小説「僕が、剣道ですか? 4」

三十一

 風呂を出ると夕餉の支度がされていた。家老家では、夕餉は男性と女性で別の部屋で食事をすることになっていた。客として招かれたとしてもそれは変わらなかった。

 大旦那様が上席に座った。その隣に今の家老である島田源太郎が座った。その反対側の上席に客である僕が座っていた。侍頭の佐竹重左衛門は家老の隣に座った。

 まず源太郎が「久しぶりでござるな、鏡殿。家老となった島田源太郎でござる。鏡殿がいなくなって、間もなく父が引退をし、わたしが後を引き継ぎ申した」と言った。

「さようでござるか」と応えると、佐竹が「お久しゅうございます」と言った。僕は「久しぶりだね」と言った。

 佐竹が「あれから五年経ちましたぞ」と言った。僕は「五年か」と言った。

 家老の源太郎が「神隠しに遭ったと書いて寄こした時はビックリしたぞ。てっきり、もはや亡くなったものと思っていたのでな」と言った。

「そうでしょう。五年も音信不通であれば、普通はそう思います」と僕は応えた。

 源太郎が「神隠しに遭ったと書いてあったが、どこに行っておったのじゃ」と訊いた。

 僕は「現代というところです」と応えた。

「現代? はて、それはどこなのじゃ」と源太郎が訊いた。

「現代とは、未来のことです」と僕は答えた。

 源太郎は「未来ねえ。わしには鏡殿が何を言っているのか理解できぬ」と言った。

 僕は「それはそうでしょう。これを理解することは、誰にもできません」と言った。

 佐竹が「現代というところは、浦島伝説の竜宮城のようなところなのでしょうか。それにしても鏡殿は歳を取られていない。驚きました」と言った。

 僕は「確かに現代というところは、竜宮城のようなところでしょうね」と言った。

 会話は、現代というところがどういうところなのかについて、僕が大旦那様や家老や佐竹に訊かれたが、僕は上手く答えることができなかった。

 夕餉が終わると、「おやすみなさい」と言って、僕は座敷に引き上げてきた。まもなく、きくもききょうを抱いて座敷に入ってきた。

 きくは「どこに神隠しにあったのか、散々訊かれて困りました」と言った。

「私もだよ」と僕は言った。

 布団を敷いて、ききょうを真ん中に、横になった。

「ようやく帰ってきたんだな」ときくに言うと「はい」と応えた。

「でも、もうなんだか別のところのような気がします」

「五年経っているからな」

「そうですね」

 僕ときくはそんな会話をしているうちに眠っていた。

 

 朝餉をとる時、源太郎が「鏡殿は、今日、どうされる」と訊くので、「道場の様子を見てみます」と言った。

「そうか、相川たちもさぞ喜ぶことだろう」

「ええ」

 

 座敷に戻ると、きくに「道場に行くが、きくはどうする」と訊いた。

「女中たちと話をします」と答えた。

 

 道場に行くと、「先生」と相川や佐々木、落合、長崎、島村、沢田たちが駆け寄ってきた。

「お前たちはどうしていた」と訊くと、相川が「今もこうして道場を守っています」と答えた。

 僕が「お前たちもそれぞれに成長したが、気質は少しも変わっっていないな」と言うと、佐々木が「先生は少しも変わっていませんね」と言った。

 僕は「変わるわけがない。ただ、神隠しに遭っただけだ」と言うと、相川が「その話は本当だったんですね」と言った。

「本当だ。だから、こうしてここにいる。それにしても道場の門弟はこれだけか」と訊くと、相川が「これだけです。先生がいなくなってから、選抜試験をしても入門者が集まりません」と答えた。

 道場には三十人ほどしかいなかった。

「では、久しぶりに稽古でもつけようか」と言うと門弟が沸いた。

 僕は道着に着替えて、木刀を持った。

「私に向かって打ち込んで来るように」と言った。

「はい」と言う元気な声が返ってきた。

「まず、相川から」と言うと、相川が打ち込んで来た。昔より、剣の速さが鋭くなっていた。その木刀を打ち返した。

「次」

 佐々木が打ち込んで来た。佐々木も鋭くなっていた。それぞれ五年間に成長していた。佐々木の木刀を打ち返すと、「次」と言っていた。

 三十人の打ち込みは、連続して行われた。

 一時間もしないうちに、打ち込んで来る方がバテた。

「どうした、もう終わりか」と言うと、相川が「先生は疲れないんですか」と訊いた。

「私だって、疲れるさ。でも、これくらいでは疲れない」と答えた。

「そんな」と皆が口にした。

「相川たちは、今も堤道場に通っているのか」と訊いた。

 すると、「城崎先生が師範になられてからは、通ってはいません」と答えた。

「それは何故だ」と訊くと、相川は佐々木や落合、長崎、島村、沢田と顔を見合わせた。

 相川が「堤先生とは違って、城崎先生とは何となく……」と答えた。

「そうか、堤先生ならともかく、城崎であれば、お前たちが教わることも少ないか。無理して行かなくてもいい」と僕は言った。

 相川と城崎では実力が拮抗していた。相川が教わりに行くこともないだろうと、思った。

 

 井戸場で道着の上を脱ぎ、手ぬぐいで躰を拭いてから、着物に着替えた。

 座敷に戻ると、きくがききょうに乳を与えていた。

「女中たちとは話をしてきたのか」

「はい」

「どうだった」

神隠しのことばかりを訊かれるので、退散してきました」

「そうか」

「皆、神隠しのことが知りたいのです」

「そうだろうな」

「でも、何を話していいのかわかりません」

「確かに」

「何を話してもわかってもらえないのです」

「そんなもんだろう」

「ですから、退散してきました」

「うん」

「道場の方はどうでしたか」

「昔に比べると、閑散としていた」

「そうですか」

「昼餉を食べたら堤道場に行こうかと思うが、きくも行くか」と訊くと、きくは「いいえ、ここでお待ちしております」と答えた。

「そうか」