小説「真理の微笑 夏美編」

十五

 第二回公判は十二月の中旬だった。祐一の業者テストが行われる時期と、学期末テストの時期に当たっていた。

 しかし、公判を休むわけにはいかず、夏美は前と同じような席に座った。真理子も同じように座っていた。

 

 第二回公判は、まず検察側の証拠の提示がなされた。第一点は、高瀬の実家にあった高瀬の持ち物から採取したDNAと被告人本人の血液のDNAが一致した事により、富岡修に整形された被告人が高瀬隆一である事。従って、被告人は富岡修でない事。次に、トミーソフト株式会社と富岡修の自宅から押収したものの中で、富岡修の毛根のついた毛と血液を照合したところ、そのDNAが九月に発見された死体のDNAと一致した事を挙げた。

 次に九月に発見された半ば白骨化された遺体とはいえ、その首に明らかに締められた後が残っており、それは頸椎を損傷させるほどのものであった事が示された。

 最後にブレーキの細工である。被告人も争っていないが、車のブレーキ部分に明らかに人為的な損傷部分があり、被告人はブレーキを壊せなかったと思ったようだが、ダメージを与えた事は確かであり、それが今回の事故の原因になった可能性もあるとした。

 この時、左側の最前列にいた真理子は、黒いバッグからハンカチを出して目頭を押さえていた。

 そして、半ば白骨化した遺体の顔面のひどい損傷である。これは何か大きな石で顔面を叩かなければ起きないような損傷だと主張した。そして、掌の火傷である。遺体のその他の部分は焼けていないのに、掌だけが焼けているのは不自然である。これは作為的に燃やしたものであり、爪の間から採取した油の成分を調べたところ、灯油の成分と一致した事を挙げた。

 これに対して弁護側は、発見された遺体と富岡修のDNAが一致した事とブレーキに細工しようとして失敗した事については同意したものの、その他については不同意を表明した。

 その理由は、掌の火傷であるが、これは本人が起こした可能性が高い。なぜなら、被告人が灯油を使って指紋を消そうとしたのなら、その灯油を入れた容器が必要である。しかし、現場らしきところからはそのような容器は発見されていない。また、事故を起こした自動車からも、そのような容器は発見されていない。つまり、検察側は憶測でものを判断しているに過ぎない。

 続いて、顔面の損傷であるが、昨年の六月頃に甲信越地区に記録的大雨が降って土砂崩れを起こしたという記録がある。土砂崩れを起こした中には大きな岩も含まれているという。発見された遺体の顔面の損傷は、その土砂崩れの際に起きたものではないのか。仮に大きな石を使って顔面を損傷したというのなら、その証拠となる石を提示してもらいたいと反論した。

 これに対しては検察側も再反論できなかった。

 

 次に審理されたのが自動車事故後の記憶喪失の件だった。証人尋問の証人として高瀬隆一がまず証人席に立った。被告人が証人尋問の席に立つのは異例だが、審理内容が記憶喪失の件だけに本人に質問するのか早道だったからだ。

「まず被告人にお尋ねする。被告人は自動車事故に遭ってから全ての記憶を失ったのですか」

「いいえ。自分に関する記憶を失ったのです」

「自分に関する記憶とは、どの範囲をいうのですか」

「自分に関する記憶の全てです」

「それでは殺人の記憶もないというのですか」

「最初はありませんでした」

「最初は? それではいつからあるというのですか」

「逮捕されてからです」

「逮捕されてから? 」

「そうです。刑事さんにいろいろ訊かれて、そうしているうちに、そういうこともあるのかな、と思うようになりました」

「ここは法廷だから、冗談を言ってもらっては困ります。それでは刑事が誘導しているように聞こえるではありませんか」

「裁判長」

「弁護人」

「今の発言は不適切だと思います」

「検事、発言を変えるように」

「わかりました。被告人、あなたは被告人陳述で、『今思い出せる範囲では、殺意を持って殺そうと思ったところまでは記憶している』とはっきり述べていますよね」

「はい」

「では、記憶があるんじゃないですか」

「でも、今思い出せる範囲では、と限定していますよね。その前に『記憶については最近徐々に思い出してきているところです』とも言いました」

「まあ、いいでしょう。では、あなたはいつから自分が高瀬隆一だと思うようになったんですか」

「先程も言いましたが、そう思うようになったのは、逮捕されてからです」

「そうすると逮捕されてから、突然、ブレーキを壊そうとしようとした事とか、首を絞めた事を思い出したんですか」

「今の発言で違っているところがあります」

「どこですか」

「首を絞めたところです。首を絞めた記憶はまだ思い出せません。でも、ブレーキを壊そうとした事は思い出しました。しかし、意外に大きな音が出るので途中で諦めたのです」

「それでどうしたのですか」

「裁判長。ここは裁判の場であり、尋問の場ではありません。証人に質問があれば、その趣旨を明確にして質問してもらいたいです」と弁護士が言った。

「裁判長。被害者は絞殺されているのです。被告人が絞殺の件を争うのであれば別ですが、そうでなければ絞殺する意志を持っていたかどうか確認したいと思います」と今度は検事が言った。

