十三
夏美の実家から取材陣もいなくなり、ワイドショーにも富岡修の件が報じられなくなった六月のある日の事だった。
富岡修が高瀬隆一として詐欺罪で逮捕されたのである。
詐欺罪の逮捕は、明らかに別件逮捕であった。本丸は、高瀬隆一の富岡修殺しであった。
高瀬が逮捕されると同時に夏美の実家に家宅捜査が入った。茅野の刑事の場合とは違い、今度の相手は警視庁だった。十数人の捜査官が夏美の実家に入り、夏美が自宅から持ってきた高瀬のもの全てを押収していった。それだけでなく、夏美が使っていたパソコンも押収された。パソコンの中に入っているデータ、特にメールなどを調べるためだった。この時、初めて夏美は何故、高瀬がパソコン内の全てのデータを消去するソフトを送ってきたのか、その意味を知った。
勾留期間は二十日間に及んだ。その間、夏美は二度、高瀬に会いに行った。本当はもっと会いたかったが、調整が取れなかったのだ。基本的に面会は一日一回で約二十分間だけだった。夏美が面会を希望した何日かは別の人が面会する事になっていた。夏美は、それは真理子だと思った。
車椅子で入ってきた高瀬を最初に見た時は、それが高瀬かと思った。もちろん、顔が富岡の顔になっている事は承知していたが、相対してみると、高瀬と思うのに時間がかかった。しかし、面会時間は二十分程度しかなかったので、余計な事を話している事はできなかった。高瀬が話したのは、お金の事はもちろんの事、手紙やメールの事などは一切言わない事と弁護士の事だった。特に弁護士については、高瀬はある弁護士事務所の名前を口にした。夏美はそれをメモするのが精一杯だった。面会時間はそれだけであっという間に過ぎた。
「頼んだよ」という高瀬の言葉に面会時間は終わった。
弁護士は高瀬が頼みたいと思っているところに依頼する事にした。そこで、早速、夏美は弁護士事務所を訪ねた。個人事務所ではなく、比較的大手の弁護士事務所だった。
対応したのは、副所長の相原倫太郎だった。夏美が用件を言うと、すでに知られている事件だったので、話はスムーズに進んだ。夏美は用意してきた手付金を払い、差入れの事、それから訴訟になった時の弁護の事なども相原に頼んだ。相原は快く引き受けてくれた。
二度目に会いに行ったのは、裁判の事だった。その時の高瀬は窶れているように見えた。
「ちゃっんと食べている」
「ああ」
「眠れている」
「ああ」
夏美はまるで子どもに訊いているような質問しかできなかった。
「もうすぐ裁判が始まる。詳しい事は弁護士さんから聞いてくれ」と高瀬は言った。
「わかったわ」
それで面会時間は過ぎた。
勾留期間が過ぎた時に高瀬隆一は起訴された。これで裁判が行われる事が決定した。弁護士は直ちに保釈手続きを取り、それが認められ、高瀬は保釈された。高瀬は弁護士が用意したホテルに泊まる事になった。
高瀬が逮捕されてから、再び週刊誌やワイドショーの報道が多くなった。
夏美の実家を取材陣が囲むというような事はなくなり、時折、取材をしている人を見るぐらいだった。取材陣の目的は真理子だった。
真理子が自宅から出てくると、「高瀬さんとの生活はどうでした~」という中年女性レポーターの声が大きく響いた。
真理子は動ずる事もなく、真っ赤なポルシェに乗り込むと走り出した。その後を取材クルーが追っていった。
株主総会で富岡真理子が、代表取締役兼社長になった事が、週刊誌に大きく報道された。
祐一は一学期は何とか学校に行った。夏美も何度か学校に足を運んだ。担任の話では、いじめのような事はないが、一人でいる事が多いという事だった。
十四
九月になった。二学期になって、祐一は学校に行くのを嫌がった。大勢いる中で、一人だけなのが堪えられなかったのだ。祐一はせめて一学期だけは頑張って学校に通ったが、夏休みの間も誰も友達は来なかった。学校のプールに行く日も休んだ。
夏美は学校に行って相談した。担任だけでなく、校長、教頭、学年主任も交えて話をした。すでにワイドショーなどで事件として話題となっているだけに、学校側としては、腫れ物に触る態度だった。祐一を無理に学校に来させても対応が難しかった。
