単にその刀を払った。

「次、時田」

 時田が構えた時、今度は刀は白く光った。剣先が真っ直ぐに伸びてきた。その剣先も払うと、僕は刀を鞘に収めた。

 そして蹲踞の姿勢を取り、立ち上がった。

 刀を堤に返した。

「これでいいのですか」と堤は訊いた。

「ええ、大体分かりました。四人には、おたえさんが出産されて、立ち合いを見られる時まで研鑽に励んでもらいましょう。その時が来れば、もう一度、今のように立ち合います」

「その時に、決めて頂けるんですね」

 僕は頷きながら、「はい」と答えた。

 

 たえが見送りに門まで来た。また、指を絡ませた。その手を僕は握った。

「心配ないから。私がいつでも見守っているから」と言った。