 裁判長が被告人に言った。

「被告人、答えてください」

「裁判長、私は殺意を持って殺そうと思ったところまでは記憶していますが、ブレーキを壊す事に失敗した後、どうやって殺したのかその方法については覚えていません」

 検事が「被告人が記憶がないと言っても、当時、被害現場には被告人しかおらず、発見された死体は明らかに絞殺された跡が見られるのです。そして、その直前まで被告人は殺意を持って現場にいたのです。あなたが絞殺したとしか考えられないじゃないですか」と言った。

「裁判長、今の発言は検事の推測です」

「検事、発言は証拠に基づいて行ってください」

「質問を変えます。あなたは、事故後、目覚めた時、どう思われましたか」

「特に何も。全く記憶を失っていたので、何処にいるのか、何故ここにいるかもわかりませんでした」

「自分が富岡修だといつ知りましたか」

「誰かが私の名前をそう呼んだからです。そして周りの人がそう呼ぶからです。でも、自分が富岡修だという意識はありませんでした。自分が誰なのかわからなかったのです」

「病院に入院している間に記憶が戻ったという事はありませんか」

「いいえ」

「そうですか」

 検事がコンピューターについて詳しくないのが幸いした。もし、詳しければ、トミーワープロについて調べたはずだからである。そうすれば、バグが発生した時、そのバグの発生箇所をすぐに見つけ出した事に不審を持ったはずである。ただし、自分自身についての記憶がない者でも、日本語がしゃべれたり、プログラム言語を扱えたりするのは、ごく普通の事である。

「以上です」と検事は言った。高瀬は被告人席に戻った。

 

 次に証人席に呼ばれたのは、富岡修の妻、真理子だった。真理子が傍聴席から立ち上がった時、ほう、という響めきが起こった。

「証人の名前を言ってください」

「富岡真理子です」

 証人の人定質問が終わった後で、「証人と被告人との関係は」と弁護士が訊いた。

 この質問に真理子はしばらく沈黙した。裁判長に「証人、お答えください」と促されて、ようやく真理子は「息子の父親です」と答えた。この答に傍聴席にいた何人かの記者は部屋を飛び出していった。これまで真理子は赤ちゃんがいる事を隠し続けていたからだった。

 これには検事も驚いたようだった。

「被告人と会ったのは、どこでいつですか」

「病院です。最初は茅野の病院でした。七月二日の事です。それから東京のある大学病院に転院しました」

「病院にいる時から、自宅に帰られてからも、ずっと被告人のことを富岡修さんだと思っていましたか」

「そう思っていました」

「別人だとは思いませんでしたか」

「いいえ」

「被告人は、あなたのご主人を殺した人ですよね」

 証人は頷いた。

 検事は「証人は頷いた」と言った。そして「そんな人と暮らしていて違和感はありませんでしたか」と続けた。

「いいえ」

「本当ですか」

「そうでなければ、赤ちゃんを産んだりはしませんわ」

「そうなんですか」

「ええ」

 検察は、真理子が高瀬の子を産んでいることを見落としていたのだ。大変な失態だった。そうでなければ、真理子を追求していけば、高瀬の尻尾を掴む事ができると思っていたのだ。事前に真理子に会った時も赤ちゃんの話は出ていなかったからだ。

「被告人が逮捕されてから、被告人をご主人を殺した犯人として憎いと思った事はありませんか」

「どういう意味でしょうか」

「だから、あなたが暮らしていた高瀬隆一はあなたのご主人を殺した犯人ですよね。憎いとは思わなかったですか」

「何をおっしゃっているのか、わかりません。わたしの主人はあそこにいますもの」と振り向いて被告人席を指した。

「証人は被告人を指さした」と検事は言った後、これ以上、真理子を追求しても無駄だとわかったので「以上です」と言った。

「裁判長、弁護側からも証人に確認したい事があります」

「どうぞ」

「検察からの質問にもありましたが、あなたは富岡修さんを一度も別人だとは疑った事がありませんか」

「何度も言いますが、ありません」

「それでお子さんをお産みになったんですね」

「そうです」

「今でも被告人を愛しているんですね」

 この質問には真理子は答えなかった。

「以上です」と弁護側も言った。

 検察側の証人は被告人と真理子の二人だけだった。

 どっと記者たちが飛び出していった。

 

 次回の公判期日は年を越した二月下旬になった。