小説「僕が、剣道ですか? 1」

二十九

 城から屋敷まで付けてくる者がいた。襲ってくる気配はなかったので、放っておいた。

 

 風呂に入り、夕餉の時に島田源太郎や佐竹に今日の詮議について、話して聞かせた。

大目付がそんなことを言っておったか」

「城内にいる御家老の身が心配です。島田源之助様は筆頭家老ですから、相手にとっては目の上のこぶ。何としてでも排除したいでしょう」と言った後、「食べ物には注意された方がいいですよ」と続けた。

「お付きの者がいるから、心配ないと思うが、念のため、明日、佐竹、そのあたりも注意するように周りの者に伝えてくれ」と島田源太郎が言った。

「わかりました」

「それから、城から屋敷まで付けられました」と僕は言った。

「何と」

「それは武士ではありません。武士なら付けてくることもないでしょう」

「では何者なのだろう」と島田源太郎が言った。

「分かりません。素性の知れぬ者たちです」

「用心しておいた方がいいな」

「ええ」

 

 翌日からは、午前中は相川と佐々木の稽古を付けることにした。他の者たちには、その日の課題を与えてやらせた。

 一時間も稽古をすると、相川も佐々木も音をあげた。

「もう、だめです」

「申し訳ありません」

 二人とも床に転がった。

「今日はこのくらいにしておこう」と僕は、さっさと座敷に引き上げてきた。

 そして床の間の真剣を持つと、庭で三十分程度の素振りをした。

 振り向くと、きくがいた。

 桶に水を汲んできていた。そして手ぬぐいを渡した。

 僕は着物の上半身を脱ぐと、汗を拭った。もう、きくは顔を手で覆うことはしなかった。

「鏡様はただ立っているようにしか見えませんでしたが、前後に動いていたんですよね」

「ああ」

「そして、剣を振るわれていた」

「そうだ」

「速すぎて止まっているようにしか見えませんでした。でも、鏡様の額から汗が出て来るのがわかって、桶に水を入れてお持ちしました」

 縁側に座ると、お茶も用意してあった。それも飲んだ。

「きくは、いい世話女房になるな」

「まぁ、ご冗談を」

「冗談を言っているのではない」

「きくは嫁には行きませんから」

「どうして」

「鏡様のお世話係をずっと続けるんですもの」

「えっ」

「えっ、て何ですか。わたしはそのつもりですよ」

「でも、私がいつまでここに居られるか、分からないじゃないか」

「その時はついていきます」

「えっ」

「えっ、じゃないです。わたしはそのつもりですから」

 そんな、とは言えなかった。現代に連れて行くことなんか、できないじゃないか。

 

 夕刻が近づいてきたので、風呂に入ろうとしていたところに、相川が座敷の縁側に走ってきた。

「門弟の一人が襲われました」

「何」

 僕は床の間から剣を取ると、腰に差して、相川の後を付いていった。

 武家屋敷が建ち並ぶ一角から、原っぱに出る所に襲われた弟子がいた。

 幸い躰を斬られてはいなかった。しかし、袖口が切れていた。

「相手は二人でした」とその弟子は言った。

「一太刀浴びせたところで、門弟たちが来たので逃げていきました」

「家まで送ろう」と僕が言うと、「すぐそこですから」と弟子は言った。

 しかし、家に帰り着くのを見届けてから、相川と屋敷に戻った。

 戻る途中、「これからは数人ずつ、まとまって帰るようにしないといけないな」と言った。

「そうですね」

「当分の間、練習時間も早めに切り上げよう」と僕は言った。

「わかりました」

 

 夕餉の席で、僕は門弟が襲われた話をした。

「何ということだ」と島田源太郎が言った。

「当分、門弟が襲われる危険はないでしょうが、こちらが油断をすればまた襲ってくるでしょう」

「当分、門弟が襲われる危険はないとは、どういう理由からなのだ。明日も襲ってくるかも知れないではないか」

「そうかも知れませんが、今日のは警告です」

「警告?」

「ええ、警告です。切り口を見ましたが、本気で斬ろうとはしていませんでした。袖口を切っただけでした」

「どういうつもりなのか、わかるか」

「分かりませんが、何かが起きそうな気がします。弟子に手を出したのは、陽動作戦でしょう」

「陽動作戦?」

「はい」

「何のための」

大目付はこう言ってました。御家老が後ろ盾になっているから、手出しができないと思っているのだろう、それも今のうちのことだ、後悔するなよ、と。これもその策の一つかも知れません」

「どういうことだ」

「相手には、相当の策士がいると思った方がいいです。屋敷の方に注意を向けているとき、危ないのは城内です。この数日あたりに何か仕掛けてくると思います」

「佐竹、明日、城に上がったら、父上の周りの者に注意をするように、もう一度伝えてくれ」

「わかりました」

 

 次の日、門弟を集めて、午後は八つ時を過ぎたら帰ること、そして、決して一人では帰るな、と言った。家の近い者同士、集団で帰るように伝えた。

 そしてもし、一人のときに複数の者に襲われたときの逃げ方を教えた。

「逃げるのですか」と訊くので、「逃げるのだ」と答えた。

「この際は、逃げるが勝ちだ」と言った。

 そして「いずれ襲ってきた者の正体は割れる。その時は容赦はしない」と言った。

 門弟はそれで納得した。

 

 午後三時になったので、門弟たちには帰らせた。念のため、相川と佐々木に途中まで送らせた。