夏美は祐一が六年生であるだけに卒業できるかどうかが心配だった。しかし、校長がそれは大丈夫ですと答えた。
学校に来られないのには理由があるからで、単に無断欠席扱いにはしないという事になった。ただ、欠席をしている間に、学習が進まないのは望ましくないので、毎週宿題を出す事になった。それをやってくる事で出席扱いにするという事に決まった。
ただ、もう一つ問題があった。中学受験をどうするかという事だった。その学校というよりも県単位で業者テストが幅を利かせていて、その成績で私立の進学校が決まったりしていた。特に二学期以降の二回のテストの結果で内定を出すところもあったりした。
そのまま公立中学校に進学する事もできるが、祐一の一学期の業者テストの結果は抜群に良くて、東京にある国立中学校か有名な私立中学校を目指せる位置にいた。私立中学校ならトップ校以外ならどこを受けても滑り止めになると言われた。業者テストの結果は、夏美は祐一から知らされていなかったので、夏美は祐一は祐一なりに頑張っているんだと思うと涙が出てきた。思えば、高瀬の事ばかり気にかけて、祐一の事は後回しになっていたと反省もした。
だから、学校サイドも、できる事なら業者テストと学期末テストを受けてくれれば、進学については何の問題もないと言った。
夏美は「祐一と相談してみます」と言うのがやっとだった。
十月になって裁判が始まった。
注目されている裁判だけに傍聴人は長蛇の列を作った。
法廷には夏美が右側の最前列の席に、真理子はその逆の左側の最前列の席に座った。
すでに検事と弁護士はそれぞれの席にいて、被告人が刑務官に連れられて入ってきて、中央の席に座った。
その後、裁判官が入ってきた。一同、起立をして、裁判官が着席をすると、一同着席した。
最初に人定質問がされた。この時、高瀬が「高瀬隆一です」と言うと法廷に微かにどよめきが起きた。それは人定質問されている被告人の顔が富岡修だったからだ。
人定質問が終わると、起訴状の朗読が始まった。
起訴状の内容は概ね、次のようなものであった。
被告人高瀬隆一は、一九**年七月一日、午後**時に、****にある被害者富岡修氏の別荘のガレージに侵入し、同氏の車のブレーキを壊そうとしたが果たせず、仕方なく、同氏宅に侵入し、同氏を殺意を持って絞殺の上、同氏の車で****付近で顔面を大きな石で強打し、人相をわからなくした上で指紋を消すために両方の手の平に灯油をかけて焼き、同所に埋めたものである。その後、被告人は自動車事故を起こして、一命を取り留め、高瀬隆一であるとわかりながら、富岡修氏になりすまして生活していたものである。罪状は殺人罪、死体損壊・遺棄罪、および詐欺罪、罰条刑法第**条**項、刑法**条**項および刑法**条**項である。
この後、黙秘権の告知があった後、被告人の陳述が行われた。被告人の陳述は、「記憶については最近徐々に思い出してきているところです」と述べた後、今思い出せる範囲では、殺意を持って殺そうと思ったところまでは記憶しているが、それ以後の記憶がない事、したがって、****付近で顔面を大きな石で強打し、人相をわからなくした上で指紋を消すために両方の手の平に灯油をかけて焼き、同所に埋めたという点について争う事と、また自動車事故後、被告人になりすまして生活をしていたという点についても、記憶喪失によってそうならざるを得なかった旨を述べた。
弁護人の陳述は、情状酌量の根拠として、被告人が被害者に対して、何故、殺意を抱いたのかを説明した。また、被告人が申し立てたように、****付近で顔面を大きな石で強打し、人相をわからなくした上で指紋を消すために両方の手の平に灯油をかけて焼いたと起訴状には書かれているが、これについては争う事も述べた。そして、詐欺罪については全面的に争う事を述べた。
裁判は次回、検察側の証拠の提示と証人申請を行って、期日を決定後終了した。次回は十二月に行われる事になった。
祐一は、十月に行われた業者テストは学校に登校して受けてきた。毎週出される宿題は、夏美が全て学校に届けていた。